「ねぇ、イト」
「なんだよ」
「まだ着かないの?」
「もうちょっとだ」
「さっきから何回もこの公園に来てると思うんだけど」
「気のせいだ」
「…………いい加減、現実逃避はやめなさい。迷ったんでしょ?」
「………ああもう! そうだよ、くそっ!」
迷い始めてから三十分。ようやく伊都は、迷ったことを認めた。
「もう本当、信じられない。あなたどこまで方向音痴なのよ。行くの初めてじゃないんでしょ?」
フーカは呆れ声で、伊都に追い討ちをかける。
「うるせーな、覚えられねぇんだよ!」
伊都は逆切れをしながら、携帯電話を取り出し、『迷った。今、公園。迎えにきてくれ』とメッセージを打った。数秒後、すぐに『行くから待ってて』と誠からメッセージが届き、ようやくホッとする。
「誠、ここに来てくれるみたいだ」
「いいお友達で良かったわね」
「本当だな」
「私が彼だったら、速攻見捨てているわ」
「だろうな」
二人は、近くにあったベンチに座った。今日も真夏日。太陽がギラギラと輝いている。
「そういやさ、ここってお前が、あの白衣の奴らに連れ戻されそうになってた所じゃねぇか?」
「……そうね」
「あれから何回も出かけてんのに、一回も遭遇しねぇな」
「……諦めたんじゃない?」
「そんなに簡単諦めるもんなのか?」
「さあ? そもそも目的だってなんだか分からなかったもの」
「……そっか」
そういえば、彼女は、いつまで伊都の家にいるつもりなのだろうか。ここまで来ると、そのまま家族の一員となりそうな勢いである。
フーカは、それでいいのだろうか。元の家族の所へ戻った方が、彼女のためなのではないのだろうか。
次から次へと疑問が生まれ、ひとつずつ聞いていこうと思ったが、口に出す直前で、彼は思いとどまった。
このまま何も知らない方が、良いのではないだろうか。下手に何か知ってしまったら、良くないことが起こるのではないか。いずれ嫌にでも真実を知る日は来るような気がする。だったら、今無理に聞き出さなくてもいいじゃないか。伊都は、そう自分に言い聞かせ、聞き出すのをやめた。
「そう言えば、今日はパーカー着てないのな」
「だって、今日の服にパーカーは合わないでしょ」
「まあそうだけど」
「それに、いつまでも、パーカーに固執する必要はないと思って」
フーカはなにか吹っ切れたような表情を浮かべながら言った。
「……そっか」
フーカが今何を考えているのか、なんのことを言っているのか、伊都には分からなかったが、きっと彼女の中でなにか解決したのだろう。
「……ねぇ、イト」
「なんだよ」
「どうしてあの時、私を助けてくれたの?」
「どうしたんだよいきなり」
「何となく、気になって。あなたには私を助けることで、メリットがあるわけじゃなかったのに、どうして、赤の他人の私を助けてくれたのかなって」
「いや、どうしてって……お前が助けてって言ってたから、助けたんだよ」
「……え?」
「てか、他にどんな理由があるんだよ。人が助けてって言ってたら、助けるもんだろ?」
困っている人がいたら、助ける。誰に教わるでもなく、伊都は常にそうしてきたのだ。
「……あなたって、いい人ね」
「そうか?」
「うん、とってもいい人」
伊都は、何だか照れくさかった。「いい人」だなんて、面と向かって言われたのは初めてだったからだ。
「私、イトに助けてもらえてよかった」
フーカはベンチから立ち上がった。そして、伊都の方に体を向け、
「ありがとう、イト。私を助けてくれて」
予想外の言葉に、伊都はぽかんとしてしまった。
「ど、どうしたんだよ、突然」
「本当は、もっと早く……ううん、一番最初に言うべきだった。あなたのこと、誘拐犯呼ばわりして、ごめんなさい」
伏し目がちにフーカは言う。伊都は、彼女の突然の謝罪と感謝に頭が混乱していた。こんなことをフーカに言われたのは初めてである。どうしたというのだ。いつもの彼女ではない。
「いや、あの……もう気にしてねぇから、その、大丈夫だ、うん」
変にドギマギしてしまって、タジタジになりながらも、返事をする。それを聞いて、フーカは安堵の表情を見せた。
何故だ。今日はなぜ彼女を見るだけでこんなに鼓動が早くなるのだろう。
彼女がいつもと違う服装だからだろうか? いつもと違うことを言ったからだろうか?
それとも。彼女が、いつも以上に美しいからだろうか。
最初に会った時よりかは、僅かに肉付きが良くなったものの、全体からすれば体つきは相変わらず細い。
腕や足などの肌の雪のような白さはそのままだが、以前に比べ血色が良くなり、心做しか透明度が増した。そして吸い込まれそうな大きな瞳と、美しいほほ笑み。
今の彼女は、伊都の知っている彼女ではない。きっと、これが「大人のフーカ」なのだろう。