「ただいま」
肉じゃがのいいにおいが漂うリビングに入っていくと、台所で忙しそうに動き回っていた由佳ちゃんがぐるんっと振り向いて、私の顔を見るなりしかめっ面になった。
「迎えにいくから連絡頂戴って言ったじゃん」
「え? あ……」
ずっと見ていなかったスマホを今見ると、確かにメッセージがきていた。三時間ほど前だから、私が倒れた頃か。由佳ちゃんは怖い顔のままずいずい近づいてきて、私の胸に人差し指を突きつける。
「学校から家に連絡あって。お父さんにも一応伝えたけどあの仕事人間は当てになんないし、タクシーで迎えにいこうと思ってたのになんで一人で帰ってくるかな!」
「そんな大げさだよ。貧血くらいで……」
私は苦笑いするけれど、由佳ちゃんの顔はますます必死に歪んでいく。
「貧血ぐらいじゃないの! お姉ちゃんは今年一度死にかけてるの! 本当に貧血かどうかなんて病院で診てもらわなきゃわかんないじゃない!」
その目がみるみるうちに潤んでいくのを見て、私はようやく彼女が何に怯えているのかを理解した。
そうだった。由佳ちゃんはすでに母親を亡くしている。そして今夏、母親代わりだったであろう姉をも亡くしかけた。
本当の意味ではすでに亡くしているのかもしれない。それでも彼女は、私という偽物であっても姉がいなくなることを恐れている。
この家では、土日でもお父さんがいないことは珍しくない。実際、今日もこの時間で父の姿は家にない。
そうでなくとも一人で過ごす時間が長いのに、もし森宮和佳という存在が消えてしまったら、由佳ちゃんは本当に一人きりになってしまう。
ただでさえ広いこの家で、彼女が一人、自分で作ったご飯を食べている姿を想像すると私は背筋がぞっとした。
「……ごめん」
謝って、それからそっと由佳ちゃんの頭に手を乗せた。
「ありがとう、心配してくれて。本当に大丈夫だから」
「病院行ってちゃんと先生に診てもらうまで信じない」
由佳ちゃんはそっぽを向いて言う。
「うん。わかった」
明日は月曜日で、私は文化祭の代休がある。大丈夫だとは思うけれど、それで由佳ちゃんが安心してくれるなら、そうしようと思った。
私たちは二人で晩ご飯を食べた。今日の肉じゃがは心なしか少ししょっぱかった。由佳ちゃんはたこ焼きや、文化祭の感想を聞かせてくれた。「いい高校だね」とそんなふうにも言ってくれた。
きっと今まで、和佳はあまり学校での話をしなかったのだろう。
遅くに帰ってきた父親は相変わらず疲れた顔で、今日私が文化祭だったことなんて知りもしない様子で、席に着くなりノートパソコンを開き、難しい顔で画面を見つめていた。
私と由佳ちゃんは気を遣ってテレビを消し、それぞれ部屋に戻った。
一人きりになった瞬間、どっと疲れを感じる。
ベッドに腰掛けると、机の上の和佳の写真と目が合う。私はぱっと立ち上がり、それを机の上に伏せた。なんだか今は、和佳の顔を見たくない。鏡を見るのも怖い。
疲れているはずなのに、眠気を感じるのに、瞼は重たくてしょうがないのに、月はどんどん天頂へ昇っていくのに、いつまで経っても眠ることはできなかった。
意識の底から、記憶の隅から、這い寄るように、滲み出るように、あいつの言葉が手を伸ばしてくる。
肉じゃがのいいにおいが漂うリビングに入っていくと、台所で忙しそうに動き回っていた由佳ちゃんがぐるんっと振り向いて、私の顔を見るなりしかめっ面になった。
「迎えにいくから連絡頂戴って言ったじゃん」
「え? あ……」
ずっと見ていなかったスマホを今見ると、確かにメッセージがきていた。三時間ほど前だから、私が倒れた頃か。由佳ちゃんは怖い顔のままずいずい近づいてきて、私の胸に人差し指を突きつける。
「学校から家に連絡あって。お父さんにも一応伝えたけどあの仕事人間は当てになんないし、タクシーで迎えにいこうと思ってたのになんで一人で帰ってくるかな!」
「そんな大げさだよ。貧血くらいで……」
私は苦笑いするけれど、由佳ちゃんの顔はますます必死に歪んでいく。
「貧血ぐらいじゃないの! お姉ちゃんは今年一度死にかけてるの! 本当に貧血かどうかなんて病院で診てもらわなきゃわかんないじゃない!」
その目がみるみるうちに潤んでいくのを見て、私はようやく彼女が何に怯えているのかを理解した。
そうだった。由佳ちゃんはすでに母親を亡くしている。そして今夏、母親代わりだったであろう姉をも亡くしかけた。
本当の意味ではすでに亡くしているのかもしれない。それでも彼女は、私という偽物であっても姉がいなくなることを恐れている。
この家では、土日でもお父さんがいないことは珍しくない。実際、今日もこの時間で父の姿は家にない。
そうでなくとも一人で過ごす時間が長いのに、もし森宮和佳という存在が消えてしまったら、由佳ちゃんは本当に一人きりになってしまう。
ただでさえ広いこの家で、彼女が一人、自分で作ったご飯を食べている姿を想像すると私は背筋がぞっとした。
「……ごめん」
謝って、それからそっと由佳ちゃんの頭に手を乗せた。
「ありがとう、心配してくれて。本当に大丈夫だから」
「病院行ってちゃんと先生に診てもらうまで信じない」
由佳ちゃんはそっぽを向いて言う。
「うん。わかった」
明日は月曜日で、私は文化祭の代休がある。大丈夫だとは思うけれど、それで由佳ちゃんが安心してくれるなら、そうしようと思った。
私たちは二人で晩ご飯を食べた。今日の肉じゃがは心なしか少ししょっぱかった。由佳ちゃんはたこ焼きや、文化祭の感想を聞かせてくれた。「いい高校だね」とそんなふうにも言ってくれた。
きっと今まで、和佳はあまり学校での話をしなかったのだろう。
遅くに帰ってきた父親は相変わらず疲れた顔で、今日私が文化祭だったことなんて知りもしない様子で、席に着くなりノートパソコンを開き、難しい顔で画面を見つめていた。
私と由佳ちゃんは気を遣ってテレビを消し、それぞれ部屋に戻った。
一人きりになった瞬間、どっと疲れを感じる。
ベッドに腰掛けると、机の上の和佳の写真と目が合う。私はぱっと立ち上がり、それを机の上に伏せた。なんだか今は、和佳の顔を見たくない。鏡を見るのも怖い。
疲れているはずなのに、眠気を感じるのに、瞼は重たくてしょうがないのに、月はどんどん天頂へ昇っていくのに、いつまで経っても眠ることはできなかった。
意識の底から、記憶の隅から、這い寄るように、滲み出るように、あいつの言葉が手を伸ばしてくる。