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目を覚ますと、知らない天井だった。
でも、知っている場所だった。保健室だ。部活で怪我をして、たまに来ていたのでわかる。
夕日が差し込んでいる。そちらにゆっくりと首を動かすと、眉根に大きく皺を寄せた秀と目が合った。
「……私?」
「急に倒れたんだ。保健室に運んで、先生に診てもらったらきっと貧血だろうって」
訊きたかったことをだいたい説明されて、私はもう一度天井を見る。
貧血。
違う。きっと違う。
絶対、違う。
私の胸中を知るよしもなく、秀はほっと吐息をついて立ち上がった。
「ちょっと先生に報告してくるな。体育館の片付けで派手に捻挫したやつがいるとかで、そっち行っちゃっててさ」
小走りに保健室を出ていく秀の背中をぼんやり見送ってから、私は自分の手をまじまじと見た。
和佳の手だ。
白い、細くて、小さな手。
あのときフラッシュバックした光景を探って、おそるおそる記憶の泉に手を入れる。無意識に額を押さえて、歯を食いしばる。
痛みはなかった。
それは当たり前のように、普通に、思い出すことができた。
その光景は、全体的に黒ずんでいる。和佳の母の、葬式の記憶だ。
すすり泣きが聞こえる。隣で泣いている小さな女の子は、由佳ちゃんだ。まだ何が起きているのか、わからないような歳に見えたけれど、葬儀の雰囲気に気圧されたのか、目を真っ赤にして泣いている。
右隣はお父さんだ。強張った顔。この人はいつも難しい顔をしているけれど、ひょっとしてこのときからずっと、こんな顔をしているのだろうか。
遺影には、和佳の母親の顔。薄らと笑顔で、優しい雰囲気。きっと多くの人に愛されていたのだろう。
自分も泣いているのがわかった。頬が熱い。視界が滲んでいる。
由佳ちゃんが私の袖を引いて訊く。
「ねえお姉ちゃん。お母さん、どこに行っちゃったの?」
私は泉から手を引っこ抜く。
荒い息をこぼして、頭を抱える。
涙が落ちる。葬儀の記憶が悲しかったからじゃない。たぶん、恐怖だ。
だって、これは、和佳の記憶だ。私の知らない、和佳の過去だ。
どうして思い出せるんだろう。思い出せるように、なってしまったんだろう。
……いや、答えはもう、分かっている。私はずっと、それに見て見ぬ振りをしている。
和佳の記憶が思い出せる代わりに。
私は、大神伊織の記憶を失っている。
がらっと保健室の扉が開く音がして、顔を上げた。秀に涙を見られるのは嫌だ、と思って慌てて涙を拭こうとした手は、その顔を見て力なく落ちた。
「……佐島?」
私は呆然と訪問者を見上げる。
クラスメイトで、チームメイト。寡黙で、ちょっと電波っぽくて、たまに何を言っているのかわからない、奇妙な男だった。
彼は、すべてをわかったような目をしていた。
相変わらず不思議な色を宿す目で私をまっすぐ見て、いきなりこう言った。
「入れ替わったのは今年だな?」
私は答えられなかった。
偶然?
適当?
それとも、必然?
――入れ替わる? 何のこと?
そう誤魔化すのは簡単だったけれど、できなかった。
ふっと、私は思い出した。
事故に遭う直前、確かに見たのだ。
ふわふわと宙を舞う、淡く光を発する不思議な蝶々。
――おまえ、蝶々を見なかったか?
私は、口を開きかけた。
遮るように、佐島はこう言った。
「なら、間に合う」
私はぽかんとする。こいつはいったい、なんの話を。
「今の時期なら、まだ渡っていない(、、、、、、)はずだ」
妙にきっぱりとそう言い切って、何かを思い出すように遠くを見る目になった佐島を、呆然と見つめる。