舞子が会場に戻ってきたのは、学会が再開する直前だった。隣の唯斗が「どこに行っていたんだ?」と声をかけてくる。
詳細を話すのが面倒だったので「お手洗い」と言っておいた。唯斗は「そうか」とだけ言い、それ以上聞いてくることはなかった。
会場が少し暗くなり、第二部が始まった。木下が壇上に上がる。
「さて、お待たせ致しました。そろそろ立花久美子に登場してもらいましょう」
凄まじい歓声とともに、ステージ袖から久美子が登場した。舞台の中央に置いてあるパイプ椅子に、静かに座る。
彼女の姿を見て舞子は息を飲んだ。
同じだ。
夏休み前に、舞子は伊都の家を訪問した。その時、伊都の部屋にいた少女にそっくりだったのだ。
ボロボロの青いパーカー。華奢な身体。抜けるような白い肌。セミロングの黒髪。間違いない。あの時の少女だ。なぜここに居るのだろうか。彼女は確かあの時、「フーカ」だと名乗ったはずだが……。
「!」
舞子は、唯斗から「立花久美子が実家にいる」と聞いたことを思い出した。
唯斗の弟が伊都ならば、伊都の家にいた少女が、立花久美子だということになる。つまり、舞子はもうすでに彼女と会っていたのだ。
舞子は頭を抱えた。もしあの時、彼女が立花久美子だと知っていたら、こんなことにはならなかったのではないだろうか。だが、今更後悔しても仕方がなかった。
ステージ上の久美子を見る。彼女の目は虚ろで、光を宿していなかった。生きる気力も、ここから逃げ出す気力も、もう残っていないのだろう。
助けなければ。何としてでも、彼女をこの状況から解放しなければ。
舞子は、隣の唯斗を見た。偶然にも、彼もこちらを見ていた。二人で頷く。
「それでは、本日の命題、彼女の今後について決めましょう」
研究者たちが一斉に手を挙げ始めた。
今までと同じように、実験に利用する。最後の不老者として、メディアに報道させ、研究者の地位の上昇を図る。などの非人道的な意見が出る中、唯斗が指名された。
「私は、これまで彼女について独自に研究をしてきました。数年分の研究データには、皆さんが知らないことが、多く書かれていることでしょう。そこで、どうかしばらくの間、彼女を私の所で預からせていただけないでしょうか。そうすれば、より大きな研究成果をあげられるものと思われます」
会場がざわついた。当然だろう。この場においてはイレギュラーな発言をしたのだから。
唯斗は更に、持ってきたカバンの中から資料を取り出した。
「もちろん、ただでとは言いません。彼女と引き換えに、研究データをお渡ししたいと思っています」
唯斗の研究データが闇研究者たちに渡れば、大変なことになるのは十分承知だった。だが、久美子を引き取ることが最優先だと考えて背負った、あえてのリスクだった。
「……なるほど。確かに、君の研究ぶりは群を抜いている。研究データもさぞかし素晴らしいのだろうね」
木下は笑顔で頷いた。
「一度見せてもらうことにしようか。深瀬くん、前に来てもらえるかな」
唯斗は、ステージ上に上がっていった。そして、膨大な量の資料を木下に渡す。
「……これは、期待通り、いや期待以上の出来だ」
資料をみた木下が舌を巻く。
「素晴らしい。これほどの出来であれば、君に彼女を預ければ、もっと良いものが期待出来そうだ」
「ありがとうございます」
さすがは唯斗だ。木下にあそこまで言わせられるのは彼しかいないのではないのだろうか。舞子は心の中でガッツポーズをした。 これで作戦は成功する。
「そうだ。せっかくだから、私からも提案してもいいかな」
「どうぞ」
突如、木下は懐から銃を取り出し、唯斗に突きつけた。
会場がざわついた。それまで大人しく座っていた久美子も立ち上がり、木下に向かって走り出した。が、すぐさま、袖に待機していたのであろう研究者たちに取り押さえられる。
「離してっ……!」
普段表情を滅多に崩さない唯斗も、さすがに動揺しているようだった。もちろん、舞子も戸惑っていた。
「……どういうおつもりですか」
「ここで、君を殺して、この研究データも、立花久美子も私のものにするという提案だよ」
木下は不敵な笑みを見せた。なんということを考える男であろう。本当に最低な男だ。
殴りたい。懲らしめてやりたい。
しかし、今、舞子が出ていっても、取り押さえられるだけだ。自分は見ていることしか出来ない。舞子は唇を噛んだ。
「……最初から、それが目的だったのか」
「そうだよ。君は利用されたに過ぎない」
「………」
「さあ、あとの事は私に任せて、逝ってくれ」
どうして、どうして。こんなことがあっていいはずがない。でも、どうすることも出来ない。もうだめだ。
舞子がそう思った時、ドタドタドタっ!とステージ裏から音がした。「待て!」と言う声とともに、ステージ上に伊都が出てきた。
「やめろ、木下!!」
「霧野 伊都……! なぜここに……」
そこにいた誰もが驚いていたが、一番驚愕していたのは、木下だった。
「……誠が、教えてくれたんだよ」
息を切らしながら、静かな声で、伊都が言った。
詳細を話すのが面倒だったので「お手洗い」と言っておいた。唯斗は「そうか」とだけ言い、それ以上聞いてくることはなかった。
会場が少し暗くなり、第二部が始まった。木下が壇上に上がる。
「さて、お待たせ致しました。そろそろ立花久美子に登場してもらいましょう」
凄まじい歓声とともに、ステージ袖から久美子が登場した。舞台の中央に置いてあるパイプ椅子に、静かに座る。
彼女の姿を見て舞子は息を飲んだ。
同じだ。
夏休み前に、舞子は伊都の家を訪問した。その時、伊都の部屋にいた少女にそっくりだったのだ。
ボロボロの青いパーカー。華奢な身体。抜けるような白い肌。セミロングの黒髪。間違いない。あの時の少女だ。なぜここに居るのだろうか。彼女は確かあの時、「フーカ」だと名乗ったはずだが……。
「!」
舞子は、唯斗から「立花久美子が実家にいる」と聞いたことを思い出した。
唯斗の弟が伊都ならば、伊都の家にいた少女が、立花久美子だということになる。つまり、舞子はもうすでに彼女と会っていたのだ。
舞子は頭を抱えた。もしあの時、彼女が立花久美子だと知っていたら、こんなことにはならなかったのではないだろうか。だが、今更後悔しても仕方がなかった。
ステージ上の久美子を見る。彼女の目は虚ろで、光を宿していなかった。生きる気力も、ここから逃げ出す気力も、もう残っていないのだろう。
助けなければ。何としてでも、彼女をこの状況から解放しなければ。
舞子は、隣の唯斗を見た。偶然にも、彼もこちらを見ていた。二人で頷く。
「それでは、本日の命題、彼女の今後について決めましょう」
研究者たちが一斉に手を挙げ始めた。
今までと同じように、実験に利用する。最後の不老者として、メディアに報道させ、研究者の地位の上昇を図る。などの非人道的な意見が出る中、唯斗が指名された。
「私は、これまで彼女について独自に研究をしてきました。数年分の研究データには、皆さんが知らないことが、多く書かれていることでしょう。そこで、どうかしばらくの間、彼女を私の所で預からせていただけないでしょうか。そうすれば、より大きな研究成果をあげられるものと思われます」
会場がざわついた。当然だろう。この場においてはイレギュラーな発言をしたのだから。
唯斗は更に、持ってきたカバンの中から資料を取り出した。
「もちろん、ただでとは言いません。彼女と引き換えに、研究データをお渡ししたいと思っています」
唯斗の研究データが闇研究者たちに渡れば、大変なことになるのは十分承知だった。だが、久美子を引き取ることが最優先だと考えて背負った、あえてのリスクだった。
「……なるほど。確かに、君の研究ぶりは群を抜いている。研究データもさぞかし素晴らしいのだろうね」
木下は笑顔で頷いた。
「一度見せてもらうことにしようか。深瀬くん、前に来てもらえるかな」
唯斗は、ステージ上に上がっていった。そして、膨大な量の資料を木下に渡す。
「……これは、期待通り、いや期待以上の出来だ」
資料をみた木下が舌を巻く。
「素晴らしい。これほどの出来であれば、君に彼女を預ければ、もっと良いものが期待出来そうだ」
「ありがとうございます」
さすがは唯斗だ。木下にあそこまで言わせられるのは彼しかいないのではないのだろうか。舞子は心の中でガッツポーズをした。 これで作戦は成功する。
「そうだ。せっかくだから、私からも提案してもいいかな」
「どうぞ」
突如、木下は懐から銃を取り出し、唯斗に突きつけた。
会場がざわついた。それまで大人しく座っていた久美子も立ち上がり、木下に向かって走り出した。が、すぐさま、袖に待機していたのであろう研究者たちに取り押さえられる。
「離してっ……!」
普段表情を滅多に崩さない唯斗も、さすがに動揺しているようだった。もちろん、舞子も戸惑っていた。
「……どういうおつもりですか」
「ここで、君を殺して、この研究データも、立花久美子も私のものにするという提案だよ」
木下は不敵な笑みを見せた。なんということを考える男であろう。本当に最低な男だ。
殴りたい。懲らしめてやりたい。
しかし、今、舞子が出ていっても、取り押さえられるだけだ。自分は見ていることしか出来ない。舞子は唇を噛んだ。
「……最初から、それが目的だったのか」
「そうだよ。君は利用されたに過ぎない」
「………」
「さあ、あとの事は私に任せて、逝ってくれ」
どうして、どうして。こんなことがあっていいはずがない。でも、どうすることも出来ない。もうだめだ。
舞子がそう思った時、ドタドタドタっ!とステージ裏から音がした。「待て!」と言う声とともに、ステージ上に伊都が出てきた。
「やめろ、木下!!」
「霧野 伊都……! なぜここに……」
そこにいた誰もが驚いていたが、一番驚愕していたのは、木下だった。
「……誠が、教えてくれたんだよ」
息を切らしながら、静かな声で、伊都が言った。