直ぐに階段を駆け降りようとしたが、意外にも、目の前にフーカが立っていた。まだ外に出ておらず、部屋を出た先で立ち止まっていたのである。なぜそのようなことになっていたのは直ぐにわかった。フーカの向こう側に、階段の途中で足を止める母の姿があったのだ。
「母さん……!?」
「……ごめんね。二人の部屋に行こうと思ったら、お話が聞こえてきて……ここで全部聞いてたの」
母は、申し訳なさそうに言った。フーカは立ち止まっていたが、強引に階段を降りようとした。すぐさま母に止められる。
「……通してください」
「……フーカちゃん、どうか考え直して。ここから出ていくなんて、あまりに危険よ」
「……私、不老者だから。こんな所にいていい存在じゃない」
「何言ってるの。そんなことないわよ」
「私が、ここに居るってバレたら、大変なことになる。人間ってね、怖いの。この家に何するか分からない……」
「フーカちゃん……」
「そうなったら、また、不幸になっちゃう。私のせいで……。だから、私……」
「……そんなこと、ねぇよ」
気がついたら伊都は立ち上がってそう言っていた。
「イト……?」
フーカは振り返って伊都を見る。
「バレなきゃいい話だろ、お前がここにいること。簡単だって、今までバレてないんだから」
「……話聞いてた!?もしバレたら……!」
「その時は、守る。できる限り、全力でだ」
フーカの向こう側で、母が力強く頷く。やはり同じ気持ちらしい。伊都はほっとした。
「……そんな簡単に言わないでよ! 不老者を守るってどういうことがわかってるの? 下手したら、殺されるかもしれないのよ!」
フーカは、伊都を睨んで言った。
「それに、これは私の問題なの。あなたには関係ない……これ以上巻き込みたくなんかないのよ!」
「関係なくなんかねぇよ。闇研究者のことも、不老者の実態も、お前の過去も、なにもかも知ったんだ。もう見て見ぬふりは出来ないだろ。俺たちだって、一緒に闘うべきだ」
「死んじゃったら元も子もないでしょ! 私はもう、大切な人たちを私のせいで死なせたくなんかないの!」
彼女の叫び声が、階段中に響き渡った。
「……だからって、このまま何もせずに見てろって言うのかよ。そんなことしたら、相手の思うツボだろ。いいのかよ、それでも」
「……それは」
「お前だって、それが嫌で、危険を顧みず施設から逃げ出したんだろ。俺だって同じだ。あいつらの思惑通りになんかさせねぇよ」
「でも、そんな私の提案のせいで、理恵は死んだ……」
伊都はため息をついた。
「フーカ、それはお前のせいじゃねぇよ。最終的に自分も逃げるって判断したそいつ自身のせいだ」
「なっ……!」
「だから、お前が自分を責める必要はない」
「そんな屁理屈で、納得しろって言うの!?」
「納得するしかないだろ。責めたい気持ちはわかるけどな。けど、そうやっていつまでも責めていたら、メンタルやられて、いつか限界が来るぞ」
人間はそこまで強い生き物ではない。ましてや、もともと気弱で臆病だった彼女なら尚更だ。
「多分、限界の先に待っているのは……お前にとっても、俺にとっても、多分、その理恵って奴も……誰もが望まないお前自身の破滅だ」
「破滅……」
フーカは唇を噛み締め、両手をぎゅっと握りしめた。
「俺はお前を守る。もし、俺が死んでも、それはお前のせいじゃない。危険な事だとわかってて、お前を守るって決めた俺自身の責任だ」
「イト……」
「大体、まだ死ぬって決まったわけじゃないだろ?」
伊都は優しく微笑んだ。フーカはそんな彼を見て、不安げに聞いた。
「……どうして、そこまでして、私を守ろうとしてくれるの? 私なんか守ったって、何もいいことなんかないのに……」
「何言ってんだよ。いいことだらけだろ」
「……例えば?」
「……言っても引かないか?」
「え?」
「……正直言うと、俺、嫌なんだよ。こんなことでお前との生活が終わるのが」
幼き頃、突然告げられた父親の死。それが原因でどこかへ行ってしまった兄。
それ以来、伊都は家で一人でいることが多くなった。長い間そうしていたため、寂しいと感じることはなくなっていた。
だが、フーカと出会って、一緒に過ごすようになったことで、生活はガラリと変わった。まるで家族がもう一人増えたように、賑やかになった。いつしか伊都は、毎日が楽しくなっていた。
だからこそ、伊都は前の生活には戻りたくはなかった。誰かと、いや、フーカと共に過ごすことが、こんなにも楽しいのだと気づいてしまったから。
「色々あったけどさ、俺、楽しかったよ。で、思い出した。そっか、家族って、こんな感じだよなって……。まあ、完全に俺のわがままだけどな」
「………」
「……あれ、引いてる?」
次の瞬間、フーカは突然、一筋の涙を流した。
「な、なんで泣くんだよ?」
戸惑い続ける伊都にフーカは首を振りながら言った。
「……私、あなたの優しさに甘えて、たくさん振り回して、いっぱい迷惑かけて、あなたの夏休みめちゃくちゃにしたのに……それなのに、そんなふうに思ってくれていたなんて思わなくて……」
伊都はそれを聞いて、一気に脱力した。
「なんだ、そんなことかよ。まあ確かに最初はアレだったけど、もう気にしてねぇよ。なんだかんだ言って楽しかったし、充実した夏休み過ごせた気がするわ。花火見たら夏休み終わりかって思うと寂しいくらいだ」
「……花火?」
「約束しただろ、昨日。一緒に花火、見るって。もしかして忘れたのかよ?」
「あ……」
「そんなもんか。けど、俺は覚えてるから、何としてでも行くつもりでいるからな?」
伊都はニカッと笑った。
「まあ、とにかく、これからも色んなとこ行こうぜ! 一緒にな!」
その途端、フーカの瞳から滝のように涙が溢れた。彼女はその場に座り込み、泣いた。まるで、小さな子どものように、大きな声で。
伊都は一瞬驚いたものの、すぐにかがみ、そっと、彼女の頭を撫でた。母が微笑みと見せかけた冷やかしの眼差しをこちらに向けているが、そんなことは気にならなかった。
絶対に守る。何があっても、彼女を死なせたりしない。