十月中旬。母の墓参りに行くことになった。珍しく、父も一緒だった。命日ではなく、誕生日だということは、私もすでに知っていた。
電車で三十分ほど。三等分した重たい沈黙をそれぞれに抱きかかえ、各駅停車に揺られながら目的地まで向かう。風の強い、それ故に少し寒い日だった。
窓の外では電線や、木々が激しく揺れていた。鳥があまり飛んでいない。それなのになんとなく蝶々を探している自分がいて、嫌になる。見たくない。どうでもいい。
和佳の母親は、和佳が小学五年生の年に病死している。由佳ちゃんに聞いたわけではなく、これも和佳の記憶として知っていることだった。手術の合併症で死んだのだ。
それまでは、ぶっきらぼうで不器用な父親と、その理解者である母親と、騒がしい娘二人の、平凡ながらも温かい家庭だった。
元々体が弱かった母親が死んでからそれが一変した。
父親は家を支えるために仕事人間と化し、その父の心情を慮った和佳が母親の代わりになろうとした。そんな父と姉の背中を見て育った由佳ちゃんは、二人の力になりたいと、少しずつ家事を手伝うようになった。
和佳のここ数年の記憶は、役割分担をし、お互いがお互いを支えようとしているのに、なぜか噛み合わない家族のすれ違いで埋め尽くされている。
父親の帰りはどんどん遅くなり、土日も家にいないようになった。由佳ちゃんが家事に従事する時間が長くなり、部活や学校生活を、自分と同じように犠牲にするようになった。
そうならないでほしいと願った和佳の思いとは裏腹に、和佳がそう願うほどに、それぞれが自ら進んで重荷を背負いこんでいく。
周りがあんなに頑張っているんだから、自分ももっと頑張らないと。
森宮家は、きっとそういう思考で動いている。私なら、自分がちょっとくらい手を抜いたって平気だろうって、すぐ思ってしまうようなところで、妥協も甘えもない。
たった一人の人間が抜けただけで、家族というのはこんなにも歯車が狂ってしまうものなのか。
私は久々に、自分の本当の家族のことを思い出した。この体になってから一度も会っていない。会えるはずもない。向こうにとって、自分はひょっとしたら憎い相手ですらあるかもしれないのに。
一緒に事故に遭って、自分の娘だけ死んで、友だちの女の子は生き残ってしまったら――私だったらきっと、どうしてうちの子だけ、と思ってしまう。
「お姉ちゃん、降りるよ」
肩を揺すられて、私は我に返る。由佳ちゃんにうなずいて、席を立った。
相変わらず無言な父親の考えていることはわからず、少し先を歩かせて、私は由佳ちゃんと並んでたわいもない会話を交わした。由佳ちゃんはそんなに思い詰めた様子は見せなかった。
それはそうか、和佳が小学五年生ということは、もう五、六年前のはずだ。悲しみの角が取れる程度には、十分な時間かもしれない。
「ねえ、お姉ちゃん」
ふいに由佳ちゃんが、ひそひそ声で話しかけてきた。
「いつたこ焼きやる?」
ああ、そうだ。そんな話になっていた。文化祭の後、すっかり忘れてしまっていたけれど。
この家族を、少しでもよくできるんじゃないかって、赤の他人の私が思ってしまうのは思い上がりだろうか。
たこ焼きパーティくらいで、すべてが埋められるなんて、本気で思っているわけじゃない。でも、少なくとも……そういう時間が必要なんだと思う。今でも思う。
私が和佳でなくても、由佳ちゃんにとって、お父さんにとって、私はたった一人の姉で、娘のはずだ。そうでしょう?
「うん。どうしよっか。お父さん、いつなら仕事休めるんだろうね」
「それ待ってたら一生できないよ」
「じゃあ、無理矢理休ませるしかないね」
私は苦笑いをして、前を行くお父さんの背中を見つめる。
いつも猫背気味で、堅い顔をして、人に話しかけてほしくなさそうなオーラがまとわりついている。家族に対してもそうだ。
和佳のお母さん、この人のどこが好きだったんだろう。いや、そんなこと考えるのは意味がないな。好きだったら、好きなんだ。そんなこと、私が一番よく知っている。
「ねえ、お父さん」
私が声をかけると、その背中がのっそり振り向いた。
「今度家でたこ焼きしようよ」
「え、直球に言っちゃうんだ……」
由佳ちゃんがぼそりとつぶやいた。
「たこ焼き?」
お父さんが首を傾げた。
「なんだ、藪から棒に」
「うちにたこ焼き器あるんだよ。知ってた? 私、文化祭でたこ焼きやったから、作り方分かるし。あの大きさなら三人でちょうどいいと思うんだ」
お父さんは曇った瞳で私を見つめていた。
その目に、きちんと私は映っているのだろうか。和佳は映っているのだろうか。母親が死んでから、この人は娘たちときちんと向き合ってきたのだろうか。
「仕事が、落ち着いたらな」
暗に断られていると感じた。それくらい、子どもにだってわかる。
「ダメ。約束して」
私が強く言うと、由佳ちゃんが少し息を吞んだ。お父さんがわずかに目を見開いたのがわかった。
「……すぐじゃなきゃだめなのか?」
「すぐじゃなくてもいいよ。でも必ずやるって約束して」
森宮和佳として、私は言う。
この人の娘として言っている。由佳ちゃんの姉として言っている。
「……わかった。やるときは、予定を空けよう」
お父さんはそれだけ言って、また前に向き直り歩き始めた。
私は由佳ちゃんを振り向いて、にっと笑った。彼女がはらはらした顔で私とお父さんを見比べて、「お姉ちゃん、馬鹿なの?」と呻くので、可笑しくなった。
電車で三十分ほど。三等分した重たい沈黙をそれぞれに抱きかかえ、各駅停車に揺られながら目的地まで向かう。風の強い、それ故に少し寒い日だった。
窓の外では電線や、木々が激しく揺れていた。鳥があまり飛んでいない。それなのになんとなく蝶々を探している自分がいて、嫌になる。見たくない。どうでもいい。
和佳の母親は、和佳が小学五年生の年に病死している。由佳ちゃんに聞いたわけではなく、これも和佳の記憶として知っていることだった。手術の合併症で死んだのだ。
それまでは、ぶっきらぼうで不器用な父親と、その理解者である母親と、騒がしい娘二人の、平凡ながらも温かい家庭だった。
元々体が弱かった母親が死んでからそれが一変した。
父親は家を支えるために仕事人間と化し、その父の心情を慮った和佳が母親の代わりになろうとした。そんな父と姉の背中を見て育った由佳ちゃんは、二人の力になりたいと、少しずつ家事を手伝うようになった。
和佳のここ数年の記憶は、役割分担をし、お互いがお互いを支えようとしているのに、なぜか噛み合わない家族のすれ違いで埋め尽くされている。
父親の帰りはどんどん遅くなり、土日も家にいないようになった。由佳ちゃんが家事に従事する時間が長くなり、部活や学校生活を、自分と同じように犠牲にするようになった。
そうならないでほしいと願った和佳の思いとは裏腹に、和佳がそう願うほどに、それぞれが自ら進んで重荷を背負いこんでいく。
周りがあんなに頑張っているんだから、自分ももっと頑張らないと。
森宮家は、きっとそういう思考で動いている。私なら、自分がちょっとくらい手を抜いたって平気だろうって、すぐ思ってしまうようなところで、妥協も甘えもない。
たった一人の人間が抜けただけで、家族というのはこんなにも歯車が狂ってしまうものなのか。
私は久々に、自分の本当の家族のことを思い出した。この体になってから一度も会っていない。会えるはずもない。向こうにとって、自分はひょっとしたら憎い相手ですらあるかもしれないのに。
一緒に事故に遭って、自分の娘だけ死んで、友だちの女の子は生き残ってしまったら――私だったらきっと、どうしてうちの子だけ、と思ってしまう。
「お姉ちゃん、降りるよ」
肩を揺すられて、私は我に返る。由佳ちゃんにうなずいて、席を立った。
相変わらず無言な父親の考えていることはわからず、少し先を歩かせて、私は由佳ちゃんと並んでたわいもない会話を交わした。由佳ちゃんはそんなに思い詰めた様子は見せなかった。
それはそうか、和佳が小学五年生ということは、もう五、六年前のはずだ。悲しみの角が取れる程度には、十分な時間かもしれない。
「ねえ、お姉ちゃん」
ふいに由佳ちゃんが、ひそひそ声で話しかけてきた。
「いつたこ焼きやる?」
ああ、そうだ。そんな話になっていた。文化祭の後、すっかり忘れてしまっていたけれど。
この家族を、少しでもよくできるんじゃないかって、赤の他人の私が思ってしまうのは思い上がりだろうか。
たこ焼きパーティくらいで、すべてが埋められるなんて、本気で思っているわけじゃない。でも、少なくとも……そういう時間が必要なんだと思う。今でも思う。
私が和佳でなくても、由佳ちゃんにとって、お父さんにとって、私はたった一人の姉で、娘のはずだ。そうでしょう?
「うん。どうしよっか。お父さん、いつなら仕事休めるんだろうね」
「それ待ってたら一生できないよ」
「じゃあ、無理矢理休ませるしかないね」
私は苦笑いをして、前を行くお父さんの背中を見つめる。
いつも猫背気味で、堅い顔をして、人に話しかけてほしくなさそうなオーラがまとわりついている。家族に対してもそうだ。
和佳のお母さん、この人のどこが好きだったんだろう。いや、そんなこと考えるのは意味がないな。好きだったら、好きなんだ。そんなこと、私が一番よく知っている。
「ねえ、お父さん」
私が声をかけると、その背中がのっそり振り向いた。
「今度家でたこ焼きしようよ」
「え、直球に言っちゃうんだ……」
由佳ちゃんがぼそりとつぶやいた。
「たこ焼き?」
お父さんが首を傾げた。
「なんだ、藪から棒に」
「うちにたこ焼き器あるんだよ。知ってた? 私、文化祭でたこ焼きやったから、作り方分かるし。あの大きさなら三人でちょうどいいと思うんだ」
お父さんは曇った瞳で私を見つめていた。
その目に、きちんと私は映っているのだろうか。和佳は映っているのだろうか。母親が死んでから、この人は娘たちときちんと向き合ってきたのだろうか。
「仕事が、落ち着いたらな」
暗に断られていると感じた。それくらい、子どもにだってわかる。
「ダメ。約束して」
私が強く言うと、由佳ちゃんが少し息を吞んだ。お父さんがわずかに目を見開いたのがわかった。
「……すぐじゃなきゃだめなのか?」
「すぐじゃなくてもいいよ。でも必ずやるって約束して」
森宮和佳として、私は言う。
この人の娘として言っている。由佳ちゃんの姉として言っている。
「……わかった。やるときは、予定を空けよう」
お父さんはそれだけ言って、また前に向き直り歩き始めた。
私は由佳ちゃんを振り向いて、にっと笑った。彼女がはらはらした顔で私とお父さんを見比べて、「お姉ちゃん、馬鹿なの?」と呻くので、可笑しくなった。