右腕がまだ本調子ではないので、部活にはまだ出ていなかった。放課後、授業が終わると掃除をして、まっすぐ家に帰る。
今日は雨天だった。放課後になって降り出した大粒の雨が勢いよく校舎に打ちつけ、くぐもった轟音が教室や廊下に響き渡っている。
昇降口へ行くと、一人の少年がドアの前でたたずんでいた。姿勢がいい。ポケットに両手を突っ込み、開け放たれた扉から土砂降りの雨空を眺めている。
一瞬、秀かと思った。背格好が少し似ている。でも、秀ほど焼けていなかった。白い。髪が短くて、目つきが鋭い。表情はほとんどない。物静かな横顔。
クラスメイトだ、ということだけわかる。名前は確か、そう、
「佐島裕一」
つぶやいた声が聞こえたらしく、彼がこちらを向く。私は慌てて「くん」と付け加えた。佐島が目を細め、私のことをクラスメイトだと認識したようだった。
「森宮か」
声を初めて聞いたかもしれない。思いのほか澄んで、綺麗な声だった。
「あれは、誰の靴だ?」
いきなり聞かれて、私は指差された先を見た。
昇降口の掃除用具入れの上に、一足のローファーが並べられている。小さいように見える。きっと女子のものだ。
胸がちくりとした。
「……きっと川村さんだと思う」
同じクラスだ。佐島だって、昼間の一件は見ていただろう。
「そうか」
佐島は単調にうなずくと、すたすた歩いていって、背伸びもせずにその靴を取った。それから下駄箱をきょろきょろと眺め、「川村のはどれだ?」と私に訊く。
「知らないよ。出席番号順だとは思うけど」
「それならわかる。川村は七番だ」
なぜ覚えているのだろう。即答すると、佐島は右から数えて七番目の下駄箱を開けた。確かに上履きも、外履きも入っていない。そこが川村さんの下駄箱で間違いなさそうだった。
なんだ、いいやつだな。
というか、和佳みたいだ。
川村さんの靴を元に戻した佐島はいきなりこちらを振り向いて、こう訊いた。
「おまえ、蝶々を見なかったか?」
なんの脈絡もない質問に、私は目を白黒させた。
「蝶々?」
訊き返しながら、髪に触れる。アサギマダラの髪留め。なんとなく、ずっと使っている。でも佐島が言っているのは、そんなことではないだろう。
暦は九月。あまり蝶々を見るような季節でもない気がするけれど。
佐島はじっとこっちを見ている。なんだか不思議な目だ。どこかで見たような気がする。少し、色が薄いのか。黒というより、グレーのような、猫の瞳のような目だ。
「見ただろう」
なぜか決めつけるような言い方だった。私は首を傾げた。
「見たら、なんだって言うの」
正直、最近これといって見た覚えはないけれど。
佐島はまだ私をじっと見ていた。
「その記憶は、いつか消えるぞ」
「……は?」
ぽかんと訊き返した私に答えず、佐島はそのまますっと外に出ていってしまった。傘も差さずに、雨なんか降ってないみたいに、ポケットに両手を突っ込んだまま、歩いていった。
どんどん濡れていくその背中を見送りながら、私はローファーに足を突っ込んだ。
「変なやつ」
今日は雨天だった。放課後になって降り出した大粒の雨が勢いよく校舎に打ちつけ、くぐもった轟音が教室や廊下に響き渡っている。
昇降口へ行くと、一人の少年がドアの前でたたずんでいた。姿勢がいい。ポケットに両手を突っ込み、開け放たれた扉から土砂降りの雨空を眺めている。
一瞬、秀かと思った。背格好が少し似ている。でも、秀ほど焼けていなかった。白い。髪が短くて、目つきが鋭い。表情はほとんどない。物静かな横顔。
クラスメイトだ、ということだけわかる。名前は確か、そう、
「佐島裕一」
つぶやいた声が聞こえたらしく、彼がこちらを向く。私は慌てて「くん」と付け加えた。佐島が目を細め、私のことをクラスメイトだと認識したようだった。
「森宮か」
声を初めて聞いたかもしれない。思いのほか澄んで、綺麗な声だった。
「あれは、誰の靴だ?」
いきなり聞かれて、私は指差された先を見た。
昇降口の掃除用具入れの上に、一足のローファーが並べられている。小さいように見える。きっと女子のものだ。
胸がちくりとした。
「……きっと川村さんだと思う」
同じクラスだ。佐島だって、昼間の一件は見ていただろう。
「そうか」
佐島は単調にうなずくと、すたすた歩いていって、背伸びもせずにその靴を取った。それから下駄箱をきょろきょろと眺め、「川村のはどれだ?」と私に訊く。
「知らないよ。出席番号順だとは思うけど」
「それならわかる。川村は七番だ」
なぜ覚えているのだろう。即答すると、佐島は右から数えて七番目の下駄箱を開けた。確かに上履きも、外履きも入っていない。そこが川村さんの下駄箱で間違いなさそうだった。
なんだ、いいやつだな。
というか、和佳みたいだ。
川村さんの靴を元に戻した佐島はいきなりこちらを振り向いて、こう訊いた。
「おまえ、蝶々を見なかったか?」
なんの脈絡もない質問に、私は目を白黒させた。
「蝶々?」
訊き返しながら、髪に触れる。アサギマダラの髪留め。なんとなく、ずっと使っている。でも佐島が言っているのは、そんなことではないだろう。
暦は九月。あまり蝶々を見るような季節でもない気がするけれど。
佐島はじっとこっちを見ている。なんだか不思議な目だ。どこかで見たような気がする。少し、色が薄いのか。黒というより、グレーのような、猫の瞳のような目だ。
「見ただろう」
なぜか決めつけるような言い方だった。私は首を傾げた。
「見たら、なんだって言うの」
正直、最近これといって見た覚えはないけれど。
佐島はまだ私をじっと見ていた。
「その記憶は、いつか消えるぞ」
「……は?」
ぽかんと訊き返した私に答えず、佐島はそのまますっと外に出ていってしまった。傘も差さずに、雨なんか降ってないみたいに、ポケットに両手を突っ込んだまま、歩いていった。
どんどん濡れていくその背中を見送りながら、私はローファーに足を突っ込んだ。
「変なやつ」