「こんな時間まですまない」
時刻は十一時。今日は唯斗の作業がどうしても終わらず、舞子に夜遅くまで居てもらっていた。
「別にいいわよ。私はもう学校のこと終わらせたし。それに、遅くに帰るの慣れてるから」
「……そうか」
「で、アイスコーヒーでいいの?」
「ああ、頼む」
この二週間、唯斗は舞子の協力の元、不老者と研究と闇研究者の調査を進めてきた。ほぼパソコンとの向き合いになるため、舞子には情報提供をしてもらいつつ、食事の用意などを頼んでいた。おかげで、研究に集中することが出来た。
「ちょっと、携帯鳴ってるわよ」
舞子がキッチンから声をかけた。唯斗は椅子から立ちあがり、充電器に繋いである携帯を見に行った。メッセージが二、三件届いていた。
「……!!」
内容を見て、声を出さずに驚いた。何と、弟の伊都の家に立花久美子がいると言うのだ。しかも何日か滞在していて、立花久美子であると判明したのが先程らしい。
事態がうまく飲み込めず、気が動転した挙句、訳の分からない「御意」スタンプを送ってしまった。最悪である。ふざけている場合ではないというのに。この後どう返信したら良いのか分からない。
一人で頭を抱えていると、今度は電話がかかってきた。あわてて、
「悪い、電話をしてくる」
と部屋を出てトイレへ駆け込んだ。ドキドキしながら通話ボタンを押す。
「あ。兄貴、ごめんなこんな夜遅くに」
懐かしい声だ。伊都の声を聞いたのは何年ぶりであろう。
「いや構わない。久しぶりだな、伊都」
「本当にな」
「電話なんて珍しいな。やはり先程のことか?」
「いや、それはもう兄貴は理解してくれたらしいから、大丈夫なんだけど、他に聞きたいことがあって」
どうやら彼は、唯斗があの「御意」スタンプで全てを悟ったと思ったらしい。全くもって違うが、否定するのも恥ずかしくて唯斗は何も言えなかった。
「他に聞きたいこと? なんだ?」
「あのさ……深瀬唯斗って、兄貴のこと?」
「………………」
伊都の口からその名前が出てきたことに、驚きフリーズした。
「……なぜその名前を知っている? 誰から聞いた?」
「え? 普通にフーカから……」
「フーカ? 誰だそれは」
「あ、いや、立花久美子さんから」
「……なるほど」
そうなると彼女は全てを話したということだ。施設から逃げ出したこと、親友が亡くなったこと。もちろん自分に匿われていたことも。
「それで、どうなんだよ。兄貴のことなのか?」
「……ああ、そうだ」
まさか、バレる日が来るとは。唯斗はため息をついた。
「そっか。……なんで深瀬?」
「偽名だ」
「それは分かるよ。俺が聞きたいのは、何で偽名なんか使ったのかってこと」
「……俺がやっていることは、スパイみたいなものだ。闇研究者に仲間だと思わせて、実際にはそいつらを調査している。そしていつか制裁を加えてやりたいと思っている始末だ。だから、万が一バレた時、多分俺だけじゃなく、家族にまで被害が及ぶ。あいつらのことだ、何をするかわからない」
「だから、偽名を……?」
「ああ。苗字だけ変えておけば、少なくとも家族に被害が及ぶことはないと思ってな」
浅はかな考えかもしれなかったが、何もしないよりはマシと、唯斗は思ったのだ。
「……ごめん」
何故か伊都から謝られた。
「俺さ、兄貴から家族なんてどうでもいいって言われたから、俺たちのことなんか何も考えてないんだって、勝手に思ってた」
確かに、そう言ってしまったことがあった。研究者になりたいと言う唯斗が、何も理解を示してくれない母と伊都に、思わず放ってしまった言葉だ。唯斗自身は忘れていたのだが、伊都はずっと気にしていたのだ。その事実に、唯斗は心底申し訳ない気持ちになった。
「……すまなかった。本当はあんなことを言うつもりじゃなかった」
「信じるよ。兄貴は、俺らのこと、ちゃんと考えていてくれたんだってわかったからさ。だけどたまにはこっちにも帰ってきてよ。母さん心配してるぞ」
そう言えば、長い間実家に帰っていなかった。忙しくて帰ることが出来なかった訳では無い。あんな反対を振り切って出てきた手前、何となく帰るのを躊躇っていたのだ。しかし、やはり帰った方が良いのだろう。
「ああ、近々そうするつもりだ。お前の友達にも会わなければいけないしな」
「そうだった。そんな話もあったわ。色々あって忘れてた……」
電話の向こうから伊都のため息が聞こえる。
「あー、兄貴、いつごろ来られそう?」
「……確か、相手方はいつでも良いと言っていたな」
「えー? ……うん」
「それなら、サプライズの方が良いな」
「サプライズ?」
「ああ。だから、いつ帰るかは言わない」
「はぁ? 何だよそれー」
「いい案だろう」
「そんなドヤ顔で言われても」
「何言ってるんだ、顔なんか見えないだろう」
「何となく、分かる。テンションで」
「テンションか」
「うん、テンション」
「まあとにかく、内緒にしておく」
「えー」
伊都から面倒くさそうな声があがったが、「分かったよ」と渋々ながらに了解してくれた。
「やば、充電がないや。じゃあ、またな、兄貴。おやすみ」
「ああ、おやすみ」
電話が切れた。充電が無くなりそうだから切るとは、何とも伊都らしいと、唯斗は思った。
「…………」
唯斗は、しばらく電話の切れた携帯の真っ暗な画面を見つめていた。
久美子が、伊都と母のもとにいる。何としてでも彼らを守らなくては。しかし、どうやって……?
その時、トイレのドアが叩かれる音がした。
「ちょっと、唯斗。まだ電話してるの?」
舞子の声である。
「もう終わった」
「じゃあ早く出てきなさいよ。コーヒー出来たんだけど」
唯斗は仕方なくドアを開けた。もう少し頭の整理がついてから出たかったのだが、仕方がない。あまり滞在しても怪しまれるだけだ。
出てきた唯斗を見て、ため息をつくと、舞子は回れ右をして、リビングに向かって歩き出した。
「誰と話してたの?」
舞子が、歩きながら聞いてきた。
「弟だ」
「え、あなた、弟いたの?」
「ああ」
「てっきり一人っ子かと思ってたわ」
「何故だ?」
「何となく」
軽いやり取りをして、リビングに着いた。唯斗はコーヒーが置いてあるテーブルの前に席に座る。
「それじゃあ、私、帰るわね」
舞子は荷物をまとめ、玄関へ向かった。唯斗は慌てて呼び止める。
「待て」
「何よ?」
「話したいことがある」
「明日じゃダメなの?」
「出来れば、今日中に話しておきたい」
「……分かったわよ」
舞子は戻ってきて、唯斗の向かいの席に座った。
「それで、何?」
「……立花久美子が、今、私の実家にいる」
「………………え!?」
「しかも、少し前から。さっきのはその知らせの電話だ」
「な………うそ、だって……え?」
彼女は頭が混乱しているようだった。無理もない。唯斗だって、今でも整理できているとは言いがたい状況だった。
舞子は大きく溜息をつき、頬杖をついた。
「……驚いたわ。まさか、そんなことになっているだなんて」
「私もだ。今でも信じ難い」
「全然感情が伝わってこないんだけど」
「いつものことだろう」
「自覚してたのね」
舞子は立ち上がった。
「とりあえず状況は分かったわ。これからどうするのか考えましょう。それじゃあ帰るわね」
「……待て」
唯斗はすぐに呼び止めた。
「何よ、まだあるの?」
「……舞子、そろそろ教えてくれないか」
「え、何を?」
「お前の、大切な『あの子』のことだ」
以前、舞子がこの家に初めて来た時に、しきりに言っていた『あの子のため』という言葉。『あの子』というのが誰のことなのか、唯斗はまだ聞いていなかった。
『あの子』への復讐のために、舞子は研究者になり、自分を殺そうとまでした。
その事実があったからこそ、唯斗はこの事は聞いてはいけないような気がしていた。だから、今までこの話題は出してはこなかったのだ。
でも、やはり、久美子を救うためには必要な情報のひとつだった。どう考えても、『あの子』は久美子と関係があった。
「……私のこと、嫌いにならない?」
「……?」
「なんてね。どうせ、第一印象は最悪だろうし、嫌いよね。私のこと」
「何の話だ……?」
「何でもない、忘れて」
そう言うと、舞子は再度座り直した。
「……で、『あの子』のことね。『あの子』っていうのは、私の妹」
「妹……」
「そう。名前は、理恵。田沢理恵。三歳差で、結構仲良かったの。でも、理恵は不老者だったから、施設に連れていかれた。それで三年前、殺されたの」
そして、その謎の死を探るべく、不老者について調べていたのだそうだ。そうしていくうちに、どうやら闇研究者や久美子にたどり着いたらしい。
「闇研究者が、理恵を殺したって知った時、真っ先に敵を取らなきゃって思ったわ。そのためには、研究者になる必要があったの。だから、教師の勉強もしつつ、影で研究者の勉強もした」
復讐の力は恐ろしかった、と舞子は言った。傍から見ればどんなに大変なことでも、憎悪の念がある限り、全く気にならなくなるというのだ。
「それで、あなたが闇研究者だと思って、殺そうとしてしまった……。本当に、申し訳なかったわ。謝って済むことじゃないけれど」
「もう気にしていない」
舞子は、ほっとした表情を見せた。
「……あなたには、感謝しているの。あなたのおかげで、私が本当にやるべき事を見つけられた。……ありがとう」
「こちらこそ、お前が来てくれて助かった。礼を言う」
その時、時計の鐘が十一時を告げた。
「もうこんな時間か。すまない……引き止めてしまって」
「いいわよ、別に」
舞子は椅子から立ちあがり、荷物を持った。そのまま玄関へ向かったが、ふと後ろを振り返り、こう聞いた。
「ねえ、ひとつ聞いていいかしら」
「何だ?」
「何であの時、あなたの研究に私を誘ってくれたの?」
「………なぜそんなことを聞く?」
「あなたは殺されかけたんだから、私を警察につきだしても良かったのに。ていうか、私はその覚悟で行ったのに。……あなたはしなかった。それどころか、私にチャンスさえ与えてくれた。何でか気になったのよ」
「……………」
唯斗は迷った。彼女に今話すべきだろうか。
「話したくないんだったら、いいわ。変な事聞いてごめんなさい」
「……すまない」
「なんであなたが謝るの。いいのよ、別に。それじゃあ、お疲れ様」
舞子は、ドアを開けて外に出ていった。
時刻は十一時。今日は唯斗の作業がどうしても終わらず、舞子に夜遅くまで居てもらっていた。
「別にいいわよ。私はもう学校のこと終わらせたし。それに、遅くに帰るの慣れてるから」
「……そうか」
「で、アイスコーヒーでいいの?」
「ああ、頼む」
この二週間、唯斗は舞子の協力の元、不老者と研究と闇研究者の調査を進めてきた。ほぼパソコンとの向き合いになるため、舞子には情報提供をしてもらいつつ、食事の用意などを頼んでいた。おかげで、研究に集中することが出来た。
「ちょっと、携帯鳴ってるわよ」
舞子がキッチンから声をかけた。唯斗は椅子から立ちあがり、充電器に繋いである携帯を見に行った。メッセージが二、三件届いていた。
「……!!」
内容を見て、声を出さずに驚いた。何と、弟の伊都の家に立花久美子がいると言うのだ。しかも何日か滞在していて、立花久美子であると判明したのが先程らしい。
事態がうまく飲み込めず、気が動転した挙句、訳の分からない「御意」スタンプを送ってしまった。最悪である。ふざけている場合ではないというのに。この後どう返信したら良いのか分からない。
一人で頭を抱えていると、今度は電話がかかってきた。あわてて、
「悪い、電話をしてくる」
と部屋を出てトイレへ駆け込んだ。ドキドキしながら通話ボタンを押す。
「あ。兄貴、ごめんなこんな夜遅くに」
懐かしい声だ。伊都の声を聞いたのは何年ぶりであろう。
「いや構わない。久しぶりだな、伊都」
「本当にな」
「電話なんて珍しいな。やはり先程のことか?」
「いや、それはもう兄貴は理解してくれたらしいから、大丈夫なんだけど、他に聞きたいことがあって」
どうやら彼は、唯斗があの「御意」スタンプで全てを悟ったと思ったらしい。全くもって違うが、否定するのも恥ずかしくて唯斗は何も言えなかった。
「他に聞きたいこと? なんだ?」
「あのさ……深瀬唯斗って、兄貴のこと?」
「………………」
伊都の口からその名前が出てきたことに、驚きフリーズした。
「……なぜその名前を知っている? 誰から聞いた?」
「え? 普通にフーカから……」
「フーカ? 誰だそれは」
「あ、いや、立花久美子さんから」
「……なるほど」
そうなると彼女は全てを話したということだ。施設から逃げ出したこと、親友が亡くなったこと。もちろん自分に匿われていたことも。
「それで、どうなんだよ。兄貴のことなのか?」
「……ああ、そうだ」
まさか、バレる日が来るとは。唯斗はため息をついた。
「そっか。……なんで深瀬?」
「偽名だ」
「それは分かるよ。俺が聞きたいのは、何で偽名なんか使ったのかってこと」
「……俺がやっていることは、スパイみたいなものだ。闇研究者に仲間だと思わせて、実際にはそいつらを調査している。そしていつか制裁を加えてやりたいと思っている始末だ。だから、万が一バレた時、多分俺だけじゃなく、家族にまで被害が及ぶ。あいつらのことだ、何をするかわからない」
「だから、偽名を……?」
「ああ。苗字だけ変えておけば、少なくとも家族に被害が及ぶことはないと思ってな」
浅はかな考えかもしれなかったが、何もしないよりはマシと、唯斗は思ったのだ。
「……ごめん」
何故か伊都から謝られた。
「俺さ、兄貴から家族なんてどうでもいいって言われたから、俺たちのことなんか何も考えてないんだって、勝手に思ってた」
確かに、そう言ってしまったことがあった。研究者になりたいと言う唯斗が、何も理解を示してくれない母と伊都に、思わず放ってしまった言葉だ。唯斗自身は忘れていたのだが、伊都はずっと気にしていたのだ。その事実に、唯斗は心底申し訳ない気持ちになった。
「……すまなかった。本当はあんなことを言うつもりじゃなかった」
「信じるよ。兄貴は、俺らのこと、ちゃんと考えていてくれたんだってわかったからさ。だけどたまにはこっちにも帰ってきてよ。母さん心配してるぞ」
そう言えば、長い間実家に帰っていなかった。忙しくて帰ることが出来なかった訳では無い。あんな反対を振り切って出てきた手前、何となく帰るのを躊躇っていたのだ。しかし、やはり帰った方が良いのだろう。
「ああ、近々そうするつもりだ。お前の友達にも会わなければいけないしな」
「そうだった。そんな話もあったわ。色々あって忘れてた……」
電話の向こうから伊都のため息が聞こえる。
「あー、兄貴、いつごろ来られそう?」
「……確か、相手方はいつでも良いと言っていたな」
「えー? ……うん」
「それなら、サプライズの方が良いな」
「サプライズ?」
「ああ。だから、いつ帰るかは言わない」
「はぁ? 何だよそれー」
「いい案だろう」
「そんなドヤ顔で言われても」
「何言ってるんだ、顔なんか見えないだろう」
「何となく、分かる。テンションで」
「テンションか」
「うん、テンション」
「まあとにかく、内緒にしておく」
「えー」
伊都から面倒くさそうな声があがったが、「分かったよ」と渋々ながらに了解してくれた。
「やば、充電がないや。じゃあ、またな、兄貴。おやすみ」
「ああ、おやすみ」
電話が切れた。充電が無くなりそうだから切るとは、何とも伊都らしいと、唯斗は思った。
「…………」
唯斗は、しばらく電話の切れた携帯の真っ暗な画面を見つめていた。
久美子が、伊都と母のもとにいる。何としてでも彼らを守らなくては。しかし、どうやって……?
その時、トイレのドアが叩かれる音がした。
「ちょっと、唯斗。まだ電話してるの?」
舞子の声である。
「もう終わった」
「じゃあ早く出てきなさいよ。コーヒー出来たんだけど」
唯斗は仕方なくドアを開けた。もう少し頭の整理がついてから出たかったのだが、仕方がない。あまり滞在しても怪しまれるだけだ。
出てきた唯斗を見て、ため息をつくと、舞子は回れ右をして、リビングに向かって歩き出した。
「誰と話してたの?」
舞子が、歩きながら聞いてきた。
「弟だ」
「え、あなた、弟いたの?」
「ああ」
「てっきり一人っ子かと思ってたわ」
「何故だ?」
「何となく」
軽いやり取りをして、リビングに着いた。唯斗はコーヒーが置いてあるテーブルの前に席に座る。
「それじゃあ、私、帰るわね」
舞子は荷物をまとめ、玄関へ向かった。唯斗は慌てて呼び止める。
「待て」
「何よ?」
「話したいことがある」
「明日じゃダメなの?」
「出来れば、今日中に話しておきたい」
「……分かったわよ」
舞子は戻ってきて、唯斗の向かいの席に座った。
「それで、何?」
「……立花久美子が、今、私の実家にいる」
「………………え!?」
「しかも、少し前から。さっきのはその知らせの電話だ」
「な………うそ、だって……え?」
彼女は頭が混乱しているようだった。無理もない。唯斗だって、今でも整理できているとは言いがたい状況だった。
舞子は大きく溜息をつき、頬杖をついた。
「……驚いたわ。まさか、そんなことになっているだなんて」
「私もだ。今でも信じ難い」
「全然感情が伝わってこないんだけど」
「いつものことだろう」
「自覚してたのね」
舞子は立ち上がった。
「とりあえず状況は分かったわ。これからどうするのか考えましょう。それじゃあ帰るわね」
「……待て」
唯斗はすぐに呼び止めた。
「何よ、まだあるの?」
「……舞子、そろそろ教えてくれないか」
「え、何を?」
「お前の、大切な『あの子』のことだ」
以前、舞子がこの家に初めて来た時に、しきりに言っていた『あの子のため』という言葉。『あの子』というのが誰のことなのか、唯斗はまだ聞いていなかった。
『あの子』への復讐のために、舞子は研究者になり、自分を殺そうとまでした。
その事実があったからこそ、唯斗はこの事は聞いてはいけないような気がしていた。だから、今までこの話題は出してはこなかったのだ。
でも、やはり、久美子を救うためには必要な情報のひとつだった。どう考えても、『あの子』は久美子と関係があった。
「……私のこと、嫌いにならない?」
「……?」
「なんてね。どうせ、第一印象は最悪だろうし、嫌いよね。私のこと」
「何の話だ……?」
「何でもない、忘れて」
そう言うと、舞子は再度座り直した。
「……で、『あの子』のことね。『あの子』っていうのは、私の妹」
「妹……」
「そう。名前は、理恵。田沢理恵。三歳差で、結構仲良かったの。でも、理恵は不老者だったから、施設に連れていかれた。それで三年前、殺されたの」
そして、その謎の死を探るべく、不老者について調べていたのだそうだ。そうしていくうちに、どうやら闇研究者や久美子にたどり着いたらしい。
「闇研究者が、理恵を殺したって知った時、真っ先に敵を取らなきゃって思ったわ。そのためには、研究者になる必要があったの。だから、教師の勉強もしつつ、影で研究者の勉強もした」
復讐の力は恐ろしかった、と舞子は言った。傍から見ればどんなに大変なことでも、憎悪の念がある限り、全く気にならなくなるというのだ。
「それで、あなたが闇研究者だと思って、殺そうとしてしまった……。本当に、申し訳なかったわ。謝って済むことじゃないけれど」
「もう気にしていない」
舞子は、ほっとした表情を見せた。
「……あなたには、感謝しているの。あなたのおかげで、私が本当にやるべき事を見つけられた。……ありがとう」
「こちらこそ、お前が来てくれて助かった。礼を言う」
その時、時計の鐘が十一時を告げた。
「もうこんな時間か。すまない……引き止めてしまって」
「いいわよ、別に」
舞子は椅子から立ちあがり、荷物を持った。そのまま玄関へ向かったが、ふと後ろを振り返り、こう聞いた。
「ねえ、ひとつ聞いていいかしら」
「何だ?」
「何であの時、あなたの研究に私を誘ってくれたの?」
「………なぜそんなことを聞く?」
「あなたは殺されかけたんだから、私を警察につきだしても良かったのに。ていうか、私はその覚悟で行ったのに。……あなたはしなかった。それどころか、私にチャンスさえ与えてくれた。何でか気になったのよ」
「……………」
唯斗は迷った。彼女に今話すべきだろうか。
「話したくないんだったら、いいわ。変な事聞いてごめんなさい」
「……すまない」
「なんであなたが謝るの。いいのよ、別に。それじゃあ、お疲れ様」
舞子は、ドアを開けて外に出ていった。