君の目に映りたい。
1章

第3回(9/5更新)

「伊織ー。ご飯食べよう」

 美羽に声をかけられて、私はうなずいて席を立った。

 美羽の今の席は窓際にあって、しかも特等席の一番後ろ。前の席の山田は昼になると部活の昼練でいなくなるので、私は決まってそこに座る。

 購買へ飛び出していく男子たち、輪を作るバトントワリング部の女子、にわかに出入りの激しくなる昼休みの教室をぼんやり眺めながら、自分の弁当箱を開ける。

「やっと終わったね」

 美羽が唐突に言ったので、私は首を傾げた。

 せっかちな美羽は、よく主語を省くのでときどき何を言っているのかわからない。

「あ、梅雨?」

 うまく拾えたと思ったのに、美羽にチョップを喰らった。

「試験」

「あー、そっちか……」

 期末試験は少し前に終わっている。

 美羽が言ったのは、さっきの授業で全部のテストが返却されたという意味だろう。

「どうだった?」

「訊くな。察しろ」

 私は呻きながら唐揚げに箸を伸ばした。下に敷かれたレタスが、油を吸ってすっかりしんなりしてしまっている。テストが返却されたときの私も、似たような萎れっぷりだった。

「相変わらずだなあ、ちゃんと勉強しなよ」

 美羽が笑って額を小突いた。

「してるよう」

「前々から思ってたけど、よくウチ入れたな」

「受験は友だちが死ぬほど助けてくれたんで」

 私がてへっ、と笑みを浮かべると、人望で生き抜くタイプだな、と勝手に悟られた。

 やればできる子だと言いたかったのに。

「夏休みはどうすっかね……」

「練習でしょ。ゲロ吐くまで外周」

「やっぱり?」

「去年もそうだったじゃん。今さらだよ」

 うちの陸部は特別強豪ってわけでもないけど、練習は普通に厳しい。普通に、っていうのは、普通にどこの陸上部だってこれくらいはやってるだろうって、思うくらいの普通だけど、まあ厳しい。

 学校の敷地が地味に広くて、その分外周も広くて、夏場走るのはなかなかしんどい。別にスパルタってわけじゃないし、体調悪かったらすぐ休めるし、っていうかサボれるし、別にどうとでもなるけど、手を抜いたらそれは神様が見ているんだろうなとは思う。

 私と美羽は、去年から同じ短距離ブロックで、同じ練習メニューに取り組んでたけど、きついときは二人でこそこそサボってた。

 私たちだけじゃない。他の一年も、先輩だってさぼってた。でも、だから私たちはインハイに行けなかった。

 人事を尽くさず、天命も待たなかった。

「走るよ。今年は」

 私はつぶやいた。美羽が神妙にうなずいた。

 ピロン、とポケットが鳴って、私は箸で掴んでいたミニトマトを取り落とした。

 キャッチし損ねて、床の上をコロコロと転がっていくのを慌ててつまみ上げる。

「やべ」

「洗ってきなよ」

「うん」

 私はトマトを摘まんだまま席を立ち、廊下の水道まで行ってトマトを洗った。そのまま口に放り込み、ポケットからスマホを取り出す。

「あ」

 昨日のメッセージに返信がきている。

 和佳だ。

 今見たのかな。

 私は自分の二つ隣の教室をちらりと見やった。

 和佳の教室は二年五組だ。

 歩いて十秒、走って五秒。

 別に直接会いにいったっていいけど、なんとなく和佳は教室にはいない気もした。

 秀から何か聞いたことがあるわけじゃないけど、和佳って相変わらず、一人でいることが多いみたいだ。

 改めてスマホに目を落とすと、メッセージは短かった。

「いいよ。場所と時間決めて」

 相変わらず淡泊な文章。絵文字も顔文字もない。

 まあ、私も和佳に送るときは使わないのがくせになっているから、おあいこだけど。

 すぐに返すと嫌がられそうで、和佳に返信するときは少し時間を空けて返すのもくせになっている。

 文章だけ作って、私はスマホをポケットにしまった。

 廊下の窓の向こうに、梅雨明けの夏空が広がっている。

 学校が少し高い位置にあるので、地平線がよく見渡せる。

 遠くに見える山に、まるで帽子のように、真っ白な入道雲が立ち昇っていた。
 夏休みが、近づいている。
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