家から帰る途中、伊都は公園に寄った。まだ昼なので、子どもたちの姿はなかった。
伊都は、公園に入り、東屋の中の椅子に座った。
初めてフーカに出会ったのもここであった。数人の男達に囲まれ、助けを求めていた彼女を伊都が助けた。今思えば、彼らは闇研究者だったのだろう。
彼女を助けた後は、本当に色々なことがあった。様々な場所に連れていかれた。ケンカをした。笑い合った。本当の彼女が分からなくなった。不老者のことを知った。守ると誓った。手を繋いだ。手紙を貰った。
「手紙………」
伊都は、リュックの中を漁った。実は、フーカからの手紙を持ってきていたのだ。これが、彼女のことを直に感じられる最後の手段だったからだ。手紙を見つけ、伊都は、もう一度読み始めた。

『フーカって名前をくれてありがとう。私が立花久美子だって分かっても、フーカって呼んでくれて、ありがとう』

「……フーカ」
本当の名前は、久美子なのだから、本来それで呼ぶべきであろう。しかし、伊都はあえてそれをしなかった。
今まで、伊都とともに過ごしてきた彼女は、「フーカ」であり、「立花久美子」ではない。だから、久美子と呼べば、それまでの思い出が全てなかったことになるような、そんな気がしたのだ。まさか感謝されているとは思わなかったが。
「………」
いつまでも、くよくよしていても仕方がない。フーカが見たらきっと、「情けない」と呆れ顔で言うだろう。
「帰るか……」
伊都が立ち上がった、その時だった。ポケットの中で、携帯が鳴った。電話だ。
開いてみると、兄の唯斗からだった。珍しいこともあるものだ。昼から一体どうしたというのか。
「もしもし」
『伊都、今どこにいる』
「え? 公園だけど……」
『どこの公園だ』
「どこって、うちの近所の……」
『……分かった。そこにいろ。今から行く』
「え、なんで?」
『事情は後で話す。いいか、そこから動くな』
「……おう」
 電話は切れた。謎すぎる。一体なんだと言うのだ。
「腹減ったー……」
伊都は再びベンチに座り、兄を待った。
数分後、公園の出口に黒い車が止まった。きっと、兄の車だろう。伊都は車に近づいた。助手席の窓が開く。座っていたのは兄と……なんと、心理カウンセラーの田沢舞子だった。
「え!?」
 二人同時に叫んだ。
「霧野くん!?」
「田沢先生…!?」
何故か向こうも驚いているが、伊都は何が何だかさっぱり分からなかった。
「あなた、弟って……霧野くんのことだったの?」
「なんだ、知っているのか」
「知っているも何も、うちの学校の生徒よ!」
「そうだったのか」
「っていうか、名字よ。なんで違うの?」
「時間が無い。説明はあとだ。伊都も同じだ。舞子のことに関しては、今は聞くな」
「……分かったよ」
伊都は、ドアを開け、後部座席に乗った。
兄は、伊都に事情を説明した。要約すると、どうやらこういうことらしかった。
研究者の間では、不定期で学会というものが開催される。その学会が、今日開催されると、昨日いきなり連絡が来たのだそうだ。
兄はピンと来たのだという。これは、立花久美子と……フーカと関係があると。今日は、彼女のことについての報告と、今後について話し合うつもりではないか、と兄は予想した。そこで、兄は、うまいことを言って彼女を引き取る作戦を実行しようとしていた。
「それで、お前を呼んだ」
「なんで!?」
「お前にしかできないことを頼みたい」
「いや無理無理! 俺、何も出来ねぇよ。第一、会場に入れるわけねぇだろ」
「それは大丈夫だ。お前には、裏口から入ってもらう」
「ますます無理だろ!」
「何とかなる」
「ならねぇよ!」
いくらなんでも適当すぎる兄に、伊都は全力で否定する。
「とにかく、入れたとしてだ。裏の情報を探って欲しい」
「裏の情報?」
「今回、お前の家に久美子がいることがバレたのは、何かしら原因があるはずだ。それが分かるのは多分、裏しかない」
「だとしても俺じゃなくていいだろ」
兄はため息をついた。
「俺と舞子は、他の奴らに顔が割れている。裏で怪しい動きをすれば、一発で裏切り者だとバレる。対して、お前は木下だけだろう。だからお前しかいない」
「兄貴は分かるけど、なんで先生まで……」
「あ、私、研究者なの。言ってなかったけど」
舞子が、首をこちらに向け、サラッと言った。
「はっ……!?」
色々な情報がてんこ盛りで、頭が整理できない。だが、追い打ちをかけるように、
「という訳だ。頼んだぞ」
と兄が言った。
「…………」
兄はどうしても伊都に任せたいようだ。
「……久美子を助けたくないのか」
その言葉に、心がキュッとなった。そうだ、これは彼女ともう一度会えるチャンスでもあるのだ。
「……やるよ」
「助かる」
伊都は、心に決めた。自分がどうなっても、例えどんな目に遭っても、必ずフーカを助けると。