君の目に映りたい。
2章

第4回(9/12更新)

 そういえば入院って初めてだ、と馬鹿みたいなことを思った。

 可動式のベッドのコントローラーを意味もなく操作すると、背もたれの部分が持ち上がったり、平らになったりする。

 ちょうどいい角度を探して何度か上下させているうちに、そんなものないということに気がついた。自分の体じゃないから、どれくらいがちょうどいいのか、よくわからない。

 薄緑色のカーテンが風もないのにかすかに揺れている。左側からエアコンのうなり声。廊下を歩く、ぺたぺたというスリッパの音。トイレが近いせいで、水道の音がしょっちゅう響いてくるけど、いい加減この環境にも慣れてきた。

 現実を受け入れつつある。
 というか、現実に侵食されつつある感じだった。

 抵抗はしている。寝て起きて目が覚めれば、夢だったことになるんじゃないかと思っている。この数時間で百回はそう思って、けれど眠れたのはわずかに三回だった。

 三回とも、目覚めと同時に私は失望を覚えた。眠るしかやることがなくて、どんどん眠りは浅くなっていく。

 今日はきっと、夜が長い。まだ昼なのに。

 窓の外には、夏の空が広がっている。

 青い。青いけど、灰色に見える。

 背の高いビルがたくさん見える。家の近所から、こんなビルは見えない。

 病室の窓は開けられないけれど、下の方から蝉の鳴き声が確かに聞こえてくる。うるさい。

 隣のベッドからうめき声がして、私はびくっと振り向いた。四人部屋の病室には他に二人の患者が寝ているらしい。どういう症状なのか、私は知らない。

 隣の人はいつも寝苦しそうにしている。向かい側は静かだ。カーテンはいつも閉め切っているから、姿は見たことがない。

「和佳。入るぞ」

 と声がした。二秒くらいして、カーテンの外側から誰かが私を呼んだのだと気がついて「ハイ」と小さく返事した。

 ぬっと顔を覗かせたのは、この一週間でやっと少し見慣れた顔。和佳の、お父さんだ。

「どうだ、具合は」

「ウン……」

 私は曖昧に返事をした。実際、曖昧だった。

 話に聞いた症状は脳震盪、右上腕骨折、その他打撲など。腕は動かないし、脳震盪のことはよくわからない。というか、それ以上に深刻な事象が起きているせいで、いまいち現実感が湧かない。

 和佳のお父さんは、ベッド脇の丸椅子に座ったが、私とは微妙に目を合わせないまま、いつもと同じ問答を繰り返した。

「腕、動くのか?」

「ウウン」

「頭は? クラクラしたりしないのか?」

「ウン」

「何か必要なものあるか」

「へいき」

 そこでふっと、彼は思い出したようにこう言った。

「ああ、そうだスマホな、データ復旧できるかもしれないそうだ」

「……そっか」

 和佳のお父さんは、ため息をついた。疲労の強く滲んだ声音だと思った。

 この人は、いつもスーツで来る。いつも昼に来る。きっと昼休みを潰してきている。そこしか時間が取れないほど、忙しいのかもしれない。それでも、来る。

 父親なんだな、と思う。他人事みたいに思う。実際他人事だと思う。

「明日は由佳が来るから」

 由佳、というのは和佳の妹だった。妹がいるのを初めて知った。

 こないだ初めて会った。あんまり和佳には似ていない。でもしっかり者そうだった。中学生くらい? 微妙に、私のことを苦手そうに見ていた。

 お父さんもそうだけど、どうして私の目を見ないんだろう。着替えとか、必要なものを持ってきてくれるけど、あまり話は弾まなかった。

 和佳のお母さんは、まだ一度も来ていない。

 和佳のお父さんが病室を出ていく。

 私は立ち上がって、窓ガラスに自分の顔を映す。紛れもない森宮和佳の顔が、そこにある。
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