お前は俺のこと嫌いだったよな?なぜ、いつも傍にいる!?

 次の日の昼休憩になって、西野杏里(ニシノアンリ)が嬉しそうに教室へ戻ってくる。

 西野杏里(ニシノアンリ)は心寧の中学からの親友でギャルである。

 好奇心旺盛で、悪戯好き、小悪魔的要素が満載な彼女は、常に学校内の情報をキャッチしては、心寧達に教えている。

 ネクタイを外して、シャツのボタンを2つ外し、丈の短いミニスカートを履いて、いつも学校内を元気よく駆け巡っている。


「はーい! 心寧ちゃん! 新しい情報を拾ってきたよー!」

「杏里、そんなに大きい声を出さなくても聞こえてるし、もう少し小さな声で話して。何があったの?」


 教室内に聞こえるほど、大きな声で杏里が心寧を話かけてくる。

 丁度、その時は心寧は莉奈と共にお弁当を広げている最中だった。

 天然で、あまり何事も気にしない杏里は、嬉しそうに大声で、今ゲットしてきた情報を心寧と莉奈に話す。


「あのねー。3年生の教室へ行ってきたんだけど。3年生のチャラ男達3人が、駅前で刀祢にボコボコにされたって噂になってるよー!」

「刀祢は顔の表情こそ悪いけど、他人に暴力なんて振るったことないよ。剣術を習っているから暴力は禁止されてるのよ」

「そんなことを言っても3年生のチャラ男先輩達に話を聞いたし」

「話の内容を詳しく聞かせてよ」


 それを聞いた心寧は目を細くして刀祢を見る。

 刀祢は朝のHRが始まった途端に寝て、昼休憩だというのに昼食も取らずに眠っている。

 刀祢はいつも昼食をとらない。食堂に行くお金も両親からもらっていない。弁当も持ってきていない。

 昨日、心寧が弁当を差し入れしたら、「しょっぱい!」と言われたので、当分の間は刀祢には弁当の差し入れはしないと心に決めている。

 せっかく朝起きして弁当を頑張って作ったのに、出て来た言葉は「しょっぱい!」。

 このことは心寧にとっては、忘れることができないショックな一言だ。


「なんだか刀祢、機嫌悪くて、いきなり殴りかかってきたって、3年生のチャラ男先輩達も意味がわからないー? って言ってた」

「杏里、その3年生のチャラ男君先輩達から直接に話を聞いたの?」


 おっとりと莉奈が杏里に問う。仕草をおっとりとさせて、相手に話を促す莉奈のいつもの手法だ。


「そうだよー!」

「ねえ、杏里、そのチャラ男先輩君達、今日は元気に学校に来てるの?」

「うん。そういえば元気に昼休憩、3人で遊んでた!」


 莉奈と心寧は杏里の話しを聞いておかしいと思う。


「心寧、この話、ちょっとおかしくない? 刀祢くんに乱暴されたのに、学校に来られるかな?」

「刀祢に乱暴されたら、そのチャラ男先輩達は今頃は入院しているはずよ。その話はおかしいわ」


 刀祢は剣術家の息子だ。刀祢が本気になれば入院騒ぎになる。昨日ボコボコにされて、今日、元気でいられるはずがない。

 また杏里がデマの情報を持ち帰ってきたようだ。杏里は天然で人を疑うことが少ない。それを面白がって、デマを流す男子達も多い。

 しかし、1度、クラス内に流れた噂を取り消すことは難しい。大きな杏里の声でデマの情報がクラスの皆の耳に入ってしまった。

 クラスの皆は机で寝ている刀祢を見て、口々にヒソヒソ話をしている。

 刀祢に関する。暴力行為のデマは多い。しかし1度として本当であったことはない。刀祢は人と喧嘩はしないし、殴ったりしない。

 しかし、外見が、常に目付きが悪く、険しい顔をして、ムスッと黙っている。常に不機嫌オーラを放っているので誤解されることが多い。

 莉奈、心寧、杏里の3人は席に座って、早々と弁当を食べ、その後に行動に移る。


「3年生のチャラ男先輩から聞いた情報はデマ情報でしが。嘘の情報を流して、ごめんなさい!」

「いつものことだけど、杏里も情報には気をつけようね」


 杏里はデマ情報を流したことをクラスの皆に頭を下げて、丁寧にごめんなさいと謝っていく。クラスの皆は杏里が3年生のチャラ男達にデマ情報を掴まされたとわかり、笑いながら許してくれる。

 莉奈はおっとりした雰囲気で、今のデマ情報の状況を説明し、刀祢は何もしていないことを1人づつ丁寧に説明していく。

 心寧も刀祢は顔が厳めしいが、人を殴るような人ではないと説明し、クラスの皆の誤解を解くように努める。


「今回の件は杏里が騙されて持って帰ってきた情報なの。刀祢くんは何もしていません。だから、刀祢くんを信じてあげてね」

「刀祢は、皆と仲良くしようとしないけど、そんなに悪い人ではないわ。剣術家で暴力は禁止されているの。だから刀祢くんはそんなことはしないわ」

「いつも不機嫌な顔をして、後ろの席に座っているか、寝ているだけの奴だから、何を考えているか、わからないんだよな」 


 しかし、クラスの皆は、表面上は納得してくれるが、やはり刀祢のことが怖いらしい。心寧は刀祢が孤立しないように、クラスの皆に頭を下げてまわった。


「心寧、何かあったのか?」

「ちょっと、杏里が3年生のチャラ男先輩達から刀祢の悪い情報をもらってきちゃったの」


 食堂から帰ってきた斎藤直哉(サイトウナオヤ)が心寧達に声をかけて来る。

 斎藤直哉(サイトウナオヤ)は中学からの刀祢の唯一の親友である。

 そして、五月丘高校でも1、2を争うイケメンとして全校生徒に知られている。

 きれいな眉、茶色の大きな瞳、少し垂れた目尻、涼し気な二重、爽やかな目元、きれいな鼻筋、笑顔が似合う唇、女性のようにきれいな色白な肌。髪は茶髪のゆるふわショートにしている。

 そのどれもが五月丘高校の女子高生達の目を惹きつけ、虜にしてしまう。

 直哉と遊びでもいいから付き合いたい言う女子も多く、彼女はいないが多くの女子友達がいる。

 性格は、素直で大らか。人柄もよく、笑顔を絶やさない。何事も物怖じすることがなく、刀祢とも上手く友達付き合いしている。

 直哉から説明しもらえれば、女子生徒を納得させることは容易い。心寧は杏里のデマ情報の話しを伝える。


「また、3年生達の刀祢への嫌がらせか。剣斗先輩が怖かったからって、弟に仕返ししなくてもいいのにな」

「剣斗兄さんは何も悪いことはしていないわ。だから刀祢に八つ当たりするのは筋違いよ」


 今年、卒業した京本剣斗(キョウモトケント)、刀祢の兄は、剣道部の部長にして、エース。そして生徒会長も熟す超人だった。

 そして誰よりも正義感が強く、厳格な性格で、学校の色々な悪行をさばいたことでも有名な先輩だ。

 今の3年生男子達の中には、剣斗先輩がいた時は怖くて、剣斗先輩のことを嫌っていた者達も多い。

 その者達は今になって剣斗の弟である刀祢に嫌がらせをしてくることになった。

 当人である刀祢は一向に気にした素振りも見せていないが、剣斗兄さんを崇拝している心寧からすると我慢できない。

 直哉も手伝ってくれて、クラスの皆の誤解が解けて助かった。

 直哉は心寧達を連れて、刀祢の席に向かうと、刀祢の頭を軽く叩く。

 刀祢は顔だけあげて直哉を見る。


「狸寝入りもいい加減にしろよ。心寧も莉奈も大変だったんだぞ」

「ああ、わかってる。でも俺に何ができるんだよ。起きて黙っていたら、皆が迷惑するだろう。だから俺は寝ていたほうがいい」


 それを聞いた心寧は、刀祢は刀祢なりにクラスの皆を気遣っていることを知って驚いた。

 すると刀祢が寝ながら心寧へ向かって声をかける。


「刀祢のこと見直したりしてないからね」

「別に心寧に見直してもらおうと思ってやってる訳じゃないからな」


 少しは刀祢のことを見直してあげようと思っていた心寧は、その一言を聞いて考えを撤回した。

 刀祢が謝ることではない。杏里が謝ることだ。しかし、皆に頭を下げた自分と莉奈の気持ちをわかってほしいと心寧は思った。
 午後の授業が終わるチャイムが鳴り、それと共に刀祢が目を覚まして、鞄の中に教科書を詰めて帰る用意を始める。

 直哉が帰る用意を済ませて、刀祢の元まで歩いて来ると、刀祢の目の前の椅子に座る。


「心寧ちゃん達、昼間、大変だったんだぞ。少しは感謝してやれよ」

「はあ、あれは杏里が間違ったデマ情報を拾ってきたからだろう。俺のせいじゃねーよ」


 確かに昼休憩の時は目を覚まして、狸寝入りをしていたので、全ての出来事を刀祢は知っている。

 刀祢がクラスの皆と不仲なため、心寧達が苦労していることは知っているが、この顔は素の顔であって、別に険しい顔でも、機嫌が悪くて目を吊り上げている訳ではない。

 顔のことで謝れと言われて納得できるはずがない。


「直哉も知っているとおり、3年生のチャラ男達が恨みに思ってるのは剣斗兄貴だ。俺はただ、兄貴の代わりに八つ当たりされているだけだ」

「そのことは俺もわかっているけどな。本当にしつこいよな、あの3年生のチャラ男の奴等」


 それに3年生達の刀祢に対する苛めは、兄の剣斗が生徒会長になった時、厳しい規律を作ったことに原因がある。

 刀祢は被害者であって、原因は兄である剣斗だ。大嫌いな兄の剣斗のために下げる頭はない。

 それに心寧が刀祢を守ったのは、兄の剣斗を崇拝しているからだ。刀祢と同じ剣術道場に通っているということもある。
 
 別段、クラスの皆から敬遠され、距離を取られることには慣れている。そのまましておいてもらったほうが寝やすい。

 杏里がいきなり走ってきて、直哉の隣に座って、直哉の手を握る。


「おお、杏里。あまり変なデマな情報を持ってくるんじゃない。心寧達も刀祢にも迷惑じゃないか」

「直哉ー、悪気はなかったの。許して! 今度から、ちゃんと情報は心寧と莉奈に確かめてもらうから」

「それぐらい杏里が自分で考えろ。とにかく変な情報は流すな」

「はーい」


 クリクリ二重、好奇心旺盛な瞳、幼い目尻、快活な目元、少し低い鼻、小さな唇が小悪魔的で愛嬌がある。

 茶髪のミディアムふるゆわカール、ボタンを2つ外したシャツ、丈の短いスカートの杏里は男子生徒達から人気がある。

 天然で明るい性格。好奇心旺盛で、活発な性格は男女ともに好かれる要素になっている。


「直哉! 今日は私のために謝ってくれて、ありがとう! 杏里、超ー嬉しかった!」

「別に俺は杏里のために女子達に説明したわけじゃない。刀祢の為だ」

「そういえば、刀祢。今日はデマ情報を流しちゃってごめんなさい。許してね」


 直哉の手を握ったまま、謝られても、刀祢は説得力も誠意も感じられない。杏里の性格は天然だ。杏里に突っ込んでも疲れるだけだ。

 心寧のような良い反応は返ってこない。心寧は何でも真正面から受け止めるから、口喧嘩の相手としては丁度良い。

 莉奈と心寧が鞄を持ってやって来た。心寧は今日は剣道部の練習はないようだ。

 心寧が目を頬を膨らませて刀祢を見る。


「刀祢のために私達、頑張ったんだから、何か言ってよ!」

「はあ、何を? 身に覚えがない。俺は寝ていただけだ」

「刀祢が寝てばかりいて、クラスの皆と話そうとしないから、クラスの皆と仲良くできないのよ」

「そんなの俺の知ったことか」


 心寧の顔が真っ赤に染まる。少し怒っているようだ。反応が素直だからわかりやすい。優しい心寧など心寧ではない。これぐらいが丁度良い。心寧は良い反応をする。

 刀祢は心寧と口喧嘩をしている時が、学校にいて一番に楽しい。心寧は刀祢がそんなことを思っているなど、全く気付いていない。


「刀祢がそんな不愛想な態度だから、学校中で敵を作るのよ」

「学校中に敵を作ったのは剣斗の兄貴だろう。俺は迷惑を受けているだけだ」

「剣斗兄さんはそんな人じゃない。正義の人よ。厳格で紳士的で、刀祢とは違うわ」

「あいつのことは口にすんな!」


 莉奈がおっとりと心寧と刀祢の間に身体を割って入る。刀祢がわざと心寧に口喧嘩を吹っかけていることを莉奈には気づかれている。


「刀祢くん、心寧で遊ぶのもいい加減にしなさい。心寧と遊びたいのはわかるけど、これ以上はダメよ」

「別に心寧と仲良くしたいと思ってない」


 学校で誰も怖くないと堂々としている刀祢だが、莉奈の優しく、丁寧に時間をかけた説教だけは苦手だ。

 莉奈は普段はおっとりしているが1度説教モードに入ると自分が納得するまで離してくれない。

 莉奈は垂れた眉、やさしい瞳、少し垂れた目尻、おっとり二重、穏やかな目元、きれいな鼻筋、きれいな唇のおっとり系美人だ。

 自然な栗色の髪がセミロングでゆるふわカールがかかっていて莉奈には良く似合っている。

 そのおっとり系美人の莉奈に説教されても良い気分になるだけで、頭の中に何も入ってこないのも困ったものだ。

 しかし、莉奈には反論できなくなる、何か聖母のような包容力、カリスマ性のようなものを感じる。


「私、今日はパフェ食べたいなー。直哉、連れていってー」

「そうだな。気分を変えるのに、甘いモノを食べるのもいいな! 刀祢も一緒に行こうぜ!」


 体をすり寄せるようにして、杏里が直哉に甘える。直哉は髪の毛を掻く。

 杏里はどのように男子に近づけば、男子が自分もいうことを聞いてくれるか知っている。実にあざとい行動だ。

 直哉は断り切れない様子で、困ったように刀祢を見る。目が助けてくれと訴えている。

 そんな顔で直哉に見られても、正直、返事に困る。しかし、直哉が困っているなら助けるしかない。


「今日は刀祢に迷惑かけたから、私が刀祢の分を奢ってあげるよ! 結構、私はお金持ちなのだ!」

「当たり前だ。迷惑をかけられたのは、こっちだからな」


 両親から昼食代もお小遣いももらっていない刀祢は万年金欠であることを、ここにいる皆は知っている。

 刀祢を誘い出さなければ、直哉は刀祢と一緒に帰ってしまう。そうなるとパフェが食べられない。杏里の知恵だ。

 莉奈が諦めたようにおっとりとため息をつく。


「仕方がないわね。皆で行きましょう。心寧もそれでいいわね。刀祢くんと仲直りするのよ」

「別段、喧嘩なんてしてないし」

「俺は行かない。団体行動は苦手だ」

「また刀祢だけわがまま言わないでよ。私だって、別に刀祢と一緒にパフェを食べたい訳じゃないんだから」


 心寧は顔を真っ赤にして刀祢のことを怒っている。


「刀祢、諦めろ。俺も諦めてるから」


 皆でパフェぐらいは食べてもいい。ただ心寧をからかって楽しんでいただけだ。

 直哉が刀祢の鞄を持って立ち上がる。鞄を人質に取るとは卑怯な。一緒に行くしか鞄を取り戻せない。


「わーい! 直哉と一緒にパフェが食べれる!」

「杏里、はしゃぐのは良いが、俺に奢るのを忘れるなよ!」

「わかってるわよ、刀祢!」


 1人喜んでいる杏里。周りの皆は杏里の笑顔を見て、仕方がないと言った感じで微笑んだ。
 駅前の商店街の中にある小さなスィーツ店へ入る。この街では唯一のスィーツ専門店で、高校生達に人気のお店である。今日も店内は学校帰りの高校生達でにぎわっていて、他校の生徒達も多い。

 白を基調とした内装で、お洒落な内装も女子達に人気だ。

 刀祢達5人は店内に入って6人がけのテーブルに座る。刀祢の前の席に直哉、杏里が座り、刀祢の横に心寧、莉奈の順で座る。


「なぜ、俺の隣は心寧なんだ。別に俺と心寧はワンセットとは違うぞ」

「私も刀祢の隣に座りたくて座っているわけじゃないわよ。失礼なこと言わないで」

「あらあら、心寧の代わりに私が刀祢くんの隣に座ってもいいのよ」

「いや、莉奈に迷惑をかけられない。隣が心寧でも俺が我慢すればいいだけだから、気にするな」

「なぜ、そんな言い方しかできないのよ。我慢しているのは私のほうよ」


 心寧が隣で良かった。心寧は幼馴染だし、刀祢の中では女性枠の中に入っていない。心寧とは口喧嘩もできる、良い関係と思っている。

 しかし、莉奈はおっとりしていて、大人びて、女性として意識してしまう。そして莉奈が隣にいると色々と気遣ってくれるので緊張してしまう。

 自由に放っておいてくれる心寧のほうが安心だ。

 直哉が席に着いてしばらくすると皆に提案する。


「杏里だけに全員の分を奢らせるのは悪いから、今日は皆で割り勘にしようぜ。刀祢の分は俺が出すから」

「それは良い提案ね。私も賛成するわ」


 莉奈がおっとりと賛成の声をあげる。他の皆は黙って深く頷いた。


「悪いな直哉。俺の分を奢らせてしまって」

「俺が無理を言って刀祢に付いて来てもらったんだ。これぐらいさせろ」


 刀祢は両親に反抗しているから、お小遣いももらっていない。昼食代も貰わないので、常に財布の中は常に金欠だ。いつも街中へ出てくるときは、直哉に奢ってもらっている。

 ウェイトレスのお姉さんが注文を取りにくる。スィーツの種類など刀祢にはわからない。無難にチーズケーキを頼む。

 心寧と莉奈はイチゴのミルフィーユを頼んだ。刀祢はミルフィーユとは何なのか、疑問に思うが、恥ずかしいので、誰にも聞かないでおく。

 皆、それぞれに自分が飲みたいドリンクを頼む。

 直哉はブルーベリータルトを頼み、杏里はプリンパフェを頼む。

 店に入って来てから、杏里は直哉の腕を持って離さないで寄り添っている。直哉は困ったような笑みを浮かべているが、そのまま杏里の好きなようにさせている。

 杏里の元にプリンパフェが来る。杏里はスプーンを入れて、プリンの部分をスプーンに乗せて口の中へ入れる。


「んー! 美味しい! 幸せ! 直哉、あーん!」


 次にパフェをスプーンですくって直哉の口元へ持っていく。

 直哉は皆の顔を見渡して困った顔で苦笑して、杏里からのパフェを食べる。


「おー! これは美味いな!」

「でしょー! これ私の一推しなの!」


 思わず、直哉も声を出す。

 刀祢はプリンパフェの存在を知らなかった。そんなに美味しいものであれば、自分も頼めば良かったと後悔する。

 自分の前のチーズケーキを黙って見つめる。隣を見ると、心寧のイチゴのミルフィーユが美味しそうに輝いて見える。

 刀祢はスプーンを持って、心寧が莉奈と話している隙に、イチゴのミルフィーユを半分、スプーンに乗せて食べてみる。

 今まで味わったことのない幸せ甘味が口の中に広がる。


「ちょっと、刀祢、何してるのよ! あー私のミルフィーユが半分になってるー!」

「このミルフィーユというケーキは美味いな。心寧が頼んだのもわかる。勝手に食べて悪かった。俺のチーズケーキを半分やるよ」

「刀祢のチーズケーキなんて、いらないわよ。せっかく楽しみにしてた私のミルフィーユが――! 莉奈――!」

「ああ、刀祢くん、あんまり心寧を苛めたらダメじゃない。泣かないで心寧、私のミルフィーユを半分あげるからね」


 おかしい。こんな予定ではなかった。ミルフィーユを半分取れば、心寧が怒ってくると思ったのに、半分涙目になっている。これは予想外の事態だ。

 刀祢は心寧と口喧嘩がしたかっただけで、泣かすつもりはない。女性を泣かせる趣味もない。これはマズイことになったと刀祢は悩む。


「馬鹿ね、刀祢君、女の子はスイーツは大問題なの。勝手に女の子のスィーツを取ると、女の子はショックで泣いちゃうのよ。刀祢君にはわからないかもしれないけど、女の子にとってスィーツは大事な宝物なの。よく覚えておきなさいね」


 莉奈はおっとりとした物腰でやんわりと刀祢に説明する。刀祢は莉奈の言っている意味はわからなかったが、これ以上莉奈を怒らせてはいけない。長い説教が待っている。


「―――心寧、すまなかった! ミルフィーユ美味かった!」

「美味しくて当たり前でしょ。だから頼んだのよ」

「―――すまん」


 莉奈が自分のミルフィーユを半分に切り、心寧のケーキ皿の上に乗せる。そして、おっとりとした微笑みを見せて、心寧に食べるように促す。

 心寧は涙目を拭いて、フォークでミルフィーユを食べると、顔が恍惚となり、幸せそうにしている。この心寧の表情の変わりように刀祢は驚く。

 どうやら心寧には許してもらえたようだ。


(それほど、女子にとってスィーツは重大なものなのか、覚えておこう)


直哉が、そんな刀祢と心寧達とのやり取りを見て微笑んでいる。


「いつも1人がいいって言ってるけど、たまには仲間もいいもんだろう?」

「そうだな!」


 確かにいつも1人ではつまらない。常は親友の直哉と一緒にいればいいと思っている。女子達とスィーツを食べに来るなど、初めての経験だ。

 心寧を涙目にさせてしまったことは悪かったが、女子達と一緒にいるのも悪くないと思った。


「たまにだからな。本当にたまにだぞ!」


 素直に自分の心を言い表せない刀祢だった。

 その言葉を聞いて、テーブルにいた全員が声を出して喜んで楽しそうに笑った。
 広い板張りのきれいな道場の中で、道着を着て木刀を振る刀祢の姿があった。

 まるで、ゆくりと舞を踊るように、ゆっくりと体を動かして、体の動きを確かめる。そして木刀をゆっくりと動かしていく。

 木刀をゆくっりと確実な軌道で動かすことは、素人から見れば簡単なことだが、実は相当な筋力と精神力が必要な訓練だ。

 刀祢は体から大量の汗を流しつつ、段々とゆっくりと木刀を振っては、止めて、木刀の軌道を確かめる。

 少しでも木刀が震えたり、先がブレてはいけない。木刀をビシッときれいに操作する必要がある。

 風月流剣術の基本の型を何回も繰り返して、1人で訓練に励む。

 風月流剣術は3代目服部半蔵正就が開祖と言われているが、確かな文献はない。風月流剣術は木刀を使った実戦剣術で、脛斬りまでも剣術に取り入れている。

 しかし、京本家の両親や兄の公輝、剣斗は本気で信じている。刀祢にはそんな歴史のことはどうでも良かった。体さえ動かせればよい。

 刀祢が初めに持たされた玩具は幼児用の木刀である。まだ3歳になったばかりの頃だ。木刀が何かもわからず、兄貴達の真似をして木刀を振っていた思い出がある。

 6歳になってから、道場で本格的な訓練が始まった。

 道場での勝負は寸止めであり、決して相手を木刀を当ててはならない。瞬発的に振っている木刀を一瞬で止める技術も必要とされる。これができなければ組手での練習をすることは禁じられている。

 6歳の時から組手の練習をしていた刀祢は実に早熟な剣士だった。心寧は小学校3年生、9歳の時に風月流剣士となった。

 心寧が組手の相手をできるようになったのは11歳の時である。それまで2年間は木刀での素振りと見切りの訓練が中心だった。

 道場に誰かが入ってきた。振り返ると更衣室で道着に着替えてきた直哉と心寧だ。

 直哉は中学1年生の時から道場に通っているが、真剣に取り組むほうではなく、最近では、サボることも多い。

 心寧は今でも熱心に道場に通ってきている。刀祢にとっては小学校からの一番身近な付き合いの相手だ。


「直哉が来るなんて、最近では珍しいな」

「ああ、心寧に誘われてね。女の子に誘われたら嫌とはいえないさ。相変わらず刀祢は熱心だな」

「そうでもない。体が鈍っている感じが抜けない。久しぶりに直哉、組手でもするか」

「体が温まったら相手をしよう」


 そういって直哉は木刀を持って素振りを始める。そして段々と木刀をゆっくりと振っていく。そして体を徐々に慣らしていく。直哉の体から汗が噴き出す。

 心寧も直哉と一緒に、木刀の素振りから体を慣らしていく。道着を着て木刀を振る心寧の姿は、まさに美少女剣士である。体は凛としていて、真剣な横顔はとても凛々しい。


「刀祢、直哉との組手が終わったら、私と組手の相手をしてよ。いつものように逃げないでね」

「別に心寧から逃げてない。俺は女性に剣を向けないだけだ。勘違いすんな!」

「学校では私のことを全く女子扱いしないのに、こんな時だけ女子扱いしないでよ」


 刀祢は心寧と組手の練習をするのが苦手だ。刀祢は女性との組手を避けている。

 小学生の時、心寧と組手の練習をしている時に、心寧を動きを予想しきれずに、木刀の寸止めができず、心寧の額に傷を負わせたことがある。

 心寧も女の子だ。女子にとって顔は命のはず。その顔に傷を負わせたことで、刀祢は女子との組手をするのを避けるようになった。女子に本気で木刀を向けられない。

 正確にいうと、女子だと面への攻撃ができなくなった。無意識に避けてしまう。そのおかげで心寧との組手では、負け続きになっている。そのことを心寧は知っている。


「そろそろ、直哉も体が温まっただろう。組手をやろぜ。今日も俺が勝たせてもらうがな」

「確かに俺は道場をサボっていることも多いが、簡単には勝たせない。今日こそは刀祢に参ったと言わせて見せる」


 刀祢は心寧の言葉を聞かなかったことにして、直哉と組手を始める。普段は直哉は練習をサボっているが、筋は良く、剣技には光るモノがある。

 直哉の身長182cmという長身から振り下ろされる木刀は早くて鋭い。刀祢は178cmの身長があるので、直哉と組手は丁度良い。

 直哉の木刀を見切りで躱し、木刀で受け流す。直哉は真剣に打ち込んでくるが、刀祢は舞うように木刀を躱し、きれいに木刀を受け流す。

 直哉は真剣に刀祢を倒そうと、全力で木刀を振るうが、組手が終わるまで刀祢は見事に直哉の剣を躱し続けた。


「こら! 刀祢、せっかく組手してるんだぞ! 本気を出せよ!」

「本気を出して欲しかったら、直哉も、もっと本気で倒しに来い。もっと真剣になれ」


 直哉の剣には光るモノはあるが、まだまだ未開発の原石のようなものだ。刀祢が本気になれば数分で決着がついてしまう。そのほうが組手にならない。このことは直哉に黙っておく。


「次は私と組手よ。本気を出さないと木刀で叩くわよ。刀祢、本気で相手してね」

「わかってるよ。本気で相手をすればいいんだろう。毎回、本気、本気って、心寧はうるさいな」


 心寧が木刀を構えて、真剣な顔で刀祢へ向かってくる。技術の高い心寧では、刀祢も木刀で心寧の剣技を受けるのがやっとだ。

 そして、胴や籠手、膝を狙って木刀を振る。身の軽い心寧は舞うように刀祢の木刀を受け流して躱していく。


「どうして面を狙わないの! もっと本気を出して!」

「クッ!」


 心寧が本気を出してきた。段々と追い詰められる刀祢。最後には心寧の木刀が、刀祢の面を捉える。刀祢の顔の前で木刀が止められる。


「参った。俺の負けだ」

「私、相手だと本気になれないと言うの。私が女だからなの?」

「俺は本気で心寧の相手をしてたぞ!」

「嘘! 私の顔を絶対に狙わないよね。私、知ってるんだからね!」

「―――――」


 心寧は残念そうな顔をして道場の隅まで歩いていくと、座ってタオルで首や顔を拭いている。

 刀祢達は道場においてある自販機でジュースを買って、休憩を取ることにした。
 先ほどから道場の上座に座って父の大輝(ダイキ)、長男の公輝(ゴウキ)、次男の剣斗(ケント)の3人が刀祢達が組手をしている姿を黙って観察していた。

 剣斗がいきなり席を立って、刀祢の元へ厳しい顔をして歩いてくる。


「さっきの直哉との組手、心寧との組手も見せてもらった。手ぬるいことをしているなら道場から去れ! お前に剣士の資格はない!」

「はあ、何を言ってんだ! 剣斗兄貴に言われる筋合いはねーよ。うるさいから、あっちへ行ってろ!」

「それが兄に対する態度か。礼儀がなってない。礼儀を弁えろ」


 嫌いな相手に礼儀を弁えるつもりはない。何かというと正義、礼儀、矜持などの言葉を持ちだす剣斗のことが嫌いでしかたがない。全く性格が合わないのだ。

 京本家は武家のように厳格な家柄をしている。武術の家柄として恥ずかしくないように常に礼儀と厳格さを重んじる。

 父の大輝(ダイキ)は礼儀作法には厳格な父親である。それを見て、育ってきた長男の公輝(ゴウキ)、次男の剣斗(ケント)にも、その教えが流れている。

 しかし、剣斗は、そのことを人に押し付ける性格で、正義感が強く、常に正義、礼儀、矜持、誇りなどと言って人を縛ろうとする癖がある。

 末っ子の刀祢のことを自分の手下のように思っている節があり、そのことが刀祢にとっては絶対に許せない。そのことも原因となり、刀祢は両親に反抗し、兄達にも反発するようになった。

 父の大輝は厳格ではあるが、物静かな人物である。長男の公輝もそれに倣っている。高校2年生になった今では、両親と長男の公輝に対する反発心はない。それだけ刀祢も成長した。

 しかし、次男の剣斗だけは未だに刀祢を服従させようとし、自分の考え方を押し付けようとしてくるので、刀祢にとって厄介な相手である。


「剣士同士が組手をしている時に、相手に手加減をすることは、相手の剣士を愚弄(ぐろう)した行為だ。相手の剣士の矜持、誇りを傷つける行為だ。そんなこともわからないのか」

「馬鹿か。剣士同士といっても同じ人間だろうが。人に痛い思いをさせて、怪我をさせたら意味ないだろう。今の時代は武士の時代じゃねーんだ。この時代遅れ」


 剣斗の目付きが変わり、手に持っていた木刀を構えようとする。刀祢も立ち上がって木刀を持つ手に力を入れる。

 そこへ心寧が立ち上がって剣斗と刀祢の間に割って入る。


「刀祢は何も悪くありません。私が女性だから、稽古で顔を怪我させたくないと気遣ってくれていただけです。それに直哉は最近、道場をサボっていて、本調子ではありませんでした。だから刀祢は直哉に合わせた組手をしてくれていたんです」

「そんなことは見ていてわかった。剣士に男女の区別はない。本調子であろうが、なかろうが、組手をして手を抜いては稽古にならない。それを稽古とは言わない。俺は刀祢と話している。心寧は出て来るな」


 それを聞いた直哉がのっそりと立ち上がり、剣を握りなおす。剣斗とやり合うつもりだ。刀祢も直哉を止めるつもりはない。刀祢自身も今日で剣斗と決着をつける気持ちになった。


(心寧は俺をかばっただけなのに。心寧は剣斗兄貴のことを崇めていたのに、その言い方はないだろう)


 遠くから低くて道場に響き渡る声がする。父の大輝だ。


「剣斗、刀祢と正式な試合をしろ。木刀の寸止めは禁止。本気で試合をしろ。許可する」


 父の大輝の命は絶対である。大輝の命を聞いて、剣斗は真剣な顔つきへと変わる。そして、直哉と心寧は顔を青くして、刀祢達から離れた。

 剣斗は木刀を中断に構え、正眼の構えを取る。刀祢は下段の構えを取る。

 剣道では下段で構える剣士はいない。剣道では胴より上の攻撃しか許されていない。

 しかし、風月流剣術は実戦剣術だ。もちろん下半身への攻撃も許されている。それだけ危険な剣術であるため、本来の試合は木刀の寸止めと決められている。

 父の大輝はその木刀の寸止めを禁止した。異例な事態といえる。一歩間違えれば、両方共に大怪我をしかねない。


「俺は師範代代理だ。後悔するなよ」


 剣斗は自分の優位さをアピールして刀祢の心を揺さぶろうとする。しかし、刀祢の心は波紋1つない湖のように、静かに澄んでいた。

 刀祢が瞬きをする。その一瞬をついて中段の木刀を少し上段に傾けて剣斗が飛び込んでくる。刀祢の額を割るつもりだ。


「キィィェエ――!」


 しかし、その瞬きは刀祢が自分で演じたもの。剣斗が飛び込んでくるように誘ったものだった。飛び込む時には必ず左膝(ヒダリヒザ)が前に出る。その瞬間を刀祢は待っていた。


「ハッ!」


 刀祢は剣斗の木刀を躱すように、身を屈め、全身を前に押し出すようにして体を交差させる。その一瞬に自分の木刀で剣斗の膝頭(ヒザガシラ)を叩く。


「ギャァア―――! 痛い! 痛い! 俺の膝が―――!」


 剣斗は膝を抱えたまま、道場の中で仰向けになって泣きわめいている。


「勝負あり。刀祢の勝ち!」


 刀祢と剣斗の近くまで歩いて来ていた、父の大輝が試合終了の合図を出す。


「剣斗、これが本気の試合だ。泣きわめいて剣士としての矜持はどうした。誇りはどうした」

「親父、救急車を呼んでくれ―――! 頼むよ! 親父!」

「友を思う優しさ。女性を思う優しさ。優しさを持っていない剣斗に剣士を名乗る資格はない! 今日限り、この道場はお前を破門とする!」


 あまりにも苛烈な父、大輝の剣斗に対する怒りだった。


「刀祢、これからも、その優しさを大事にしていけ! お前の心を見極めさせてもらった! 
これからも励め!」


 初めて父、大輝が刀祢を認めた一言。

 父に許されたことで、刀祢の心の硬くなっていた殻にヒビが入って割れた。

 いつの間にか自然と目から涙が溢れ、刀祢は嬉し涙を流して号泣していた。
 長男の公輝が救急車を呼んで、近くの総合医療病院まで、剣斗の付き添いとして、救急車に同乗していった。

 道場内には、父の大輝、刀祢、心寧、直哉の4人が残る。

 刀祢は初めての真剣試合の後、身体が震え、痺れて震えている手の平を見ていた。

 木刀での真剣試合は危険すぎる。命の危険性まである。木刀を寸止めするルールは絶対に解いてはいけない。

 まだ、人を大怪我をさせたというショックから立ち直ることができない。あれだけ憎んでいた剣斗であっても、大怪我をさせたという負い目を感じる。

 今まで、中学になってから、早朝の4時に起きて、木刀を振って練習してきた。いつか師範代代理である剣斗を負かすために、努力をしてきた。そして剣斗に勝ったが、素直に喜ぶことができない。

 人を傷つけることが、自分の心の負担になることはわかっていたが、剣斗を大怪我させても、同じように負い目を感じるとは思わなかった。

 父の大輝が、刀祢の震えている手の平を押える。

 剣斗と試合をしている時は、心が不思議なほど鎮まっていて、遠くの針が落ちる音でも聞き取れそうなほど集中していた。いつもよりも集中力が高まって、戦術的思考もきちんと働いていた。あんな境地に達したのは初めてだ。


「人を傷つけることは、自分を傷つけること。人を殺すことは、自分を殺すことだ。その重さを背負っていけるほど、お前の精神は強くない。お前は優しすぎる。しかし、お前は人として正しい。武道家はその重荷を背負っていかなければならない。今のお前では精神力が弱い。だから二度と真剣試合はするな」


 刀祢は自分の心の弱さを知って、黙って深く頷いた。

 心寧が父、大輝の近くへ走り寄る。


「私は今まで剣斗師範代代理の教えに従ってきました。尊敬もしていました。しかし、間違いだったのでしょうか。わからなくなりました。館長教えてください」

「剣斗は自分を律するという意味を間違えていた。自分を律するとは礼儀作法を守ることではない。剣士としての誇りを持つことでもない。人に律することを強要することでもない。律するとは自分の経験において、自分に掟を持つということだ。律するという言葉の意味は深い。経験して学んでいくことでしか会得できない」

「それでは私は間違っていたのですか?」

「自分の経験において律しているのであれば良い。経験によって成長していく。心寧はまだ若い。自分を律するには、経験による自分の掟が必要だ。これからも、自分で判断して律していけばいい」


 心寧はその場で体の力が抜け、床へ崩れそうになる。隣まで来ていた直哉が心寧を支える。

 今まで心寧は剣斗兄貴を崇拝していた。その剣斗兄貴が間違っているとハッキリ言われ、自分の信じている柱が崩れていった。

 今の心寧は自分を考えがまとまらないだろう。しかし、今までのように薄っぺらい正義、礼儀などに縛られることはなくなる。これから、心寧がどのように変化していくのか、刀祢は不安だった。

 直哉は普段はにこやかに笑っている奴だが、自分のルールというものをしっかりと持っている。

 いつも笑顔の裏には、しっかりと自分を律している顔が隠れている。そういう意味では刀祢よりも直哉のほうが精神的に強いと刀祢は思った。

 直哉が心寧を支えたまま、刀祢に声をかける。


「今日は心寧を俺が送って帰る。刀祢は後始末をしろ」


 直哉は遠回りに、父の大輝と刀祢が、まだ話をすることがあるだろうと告げてくる。

 久しぶりに父の大輝と2人っきりで話をすることになる。刀祢としては何を話してよいのかわからない。今までのことを反省するつもりもなく、父、大輝に謝るつもりもない。

 今まで父の大輝が、刀祢の反抗や反発を容認してきた意味を知りたいとも思わない。それは父、大輝の考えであり、行動だからだ。

 そんなことを考えていると、直哉は刀祢に手を振って、心寧を支えて更衣室へ行こうとする。

 刀祢も心寧を送っていこうと考えたが、心寧の崇拝していた剣斗を倒したのは刀祢だ。刀祢が心寧の心の支柱を崩したとも言える。今の心寧に対して、かける言葉が見つからなかった。

 だが、何か心寧に対して言ってあげたいという心が刀祢の中で湧き上がる。


「心寧! お前はそのままでいいから! 自分を信じて、そのままのお前でいてくれ!」


 直哉だけに心寧を送ることを頼むのは情けないが、これ以上の言葉を刀祢は見つけることができなかった。

 道場の中には父の大輝と刀祢だけが残された。父の大輝も一言も話さない。刀祢も一言も話さない。道場は静けさに支配されていく。

 父の大輝が、無表情で刀祢に命を出す。


「師範代代理の剣斗が大怪我をしてしまった。道場としては教える役目の者が1人減った。人手不足だ。師範代代理はしなくていい。刀祢なりに門下生達に稽古をつけよ。時間の空いている時で良い。バイト代は日当で払ってやる」


 門下生達の稽古の指導を任せるということは、父の大輝が刀祢を認めたという証だ。

 そして、家で朝食と夕食をドカ食いして、小遣いを貰わず、昼食代も貰っていなかった刀祢が金銭に困っていたことを父の大輝は知っていた。

 今更、小遣いを欲しい、昼食代を欲しいとも言えず、意地を張っている刀祢は、バイト代とでも言わないと、金銭を受け取ることはしない。

 父の大輝が気遣って言っていることがわかる。久しぶりに父の優しさに触れたような気がした。


「わかりました。責任は俺にもあります。門下生の指導をさせていただきます」

「刀祢の指導と稽古で、門下生達の成長が決まる。しっかりと励め!」


 父の大輝が刀祢を認めた一言だった。


「ありがとう! 父さん!」


 刀祢は照れながら俯いて呟いた。
 直哉にお願いして、莉奈の家へと送ってもらった。

 莉奈の両親は海外赴任していて、莉奈はマンションで1人暮らしをしている。

 直哉は何も言わずに、莉奈の家の場所を聞き、莉奈のマンションの前まで送ってくれた。こんな時に何も言わずに黙っていてくれる直哉の優しさが伝わってくる。

 莉奈の家の前について、インターホンを押す。のんびりとした声が聞こえ、家の中から莉奈がパジャマ姿で現れる。莉奈の顔を見て、安堵して莉奈に抱き着いた。


「どうしたの心寧? 顔色が青いわよ。一体、何があったの? 家の中でゆっくりと話をしようね」

「うん、莉奈、ありがとう。急に泊めてもらってごめんね。1人でいると頭が混乱しそうで」

「気にすることないよ。私達、友達でしょ。いつでも泊まりにきてね」

「うん、ありがとう」


 莉奈は部屋の中へ連れて入ると、1度ギュッと体を抱きしめてくれる。


「待っててね。今、お風呂と料理の準備をするから。ゆっくりと心を落ち着けてよう」

「ありがとう。莉奈の言うとおりにする。後で話を聞いてね」


 莉奈は私をリビングのソファに座らせて、お風呂場に行って湯を張ってくれる。そしてキッチンへ行って、手早く料理をしてくれる。

 莉奈は料理がすごく上手い。莉奈の料理は美味しい。莉奈に料理を教えてもらっているが、莉奈のように上手くできない。刀祢にも「しょっぱい」と言われたし―――

 莉奈はテーブルの上にオムライスを置いてくれる。ケチャップで猫の絵が書いていてとても可愛い。

 一口、オムライスを口の中へ入れると、急にお腹が空いてきた。夢中でオムライスを食べる。フワフワの卵が口の中で蕩けて、とても美味しい。


「莉奈、オムライス、とっても美味しいわ。莉奈はやっぱり料理が上手ね」

「褒めてくれてありがとう。顔色が良くなってきたね」

「さっきよりも、気分がずいぶん、良くなったから。待ってくれてありがとう」

「次はお風呂でゆっくりしてね」

「うん、体に残っている緊張をほぐしてくる」


 莉奈は自分の部屋へ入っていって、替えのパジャマを渡してくれる。脱衣所へ行って服を脱いでお風呂場に入る。

 お風呂に浸かりながら、今日の剣斗兄さんと刀祢の試合は凄かった。あんな真剣勝負は初めて見た。剣斗兄さんの剣技も見事だったが、刀祢の剣技も素晴らしかった。本物の神剣勝負の迫力に圧倒された。あんな試合、怖くてできない。

 小学校の時、刀祢が優勝した試合のことを思い出す。あの時の刀祢は恰好良かった。あの時は刀祢の剣技に見惚れていた。うかつにも刀祢に初恋をしたことを思い出す。なんだか悔しい。こんな恥ずかしいことは誰にも言えない。

 湯船の中に頭まで浸かる。恥ずかしさで火照った体にお湯が染み渡る。ゆっくりと湯船に浸かってからお風呂を出る。

 脱衣所でパジャマに着替えて、バスタオルで髪の毛を結って、莉奈の部屋へ向かう。ドアを開けると、莉奈はベッドで寝ころんでいた。

 莉奈はベッドに端に座って、隣へ座るように、手でベッドをポンポンと叩く。莉奈の隣に座ると、莉奈が優しく抱きしめてくれる。莉奈の体温が伝わってきて、莉奈の体から甘くて落ち着く香りがして、とても気分が落ち着く。


「さあ、お話をしようか。先に心寧から今日あったとこを話してね。心配したんだから」

「今日、道場で剣斗兄さんと刀祢が本気の試合をしたの!」

「本気の試合って?」

「寸止めしない、木刀での試合。木刀で叩き合う試合……」

「そんなことをすれば、本気で怪我するじゃない!なぜ、刀祢くんがそんな危ない試合をしたの?」

 今日、道場であった出来事の全てを莉奈に話す。話していくうちに段々と気分が落ち込んでくるのがわかる。今まで頼ってきた剣斗兄さんを否定されたことが大きい。

 しかし、館長の言うことは正しい。剣斗兄さんは礼儀にうるさく、規則正しく、厳格だった。そして、それを他人に強要もしていた。生徒会長になってからは全生徒が対象になった。規律正しくなれば、風紀も乱れなくて良いと賛成に思っていたけど、他の生徒達は心の中では剣斗兄さんの方針が窮屈(きゅうくつ)だったみたい。


(私は間違っていたんだろうか)


 自分の心の中で何かが崩れ去ってしまったように感じる。これからどうすればいいんだろう。


「刀祢君は試合の後、何か心寧に言ってなかったかな?」

「私は私のままでいいって言われた。そのままの私でいいんだって」

「そうだね。刀祢君の言う通りだと私も思うよ。刀祢君は優しいね」

「刀祢は優しい―――」


 刀祢はいつも稽古の組手の時、顔を狙ってこない。そして組手稽古をやりたがらない。組手をする時は本気になれないみたい。だから刀祢に勝つことができる。今日の試合を見て知った。

 昔に組手稽古をした時に、心寧から突っ込んでいき、刀祢の手元がくるって、額に刀祢の木刀が当たったことがあった。傷はきれいに治ったけど、その時から、刀祢は心寧との組手を避けるようになった。

 今までは、女性だから、刀祢は顔を傷つけたくないんだと思っていた。でも、それだけではないみたい。刀祢は優しすぎると館長は言っていた。

 よく考えれば、クラスの皆と距離を離しているのも、クラスの皆へ配慮した優しさだし、刀祢が起きていれば、クラスの皆が怖がるから、授業中も寝ているのも刀祢の優しさ。

 今日まではそのことに気づかなかった。刀祢が自分勝手な行動をしていると思っていたから。だから、結構、キツイことも言ってきたと思う。


(そのことはゴメンなさい)


 でも、刀祢もクラスの皆と仲良くしてほしかった。だから剣斗兄さんのように強引に仲間に入れようとしていた。


 それは間違いだとわかった。でも、刀祢の優しさに私もクラスの皆もよりかかったままでいいんだろうか。そのことが刀祢のためになるんだろうか。

 また刀祢は何も言わないで黙って、全てを自分で背負おうとするのだろう。それを見ているのは違うと思う。

 刀祢の優しさには感謝するけど、全てを自分一人で抱えようとする性格は我慢できない。

 心寧は刀祢のことを大事な友達だと思ってるし、直哉や莉奈や杏里だって刀祢の友達だって思ってる。刀祢の優しさに頼ってばかりはいられない。


(刀祢、今までありがとう。でも刀祢1人に背負わせるのは違うと思う)


「答えは出たのかな?」

「うん。刀祢の優しさには感謝するけど、それに甘えるのは間違ってると思う。私は私らしく刀祢を助けたいし、刀祢に自分の殻にこもられたくない。」


 今まで黙って、見守ってくれていた莉奈が心寧に声をかける。


「これからも刀祢に私の考えを伝えていこうと思う。私は私らしく、刀祢の友達でいようと思う。」

「それでいいよ。心寧らしくていい。刀祢君もそういう心寧だから安心できるんだよ」


 莉奈は嬉しそうに、心寧に抱き着いて、にっこりと微笑んだ。
 刀祢の朝は早い。太陽が昇った頃に起きて、顔を洗ったのに、道着に着替え自分が納得するまで木刀を振る。そして朝食をガッツリと食べて登校する。

 両親は相変わらず、刀祢を放任しているのが、いつも食事だけはキッチリと作っておいてくれる。朝食と夕食をガッツリ食べるのが刀祢のスタイルだ。

 少し早くに家を出て、ロードレーサーに乗って学校へ向かう。いつも刀祢が登校している時間では、教室内の生徒はほとんどいない。

 しかし、今日だけは、なぜか心寧と莉奈が教室にいた。刀祢が自分の席に座ると顔を赤くした心寧が、後ろ手で何かを隠して、刀祢の席へ歩いてくる。

 心寧の様子がおかしい。なにかモジモジしていて、普通の女の子のようだ。見ていて調子が狂う。いつものように口喧嘩をしているほうがマシだ。


「俺に何かようか?」

「あのさ、これ作ってきたんだけど。刀祢が食べてくれないかな?」


 心寧は後ろ手で隠していた荷物を見せる。弁当袋だ。心寧の弁当の味付けは微妙だ。刀祢の中で少し警戒心が湧く。


「莉奈の家に泊って、莉奈と一緒に作ったお弁当だから、味は大丈夫。あげるから食べてよ」

「なぜ俺にくれる? 心寧、お前の企みは何だ?」

「失礼なこと言わないでよ。莉奈と話し合って、いつも昼食のない刀祢のために作ってきたんじゃないの」

「わかった、ありがたくもらう」


 弁当袋をもらって机の上に置く。最近では常から昼食は食べない。それに体が慣れてしまっている。今日も朝からガッツリと朝食をたべてきたが、また腹が少し空いている。ありがたくいただこう。

 刀祢は弁当袋から弁当を取り出し、フタを取って中身をみる。色々なおかずが入っていて、美味しそうだった。箸を握って弁当を食べ始める。

 それまで呆然として見ていた心寧が口を開く。


「なぜ、朝から弁当を食べてるのよ。私は昼食用に作ってきたのよ。早弁したら意味ないじゃない」

「美味いものは早めに食べたほうがいい。この弁当、本当に美味しいな。本当に心寧が作ったのか?莉奈がつくったんじゃないのか?」

「失礼なことを言わないでよ。全部、私の手作りよ」

「そうか。心寧も莉奈が一緒にいれば、美味しい弁当が作れるんだな」


 段々と口調が元の心寧に戻ってきた。刀祢としてはホッとする。大人しい心寧なんて調子が狂う。怒っている心寧のほうが安心する。


「もう、せっかく刀祢のためにお弁当を作ってきたのに。次からお弁当を作ってあげないから!」

「だから美味しいって言ってるだろ。そこまで怒らなくていいだろう」


 心寧は頬を膨らませて、刀祢の元から去って行って、莉奈の席で、何やら莉奈と話している。莉奈が席を立って、刀祢の席までゆっくりと歩いてくる。


「刀祢くん、おはよう。今日は朝から美味しそうなお弁当を食べてるのね」

「ああ、心寧にもらった。莉奈の家でお弁当をつくったって聞いた。莉奈もありがとうな」

「なぜ朝からお弁当を食べてるの?それはお昼用だったはずよ」

「心寧からもそう聞いたんだが、我慢できなくて早弁にした」


 莉奈はおっとりした感じでにっこりと微笑む。


「せっかく昼食用にお弁当を作ってきた心寧の真心をはどうするの。どうして心寧相手だと悪戯するの? もう少し優しくしてあげたら」

「少し、やり過ぎた。俺が悪かった」

「私に謝るのは筋違いよ。刀祢くん」


 どうしても心寧を見ていると悪戯したくなるのだから仕方がない。しかし、そのことを莉奈に知られると怒られる。刀祢は莉奈の説教が一番苦手だ。


「わかったら、心寧に謝ってあげてね。心寧、悲しんでるわよ」

「きちんと美味しいと伝えたぞ」

「それではダメ! きちんと心寧に謝ること! 悪戯した刀祢君が悪いわ!」

「わかったよ」


 刀祢は箸を置いて、両手を上げて降参のポーズを取る。それを見て、莉奈はにっこりと微笑むと自分の席へと戻っていった。少し怖かった。

 弁当を早々と完食して、弁当袋に入れ、席を立って、心寧の席へ向かう。心寧は振り向いて刀祢の顔を見るが、何も言わずに顔を背けた。


「ああ、心寧! せっかくの弁当を早弁して悪かった。腹が空いてたんだ!」

「―――――」


 心寧からの返事はない。顔を横に向けたままだ。


「この弁当、最高に美味しかった。また気が向いた時に作ってくれ」

「本当?」

「ああ、本当に美味かった」

 心寧が振り返って、刀祢から弁当袋を受け取ると、嬉しそうに微笑んでいる。


「お弁当を作ってあげる代わりに条件があるわ。時々でいいから私達の剣道部へ来て。そして私達に稽古をつけてほしいの」


 道場でバイトを始める刀祢には剣道部に顔をだす時間はない。父の大輝は時間のある時と言っていたが、道場でバイトをすると日払いでバイト代が入る。

 バイト代が入れば、金欠生活からもさよならできる。刀祢にとっては重大問題である。バイトを優先したい。


「これからは剣斗兄貴がいないから、道場でバイトすることになったんだ。だから時間が空いてない」

「無理にとは言わないわ。時々でいいの。少しの時間でいい。この間の刀祢の剣技を見てわかったわ。刀祢は私よりも強い。だから少しだけお願いよ」


 バイトをすれば弁当がなくなる。弁当を取ればバイト代がなくなる。刀祢は悩ましい問題に頭を抱える。


「少しだけなら付き合ってもいい。バイトに行くまでの間だぞ。ほんの少しの時間だからな」


 心寧はにっこりと満足そうに笑った。なぜ、今頃になって心寧は剣道部の稽古なんて刀祢に言ってくるのだろう。

 刀祢には心寧が誘う意味がわからなかった。
 五月丘高校の剣道部は決して強くない。剣道部としては弱小高校だ。しかし、剣道部の歴史は古く開校当時から続いている部だという。

 今は剣道部の女子部の部長を心寧が務めている。心寧が部長になった理由は、心寧が一番強かったからだ。

 女子部員は8名おり、男子部員は5名という有様で、剣道部の中で1番強い心寧が男女部員達に稽古をつけているという。

 顧問の先生達は剣道をしたこともなく、全くの無関心らしい。

「弱小剣道部なのに歴史だけは古いんだよな」

「刀祢、弱小剣道部って言わないで! 一応、個人の部では私も頑張ってるんだし」

「心寧だけ頑張っても意味ねーじゃん!」


 心寧も部長として務めているが、部員達には強さを求めているわけではなく、剣道の楽しさ、剣道を通じての礼儀、向上心を持ってもらえれば良いと考えて、部長を引き受けたと語る。

 女子部員達は心寧を中心に結束力が高く、意気投合し練習に励んでいるが、問題は男子部員らしい。

 男子部の部長、五十嵐亮太(イガラシリョウタ)は男子部員の中では一番剣道ができ、男子部員5人を従えて、勝手放題なことをしているという。いくら心寧が注意しても無視される状態になっている。

 そこで、心寧が刀祢にお願いをしてきたという訳だ。


「そんな男子部の奴等、放っておけばいいじゃないか。やる気のない奴に教えても仕方がないぞ」

「きちんと練習させないと、私達まで顧問の先生に怒られるでしょ!」

「顧問なんて、練習も見に来ないじゃん」

「気分の問題よ! せっかくの部活なんだから、キッチリとしてほしいし」


 刀祢に巻き込まれて連れて来られた直哉が納得いかない顔でいう。刀祢も全くの同意見だ。稽古をする気のない者に教えても伸びない。

 心寧が用意した道着だけに着替えた直哉と刀祢は、心寧に連れられて体育館に併設してる武道場へ向かっている最中である。


「俺が道場のバイトに行くまでだからな。後のことは直哉に任せるから」

「刀祢、そのつもりで俺を連れてきたのか。ちょっと酷くないか」

「直哉にはすまないと思ってる。だが俺にはバイトがあるんだ。頼むよ」

「それを知ってるから、付いてきたんだけんどな」


 直哉には申し訳ないと思ったが、最近、道場をサボり気味の直哉にこの案件を預けるのが丁度良いと刀祢は勝手に判断した。

 男性部員が直哉のことをどう思うかわからないが、学校NO1のイケメンが剣道部へ行けば、女子部員達が喜ぶに違いない。それで心寧も信望も高まれば良い。


(直哉には尊い犠牲になってもらおう)


「ごめんね直哉。本当は刀祢に頼んだことなのに、巻き込んじゃって」

「別に暇だから良いけどさ。バイト代が入ったら刀祢には何か奢ってもらうから」

「ああ、直哉にはいつも奢ってもらっているからな。バイト代が入ったら、直哉に奢るのは当然さ」

「直哉だけ特別扱い。刀祢、私にも奢ってよ。お弁当を作ってきてるじゃん」

「仕方ないな。心寧も連れて行ってやるよ」


 和気あいあいと3人で武道場へ向かうと武道場の中では剣道部員の女子部だけが熱 心に稽古をしていた。男子部はチャンバラをして遊んでいる。

 武道場の中へ入り、心寧が剣道部員の男女全員を集める。


「私が通っている剣術道場の同じ門下生の2人を連れてきたわ。紹介するわね。京本刀祢(キョウモトトウヤ)君と斎藤直哉(サイトウナオヤ)君ね。私と同じ2年1組よ。今日は2人に稽古をつけてもらうからよろしくね」


 学校NO1イケメンの直哉の名前は学校中で有名だ。女子部員達は直哉を見て、顔をほんのりと赤らめて恥ずかしがっている。

 そして、刀祢は学校で一番悪名が高いことで有名だ。剣道部員達全員は刀祢の顔を見ないようにしている。

 刀祢の顔は常に目が吊り上がっていて、眉間に皺があり不機嫌な顔をしている。しかし、これが普段の刀祢の顔なので仕方がない。だからいつも初対面の段階で誤解を受ける。

 1人の男性部員が刀祢達に近寄ってくる。


「俺は五十嵐亮太(イガラシリョウタ)だ。2年3組。剣道部男子部の部長を努めている。別にお前達に稽古をつけてもらう必要はない。帰ってくれ」

「いきなり、帰ってくれはないだろう。まだ来たばかりだぞ」

「いいから、帰れ!」


 刀祢が顔を向けると、五十嵐亮太は、お前達なんて怖くないぞという感じで刀祢達に向かって胸を張る。


「チャンバラを続けていたいなら、俺は邪魔はしないぞ。教えるのも面倒くさいからな。今日は心寧に頼まれて来ただけだ」

「刀祢の言う通りだな。俺達だって暇じゃない。遊びで剣術をやっている者にも興味はないしな。今回はなかったことということで帰ってもいいか?」


 刀祢と直哉が五十嵐のことなど相手にしていないように、自分達は帰ると言い出す。


「俺達だって、真剣に剣道に打ち込んでいる。今日はたまたま息抜きをしていただけだ。バカにするな」

「チャンバラしていて、真剣に稽古してるって。剣道はそんなに簡単なスポーツなのか?」

「お前達に何がわかる。俺達だって真剣に稽古してる時もあるんだ。今は息抜きをしていただけだ」


 こういう類の相手は、少し挑発するとすぐに乗ってくる。刀祢と直哉の思う壺である。五十嵐は顔を真っ赤にして怒っている。


「どれだけお前達が強いか、部長の俺と、副部長の新浜(ニイハマ)が試してやる。もし俺達に勝てたら認めてやる。何でも言うことを聞いてやる」

「わかった。試合をしよう。ちょっと準備運動するから待っていてくれ」

「準備運動?」

「準備運動は重要だぞ。よく覚えておけ」


 直哉と刀祢は竹刀を持つと、ゆっくりと竹刀を振って、止めてを繰り返す。

 竹刀と木刀では重さが違う。その微妙な差が剣の乱れを生む。そのことを理解している2人は竹刀をゆっくりと振って、重さを確かめ、竹刀を止めることで、竹刀がブレないかを確かめて、身体に馴染ませていく。

 その間、五十嵐と新浜は竹刀を持って、大振りに竹刀を振り回して身体を温めている。刀祢達から見れば、構えも体重移動もバラバラで素人にしか見えない。

 直哉が小さな声で呟く。


「刀祢、本当にこんな奴らと試合する意味があるのか?」

「心寧に頼まれているからな。約束は果たしたほうが良いだろう」


 刀祢と直哉は竹刀が体に馴染んできた所で、両腕を小さく折りたたんで、適度な筋力で、竹刀を振る。そして段々と竹刀を振るスピードを上げていく。

 竹刀を振る度に「ヒューン」という風切り音が聞こえるようになる。体が温まり、準備ができたところで刀祢が五十嵐達に声をかける。


「おまたせ! 準備ができた! さあ、試合をやろうか!」