「ねえ、今何センチ?」

 秀と目線を合わせようとして、私は背伸びをする。つま先で危なっかしく揺れていると、「危ないよ伊織」と和佳に裾を引っ張られた。秀が振り向いて、にやりとした。

「百七十」

「げっ」

 と私は呻いた。

 長らく私の方が大きかったのに、中学に上がると、秀はぐんぐん背が伸びて、中二の夏にはすっかり追い抜かれてしまった。
 
 あれから二年、今じゃクラスでも一、二位を争う背高のっぽは、ついに百七十の大台に乗ったというのか。

「髪の毛で盛ってるんじゃないの?」

 ごわごわと逆立った短髪の長さを差し引いたって、大して小さくもならないことはわかっているけれど。
 
 秀はにやにやと笑ったまま、睨む私の頭にぽんと手を乗せる。

「伊織の成長は小六で止まったな」

 私はぱっと秀の手を押しのけた。

「止まってないし。これからだし」

「よく食べてよく寝るのに、背伸びないのね、伊織」

 後ろを歩いていた和佳が淡々とつぶやいた。

「いや、和佳は知らないだろうけど、伊織は昔っからそうだから。小学生の間に成長し過ぎて、もう伸びる余地が残ってないんだよ」

 秀が私を見る。

「っていうか、今でも別に小さくはないだろ」

「秀に見下されてるのが気に入らない」

 私がぶすっとして言うのと同時、遠くから近づいてきていた飛行機のエンジン音が轟いた。何も聞こえなくなり、私たちはそろって夕焼け空を見上げる。

 オレンジ色の飛行機雲が尾を引いていく。夕日を受けて、機体がきらりと光る。少しずつ音が遠ざかっていくと、また蝉の鳴き声が耳にわーんと響く。昼間の汗が貼り付いた肌に、宵の風が心地良い。

 夏休みは目前だった。中学最後の夏。受験の夏。

「ねえ、進路、どうするか決めた?」

 空を見上げたまま訊ねると、「あー……」と秀が唸った。これは決めていないやつだ。

「私、西柊(せいしゅう)」

 私はぱっと和佳の方を見た。

「え、低くない?」

「和佳、頭いいんだからもっといいところ狙えるだろ」と、秀。

 西柊は地元の公立校で、偏差値もかなり高い進学校だけど、学年でもトップクラスに成績のいい和佳だったら、私立の超難関だって狙える。彼女の目標としては、やや控えめな感じだ。

「いいの、地元で。あんまり遠く行きたくないし」

 和佳はさらりと答えた。それから私と秀の顔を交互に見た。

「二人はどうするの?」

「あー……俺も西柊かなあ」

 秀がぼそりと言って、私は秀の顔を見た。夕日に照らされて茜色に染まった横顔は、微妙に視線が泳いでいる。

「は? 和佳のパクりじゃん」

「いや、俺の学力的には妥当だし先生にもお勧めされてるから」

「ふーん?」

 まあ確かに、和佳ほどじゃないけど、秀も頭はいい。

「伊織はどうするの?」

 和佳に訊ねられて、私はうーんと唸った。

 二人に比べると学力が一回りも二回りも劣る私にとって、西柊はかなり高望みだ。先生に言ったら、確実にやめとけって言われる気がする。

 でも二人が西柊に行くのに、自分だけランクの低いところへ行くのは嫌だ。なにより、背丈でも学歴でも秀に見下されるのは、なんか腹立つ。

「じゃあ、私も西柊!」

 軽く言って先頭を歩き出すと、「おいおい」と案の定秀が窘めた。

「伊織にはきついだろ」

「私、やればできる子ですから?」

「うーわ、この人自分で言っちゃったよ」

「そこのノッポ、うるさい」

 秀のお腹をド突いていると、和佳がくすくすと笑う声がした。

「じゃあ、今年の夏休みは特訓だね。伊織は相当頑張んないと」

 秀もにやりとして便乗してくる。

「そうだぞ。二年のときの進路調査で陸上でスポ薦狙うとか言ってたの、誰だよ」

 私はべーっと舌を出しながら頭の後ろで手を組んだ。

「あーやだやだ。成績いい人たちは気楽でいいね……」

 三人分の影が、夕焼けを受けて長く長くアスファルトに伸びている。境界が曖昧でぼやけた輪郭は、ほとんど繋がっているように見えた。