もう一度、あの時のキミに会いたい。




「朔弥、念のために聞くけど、お前今好きなやついる?」

「はぁ?いるわけねーじゃん」

「なぁ、それマジで言ってる?」

「意味わかんねーこと言ってんなよ」


俺の言葉に心底驚いた様子の東雲を前にして、なんだか頭痛がさっきよりひどくなってきた気がした。


「悪い、なんか頭痛い。ちょっと寝るわ」

「お、おぅ。後で起こしてやるから、ゆっくり寝てろよ」


東雲の言葉にホッとして目を閉じた。

そんな俺の傍で東雲が神妙な様子で考え込んでいることにも気づかず、俺はあっという間に谷間に落ちていくみたいに眠りについていた。







燃えるようなオレンジと、向日葵と、大好きなあのコの笑顔が目の前にあった。

自分が今どこにいるのか分からなかったけれど、これはきっと夢だとそれだけは分かった。

現実の世界とはかけ離れた、幻想的な世界。まるでファンタジーの世界に紛れ込んだかのようだ。


「東条くん」


俺を呼ぶ、柔らかく響く声。
聞いているとホッとして、なんだか泣きたくなるような。

俺も名前を呼ぶんだけど、自分の声が耳に入ってこない。誰の名前を呼んでいるのか分からなかった。

分かるのは、目の前にいる女のコは、俺がずっと好きで好きで。
誰にも渡したくないって思っていたコ。
だから、告白したんだ。

好きだって。

「……のことが好きなんだ」

そう叫んだ。

驚いたような彼女の顔が可愛くて、やっと伝えられたことが嬉しくて。

でも、その後なんだかすごく嫌なことがあった。

なにがあったんだっけ?

「東条くんが、……の事を好きにならなかったら!告白なんかしなかったら!」

突如激しい電撃みたいな衝撃と同時に呪文のように繰り返される誰かの声。
耳障りな不協和音が俺の頭の中に響いている。

やめろ!やめろ、やめろ、やめろーっ!

頭を振って、その声を振り払おうとする。

けれどその声はどんどん俺の中に浸み込んできて、身動き取れなくしていくんだ。


「……くん、……東条くん」


誰かが俺を呼ぶ声がする。
それは今まで聞いていた不協和音とは違う。泣きたくなるくらい優しい音。

誰の声だったっけ?

視界に光が広がって、その先に見えたのはぼやけた誰かの顔だった。


「東条くん、大丈夫?うなされてたみたいだけど……」

「……結城?」


ようやく開けた視界に見えたのは、不安気な様子の結城の顔だった。

泣いているみたいに見える。


頭を抱えながら、ベッドから起き上がった。

寝る前より随分頭痛は楽になったみたいだ。


「お姉さん呼ぼうか?」

「……なんで姉貴?大丈夫だよ。ちょっと夢見が悪かっただけ」

「頭痛、治まったの?」


無意識になんだろう。小さなコの熱をみるみたいに、そっと俺の額に掌を当てた結城のその小さくて柔らかい手がなんだか気持ちがよかった。


「昔もさ、お腹が痛かったり、頭が痛いときに母親が手でさすってくれたんだよな。不思議と楽になって。あれってずっと不思議だったんだよな」

「看護って、手で見るっていうからね。人の体温に触れると気持ちが落ち着くし安心するんだと思う」


結城の手に甘えるみたいに横になってその手を受け入れた。
本当だ。痛みが和らいでいく気がする。

額に置かれた結城の手に自分の手を重ねた。
途端、ピクッと震えた結城の手を思わず強く握りしめていた。
けれどじきに結城の緊張がほどけて、されるがままになっている。


 「東条……くん?」


結城が戸惑っているのが分かる。ただのクラスメイトの男子にこんなことされたら、きっとイヤに違いないのに、結城は優しいから仕方なく俺のわがままを許してくれているんだ。



「もう具合はいいのかよ、むっつりスケベくん」


みんなの支度が終わって、待ち合わせ場所に向かう道すがら、東雲が揶揄うような口調ですり寄ってきた。


「は?」

「なんだよ。やっぱりお前は結城の事が好きなんじゃん」

「だから、なんでそうなるんだよ」

「何言ってんのかね、部屋で二人きりで手なんて握り合っちゃって。俺らがいなかったら結城の貞操の危機だったかと思うと……あー、コワ」

「お、おま!勝手に覗いてんじゃねーよ」


まさか、さっきの結城とのやり取りを、よりにもよってコイツに見られていたかと思うと屈辱だ。


「仕方ねーだろ。結城の手ってファンタジーの世界なら『癒しの手』の持ち主になれる位治癒力高いんだわ。なんか、痛みがス~ッと遠のいていくんだ」

「あほう、結城を2次元の癒し系キャラとだぶらせてんじゃねーよ!オタクか」


冗談じゃねーんだけど。マジで痛みっていうか、不安な気持ちとかそういうのが薄れていく気がしたんだ。

こんな事本人に言ったら、東雲以上に引かれそうだけど。


「でも、まいっか。お前がちゃんと結城の事が好きって証明できてホッとした」

「だから、なんでそういうことになるんだよ」

「まぁ、照れんなって。お前がしっかりしてればいい話なんだからさ」


奥歯にものが挟まったような、そんな東雲の言葉が気になった。


「東雲、なんか隠し事してねーか?」


気になったら聞かずにはいられない。隠し事とか、俺嫌いだし。

東雲もそんな俺の性格を知っているから、少し渋っていたが結局は話してくれた。


「実は、大海(ひろみ)が結城に惚れてるって知ってたか?」

「浜野が?」


浜野大海。1年の時に同じクラスになって、よくつるんでいるうちの一人だ。
確か今日の夏祭りにも来る予定になっている。

浜野が結城の事を好きだなんて全然知らなかった。


「朔弥が結城に惚れてるのは周知の事実だからさ、仲間内で女取り合うなんてカッコ悪いからやめとけって、アイツには話してたんだ。でも、最近お前ら距離あるみたいだし、浜野も気にしてさ。もし、俺にもチャンスがあるなら告白したいんだって昨日相談されたんだ」

「……なんて言ったんだよ」

「最近のお前、結城のこと聞くと不機嫌になるじゃん。でも、やっぱり惚れてるって分かったから、アイツにはそれとなく話しとこうと思ってる」

「なにを?」

「告白してもうまくいく可能性の方が低いって教えてやらないと不憫じゃないか」

「そんなこと……。アイツが本気で結城の事を好きなら、決めるのは俺たちなくて結城だ」

「きれいごとだな。俺なら絶対ヤダね。卑怯な手を使ってでも、欲しいものはt手に入れたいけどな」


普段になく真剣な東雲の顔に、正直驚いて言葉をなくした。




そういえば、今まで東雲自身の事を聞いたことがなかった。
バレー部のエースで、女子からの人気も高い東雲のことだから、女子との付き合いもそつなくこなしてるんだと勝手に思っていた。

自分の恋愛に余裕があるから、人の恋愛に平気で口を出せるんだと思っていた。

そうじゃなかったとしたら?


「東雲って、彼女いたっけ?」

「はぁ?いたらこうしてみんなで集まってねーだろ」


突然何を言い出すのかといった表情で東雲は溜息をこぼす。


「お前のことだから、好きなコがいたら夏祭りも誘ってるんじゃないかって思ってさ」

「そんなに簡単に誘えたら苦労ねーわ」

「お前に告られて断る女子がいんのか?見てみてーな」


俺の言葉に隣を歩く東雲が、自らの人差し指をたてて前を指さした。


「見れば?」

「は?」

「見たいんだろ?俺の事をすげなく振る冷たい女子を」

「え……?嘘、だろ?」


前を歩くのは浴衣姿の女子が5人。あの中に東雲が好きな奴がいるってことか?


「まさか、結城……じゃない、よな?」

「まぁ、結城なら俺の事、冷たくあしらったりしねーだろうな。いっそ結城に乗り換えよっかな」

「おっまえなぁ!」


こういう話をする時、いつも茶化して真面目に話せないから東雲と恋愛話なんかしたくないんだ。


「冗談だって。お前が好きなコに手を出すわけねーだろ」


また、勝手なことをほざいてる。もう否定するのもめんどくさくなってきた。
大きく溜息をつくと、東雲は乾いた笑いをこぼして「ワルイ、」と呟いた。


「田村さな」

「は?」

再び前に突き出した指の先には、結城の隣をあるく田村さなの姿があった。


「お前が好きなのって、田村なの?」

「だから、そう言ってる」

「お前らいつも喧嘩ばっかしてんじゃん」

「分かってるよ。自分でも小学生レベルのアピールしかできてないって事くらい」


ブスッ、と唇を突き出しふくれっ面になった東雲は、俺らとなんの変りもないただの高校生のガキに見えた。

高校になって背が伸びて、バレー部の次期エースだって持て囃されて、女子の扱いだって上手だと思っていた東雲が、実は好きなコには不器用な男だったなんて。


「ウケる」


吹き出すように言った言葉に返すように、俺のケツに蹴りを入れてくる東雲に、同じようにやり返した。


「知ってっか?田村のやつ大学は東京の方を受けるらしい」

「え、そうなのか?」

「遠恋とか、俺は全然平気なんだけど。女ってすぐ不安になんじゃん?東京のカッコイイ男に言い寄られて、田舎にいる彼氏のことなんてアッサリ捨てられそうだし」

「弱気とか、らしくねーな」

「だよな」

ヘラッ、と笑う顔も普段より弱弱しく見える。


「告ろーかな、今日」

「告れば?」

「面白がってんだろ、お前」

「いや……実際面白ーし」


返事の代わりに回してきた腕に首を絞められてしまった。







「おし、みんな集まったな。買い出しと場所取りに別れようぜ」


東雲が仕切る形で言うと、「じゃあ、俺ら場所取り行って来るわ」と数人の男女が離れていく。

残った東雲と俺と浜野と田村と結城と榊の6人で3か所に分かれて買い物をすることになった。


「たこ焼きと、焼きそばは必須だろ?あと、飲み物は適当に買うか」

「イカ焼き買いたい。あと、キャラクター焼きも!」

「お前のチョイスわけわかんねーな」


東雲が田村に突っ込むと2人はいつものように言い合いを始める。

でも、丁度いいんじゃね。こいつらを2人きりにしてやれそうだし。


「こら、そこ、2人で食い物適当に買ってこいよー」

「はぁ?なんで私が東雲と?」

「田村の食い物のチョイス、俺らじゃ分かんねーし。財布の中身考えたら東雲が付き添う方がいい」

「……まぁ、バイト代入ったばっかだから結構潤ってはいるけどな」


答えた東雲が俺にアイコンタクトを送ってきた。らしくない援護を素早くくみったらしい。


「じゃあ、結城、俺と飲み物買いに行かねー?」

「え?あ、うん」


東雲達を見送った直後に、浜野が声を張り上げて結城を誘っている。

東雲の話を思い出して、俺は一瞬息をのんだ。

べつに、東雲が言うように俺が結城の事を好きとかそういうわけじゃないし、2人が一緒にいたとしても別に関係ない。

浜野の気持ちを知ってしまった今、邪魔するのは悪い気もした。

結城だって、浜野と2人が嫌なら断るだろうし、そうじゃないなら俺が何かを言う権利はないはずで……。

頭では冷静にそう考えられるのに、なぜか胸の辺りが苦しい。
胃の辺りがムカムカする。吐き気なのか怒りなのか分からない。

てか、結城は別にいいのかよ。

東雲の話じゃ、結城だって俺の事を少しは好意的に見ているような話だったのに、浜野に誘われても別に嫌がったりしてねーし。
笑顔で二人で話しているところを見ると、案外喜んでるみたいだし?


「じゃ、じゃあ、結城行こうか」

「う、うん」

「……飲み物とか全員分とか重いじゃん?残りの4人で買いに行けばよくね」

「そうだね。みんなで行こうよ」


榊がうまい具合に賛成してくれて、浜野は明らかに消沈していたけれど、結局みんなで買いに行くことになった。

それでも浜野は結城の隣をキープして、俺と榊はその後ろを並んで歩いている。


「東条さ、人の事協力してる場合じゃなくない?」

「は?」


榊の言葉に思わず彼女の顔を見た。

榊は1年の時、男バレの夏合宿があった時に、臨時でマネージャーをしてくれたことがあった。

口数は少ないけど、部員に対する気の遣い方が母親みたいだった印象が強い。
顧問が夏合宿以外でもマネをしてくれないかと相談したみたいだけど、あっさりと断ったと聞いた。




「榊って、東雲の気持ち知ってんの?」

「……今屯ってるメンバーで気づいてないの、本人達と、自分の恋愛に必死で鈍感になってる東条くらいだからね」

「はぁ?」


遠慮なく棘をぶち込んでくる。そうだ、榊ってこういうやつだった。


「東雲とさなちゃんは、多分あれでいいんだと思う。東雲が最後にはちゃんと言うでしょ?問題なのは東条の方だと思うけど」

「俺?」


スレンダーで女子にしては少し背の高い榊は、浴衣に下駄という成り立ちで俺より目線が高い位置にある。

切れ長の目が、呆れたように細められ、俺を見下ろす。


「私ね、山見と同じクラスなんだ」

「……山見?」


隣のクラスの女子で、あの日、いきなり告白してきた女子だ。

ろくに話したこともなかったから、驚いたけど、なぜかあの日以来馴れ馴れしく話しかけてくるようになった。


「山見が変なこと言ってたから、ずっと東条に話しが聞きたいって思ってたんだ」

「変なこと?」


いつの間にか浜野と結城から離れてしまっていた。それが気にならないわけではなかったが、今は榊の話が微妙に気になっていた。


「東条くんって、ほたるの事が好きなはずなのに、山見と付き合ってるってホント?」

「は?俺が結城を……て、誰が山見と付き合ってるって?」

「東条くんが、山見と」


同じ言葉を言うのが面倒だったのか、嫌そうな顔で榊が話す。


「山見がなんか嬉しそうに話してたのよね。東条くんがほたるを振って、私を選んだんだって。それって、完全に山見の勘違いでしょ?」

「勘違い。絶対それはない」

「だよね。……ていうか、東雲にはっぱかける前に、自分がほたるとのことをちゃんとしなさいよね」


コイツもだ。
みんながみんな、俺の気持ちを誤解している。
俺は、別に結城の事を好きってわけではないし、告白なんてする気もない。


『……の事を好きにならなかったら!告白なんかしなかったら!」』


まただ。あの不協和音が頭の中に響く。
急に後頭部がズキズキと痛み出し、吐気がする。視界がグラグラ揺れている。


「東条くん?え、ちょっとどうしたの?」

「頭、痛ぇ……」


急に膝をついた俺の傍で榊の慌てるように俺を呼ぶ声が聞こえていた。

ひどい頭痛と吐き気に襲われながら、それでも普段冷静な榊が慌てている姿を想像するとなんだかおかしくなった。

マジ、俺どうしちまったんだろう?











東条くんが倒れたと聞いて、心臓が止まるかと思った。

夏祭りの日、浴衣の着付けをする目的で東条くんの家に行ったときも、彼の様子がおかしかったことに気付いていたのに、どうしてもっと早く病院行くように勧めなかったのだろう。

スマホに榊ちゃんから連絡が入って、近くの病院に運ばれたと聞いた私はみんなより一足先にその病院に駆け付けた。

救急車で搬送された東条くんに付き添う形で、先に病院に向かっていた榊ちゃんは、救急治療室と書かれた部屋の前の長椅子に座っていた。


「榊ちゃ……東条くんはっ?」


浴衣と下駄というカッコで全速力なんて初めての事で、息は上がるしすごいカッコになっていたはずで。

そんな私を落ち着かせるように、榊ちゃんは私を隣に座らせて、ボサボサになった髪を撫でて整えてくれた。


「落ち着きなって、ほたる。みんなを置いて来ちゃったの?」


同じ年とは思えない、穏やかな榊ちゃんの声を聞いていると、それまでまともにできていなかった息ができるくらいにまで落ち着いてきた。


「もう少ししたらみんな来ると思う。バラバラだったから……東雲くんがみんなを集めてくるって話していたはず」

「そっか。東条くんなら、熱中症だろうってことで今点滴を受けてるよ」

「熱中症?それだけ?本当に」

「……そういえば、頭を痛がってたけど、最近の東条って調子悪かったの?」

「夏休みに入る1週間位前だったと思う。その頃から頭痛と眩暈が起こるようになったって言ってたの。でもずっとじゃなくて寝たらよくなるっていってたから……でも、今日も昼間辛そうだったから……」


もしかしたら本当に熱中症なのかもしれない。でも、もし他の病気が隠れていたら。

考えると怖くて仕方ない。

今日の昼間もずっとうなされていた。

私は何もできなくて……。

俯いて込み上げてくる涙を堪えた。

榊ちゃんはずっと背中を撫ぜてくれていて、私が話し終えると「ちょっと待ってて」と言って、救急治療室へと入っていった。

しばらくして部屋から出てきた榊ちゃんが、今、中にいる看護師さんに伝えてきたからと言って説明してくれた。


「ずっと頭痛が続いていたみたいだから、頭の検査もしてもらえませんかって話してきた。私、ちょっと東条の家に電話してくるね。親呼ぶように言われてたんだ」

「榊ちゃん、ありがとう」


情けないけど、お医者さんからの話を一度も聞いていない私には何も説明できないし、こんなに動揺していたら、東条くんの家族を不安にさせるだけだ。

榊ちゃんに頼むしかない。

こんな時なのに冷静に動ける榊ちゃんのことが羨ましくて仕方なかった。






 
榊ちゃんが先生に話をしてくれたこともあってか、東条くんの頭の検査が行われたらしい。

先生が至急東条くんの両親を呼ぶように言ったそうで、そこからは何だか慌ただしい雰囲気だった。


「東条くんに、なにかあったのかな?」

「……どうだろ。でも、ご両親もすぐにくるって話だったから、何があったか後で聞いてみよう」


不安ばかりが膨らむ中で、榊ちゃんの存在がとてもありがたかった。

あれからすぐに東雲くん達もきたけど、あまり大勢病院にいても仕方ないって話になって、救急車を呼んだ榊ちゃんと、頭痛のことを話した私はご両親が来るまでは病院にいることにした。


「ほたるちゃん!」


夜間の救急入り口から入ってきた人達の中の一人が、私の名前を呼んだ。


「東条くんのお姉さん……」

「朔が倒れたって……」

「ちょうど私が傍にいたんですけど、急に頭痛を訴えて倒れてしまったんで、救急車を呼びました」


私に代わって榊ちゃんが説明してくれる。
お姉さんのすぐあとを追ってきていたご両親と思われる男女も、榊ちゃんの説明を聞いて頷いている。


「私、ご家族が来たことを伝えてきますね」

「あ、私達も一緒に行くわ」


榊ちゃんと東条くんの家族が救急治療室に入っていくのを見送り、私はその扉の前で立ち尽くしていた。

東条くん、お願い。どうかたいしたことありませんように……。

両手を胸の前でギュッと組んで、心の中でそう祈った。

すぐに榊ちゃんが出てきて、お医者さんがご家族に話をするらしいと教えてくれる。


「チラッと聞こえてんだけど、東条くん手術になるみたい」


榊ちゃんの言葉に息が止まりそうな程驚いた。

目の前がクラクラして吐気がする。立っていられなくて、榊ちゃんに支えられてソファに腰かけた。

手術って、どうして?どこが悪かったんだろう?
東条くんに一体何が起こっているんだろう?

何もわからないことが、こんなにも怖くて不安で仕方ない。


「榊ちゃん……東条くん、大丈夫だよね?手術って、それをしたら、前みたいに元気になるんだよね?」

「……何の手術かは聞こえなかったけど、大丈夫だよ。今はお医者さんを信じるしかないでしょ」

「……そう、だよね」


その後東条くんのお姉さんが出てきて、榊ちゃんの説明を補足するように教えてくれた。


「……コウマクカ、ケッシュ……?」


聞きなれない言葉に、何か大変な病気じゃないのかと不安が大きくなる。

お姉さんの話だと、東条くんの脳に血液が大量に溜まっていて、脳を圧迫しているらしい。


「頭痛や眩暈の原因はそれだろうって話なの。だから、血を抜く手術をしたらきっと元通りになるだろうって」

「血を抜く……」


手術をするってことだけでも、大変な事だと分かる。それに加えて脳に溜まった血を抜くと言われても想像ができなくて、ただひたすら怖いとしか思えなかった。

でも、その手術をしたら、東条くんは今までのように元気になれるのだと聞いて、それだけは安心できた。






『……ほたる、大丈夫?』


あの後、お父さんが病院迄迎えに来てくれて、榊ちゃんを自宅に送った後、私は家に帰った。

丁度家に着いたところで、さなちゃんから連絡が入った。
第一声が私を案じる言葉で、なんだかすごく泣きそうになった。


「うん。私は大丈夫。榊ちゃんが色々してくれて……私はただ病院にいただけだから……」

『榊ちゃんは東条が倒れた時に、傍にいたんだってね。あの子ならしっかりしてるから、ほたるのことも任せちゃったけど。ごめんね、不安な時に傍にいられなくて』


電話の向こうでさなちゃんが申し訳なさそうに言うから、私はそんなことないって……、こうして心配して電話をくれるさなちゃんに感謝してると伝えた。

何もできなかったのは私。情けなかったのは他の誰でもない私なんだ。

東条くんが倒れた時、傍にいたのが私だったら、榊ちゃんのように冷静に動けていたか自信ない。


『頭痛の原因が、脳に血が溜まっていた?』

「そう。血を抜く手術をしたら元に戻れるだろうって話だけど」

『硬膜下血腫って言ったっけ。やっぱり、この前東条が話していた後頭部のたんこぶって頭部打撲が原因なんじゃないの?』

「え?」

『ほら、夏休みに入る1週間位前に東条が話していたじゃん。後頭部にたんこぶができてたって。硬膜下血腫って、頭部打撲が原因で、日数を置いて脳に血が溜まってきて、脳を圧迫して頭痛とか眩暈とか神経症状を起こしたりするってうちの母親から聞いたことがあるもん』

「手術をしたら、大丈夫……なんだよね?」

『うちのおじさんも頭部打撲で慢性硬膜下血腫になったんだけど、手術して今じゃすっかり元通りだよ。だから東条も大丈夫だって。うちのおじさんは手術終わって1週間もすれば退院してたし。今度お見舞いに一緒に行こう』

「うん。そうだね」


さなちゃんの話にホッとした。身内で実際に同じ病気の人がいたなら、彼女の言う通り、東条くんが元気になる可能性は大きい。


『ほたるも、今日は浴衣の着付けとか、東条の事とかで緊張しっぱなしだったでしょ?しっかり休んで。明日東条くんのお姉さんにいつお見舞いに行けるか電話して聞いてみよう、ね?』

「そうする。さなちゃん、電話くれてありがとう。すごく嬉しかった」

『改まって何言ってんの。友達心配するの普通でしょ、当たり前のことにお礼なんて言われたら照れ臭いし』

「へへ、そう、かな」


病院にいた時には、榊ちゃんがいてくれて心強かったけど、やっぱりいつも傍にいてくれるさなちゃんの声を聞いて、やっとホッとできた気がする。

友達の存在がこんなに大きくてありがたいものだって、改めて分かった一日だった。