気がつけば、久美子は真っ暗な闇の中に立っていた。
「ここは……?」
おかしい。先程まで病室にいたはずだ。こんな所は知らない。
「………」
どこかは分からないが、とにかくここから出なければいけないと、久美子は思った。
光を求めて、久美子は歩き始めた。しばらくすると、前方に白くぼやけた光が見えた。近付いてみると、どうやらそこには人がいるようだった。
「あのっ……!」
声をかけると、その人はこちらに顔を向けた。
「え……ユイト?」
そう。そこにいたのは、唯斗だった。彼も久美子をみて驚いていた。
「久美子……どうしてここに」
「どうしてって……気がついたらここに」
「……そうか」
「ここは、どこなんですか?」
「私もよく分からないが、多分ここは生死の境だ。私はずっとここをさまよっている」
唯斗のその見解は合っている気がした。現に唯斗は、現実で生死の境をさ迷っている。
「久美子、私は撃たれたあと、どうなったんだ?」
唯斗が聞いてくる。
「……救急隊員に病院まで運ばれて、三日間昏睡状態です」
「なるほど。ちなみに、木下はどうなった?」
「えっと……」
思い出したくもないあの日。だが、久美子は必死に思い出した。
「確か……救急隊員と一緒に入ってきた警官に連れていかれたような気がします」
「そうか。それで、お前はどうだ? 怪我、しなかったか?」
「……大丈夫です」
久美子が小さな声で答えると、唯斗はふっと安堵の表情を見せた。
「それは良かった」
そして、上を見上げ、スッキリとしたように言う。
「もう思い残すことは無い。心置き無く逝ける」
「えっ……?」
久美子は驚愕を顔に浮かべた。
「どうして、そんなこと言うんですか?」
「目的を果たせたからだ。お前を守ること、闇研究者の社会的抹殺、その両方が叶った。私は幸せだ」
唯斗は依然として微笑んだままだ。まさか、先程、自分の状態を聞き、もう生きることを諦めているのだろうか。
「あとは、伊都たちに任せれば何とかなるだろう。それでは、元気でやれよ、久美子」
唯斗が久美子に背を向け去っていく。いつの間にか、彼の行先には白い光が見えている。
あれは、きっと天国への入口だ。唯斗はやはり、生きようとは思っていない。行ってしまったら、唯斗に二度と会えなくなる。
そんなの、嫌だ。久美子は、気がついていたら言っていた。
「……あなたが幸せでも、私は、幸せじゃない」
唯斗は振り返り、不思議そうな顔をする。
「なぜだ? もうお前は自由なんだ。それがお前の幸せじゃなかったのか?」
「確かにそうだけど……でも、こんなの違う」
こんな結末、久美子は望んでいなかった。
「私が、私だけが助かったって、そんなの幸せじゃない」
やっと気がついた。
「いくら私が自由になったって、あなたがいなきゃ、意味が無い……!」
久美子が望んでいたのは、伊都も、伊都の母も、誠も、唯斗も、大切な人たちが確かに存在している、平穏な日々だ。
「皆で、一緒に、笑い合うの」
 久美子は、唯斗を見つめた。
「それが、今の私の願いです」
「………」
「お願い。生きて、ユイト」
もうこれ以上、大切な人を失いたくはない。
久美子は必死で説得した。しかし、唯斗は浮かない顔をしていた。
久美子は、不思議に思った。どうしてそんなに、生きていたくないのだろう。久美子と違い、唯斗は比較的恵まれた環境に身を置いている。現実に帰っても何も問題はなさそうだが……。
その時、ふと久美子の脳裏にある言葉が過った。

『父さんがね、死んじゃったんだ。事故で』

随分と前に伊都が言っていた事だった。確か、唯斗はこの事故のせいで、それまでの性格と正反対になってしまったと、伊都は言っていた気がする。
「……ユイト。お父さんを、亡くしていますね?」
唯斗は、驚いた顔で久美子を見た。
「なぜそれを」
「前にイトから聞きました」
「………」
「あなたは……お父さんの側にいたいんですよね」
「!」
唯斗は目を丸くした。どうやら図星だったようである。彼は、大切な人の側にいたいのだ。
「疑問に思っていたんです。なんであなたは、赤の他人の私なんかの為に、命を懸けてくれたんだろうって……」
「それは、研究者としての役割を……」
「もちろん、そうだと思います。でもそれだけじゃない。あなたは……お父さんの所に行きたかったんですよね。ずっと」
「………」
「あなたにとっての幸せは、お父さんに再開すること……。そうだとするなら、私に止める権利はありません」
唯斗はしばらく黙り込んだ。そして、
「……久美子。お前は、どうして生きようと思ったんだ?」
と久美子に聞いてきた。
「え? ど、どうしてって……」
「差別を受けて、友人を亡くして、孤独になって……。不老者というだけで、数え切れないほどの苦しい思いをしてきたはずだ。生きることは、苦しいことをお前は知っている。なのに、どうしてお前は生きようと思うんだ?」
「……あなたが、くれた命だから」
唯斗は、目を見開いた。
「舞子さんから聞いたんです。あなたは命懸けで私を救おうとしてくれていたって。私、すごく嬉しかった……」
久美子は、唯斗に微笑みを浮かべ、ずっと伝えたかったこの言葉を放った。
「ありがとうございます。あなたと出会えていなかったら、今の私はなかった」
胸に手を当て、心臓の鼓動を聴く。
「この命は大切にします。私の命は、私だけのものじゃないって、やっとわかったから……」
「………ふっ」
唯斗は、微笑んだ。
「そうだな。その通りだ……。私の命にだって、同じことが言える」
彼は光の指す方向を眩しそうに見た。そして、
「もう少し、生きてみるか」
そう呟いた。久美子は驚いて、思わず、
「本当、ですか……!?」
と聞いた。
「嘘を言ってどうする。本当に決まっているだろう」
笑いながら、ため息混じりの声で、唯斗が返答する。
「そうですよね」
久美子は笑顔を見せた。
「それじゃあ、現実で待ってます。私だけじゃなくて、皆、待ってますから」
「ああ」