14
 旧校舎の裏口は、キャンプファイヤーの会場である校庭とは反対側にあり、人目につくことなくあっさりと侵入することができた。文化祭の片付けが終わるとクラスは混ぜこぜになって、誰がいないのかも分からなくなっていたことも幸いだった。

 指定された通りに三階の教室へ向かうと、そこにはもうみんなの姿があった。最初に僕に気づいたのは、小清水先生だった。

「お、来た来た。これで全員揃ったな」
「遅かったですね」

 晃嗣くんは、相変わらず冷たい声だ。

「ごめん、クラスの片付けが長引いちゃって……」
「大丈夫。私たちもさっき来たばかりだから」青葉が優しい声で言った。
「みんなこんな場所にいて平気なの?」
「まあ多少なら。長居はできないだろうけど」青葉が答えた。
「こっちも同じような感じだ」

 加瀬くんの言葉に、赤川さんと小清水先生も同調するようにうなずいた。
今ここには青春部のメンバーしかいないけど、みんなの格好が普段の学校でのままなのが面白い。特に、加瀬くんは袴姿で、赤川さんは制服の上にエプロンを身につけていた。

「二人とも、その格好で出店してたの?」
「ああ。売っているのも和菓子だったし、弓道部らしい格好がいいだろうっていう話になってな」
「エプロンだと家庭的な感じが出ていいでしょ? 似合ってる?」

 二人の口調も表情も、普段の学校でのものだ。どうやら、格好に引っ張られてしまっているらしい。

 エプロンというアイテムを手にした赤川さんはまさに鬼に金棒で、さらにその魅力を何倍にも増していた。けど、女の子を褒めることに慣れていなくて、ぎくしゃくした声になってしまう。

「う、うん……すごく似合ってる」
「さすが古河くん。どこかの仏頂面とは違って、ちゃんと欲しい言葉をくれるよね」

 赤川さんはそう言いながら、隣に立つ加瀬くんを睨んでいる。

「いいだろう、別に。そういうことを言うキャラじゃない」
「キャラとかそういう問題? エプロンだよ? 制服にエプロンだよ?」

 赤川さんは加瀬くんの前に立つと、「ほらほら」と、エプロンの端をつまんでひらひらと動かして見せている。加瀬くんはそれにも動じず、表情を変えることもない。

「それより春樹、クラスの方はどうだった?」

 そんな二人を無視して、青葉が訊いた。

「うん、ちゃんと繁盛してたよ。片付けも無事に終わったし」
「よかった。最後までごめんね」
「ううん。それより、生徒会の仕事は大丈夫?」
「うん。特に大きなトラブルもなく、後は細々した事後処理だけ」
「青葉先輩が先頭に立っていたんですから、トラブルなんてあるはずがありませんよ」

 晃嗣くんが力強く言い切った。

 実際その通りだろうと思った。青葉が先頭に立って上手くいかなかったことなんて今までに一度もないし、それに今回は晃嗣くんだってついていた。この文化祭の成功は、約束されていたようなものだったのかもしれない。

 そんな話をしていると小清水先生が苦笑しながら、

「おまえら、話に盛り上がるのもいいけど、ちゃんと火を見ろよ、火を」

 みんなはその言葉に、そうだった、と窓の方を向く。僕も窓際まで向かい、そこから眼下を見下ろした。ここからはちょうど校庭全体が見渡せる。

 校庭の中心には、火花を散らしながら燃え盛る巨大な炎の塊があり、それを取り囲む無数の生徒たちが思い思いにそれを見つめている。そして僕たちは、この真っ暗な旧校舎の一室からそれを俯瞰している。

 みんなの視線が窓の外に向かうと、さっきまでの賑やかさが嘘みたいに教室には静寂が訪れた。聞こえてくるのは、窓の隙間をかいくぐって届いた、校庭でのみんなの楽しげに騒ぐ声だけだ。

 ゆらゆらと燃えているオレンジを見つめていると、なんだかそれに吸い込まれてしまいそうな感覚がした。どこかテレビの中の出来事を見つめているようで、それでいて、僕たちもまたこのキャンプファイヤーを囲んでいる一人なのだという自覚があった。

「こうやって輪の外れからキャンプファイヤーを眺めるなんて、いかにも青春部っぽいと思わないか? この、周りから浮いてる感じとか」

 静寂を破ったのは、感慨深けな小清水先生のつぶやきだった。

「たしかにそうですね。けど、青春の形はひとそれぞれですから」

 真面目な声で加瀬くんが言うと、赤川さんもそれに続く。

「……うん。きっと、これが私たちの青春の形なんだろうね」
「そうだね」
「ズレてる方が、オレたちらしい」

 青葉と晃嗣くんも続いて同調した。

 みんなの間にある共通認識のようなものを感じて、なんだか肩身が狭くなった感覚がした。僕は、ずっと気になっていた疑問を投げてみた。

「ねえ、青春部ってそもそもどうやってできたの?」
「そういえば、古河にはまだ話してなかったな」

 答えたのは小清水先生だった。

 少し考えれば分かることだった。こんな部活を作れるのは、教師という立場にある小清水先生だけだ。

「まあ大した話じゃないんだけどさ。……学生の頃、俺もお前らと同じだったんだよ。ずっと殻に閉じこもったような、窮屈な毎日を過ごしてたんだ。けど、そんなことにも気づいてなくてな……最後の最後になってそれに気づかせてくれたやつがいたんだけど、やっぱり全部遅すぎて」

 それは、普段と変わらない軽い口調だった。だけど、どこか一言一言がズシリと重くのしかかって聞こえた。

 みんなはただ黙ってそれを聞いていて、僕もそれに倣う。

「そんで、なんだかんだ教師になった俺は、生徒たちには同じ想いはさせないようにしたいと考えたわけだ。そんな時に伊織と出会って、二人で部活を作ったのが始まりだ。それから青葉、莉愛と加入させていって、去年の秋には晃嗣が、そしてこの春には春樹が入ったっていうわけだ」

 小清水先生の話は少しおおざっぱだったけど、そのだいたいの流れは理解できた。

 驚いていた。生徒との距離が近くて、それでいてみんなから慕われている小清水先生が、そんな学生時代を過ごしていたなんて思いもしなかった。そして、この部活にそんな想いが込められていたなんて。

 ふさわしい言葉が浮かばなくて、陳腐な言葉に感情を込めた。

「そう、だったんですね……」
「まあな。おまえらがこの部活の一期生だから、うまくやれてるか分からないし、おまえらの本当に必要なものを与えられているか自信はない。けど、この青春部っていう場所がおまえらにとっての居場所になってるなら、この部活を作った甲斐があるってもんだ」

 キャンプファイヤーの炎が、天に伸びるように燃えている。轟々と燃え盛るそれは、否が応でも心を揺さぶる力がある。

 後夜祭を楽しむ生徒たちは、疲れを見せる様子もない。まるで、その炎を中心にして、無数の感情が渦を巻いているみたいな光景に見えた。

「おまえら、文化祭も終わったら、また来週は部活だからな。忘れてないよな?」

 無理やり話題を変えるような、小清水先生の明るい声だった。みんなは口々に、もちろんと応えた。

 そうだ。今日で文化祭は終わるけど、来週からはまた部活のある毎日が始まる。本当に、気の休まる暇がない。刺激的な毎日はこれからも続いていく。

 企画の詳細を詰めて、準備して、また来週は本番だ。思わず苦笑が漏れる。

「頑張ります」
「頑張れよ、春樹。おまえならきっと……」

 やけに優しい声で小清水先生が言った。

 僕はまた校庭の方を見た。夜の校庭を明るく照らすキャンプファイヤーの炎は、今も激しく燃え続けていた。