文化祭の演劇で2年1組は優勝することができた。
優勝したことでクラスの皆は喜び、各グループに分かれて隣街や温泉街へ遊びに行くことになった。
刀祢も、あの演劇のおかげでクラスの皆と打ち解けて話ができるようになった。
しかし、文化祭でクラスの皆に直哉と莉奈のことがバレた。直哉と莉奈は演劇が終わった後に2人で文化祭を回ったという。
そのことが杏里の耳に入った。
「直哉、嘘だよね」
杏里はか細い声で直哉に問いかけてくる。直哉はいつになく困惑した顔をしている。
「ゴメン、杏里。俺は莉奈のことが好きなんだ。隠していたけど、1学期から莉奈と付き合ってた。杏里にどう説明していいか、わからずに今まで隠していた。ゴメン」
「杏里、私もゴメンなさい」
直哉と莉奈が杏里に頭を下げる。
「私、色々と男友達も多いけど、直哉のこと、一途だったんだよ」
「知ってる。だから言えなかった」
直哉は真直ぐな瞳で杏里を見て、頭を下げる。莉奈は頭を下げたままだ。
「わかった。私も直哉のこと諦める。また自分で良い人を探すよ。温泉街へは4人で行ってきて。当分、このグループから私、外れるね」
杏里はそう言って、違う女子のグループの元へと去って行った。
直哉から話を聞くと、直哉は中学生の時から、莉奈のことが好きだったのだという。しかし片思いのまま中学を卒業し、高校2年生になって一緒のクラスになるまで莉奈に想いを伝えることができなかった。
莉奈と一緒のクラスになったことが縁で、直哉は勇気を出して莉奈に告白し、1学期の間に付き合いが始まった。
しかし、その時には既に、直哉は杏里から猛アタックされている最中で、杏里に付き合ったことを言えなかったらしい。
莉奈も杏里の想い人と付き合っていると言いづらくて、今まで言えなかった。
これでイケメンでモテ男の直哉が女友達は多いのに、彼女を作らなかった理由が刀祢にも理解できた。
そして2学期に入ってから刀祢と心寧が付き合い始めた。
刀祢と心寧が学校の中でも公然として仲睦まじくしている姿を見て、直哉と莉奈も刀祢達のように学校でも公認で付き合いたいと思うようになったという。
そして、文化祭の時、この日ぐらいは2人で一緒に行動したいと思い、2人で一緒に文化祭を回って、クラスの皆に発見されて、バレた。
「バレたというか、バラしたというか、そういう感じだ」
直哉は照れくさそうに髪を掻く。
刀祢の住んでいる街から車で1時間ほどの場所に、某有名温泉街がある。
よって、この街から温泉街にバスが通っている。バスの本数は少ないが、日帰りで温泉街へ遊びにも行くことができる。
当初は5人で温泉街へ遊びに行く予定だったが、杏里が抜けたので4人になってしまった。
杏里が抜けたことで当惑したが、杏里も他のグループで、遊びに行くみたいだし、刀祢達も4人で温泉街へ行くことにした。
「どうせなら、休みの日を使って、一泊しようぜ。丁度、男子2名、女子2名に別れているし、部屋も取りやすい」
「それもそうね。互いにカップル同士だし、丁度、良いかもね」
直哉と莉奈が刀祢と心寧を誘う。
刀祢も心寧の泊りがけで遊びに行ったことはない。行きたい気持ちもあるが、照れるのと、気恥ずかしさで、どうしていいかわらかない。
「俺の親父の知り合いが温泉街で旅館をしてるんだ。親父に頼めば、部屋を用意してくれる。俺のほうで予約しておくから。刀祢と心寧は家の許可を取ってこいよ」
「私の家は両親が海外出張だから、大丈夫。後は刀祢と心寧の家だけね。心寧のご両親なら、私が一緒に話してあげてもいいわよ。心寧のお母さんは許してくれるはずよ」
直哉と莉奈が話を進めていく。
温泉街へ行くバスは通っているが、日に10本程度しかバスはなく、夕方以降のバスの往来はない。
ゆっくりと温泉街で遊ぶとなると一泊しなければならない。
心寧は照れながら莉奈を見る。
「お母さんとお父さんの説得、莉奈も一緒にお願いね。私だと、どう説明していいかわからなから」
「わかったわ。任せておいて」
莉奈はそういうと、心寧を軽く抱きしめた。
「刀祢の家は大丈夫だと思うけど、どうだろう?」
「そうだな、俺の家は放任主義だから、たぶん大丈夫だろう。今日の夜にでも母さんに話をして許可をもらうよ」
刀祢の家は放置主義というか、放任主義だ。刀祢が事情を話せば、両親共、何も反対はしないだろう。
「では、自分達の親の許可が取れたら、俺に連絡してくれ。それから、すぐに予約を取って、皆に予約が取れたことを連絡するから」
直哉が爽やかに笑った。
莉奈と心寧は嬉しそうに手を握り合っている。刀祢も心寧と初めての一泊旅行が楽しみで仕方なかった。
駅前のバス停からバスに乗って1時間ほど揺られる。バス停から乗る乗客は全て某有名温泉街へ向かうお客様達が。
某有名温泉街は山奥にあり、一般の人々は車を使うことが多い。よって、バスに乗っているのは車を持っていない老齢のお爺ちゃん、お婆ちゃんが多い。
「あら、珍しい。お若い方、新婚旅行?」
何処から見ても高校生にしか見えない刀祢と心寧を見て、お婆ちゃんが笑顔で声をかけて来る。声をかけられた刀祢と心寧は新婚旅行という言葉を聞いて顔を真っ赤にしてドギマギしている。
「いえ、私達、学生で、グループ旅行です」
莉奈がおっとりした口調で、お爺ちゃん、お婆ちゃんに応える。
「若いもんはええのー」
「お爺ちゃんも温泉を楽しんでな」
お爺ちゃんは莉奈と直哉と話ができて嬉しそうに笑っている。
このバスに乗っている乗客の中で高校生は刀祢達4人だけだったので、乗客のお爺ちゃん、お婆ちゃん達から、よく声をかけられることになった。
特に初々しい反応をする刀祢と心寧は人気者となっていた。
温泉街のバス停でバスを降りて、お爺ちゃん、お婆ちゃん達と別れて、10分ほど歩くと、川沿いに立ち並ぶ温泉街の旅館街へ続く道に差しかかる。
直哉が先頭に立って、旅館街を歩いて行くと、刀祢達が予想していたよりも立派な旅館に直哉が入っていく。
「立派な旅館ね」
「ああ、予想外だった」
心寧と刀祢は玄関の豪華さに目を奪われる。
「いらっしゃいませ」
「予約している斎藤です。今日はよろしくお願いします」
「斎藤さんの息子さんですね。予約は承っています。どうぞ、お進みください」
女中さんはニコニコと笑顔で刀祢達を部屋へ案内してくれる。心寧と莉奈の部屋と刀祢と直哉の部屋は隣同士だった。
全員で男部屋へ入って、座布団を敷いて座卓に座って、座卓の上に用意されているお茶を心寧が淹れて、全員でお茶を飲む。
「バスで1時間、街から離れただけなのに、小旅行の気分だな」
「ああ、そうだな」
「心寧、川がとってもきれいよ」
「本当ね、莉奈」
直哉も刀祢も小旅行気分になっている。莉奈と心寧は川を見て喜ぶ。
「この川は夜になるとライトアップされるんだ」
直哉はこの旅館に何度か泊まったことがあるらしく、大浴場がきれいで大きく、露天風呂も景色がきれいだと説明してくれた。
「せっかく温泉街に来たんだから、さっそく温泉へ入ろうぜ」
「ああ、そうだな」
「お風呂からあがったら、大浴場の目の前にあるゲームコーナーで待ち合わせね」
「私達は用意してくるね」
莉奈と心寧は温泉に入る為、隣の部屋へと戻って行った。
刀祢と直哉もシャツの上から浴衣を着て、バスタオルを持って大浴場へ向かう。男湯ののれんを潜って、脱衣所で裸になり、大浴場の中へ入っていく。
先に身体と髪を洗って、その後にかけ湯をして大浴場の湯船に浸かる。
「フー! 気持ちいいー!」
直哉は気持ちよさそうに息を吐く。自然と刀祢も体が湯の中で伸びる。
「刀祢とノンビリするなんて、久しぶりだな」
「本当だな。最近、直哉の家にも行ってなかったな」
何気ない会話でも温泉に浸かりながらだと楽しくなるから不思議だ。しばらく大浴場の湯に浸かった後に露天風呂へ行く。
「外も気持ちがいいな」
「ああ、そうだな」
露天風呂に入って体をゆったりさせて空を見ると、空に飛行機雲の跡が残っているのが見える。とても気持ちが良い。
「直哉ー! 聞こえるー! 今、女風呂は誰もいないのよー!」
「莉奈か! 男風呂も刀祢と2人だけだ!」
露天風呂からは川が見え、とても景色がきれいだ。
女風呂では何が起こっているのかわからないが、莉奈と心寧の楽しく笑い合う声が聞こえてくる。
莉奈も心寧も楽しそうで良かった。
「いい湯だな」
直哉が湯で顔を洗って、爽やかに笑う。
直哉とは長い付き合いになるが、一緒に小旅行に来るのは初めてだ。直哉がこんなにはしゃいでいるのを見るのも初めて見る。
「俺、中学の時から、莉奈に夢中だったんだ」
「そうか、知らなかった」
莉奈はおっとり系の美人でお淑やかで、穏やかで気遣いのできる美少女だと直哉が惚気る。直哉と莉奈は本当にお似合のカップルだと刀祢は思った。
最近の心寧は物静かにしていることも多く、上品さ、清楚さがあり、生粋の美少女だと刀祢は思う。刀祢には勿体ないくらいの良い女性になってきたと思う。
今では口喧嘩をすることもなく、互いに喧嘩をすることもない。何でも2人で相談できる良い関係になっている。
大浴場から出ると、浴衣に着替えた莉奈と心寧が髪を結い上げて待っていた。項がピンク色に染まってとても艶がある。
刀祢は心寧に、直哉は莉奈にしばしの間、見惚れていた。
「待たせたか?」
「ううん! 私達も今、出た所!」
心寧は嬉しそうに刀祢に寄り添い、浴衣の裾を持つ。
「刀祢、卓球あるんだけど! やらない?」
心寧が卓球台を見つけて、嬉しそうに刀祢の浴衣の裾を引っ張る。
「それは良いな。俺も参加しようかな!」
「私は見ているだけでいいわ。3人には敵わないもの」
直哉と莉奈が卓球台を見て、それぞれの意見をいう。
刀祢と心寧と対戦が始まった。2人の間で激しいラリーが続く。
心寧は浴衣の下にシャツを着ているので、浴衣が開けるのも全く気にせず、卓球のラケットを肘を鋭角にして、鋭く振りぬく。刀祢も体を低くして、素早い振りでラケットを振りぬく。
2人の点数は9-9のいい勝負だ。刀祢が気合の入った声を出す。
「ハァア――!」
「ハァィイ――!」
心寧も負けていない。
まるで2人共、剣術の試合で試合をしているようだ。心寧が剣術以外で気迫を出している所を見たのは初めてである。髪をポニーテールにしていないので、艶々した黒髪が乱れる。
2人の試合はデュースになり、延長戦へ。最後に刀祢が2連勝して心寧を負かした。2人の壮絶な試合を見て、直哉は顔を引きつらせる。
「俺、やっぱり卓球止めておくわ」
「2人共、何を本気になってるの。また汗が出ちゃって、温泉に入り直しね」
莉奈にそのことを指摘され、刀祢も心寧もシマッタという顔になり、反省の色を濃くする。
「仕方ない、もう一度、温泉に入るか」
直哉が刀祢の肩を叩く。
「仕方ないわね」
莉奈は心寧の背中を押して、女湯へと入って行った。直哉と刀祢も男湯へ入って行く。
◆
夕暮れになり、川は夕陽で真っ赤に染まる。とてもきれいだ。
全員、2回も温泉に浸かったので、身体の緊張が抜け、ゆったりした格好で、部屋の中で座っている。
直哉と莉奈は座卓に座ってお茶を飲んでいる。刀祢と心寧は窓際の廊下に置かれている椅子に座って川の絶景を見ている。
「お食事を持ってきました」
女中さんが2人カーゴを持って、部屋へ入ってくる。そして座卓の上をきれいに整理すると、料理を座卓の上にならべていく。豪華な会席料理だ。川魚、山菜の天ぷら、焼き魚、ステーキ、色とりどりの料理が並ぶ。
「ここの料理が豪華で上手いんだ」
直哉は自分の家のことのように旅館の料理のことを説明する。刀祢の隣に心寧、莉奈の隣に直哉、座卓に4人が仲良く座って料理を食べる。
「「「美味しい」」」
どれを食べても美味しい。皆、一口食べる度に「美味しい」という声を出して、箸が止まらない。1時間ほど、会席料理を楽しんで皆で楽しく食べる。食べ終わった時には全員、満腹になっていた。
ゆっくりとした後に、ロビーの隣にあるお土産屋へ行って、皆で家に買って帰るお土産を探す。
「今日の記念に4人だけのキーホルダーを買おうよ」
「それはいいな」
莉奈が発案し、直哉が賛成する。刀祢と心寧も笑顔で大きく頷く。
4人でお揃いの色違いの河童のキーホルダーを買う。河童という所が自分達がウケて4人が微笑む。
そして部屋へ戻って来て4人でロビーのカウンターで借りたトランプをして楽しんだ。大富豪をして、刀祢が何故か3連敗する。
1度など、刀祢が勝てると思っていると莉奈に4カードを出され、大貧民に落された。トランプでは、莉奈が強く、次に心寧、そして直哉、ビリは刀祢だった。
やはり勉強のできる者がトランプでも強いのかと、刀祢はある意味、納得した。
「少しの間、2人きりでいたいから隣の部屋を借りるな」
直哉と莉奈が腕を組んで部屋から出ていく。
刀祢と心寧が部屋に置いていかれることになった。ここに来て初めての2人っきりだ。
刀祢の体に妙に緊張が走り、少し顔を赤くなる。それを見た心寧が笑顔で刀祢の後ろへ回って、刀祢の肩から手を回して刀祢の首に抱き着く。
「今日はとても楽しかった。刀祢、本当にありがとう」
耳元に心寧の甘い声が聞こえる。心寧の体から甘くて優しい香りが漂ってくる。
刀祢は振り返って心寧の体を抱きしめて、優しく心寧の頭を自分の膝の上に乗せる。膝枕をされる状態になった心寧は、顔を赤くしながら下から刀祢の顔を見上げる。
「直哉と莉奈は今頃、どうしてるんだろう?」
「多分、同じことをしていると思うぞ」
「そうだね」
刀祢と心寧は見つめ合って互いに微笑む。
心寧は刀祢の首に手を回し、刀祢の膝の上に身体を乗せて間近から刀祢の顔を見つめる。刀祢も心寧の腰を抱きしめる。ウルウルした潤んだ瞳と濡れた唇が刀祢の顔に近づいてくる。
「刀祢、大好き。ずっと一緒にいたい。約束して」
「俺も心寧のことが大好きだ。ずっと一緒にいような。約束だ」
刀祢も顔を近づけて初めて心寧とキスをする。
そして顔を離して、お互いに見つめ合う。
「もう一回」
「何度でも」
お互いにキスを何度も交わした。
刀祢と心寧は隣町まで進学塾の見学へ来ていた。進学塾はビル丸ごとが塾となっており、多くの生徒達が進学塾に通っていた。
普段はふざけたり、気を抜いている生徒達も進学塾の玄関を入ると、真剣そのものの顔付きに変わる。既に気分は大学受験生なのだろう。
まだ、この進学塾に決めたわけではないが、案内してくれた講師が心寧と刀祢の学力を知るために学力診断テストが必要と説明する。
2人は個室に入って学力診断テストを受ける。
「このテスト、難しいな。学校で習っていないことまでテストになってるぞ」
「本当だね。私も少し難しい。さすがは進学塾ね」
学力診断テストが終わり、2人の答案用紙を受け取った講師がその場で、合否の点数をつけていく。結果は心寧はA、刀祢はCだった。
「この塾に通うなら、刀祢くんはCクラス、心寧さんはAクラスということになるね」
「それは困ります。両親は刀祢が一緒で進学塾に通うのであれば、許してくれますが、そうでなければ隣町まで来る進学塾に通うことができません」
「そんなことを言われても困ったな、当進学塾では学力差でクラス別に生徒を分けて教えている。その個人個人に合わせた、授業を行っているんだ。心寧さんはCクラスの学力を超えている。だからAクラスなんだ。理解してほしい」
「私も両親も、それでは納得できません。刀祢と一緒でなければ両親も私を隣町まで通わせることは反対します。今回の話しはなかったことにしてください」
それを聞いた講師は残念そうに刀祢と心寧を見る。進学塾としては生徒はほしいが、1度決められているルールを曲げることはできない。
「わかりました。誠に残念ですが、心寧さんと刀祢くんには別の進学塾を探してもらったほうが良いでしょう。また気持ちが変わったら、当進学塾をよろしくお願いします」
講師に深く頭を下げて、刀祢と心寧は進学塾の見学を終えて、外へ出る。
心寧の考えと進学塾の考えが合わないのだから仕方がない。しかし、刀祢は自分の学力の低さが、心寧の足を引っ張ったと思い、情けなくなる。
「ごめんな心寧。俺がAクラスになれるだけの学力があったら良かったんだけどな」
「ううん、いいの。刀祢のせいではないわ。私にとって大学は通過点でしかないんだもの。私の目標は刀祢の奥さんになることだもん」
「え!」
いきなりの心寧の爆弾発言に、刀祢は一瞬、頭が真っ白になり、思考が上手く働かない。
「私の両親も共働きだから、私も共働きして刀祢を支えるよ。でも仕事ばかりで刀祢との時間がない仕事場なんてイヤ。そんな職場だったら、自分から辞めるから」
心寧に言っていないが、刀祢には夢があった。自宅の風月流剣術道場の跡を継ぐのは長男である公輝だ。刀祢は家を出なければならない。
しかし、刀祢は剣技しか取り柄がないし、剣技を愛している。だから、隣町に風月流剣術道場を開設して、そこで門下生の指導を行うことが夢だった。
今まで誰にも話していないが、両親に話してみようと思っている。両親も刀祢が無事に大学を卒業した後ならば、少しは刀祢の話しに耳を傾けてくれるのではないかと思っている。だから、あまり深く就職については考えていない。
両親に話をするまでの間に長男の公輝と同じぐらいの剣術を身に着け、試合で引き分けにもっていくぐらいまで持っていかなければ、許してはくれないだろう。
受験も大事だが、その後はもっと剣術に力をいれなければならいと刀祢は拳をギュッと握りしめる。
「実は俺は道場を開きたいという夢があるんだ」
「そうだったんだ。そうなったら私は道場の女将さんだね。剣術も頑張らないと」
反対されると思ったが、逆に心寧は嬉しそうに微笑んで、剣を持つ格好をして見せる。
「刀祢と一緒に剣術道場を開くって、夢があっていいわね。それに2人がずっと一緒にいられるのがいい。私は大賛成よ」
「そうか。色々と反対も多いと思ってるんだけどな。大学に入学できたら、両親に話してみるつもりだ」
「館長も刀祢のお母さんも喜ぶよ。道場を開設するって、どうするんだろうね。幾らぐらい資金がかかるんだろう」
刀祢の両親が道場開設の資金を提供してくれるとは思えなかった。自分で働いて、資金を貯めろと言われそうだ。その時は、大学卒業後に一時は就職しなければならないと刀祢も思っている。
「2人でお金を貯めていけば、大丈夫。すぐに貯まるわよ。刀祢は一生懸命に前を向いて進めばいいよ。刀祢のその姿勢が伝われば、館長も刀祢のお母さんも、私の両親も相談に乗ってくれるわよ。結婚は先にしておいたほうが良さそうね」
「―――――!」
なぜ、いきなり結婚話になっているのか、刀祢はビックリした。しかし、心寧は顔をピンク色に染めて、体をモジモジとさせている。
心寧と早く結婚できるのは刀祢も嬉しいが、まだ遠い先だと思っていた。心寧がそんなに早く結婚を希望しているとは知らなかった。
「刀祢、私ね考えたんだけど、大学結婚がいいかな」
「わかった。その時はプロポーズは俺からするから、心寧は待ってろ」
「うん、真剣に考えてくれて、ありがとう」
お互いに手を握って、隣町の駅へと向かって歩く。心寧は幸せそうに刀祢の指に自分の指を絡めて、手をギュッと握ってくる。刀祢も微笑んで、心寧の手をしっかりと握る。
「刀祢、帰りに莉奈の家に寄りましょう。もう莉奈とは約束してあるんだ」
「直哉がいないと気まずいだろう」
「直哉なら、もう莉奈と一緒に、莉奈の家にいるって言ってたわ。だから大丈夫」
心寧は満面に微笑んで、刀祢に寄り添って駅までの道を歩く。進学塾は断ってしまったが、刀祢にとって有意義な時間だった。
刀祢と心寧は電車に揺られて地元の駅まで戻った。
莉奈の両親は海外赴任していて、莉奈は1人暮らしをしている。刀祢は今まで莉奈の家に行ったことはない。
直哉は既に莉奈の家で、刀祢達のことを待っているというが、見知らぬ女性の家に行くような気分になり、刀祢は妙に自分の体に緊張が走るのを感じる。
「変な刀祢ね。莉奈の家に行くだけでしょ。なぜ、そんなに緊張しているのよ」
「頭では理解してるんだけどな。心寧の家だとご両親がいると思って安心するんだが、莉奈の家は女性の一人暮らしと考えるから、行くのに気が引けるんだ」
「直哉もいるから大丈夫よ。私もいるし。何も怖くないからね」
心寧は妙に緊張している刀祢のことが面白いようにクスクスと笑う。
心寧の案内で莉奈の家があるマンションまで歩いていく。もう既に夜の帳が降りてから1時間は経つ。空の雲の隙間から、きれいな星空が見える。
2人で手を繋いでゆっくりと歩く。夜風が気持ちよく体を通っていく。このまま、夜の散歩を心寧と2人だけで続けるのもいいと刀祢は思う。
心寧は時々、刀祢の顔を見ては軽く微笑んで、手を握りなおす。手を繋いでいる感覚が刀祢にも伝わり、心寧の存在を感じて、安堵感に包まれる。
駅前から市街地の住宅地に入ってから15分ほど歩いた場所に莉奈の家があるマンションが見えてきた。
マンションに到着してエレベーターに乗って莉奈の家へと向かう。家のインターホンを鳴らすと「はーい」という声が聞えてきて、なぜか直哉が顔を出した。
「おう、刀祢、待っていたぞ。遅かったな」
「ああ、直哉か。進学塾の見学に行ってたんだが、学力診断テストまで受けることになって、困ったことになったよ。結局、その進学塾へ通学することは諦めて帰ってきた」
「そうか。話は中で聞くから、早く家の中へ入れよ」
直哉はまるで自分の家のように、玄関を開けて、刀祢達をリビングに通す。
ダイニングテーブルには、2段になった果物のホールケーキが中央に置かれている。テーブルの上にはお寿司屋やローストビーフなども置かれている。
(今日は何かの祝いごとか?)
直哉の案内で、心寧と刀祢はリビングのソファに座る。キッチンを見ると、莉奈はまだ何か、料理を作っている。本当に莉奈は料理上手だ。
直哉は勝手にキッチンで紅茶を作って、リビングのソファで座っている刀祢達の前のテーブルに紅茶を置く。
「もう少しで莉奈の準備も終わる。それまでゆっくりと紅茶でも飲んで待っていてくれ」
「ダイニングテーブルの上に豪華な料理が並んでいるが、今日は何かのお祝いなのか?」
「まあな。そのうちにわかるから、気にするな。まずは俺が淹れた紅茶を飲んでくれ。最近、紅茶の淹れ方に凝ってるんだ」
学校では直哉にそんな趣味ができたなんて聞いたことがない。料理好きの莉奈の影響だろうか。
一口紅茶を飲むと、紅茶の味が口の中に広がり、香りが鼻の奥へ通っていく。紅茶の味を濃く感じる。
「直哉が淹れた紅茶は濃いな。味がしっかりしている」
「直哉が淹れると、紅茶の葉を使い過ぎるの。だから濃い味になるのよ。もう少し控えてくれたほうが、美味しいと私は思ってるんだけど」
キッチンで料理をしながら莉奈が刀祢に声をかける。
「俺は味の濃い紅茶のほうが美味しいと思っている。味が薄いと、ガツンとした紅茶の味が楽しめない」
(直哉よ。紅茶にガツンとした味を求めてはいけないと思うぞ)
「別に私は良いのだけど、紅茶の葉が可哀そうに思うのよね」
直哉と莉奈が面白そうに軽い言い合いをして楽しんでいる。こんな光景は学校では見ることができない。こんなに2人は仲が良かったのだと、改めて刀祢は感心した。
「さーできたわ」
料理を終えた莉奈はクリームシチューとグラタンをダイニングテーブルの上に置く、さらにシーザーサラダや各種サラダもテーブルの上に置く。
「今日は豪華な料理だな。一体、誰が来て食べるんだ?」
「何を言ってるのよ刀祢くん。皆で食べるために用意したのよ」
「こんな豪華な料理を?」
「まだ、直哉からも心寧からも、刀祢くんは何も聞いてないみたいね」
莉奈はおっとりとした口調で、刀祢に微笑みかける。心寧は莉奈と一緒に、キッチンの後片付けを手伝っている。
直哉は刀祢の肩を持って、ソファから立ち上がらせると、ダイニングテーブル
まで歩いていき、椅子に座る。直哉の対面に刀祢も座る。
すると刀祢の隣に心寧が座り、直哉の隣に莉奈が座って微笑む。
「さー全部の準備が終わったな。それでは発表します。刀祢、誕生日おめでとう!」
「「おめでとう!」」
刀祢は目を丸くして心寧を見ると、心寧は嬉しそうに深く頷く。直哉を見ると、直哉も深く頷いて、爽やかに笑っている。莉奈も楽しそうに微笑んでいる。
小学校高学年まで誕生日を祝ってもらった記憶はあるが、それ以降、誰にも誕生日を祝ってもらったことがない。誕生日に祝ってもらうことなど忘れていた。
(今日は俺の誕生日だったのか!)
莉奈はテーブルの下から大きな花束を取り出すと直哉に花束を渡す。
「莉奈からの誕生日プレゼントは料理だ。俺からの誕生日プレゼントは花束にした」
ピンク色の薔薇の大きな花束を刀祢に渡す。
「直哉、莉奈、ありがとう。誕生日プレゼントをもらえるなんて嬉しいよ」
心寧はダイニングテーブルの横に置いてあった、大きな白い紙袋を刀祢に渡す。刀祢が中を確かめると、黒のダウンジャケットと牛革の財布が入っていた。
刀祢の財布は中学の時に買ったもので、既に年季が入っている。買い替え時だと思っていたので、すごく嬉しい。
「心寧、ありがとう。これから冬になったダウンジャケットを着させてもらう。丁度、財布も買い換えようと思っていた所だったんだ。助かる」
「良かった。気に入ってくれて」
「「「刀祢、誕生日おめでとう!」」」
「ありがとう」
直哉と莉奈が料理を取り分けて、心寧と刀祢の皿へと盛ってくれる。今日は直哉が莉奈のサポート役らしい。何をしてもイケメンは様になる。
刀祢はローストビーフの口の中に入れて、肉が蕩けるのを楽しむ。実に美味しい。直哉が取り分けてくれた寿司にも手をだす。とても美味い。
「莉奈の料理は絶品だからな。どんどんと食べてくれ」
「ああ、本当に莉奈は料理が上手いな。とても美味しいよ」
「私も莉奈にお料理を教えてもらって、もっと腕を磨くね」
「おう、頼んだぞ。心寧」
3人の誕生日を覚えておこう。3人は最高の誕生日を刀祢にプレゼントしてくれた。刀祢も3人の誕生日を祝いたいと思った。
刀祢の誕生日は夜が更ける深夜まで楽しく続いた。談笑はいつまで経っても絶えることがない。楽しいひと時が過ぎていく。
(ありがとう、直哉、莉奈、心寧)
期末考査のテストが終わり、学校の掲示板にテスト結果が張り出された。莉奈は相変わらずの5位、心寧は32位と頑張った。
直哉と刀祢は掲示板には張り出されなかったが、平均点以上の点数を取って、少し成績が上昇した。
終業式も終わり、今日は12月24日のクリスマスイブ。
冬将軍が到来したような空模様は、灰色をしていて、空から本の少し、小雪が舞い落ちてくる。吐く息も白く見える。
刀祢はあまり無駄遣いをしない。2学期の始めからもらっているバイト代は少しづつだが、銀行に貯金され、刀祢は金欠生活から脱出している。
終業式の前の日に、刀祢は莉奈に、心寧へのクリスマスプレゼントを一緒に選んでほしいとお願いした。莉奈は快く承諾してくれた。
12月24日のクリスマスの日に、隣街へ行って、直哉と2人でデートをするという。その時に、心寧のプレゼントを隣町で選んでくれることになった。
そして、今、刀祢は直哉と莉奈に連れられて、デパートにある宝石店のテナントへ来ている。
「心寧に似合うモノを選ばないとね」
莉奈は張り切って、心寧のプレゼントを探してくれている。
「俺も一緒に選んでやるよ。これでもプレゼントには自信があるんだ」
直哉も莉奈の隣で、プレゼントを探し始めた。
直哉は既に莉奈に渡すプレゼントを購入済という。刀祢が何をプレゼントするのか、直哉に聞いてみると、それは莉奈と2人だけの秘密と言って爽やかに微笑んだ。
直哉と莉奈が1つのネックレスの前で視線を止める。18金のハート型のネックレスだ。
「これ、心寧に似合いそう。心寧がつけると、可愛くなると思うわ」
「やっぱり付き合い始めの頃は、記念に残る品がいい。俺も莉奈の意見に賛成だ」
刀祢も一目見て、ハート型のネックレスを気に入った。店員お姉さんに頼んで、ジュエリーBOXに入れてもらって、包装袋に入れてもらってラッピングをしてもらう。そして紙袋を右手で持つ。
「これで俺と莉奈の頼まれごとは終わりだな」
「この後は心寧と2人で楽しんでね。私と直哉も楽しんでくるわ」
2人はそう言って、デパートの中で、刀祢から離れて、直哉と莉奈は腕を組んで寄り添って去っていった。
心寧と待ち合わせした時間までファーストフード店で時間を潰して、店内から街の人波を見る。今日はクリスマスイブなので、街中を歩くカップルが多いように思える。皆、嬉しそうに腕を組んで、寄り添って歩いている。
待ち合わせの時間より15分早く、駅まで心寧を迎えに行くと、既に心寧は白のコートを着て、改札口の所で刀祢を待っていた。
「待たせたかな?」
「ううん、私が早く着き過ぎちゃったの」
艶々の黒のロングストレートに白のコートに際立つ。
「少し化粧をしてきたんだけど似合う?」
「よく似合ってるよ」
ほんのりとした薄化粧にピンクのグロスが良く似合っている。
刀祢が予約している映画の上映まで、まだ2時間近く、時間がある。2人は雑踏の中を腕を組んで寄り添い歩いて、1件の小さな喫茶店の中へと入る。
喫茶店の中は小さくジャズピアノの演奏が流れていて落ち着いた雰囲気だ。4人掛けのテーブルに2人で対面に座る。
店員が注文を取りにくる。刀祢はブラックコーヒーを頼み、心寧はカフェラテを頼む。
映画館の暗闇の中では心寧にプレゼントを渡せない。刀祢は右手に持っていた紙袋を心寧に渡す。心寧は嬉しそうに紙袋の中から包装袋を取り出して、中のボックスを取り出してフタを開ける。
「わあ、きれいで可愛いネックレスね」
18金のハート型のネックレスを見て、とても嬉しいと刀祢に微笑む。心寧は自分でネックレスをつけると、心寧の胸元にハート型のネックレスが輝く。
心寧が持っていた紙袋を刀祢に渡す。中にはカシミヤの黒のセーターが入っていた。とても触り心地が良い。刀祢は一目で、カシミヤのセーターを気に入った。
「実はそのネックレス、直哉と莉奈に選んでもらったんだ。俺だと、どんなネックレスが良いのか、わからないから」
「こっそりと莉奈に頼んでいたのね。今度、2人にもありがとうって言わないとだね」
心寧はネックレスに手を添えて上機嫌だ。
「誰が選んだのでも良いよ。刀祢が私にプレゼントしてくれたことが一番、嬉しいんだから」
そう言って、心寧は嬉しそうに刀祢に微笑みかける。刀祢は恥ずかしくなり、視線を逸らしてしまう。
心寧と付き合い始めて、刀祢も心寧も変わった。良い意味で恋人になれたと思う。
付き合う前は口喧嘩ばかりで、お互いに気まずい関係もあったけれど、付き合い始めてからは、互いに寄り添うにように、常に一緒にいる大切な恋人だ。
あの口喧嘩していた頃が懐かしく思い出される。
「実はさ、最近、直哉に言われて気づいたんだけど、俺の初恋の相手は心寧だった。小学校4年生の剣道大会の時に心寧に初恋をした」
「え!私が刀祢に初恋をしたのも小学校4年生の剣道大会の時だよ。お互いに初恋をしてたんだね。とても嬉しい」
心寧が刀祢の初恋の話しを聞いて、感極まって、嬉し涙を浮かべている。
「初恋の相手と、そのまま初めての恋人になるってこともあるんだな」
「学校で恋愛話は良く聞くけど、そういうカップルは聞いたことがないわ。少ないと思う。私達、とても幸せなカップルだと思う」
刀祢も初恋の人と初めての恋人になるケースを聞いたことがない。
刀祢と心寧は幼馴染で、同じ日に初恋をして、そして、今、恋人同士でいることに、とても幸せに感じた。心寧も同じようで、ハンカチで涙を拭きつつ、喜んでいる。
「相手が刀祢で本当に良かった。嬉しい」
「俺も心寧で良かった。心寧しか考えられなかった」
2人はテーブルの上でお互いに手を伸ばして、手を握りしめて、互いに見つめあう。
「これからも2人で何回もクリスマスを楽しもうな」
「うん、刀祢と一緒ならどこでも楽しい。ずっと一緒に刀祢とクリスマスを祝いたい」
そろそろ映画の上映時間が迫っている。刀祢は心寧と手を繋いだまま、喫茶店を出て、雑踏を歩いていく。
心寧が腕を組んで寄り添って歩く。
「こんな時が、来年も再来年も、ずっと続きますように」
心寧が小さく刀祢の耳元で呟く声が聞こえる。
「そうだな。心寧のことは離さない」
「うん、私も刀祢に絶対に付いていく」
映画館の近くにある、路地から見えない場所で、一瞬だけ心寧と抱きしめてキスをする。
2人の恋物語は始まったばかりだ。
END