フーカは、この一年、主にふたつのことをやっていたようだ。
一つは、裁判。自由になったフーカだが、これまで、家族と離れ離れになったり、学校にも通えていなかったり、普通とは縁遠い生活を送ってきた。それ故、このままの状態ではこれから自立することが難しかった。そこで、唯斗が裁判をやらないかと提案したのだという。ということで、闇研究者だった者達を訴え、見事勝訴した。
もう一つは、フーカの身体を本来の姿に戻すことだ。いくら裁判に勝訴したとはいえ、見た目が十二歳では、この世の中を一人で暮らしていくのは難しい。そこで、唯斗と舞子が研究してきたことを生かし、身体の成長を促す薬を作った。
薬以外の方法も試したらしいが、結局薬にたどり着いたらしい。この薬は、量を調節することで、成長することが可能らしく、フーカはこれを服用することで、ここまで成長したのだという。
「それで、これが私の本来の姿なんだって」
「な、なるほど……」
しかし、あの薬の副作用は凄いものだった、とフーカは言った。慣れない最初の頃は、戻してばかりで、食事もまともに取れなかったという。
「でもあの薬をこのまま飲まなければ、私は永遠にこの姿。だから、みんなと同じように歳をとるには、飲むしかないみたい」
フーカは、笑った。
「だけど、別にいいの。ずっと子どものままだと思ってたから、薬で普通に戻れるなんて、これほど嬉しいことは無いわ。ユイトと舞子さんに感謝しなきゃね」
彼女は大きく伸びをし、息を吐いた。
「これでもう、私のこと、おかしいって言う人いないよね。だってやっと、『普通』になれたんだもの」
歳をとるということ。見た目が、年相応になっていくということ。世間の常識では普通のことである。
だが、フーカにとっては、それは普通ではなかった。つまり、大多数の人が持っている特徴だからといって、それが人類全てに備わっているとは限らない。自分にとっての「普通」は、誰かにとっての「特別」かもしれない。
しかし、その者たちを差別する人がいる。「あの人だけおかしいよね」「あの人変だよね」。そのような心無い言葉で自分たちとは違った者を攻撃しようとする。そうすることで、「私たちは、普通だ」という安心感を得るのだ。
「普通」という概念がある限り、それは仕方の無いことかもしれない。しかし、差別は許されることではない。
いつか、いつの日にか差別が無くなれば、例え普通にはなれなくても、多くの人が笑顔を取り戻すことができるのだろう。
「ね、イト」
「?」
「私、一寸法師みたいだね」
「一寸法師? なんだよいきなり」
「だから、一寸法師って、最初小さくて子どもみたいでしょう。でも、最後には打出の小槌の力で、本来の姿に戻る。何だかどことなく、私に似てない?」
「言われてみれば、確かに」
『一寸法師』など、小学生の時以来、読んでいないが、話の内容は何となく覚えていた。
「それでね、私、一寸法師の気持ち分かったの」
「気持ち?」
「うん。私、初めて『一寸法師』を読んだ時、一寸法師は元の姿に戻って、本当に嬉しかったのかなって、ずっと思ってたの」
「え、嬉しかったんじゃねーのか?」
「だって、最初は小さくてかわいくて、それで周りからも可愛がられて……十分幸せな人生送れていたでしょう。だから、本当は元の姿に戻ることなんて、望んでいなかったのかなって」
「あー……まあ、そういう考えもあるか」
伊都はフーカの話に、妙に納得してしまった。
「でも、嬉しかったんだって、やっと分かった。やっぱり本来の姿の方がいいものね。身をもって、ようやく彼の気持ちが分かったわ」
「そっか」
「うん。それになにより、お姫様とは……好きな人とは、ありのままの姿で一緒にいたいもんね」
好きな人、という言葉に、伊都はドキリとした。違う。フーカは、一寸法師の流れでその言葉を言っただけだ。気にするところではない。伊都は自分の気持ちを沈めようとした。
「イト? どうしたの、顔真っ赤だけど」
 フーカが、不思議そうに聞いてくる。しまった、顔に出ていた。伊都はごまかすように、
「な、なんでもねーよ。ちょーっと、暑くてな、ははは」
いや、誤魔化し方が下手くそすぎる。自分が悲しくなった。
「まあ、そうよね。夏だもん。夜だけど、まだまだ暑い」
フーカは、笑顔に戻ってそう言った。まさか、今ので誤魔化せたというのか? 鈍感にも程がある。
「イト、携帯持ってる?」
「え? 持ってるけど……」
「時計見せて」
「なんだよ、急に」
そう言いながら、ポケットに閉まっておいた携帯を取り出す。画面には、六時二十九分と映し出された。
「ん、そろそろかな」
と、フーカが言い出すので、
「え、何が?」
と聞いたが、彼女はそれには答えず、カウントダウンを始めた。
「じゅーう、きゅーう、はーち」
「ちょ、え? 何だよ」
「なーな、ろーく」
「おいおいおい、何なんだよ、だから!」
「ごー、よーん、さーん」
「教えてくれよ、お願いだから!」
「にー、いーち!」
「フーカ!」
「ゼロ!」
フーカがそう言った瞬間、大きな音が響いた。思わず空を見上げると、そこには大きな花火が、輝いていた。
「わー! きれい〜」
フーカが立ち上がって、喜びの声を上げた。
「えっ……花火?」
「そう、今日は花火大会。気が付かなかったの?」
そういえば夏休み最終日は、毎年、花火大会だった。勉強ばかりの毎日で、伊都はすっかり忘れていたのだ。
「これで、やっと約束果たせた」
「約束って……」
「去年、私から行きたいって言ったのに、約束、破っちゃったから……。ごめんね、イト」
そうだ。去年の今頃は、出て行ったフーカを探し回っていたのだ。結局見つかることは無く、次々と上がる花火を一人で見上げていた。
「そんなの気にすんなって。ありがとな、約束覚えててくれて」
伊都は立ち上がって、お礼を言った。
「覚えてたよ、ずっと。だから、次に会う時は、絶対、花火大会の日って決めてたの」
フーカは笑顔でそう言った。
なんと、素敵な笑顔であろう。薄暗くてあまり見えないはずなのに、伊都にはハッキリと見えた。弾けるような、無邪気な笑顔が。
花火はあがり続ける。フーカは感嘆の声を上げながら、空を見続けていた。その横顔の、なんと美しいことか。
やはり、無理だ。
気持ちを抑えることなど、出来ない。
今すぐに、思いを伝えたい。
「フーカ」
伊都はしっかりと、彼女の名前を呼んだ。フーカがこちらに顔を向ける。
「ん?」
「俺……俺……」
言いたい。言えない。次の言葉を言うことが出来ない。告白とは、こんなにも勇気がいることなのか。伊都は身をもって知った。
「ごめん、なんでもねーや」
「えー? もう、何なのよ」
フーカが笑う。
また誤魔化してしまった。本当に自分は意気地無しである。伊都は、ぎゅっと両手をにぎりしめた。