6.1
 朝、いつものように登校するとクラスメイトが何かざわついていた。
「ねえ、どうかしたの?」
みんな私を見るなり変な顔をするので一体何事だろうと思ったが、ホームルームが始まって、担任の話を聞きようやく事態を理解した。
昨日の放課後、優香がクラスメイトの女子を叩いた。
叩かれた女子生徒の親がそれに対してひどく激昂し、今朝学校まで乗り込んできたという。現在彼女はその面談の最中らしく、その席はぽっかりと空席のまま主人の帰りを待っていた。一時間目は自習となり、私は心を決めた。
「ちょっとおなか痛いからトイレ行ってくる。先生来たらそう伝えておいてもらってもいい?」
優香とは逆側の隣の席の子にそう伝言を残し、私は教室を出るとトイレではなく図書室にむかった。
昨日の放課後、ということはおそらく私が帰った直後に何かがあったのだろう。私は少し気が引ける思いだったが事の真相をもしかしたら優香から直接聞いているかもしれない人の元へ行くことにした。
扉を開けると、久しぶりに私は先生の顔を見た。
嬉しい気持ちと共に、やはりあの日曜の夕方の、優香と並んで歩いていた横顔を思い出し、胸がきゅっと苦しくなる。先生は授業中にも関わらず私が現れたことにひどく驚いていた。
「え、どうしたの。今授業中なんじゃ。」
「優香が、今生徒指導室に呼び出されていて。でもクラスのみんなも詳しい話はわからないって言ってなにも教えてくれないの。先生は優香から何か聞いていませんか?」
先生はなぜ自分に聞くのだろうかと不思議そうな顔をしていたが、何かを思ったのか納得したように答えてくれた。
「多分昨日の話だと思う。あいつ、クラスメイトのこと叩いたんだ。偶然俺も近くでその現場見てしまったんだけど、昨日の帰りに岡本さん、クラスの子に何か声かけられてたでしょ。あのあとだよ。あいつ、その子のことを叩いたんだ。」
「どうして優香がそんなこと…。」
「それは…知りたい?君はきっと傷つくと思うけど。」
私が傷つくような何かがあって、彼女は私の代わりに怒り、私の代わりに叩いてしまったのだろう。それならば、私にはどんなに傷ついてもその真実を知る必要がある。
「先生、知っていること、なんでもいいんです。教えてください。優香は、私の大切な友達なんです。」
佐原先生は少しためらっている様子だったが、私の目を見て、それから「うん」と頷いた。
「昨日、クラスの子が君に頼み事か何かをしただろう?」
「ああ、掃除の当番を代わってほしいって。でも昨日は用事があったから断ってしまいました。いつも何もなければ代わってあげていたから悪いことをしたなと思ってはいたのですが。」
「そのあとのことだよ。君が帰ったあと、彼女、急に仲間の前で態度を変えてね、まあ変えたというより素に戻したのだろうけど。君のことを悪く言い始めた。いつもはへらへらしながら言うこと聞くのに使えない、みたいなそんな話。」
先生は私が傷つくかもしれないと言っていたが、それはなんとなく今までも察していたから不思議とそこまでショックを感じることはなかった。どちらかといえば、ああ、やっぱりなという気持ちの方が大きかったくらいだ。
「そんな話の一部始終を、優香はたまたま近くで聞いていた。俺が止めればよかったんだけど、それにも間に合わなかった。相手は三人くらいの女子生徒のグループで、優香はそこに近付いて、君に悪態をついた生徒に半ば喧嘩を売りに行った。」
「喧嘩?」
「うん。あいつが普段教室でどんなキャラで過ごしているのかはわからないけど、少なくとも俺が知っているあいつは感情的で正義感が強くて、大事な奴のためになら他人に対しても怒るような、そんな奴だよ。」
先生が優香のことをあいつと呼ぶたび、私の心はずきんと痛んだ。
それだけ親密な間柄ということなのだろう。
「まあ、それでだ。あいつは彼女たちと言い争いになって、叩いちまったってわけ。結衣子のことをこれ以上利用するような真似するな。私の大事な友達を傷つけるような奴は誰であっても許さないって。」
私はその話を聞いてここ最近の自分の態度を彼女に謝りたい気持ちでいっぱいになった。
私は結局自分自身のことしか考えていなかったのだ。
「優香…。」
彼女の名前を虚空に呼ぶと、代わりに校内放送の音声が流れた。
『二年C組の岡本さん、岡本結衣子さん、至急職員室まできてください。』
佐原先生は立ち去ろうとする私に言った。
「岡本さん、あいつが特定の誰かに対してこんなに執着するなんて、俺が知る中でも初めてのことなんだ。君はあいつにとって何よりも特別な存在なんだと思う。だから、俺からも頼む。あいつを助けてやってほしい。君にしかそれは出来ないんだ。」
私が「勿論です」と言うと、先生はそっと背中を押してくれた。
「ありがとう。あいつが君を選んだ理由、今ならすごくよくわかる。気を付けていっておいで。彼女のこと、頼んだよ。」
「はい。」私は小さく胸を張り、歩き出した。
職員室につくと担任の先生が困り果てた顔で私のことを待っていた。
「すまん岡本、俺じゃもうどうしようもなかった。」
「大丈夫です。優香はどこですか。」
小林先生は、私を応接室まで案内した。
この部屋に入るのは初めてで、(まさかこんな用件で入ることになるなんて思ってもみなかったけれど)、少しばかり緊張した。
「ちょっとお母さん、やめてください。」
扉を開けると学年主任の先生の必死の叫びが聞こえた。
「これじゃ埒があかないわ。早くその岡本結衣子って子呼びなさいよ!」
私は深呼吸をして気持ちを落ち着かせると応接室の扉を開けた。
「失礼します。」
「結衣子…。」
扉を開けると優香が目を丸くしてこちらを見た。
「あなたが岡本さん?」
「はい。」
「なんでこんなことになっているのか、あなた分かっているのでしょうね?」
「待ってください。彼女は関係ないでしょう。」
優香が怒る狂う同級生の母親と私の間に入ってくれた。
「関係なくないわよ。だってあなたがうちの子を叩いたのは彼女のせいなんでしょ?」
優香は目を逸らし黙っていたが、やがて大きくため息をつくと観念したように話し始めた。
「彼女が、結衣子のこと悪く言ったので、つい手が出てしまいました。ごめんなさい。」
「ほら、やっぱりあなたが叩いたんじゃない。それにしても、うちの子が他人の悪口ですって?そんなもの言うわけないじゃない。この期に及んでまだそんな言い訳をするなんて、まったく親御さんの顔が見てみたいものね。」
優香は聞き捨てならないという顔で今にも掴みかかりそうな勢いだった。
私はそれを手で制した。優香が不思議そうな顔をして私のことを見る。
私の中で、なにかがぷつんと切れるような気がした。
ああ、もういいや。いい子でいるのも、もうたくさんだ。
彼女はこんなに手放しに身を挺してまで私のことを守ろうとしてくれたのに、私は今まで何をしてきたのだろう。
今度は私が、彼女を守る番だ。
「彼女が手を出したのは確かに悪いことですが、頼まれごとをたった一回断っただけで、彼女が私のことを最悪だ、使えない、と物のような言い方をしたこと、それは他の人からも聞いています。そこは事実のようですが、お母様はなぜ、私の友人が嘘をついたと断言できるのですか。細かい事情を見ていた方があの場に他にもいたようですが、その人にも詳しいお話ききましょうか。彼女と話が一致すれば娘さんが嘘をついたというなによりの証拠になりますが、それに向き合う覚悟があなたにあるのならその方、ここにお連れしますよ。」
どうしますかと念を押すと、その人はちらりと娘の方を見た。
当事者であるクラスメイトはそれに対し、ふいと視線を逸らした。彼女の母はその態度で悟ったようだった。彼女は顔を真っ赤にすると席を立った。
「ふん、それでも手を出すなんて野蛮だわ。女の子としてどうなのかしら。今日のところは先生方のメンツもありますし、帰りますけど、二度とうちの娘に近付かないでちょうだい。」
そう言うと母娘共々そのまま応接室をさっさと出て行ってしまった。
まるで嵐が過ぎ去ったあとのようである。
先生達もやっと終わったという顔で、やれやれと顔を見合わせていた。
優香は私に対して、何か申し訳なさそうな、それでいて何かを言いたそうな表情をしていた。私はもう彼女に言うことを決めていた。
「ねえ、優香。今日の放課後、時間ある?」
「え、うん。大丈夫…だけど。」
「久しぶりに一緒に帰ろう。」
「今日は用事はいいの?」
「うん、今日は優香と帰りたい。帰り道に駅前のカフェ寄ろうよ。私パフェ食べたい。」
にこりと笑う私に優香は心底安心したという様子で頷いた。
「わたしはパンケーキのほうがいいな。」
ソファに座る彼女の手をとり、私たちは教室に戻った。
放課後、約束通り私たちは一緒に帰ることにした。私は先に靴を履き終えて昇降口の外で優香を待つ。あの喫煙所から見える小さな桜の木は昇降口からも見えるのだが、何気なく視線を向けたその木の下には佐原先生の姿があった。夕日を受けて赤く染まるその横顔があまりにも綺麗で、私は思わず見惚れてしまった。少し距離があったから彼が何をしているのかまではわからなかったが、そちらに視線を向けていると彼も私の視線に気が付いたのかこちらを振り向いた。
「おまたせ、結衣子。行こう?」
優香が後ろから声をかけ、私の手をとり歩き出す。
私は届かないかもしれないけれど、佐原先生に「ありがとう」と口の動きで伝えてみた。
気のせいかもしれないが、たしかにその時先生は笑ったように見えた。

「いらっしゃいませ。二名様ですね。空いているお好きなお席へどうぞ。」
入店すると可愛らしいエプロンをつけた女性店員がにこやかに応対してくれた。彼女は私たちの選んだ席にメニューと水を手際よく並べると、「お決まりの頃お伺いします」と言ってにこりと笑い席を離れた。メニューには色とりどりのスイーツの写真が並んでいる。私と優香はしばらくメニューとにらめっこをしてからようやく自分たちの注文を決めた。手を上げると先ほどのお姉さんが来てくれた。
「この期間限定のイチゴミルクのパフェひとつと、キャラメルパンケーキをひとつおねがいします。」
注文を済ませるとメニューをお姉さんへ手渡し、ようやく少し落ち着いた。
思えば教室で多少会話は交わすものの、ここ数日はゆっくり優香と話をするということが出来ていなかった。というより、私が一方的にそれを避けていた。
今日はその理由をちゃんと彼女に伝えようと思った。
それが彼女に対しての一番の誠意の見せ方だと思った。
注文したものがくるまでの間、私たちはくだらない話をしていた。
今日のあのお母さんすごかったよねとか、そういう類の話だ。
「最後なんか特に、ゆでだこみたいな顔してた。」
そう言ったら優香はその時の顔を思い出したのか腹を抱えて笑っていた。
注文したものは思いのほか早く私たちの前に運ばれてきた。
「いただきまーす」
二人とも一口食べては幸せそうに表情を緩めるということを繰り返した。
半分ほど食べたところで、私はようやく本題を話し始めた。
「あのさ、優香。」
「ん?なに?」
「ここ数日、私、優香に聞きたかったけど聞けなかったことがあって、だからなんだかうまく話が出来なかったの。避けているわけではなかったんだけど、いつもと違うような態度とっちゃってたんじゃないかなって。」
「いつもと違うなっていうのはそりゃ感じていたよ。聞きたかった事ってなに?」
優香は先ほどまでのゆるい表情が嘘のように緊張した面持ちで私の言葉を待った。私はここまできて引き返せないもんなと思いながら彼女に思い切って尋ねた。
「私、見ちゃったの。日曜の夕方くらいに優香が佐原先生と手を繋いで楽しそうに歩いているの。二人は…その、付き合ってるの?」
とうとう言ってしまった。優香はどんな顔をしているだろうか。やはりこんなこと聞かない方がよかったのだろうか。
びくびくしながら彼女の顔をちらりとのぞきみると、彼女はぽかんとした顔をしていた。
それから記憶を辿るように腕を組んで考えていると、しばらくして「ああ、あのときか」と納得したような声をあげ、盛大に笑い出した。
「なんだそっか。そういうことか。あっははは。」
「ちょっと、こっちは真剣に聞いているのに。」
「やっぱり、結衣子はハルくんのことが好きなのね。」
ああ、おかしかったと涙を拭いながら彼女は私に笑いかけた。
「私とハルくんはね、幼馴染なの。家がお隣で昔からよく家族ぐるみで出かけたりもしていて、だからそうだな、気持ち的にはお兄ちゃんみたいな感じ。まあ、お兄ちゃんにしてはまったく頼りにならないけど。あっちも私のことは妹みたいにしか思っていないから。安心して。」
「でも幼馴染同士のカップルだって世の中には沢山いるよ?」
「もう、結衣子は疑り深いな。私は私でちゃんと好きな人がいるの。もちろん、ハルくんじゃなくてね。」
「え、そうなの?」
彼女からはまったくそんな素振りは見えなかった。彼女はかなりモテる方でよく告白だってされていたというのに、そんな彼女が『付き合っている』ではなく『好きな相手がいる』という言い方をした。それはつまり、
「優香の片思いってこと?」
私の問いかけに彼女はさも残念そうにうなずく。
「そう、だから私と結衣子は片思い同盟なのです。」
「それはまた、なんとも不名誉な同盟だね。」
「まあそう言わないでよ。」と彼女は明るく笑う。
「ねえ、優香の好きな人はどんな人なの?」
今まで浅く広くの関係しか築いてこなかった自分にとって、そんな込み入った話をしてもいいのかは実のところ全くわからなかった。
もしかしたら怒らせてしまうかもしれない。それでも私は優香のことをもっと知りたいと思った。彼女がどんな人を好きになるのか知りたかったのだ。
「まあ、そうね。結衣子は口堅そうだし言ってもいいかな。」
彼女は最初躊躇っていたが、その持前の綺麗な髪に軽く指を絡めながら、小さな声で名前を告げた。
「瀬尾先生。」
「瀬尾先生ってあの…数学の?」
彼女は黙って頷いた。
「知らない人も多いんだけど、瀬尾先生とハルくんって学生時代の同級生なの。だからたまに私がハルくんの家に遊びに行った時に会ったりはしていて、私の中ではあんまり先生って感じじゃないの。向こうもプライベートで会う時は優香ちゃんって呼んでくれるから、それが嬉しくて。結衣子が私とハルくんを見かけたっていう日も、今度また瀬尾先生がハルくん家に遊びに来るっていうから買い物に付き合ってもらっていたの。」
あの月曜日の朝見せてくれた可愛らしいいリップは佐原先生のためのものじゃなくて、瀬尾先生に見せるためのものだったらしい。
「そうだったんだ。全然知らなかったよ。」
「そりゃそうだよ、だって私学校の子に初めて話したんだもん。結衣子だけは特別。」
そう言ってにこりと笑う彼女はやはり眩しくて可愛いと思った。
「でも、私もそうだけど、相手が先生なわけじゃない?優香はその、気持ち伝えたり、するの?というか、もうしたの?」
「ううん。私はまだ言ってない。卒業するまで言わないつもり。多分向こうはもう気が付いているだろうし、私の気持ち。」
「そうなの?」
彼女は平気そうな顔をしていたが、同時にもどかしそうな表情もしていた。
「うん。在学中に告白したところで困らせてしまうのは目に見えているもの。だから今は沢山女磨きをするの。それで卒業と同時に満を持して告白するというわけ。」
いい考えでしょ?と彼女は笑ってパンケーキの最後の一口を口の中に放り込んだ。
パンケーキとパフェをお互いに平らげると、私たちは一緒にお店を出た。
これから少しずつ外の空気が柔らかな春の風から梅雨に向けて準備を始めていく。
私と優香がこうして出会って、喧嘩とまではいかないけれど、すれ違いをして、季節が流れていくように、きっと変わらないものなんてないんだろうなと外気の匂いにふとそう思った。
店を出た後、優香は私の隣を歩きながらつぶやいた。
「でもそっか、ハルくんか。」
私にはその言葉の真意が掴めなかった。
「結衣子は、ハルくんに好きな人がいることは、もう知っているの?好きな人というよりも、忘れられない人って言った方が正しいのかもしれないけど。」
私は頷いた。すべてを把握しているわけではないが、その相手がどんな女性で、彼が片思いではなく本当は両想いなのだということも、わかっている。
それを優香に相談するべきか、私はこの期に及んでまだ悩んでいた。
「結衣子?」
私は我慢できずにその場でぽろぽろと泣き出してしまった。
優香はびっくりしていたものの、私の手を引いて人気のないパーキングまで歩いた。
緑色の金網にもたれかかりながら二人で空を眺める。あたりは大分夕闇に包み込まれていた。
「ごめんね、いきなり泣いちゃって。」
「ううん、大丈夫?」
心配そうに私の顔を覗き込む彼女に私は大丈夫と答える。やっぱり、彼女には打ち明けてしまおうと思った。一人で抱えておくにはあまりにも苦しかった。
「優香、私ね、知ってるの。というか会ってるの。佐原先生の好きな人。」
「え、静香さんこの街に来てるの?」
私は黙って頷く。
「最近放課後にすぐ帰っていたのは、彼女に会うためだったの。初めは知らなかったのよ、彼女が先生の好きな人だったなんて。でも話をするうちにいろんなことが繋がっていった。彼女はとても綺麗だし、優しいし、素敵な女性だった。あんな人がいたんじゃ先生が忘れられなくなるのも当たり前だよ。」
私の言葉のひとつひとつに頷きながら、優香は私の手を握ってくれた。
「静香さんね、本当は佐原先生に会いたくてこの街に帰って来たんだと思う。だけど今更合わせる顔がない、私は逃げたからって、そう言ってとても苦しんでいた。静香さん、佐原先生との話をするときすごく幸せそうな顔をするの。あの人は本気で佐原先生のことが好きなんだと思う。でも私が先生のことを好きだって気持ちもわかっているの。だからね、最後の選択肢を私に委ねたんだ。残酷なことをするようだけど、選んでほしいって。」
「選択肢?」
「静香さん、またこの街を出てしまうの。そして佐原先生はまだ、静香さんがこの街にいることを知らない。私が話してしまえば先生は静香さんのもとに行ってしまうかもしれない。逆に私が黙ってさえいれば先生は静香さんに会うこともなく、静香さんがここにきていたことも知らないまま、私は先生にアプローチができる。私は君がどちらを選んだとしてもすべてを受け入れる、だからどうしたいかは君が選んでほしい。そう言ってた。」
「なによそれ。身勝手じゃない。結局一番苦しい選択肢を結衣子に押し付けて、良い恰好して逃げているだけだわ。そんなの伝えることないよ、結衣子。」
憤慨する優香を見たらなんだかおかしくて私はつい笑ってしまった。
「どうして笑うの?」
「だって、優香のことじゃないのに、優香ったら私よりも怒っているんだもん。」
「当たり前でしょ。友達なんだから!」
なんだか、私にはそれで十分な気がした。
こうして私のために怒ったり泣いたり笑ったりしてくれる友人がいてくれる。
それだけで今は十分じゃないか。
「あのね、優香。わたしずっと迷っていたの。先生に伝えるかどうか。でもやっぱり、ちゃんと伝えることにするよ。」
優香は信じられないという顔で私の肩を掴んだ。
「どうして…。だって結衣子、ハルくんのこと好きなんでしょう?だったら…」
「だからこそだよ、優香。」
「え?」
「大好きだから。初めてこんなに好きになれた人だったから、私はどうしても先生には幸せになってほしいの。それに私、まだ会ってから数回しか話したことはないけれど、先生に負けないくらい静香さんのことだって大好きなのよ。あの二人の幸せを奪うようなこと、私にはできない。」
優香は「結衣子のお人好し!ばか!」と何度も言いながら私を抱きしめて泣いた。
「私だって結衣子が一番大事だもん。だから結衣子が幸せになれないならハルくんのことだって絶対許さない。でも、人を大事にできる結衣子のそういう優しいところが、私は大好きなのよ。」
私は優香に出会えて本当によかったと心の底からそう思った。
彼女がいなかったら私は先生に伝えようという決意もできなかっただろうし、そんな自分を嫌いになっていたことだろう。
「本当に優しいのは、優香の方じゃない。」
泣きじゃくる彼女につられて、私の目からはまた涙があふれ出た。
沢山泣いたらなんだか気持ちがすっきりとして、前よりも心が随分と軽くなった気がした。
私も優香もひどい顔で、お互いに顔を見合わせて笑ってしまった。
「どこかで顔洗って帰ろうか。このまま帰ったらお母さん心配しちゃう。」
「そうだね。」
私たちは顔を洗ってから家路についたが結局帰りが遅かったことで二人ともこっぴどく叱られたのだった。