先ほどから道場の上座に座って父の大輝(ダイキ)、長男の公輝(ゴウキ)、次男の剣斗(ケント)の3人が刀祢達が組手をしている姿を黙って観察していた。

 剣斗がいきなり席を立って、刀祢の元へ厳しい顔をして歩いてくる。


「さっきの直哉との組手、心寧との組手も見せてもらった。手ぬるいことをしているなら道場から去れ! お前に剣士の資格はない!」

「はあ、何を言ってんだ! 剣斗兄貴に言われる筋合いはねーよ。うるさいから、あっちへ行ってろ!」

「それが兄に対する態度か。礼儀がなってない。礼儀を弁えろ」


 嫌いな相手に礼儀を弁えるつもりはない。何かというと正義、礼儀、矜持などの言葉を持ちだす剣斗のことが嫌いでしかたがない。全く性格が合わないのだ。

 京本家は武家のように厳格な家柄をしている。武術の家柄として恥ずかしくないように常に礼儀と厳格さを重んじる。

 父の大輝(ダイキ)は礼儀作法には厳格な父親である。それを見て、育ってきた長男の公輝(ゴウキ)、次男の剣斗(ケント)にも、その教えが流れている。

 しかし、剣斗は、そのことを人に押し付ける性格で、正義感が強く、常に正義、礼儀、矜持、誇りなどと言って人を縛ろうとする癖がある。

 末っ子の刀祢のことを自分の手下のように思っている節があり、そのことが刀祢にとっては絶対に許せない。そのことも原因となり、刀祢は両親に反抗し、兄達にも反発するようになった。

 父の大輝は厳格ではあるが、物静かな人物である。長男の公輝もそれに倣っている。高校2年生になった今では、両親と長男の公輝に対する反発心はない。それだけ刀祢も成長した。

 しかし、次男の剣斗だけは未だに刀祢を服従させようとし、自分の考え方を押し付けようとしてくるので、刀祢にとって厄介な相手である。


「剣士同士が組手をしている時に、相手に手加減をすることは、相手の剣士を愚弄(ぐろう)した行為だ。相手の剣士の矜持、誇りを傷つける行為だ。そんなこともわからないのか」

「馬鹿か。剣士同士といっても同じ人間だろうが。人に痛い思いをさせて、怪我をさせたら意味ないだろう。今の時代は武士の時代じゃねーんだ。この時代遅れ」


 剣斗の目付きが変わり、手に持っていた木刀を構えようとする。刀祢も立ち上がって木刀を持つ手に力を入れる。

 そこへ心寧が立ち上がって剣斗と刀祢の間に割って入る。


「刀祢は何も悪くありません。私が女性だから、稽古で顔を怪我させたくないと気遣ってくれていただけです。それに直哉は最近、道場をサボっていて、本調子ではありませんでした。だから刀祢は直哉に合わせた組手をしてくれていたんです」

「そんなことは見ていてわかった。剣士に男女の区別はない。本調子であろうが、なかろうが、組手をして手を抜いては稽古にならない。それを稽古とは言わない。俺は刀祢と話している。心寧は出て来るな」


 それを聞いた直哉がのっそりと立ち上がり、剣を握りなおす。剣斗とやり合うつもりだ。刀祢も直哉を止めるつもりはない。刀祢自身も今日で剣斗と決着をつける気持ちになった。


(心寧は俺をかばっただけなのに。心寧は剣斗兄貴のことを崇めていたのに、その言い方はないだろう)


 遠くから低くて道場に響き渡る声がする。父の大輝だ。


「剣斗、刀祢と正式な試合をしろ。木刀の寸止めは禁止。本気で試合をしろ。許可する」


 父の大輝の命は絶対である。大輝の命を聞いて、剣斗は真剣な顔つきへと変わる。そして、直哉と心寧は顔を青くして、刀祢達から離れた。

 剣斗は木刀を中断に構え、正眼の構えを取る。刀祢は下段の構えを取る。

 剣道では下段で構える剣士はいない。剣道では胴より上の攻撃しか許されていない。

 しかし、風月流剣術は実戦剣術だ。もちろん下半身への攻撃も許されている。それだけ危険な剣術であるため、本来の試合は木刀の寸止めと決められている。

 父の大輝はその木刀の寸止めを禁止した。異例な事態といえる。一歩間違えれば、両方共に大怪我をしかねない。


「俺は師範代代理だ。後悔するなよ」


 剣斗は自分の優位さをアピールして刀祢の心を揺さぶろうとする。しかし、刀祢の心は波紋1つない湖のように、静かに澄んでいた。

 刀祢が瞬きをする。その一瞬をついて中段の木刀を少し上段に傾けて剣斗が飛び込んでくる。刀祢の額を割るつもりだ。


「キィィェエ――!」


 しかし、その瞬きは刀祢が自分で演じたもの。剣斗が飛び込んでくるように誘ったものだった。飛び込む時には必ず左膝(ヒダリヒザ)が前に出る。その瞬間を刀祢は待っていた。


「ハッ!」


 刀祢は剣斗の木刀を躱すように、身を屈め、全身を前に押し出すようにして体を交差させる。その一瞬に自分の木刀で剣斗の膝頭(ヒザガシラ)を叩く。


「ギャァア―――! 痛い! 痛い! 俺の膝が―――!」


 剣斗は膝を抱えたまま、道場の中で仰向けになって泣きわめいている。


「勝負あり。刀祢の勝ち!」


 刀祢と剣斗の近くまで歩いて来ていた、父の大輝が試合終了の合図を出す。


「剣斗、これが本気の試合だ。泣きわめいて剣士としての矜持はどうした。誇りはどうした」

「親父、救急車を呼んでくれ―――! 頼むよ! 親父!」

「友を思う優しさ。女性を思う優しさ。優しさを持っていない剣斗に剣士を名乗る資格はない! 今日限り、この道場はお前を破門とする!」


 あまりにも苛烈な父、大輝の剣斗に対する怒りだった。


「刀祢、これからも、その優しさを大事にしていけ! お前の心を見極めさせてもらった! 
これからも励め!」


 初めて父、大輝が刀祢を認めた一言。

 父に許されたことで、刀祢の心の硬くなっていた殻にヒビが入って割れた。

 いつの間にか自然と目から涙が溢れ、刀祢は嬉し涙を流して号泣していた。