お前は俺のこと嫌いだったよな?なぜ、いつも傍にいる!?

 月曜日に教室へ向かうと既に心寧と莉奈が教室の椅子に座っていた。

 手だけを上げて挨拶をして、刀祢は自分の席に座る。すると心寧が椅子から立ち上がり、少し左足を引きずりながら、刀祢の元へやって来る。


「足を引きずっているようだが、大丈夫か?」

「うん。痛みも少なくなったし、腫れも引いてきた。心配してくれてありがとう。これ、ハイキングの時のお礼」

「ああ、弁当か。助かる」

 心寧は弁当袋を机の上に置く。これで早弁ができるから嬉しい。

 ハイキングのあった日は、心寧の家まで刀祢が心寧をおぶっていくことになった。刀祢のロードレーサーは直哉が自分のロードレーサと一緒に手に持って歩いてくれた。莉奈も杏里も結局、付き合って歩いて帰った。

 心寧の家に着いた時には心寧の足のくるぶしの辺りんが腫れて熱を持っていた。心寧のお母さんにお礼を言われて、直哉と一緒に帰ったが、照れくさかった。心寧のお母さんは刀祢を見て、久しぶりと言って喜んでくれていた。

 今日の心寧は黒髪を結い、ポニーテールにしている。いつものスタイルだ。その姿を見て、安心する刀祢がいた。刀祢にとって心寧はポニーテールのほうが落ち着く。


「お母さんが刀祢にありがとうって伝えてって言ってた」

「ああ、おばさんと会ったのは中学へ入学して以来だったな。懐かしかったよ」

「今度はゆっくりと遊びに来てって言ってた」

「ああ、考えとくわ」


 心寧は左足を引きずっているが、痛みはほとんどなく、ゆっくりなら歩けるという。怪我が大したことなくて本当に良かった。

 刀祢は机の上に置かれた弁当袋から弁当を取り出して、フタを開けて、何時ものように早弁を始める。

 今まで、何かと文句を言っていた心寧だったが、最近は諦めたらしく、早弁については認めてもらえたようだ。


「この足だと剣道部へ行けないよ」

「その怪我で剣道は無理だな」

「どうしよう?この怪我だと剣道部の皆に稽古をつけられないよ」


 心寧は、この左足では剣道部へ行っても稽古をつけることができないと困った顔をする。直哉がいれば何とかなるだろうと刀祢は思う。しかし、直哉にばかり押し付けるのも悪い。今日は自分も剣道部に顔を出してみようと考える。


「直哉と一緒に、今日は俺も剣道部へ遊びにいくよ」

「本当! そうしてもらえると助かる。ありがとう!」

「ああ、心寧が怪我してるからな」


 心寧は嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。

 最近は弁当を作って来てもらう日も多い。ここでお返しをしておくほうが良いと刀祢は判断する。

 直哉が登校してきたので、今日は心寧が剣道部の稽古をつけられないことを伝え、刀祢も直哉と一緒に行くことを説明する。







 放課後になり、心寧、直哉、刀祢の3人で剣道部の武道場へ向かう。直哉と刀祢は道着を着ただけだ。直哉はいつも道着だけで参加しているという。直哉も刀祢も正式な剣道部員ではないから仕方がない。

 武道場へ着くと既に五十嵐達は基礎訓練を終わらせた所だった。今日は直哉と心寧が女子部のほうへ向かう。


「今日は君達の稽古を見せてもらうよ」

「「「「ハーイ! よろしくお願いいたします」」」」


女子部員達が直哉を見て嬉しそうだ。


「今日は手伝いに来たぞ。今日は俺が担当な」

「なぜ、直哉ではなく、刀祢なんだ」


 刀祢がそう告げると五十嵐をはじめ男子部員達は顔を引きつらせる。


「今日は新しい足さばきの練習をする。すり足で体の重心をブレずに歩くこう」

「わかったよ。皆、足さばきの練習をするぞ」


 五十嵐達はすり足での足さばきが苦手なようで、スムーズではない。すり足での足さばきができるようになれば、それだけ早く体を動かすことができる。

 竹刀を真直ぐにゆっくりと振りながら、すり足で道場を進んでいく。すり足で歩く時に、正中線がブレてはならない。

 竹刀に集中すると、すり足が疎かになる。すり足に集中すると竹刀がブレる。すり足と竹刀、身体全体に集中力を向ける必要がある。

 すり足の練習が終了になると、小休憩を挟んだ。五十嵐は刀祢の隣に座って、色々と話しかけてくる。ずいぶんと五十嵐も刀祢と打ち解けたものだ。


「前から聞きたかったんだけどさ。刀祢と心寧ってデキてんのか?」

「はあ? どこを見たらそう思えるんだ? 意味がわからん」

「刀祢と心寧を見ていると、すごく仲良く見えるぞ。そう思ってもおかしくない」

「心寧とは口喧嘩友達だ。小学校からの付き合いだから、付き合いは長いけどな。友達だ」


 五十嵐が複雑そうな顔をして刀祢を見る。そして呆れたようにため息をついた。


「直哉が言ってたとおりだな。これは重症だ。直哉に任せよう」

「五十嵐、お前、何を言ってるんだ?」


 刀祢のいない時に五十嵐と直哉は一体、何の話をしているのだろうか。当人がいない所で、あまり変な話をしないでほしいと刀祢は思う。

 練習を再開する。次は竹刀を振る基礎を練習。五十嵐と男子部員達は肩の付け根から竹刀を振る癖がある。そうなると竹刀を大振りするばかりで、体力を消耗するだけ無駄だ。それに標的に確実に当てることが難しい。

 刀祢は腕を折りたたんで腕の筋力だけで竹刀を振る練習をさせる。やはり、ゆっくりと竹刀の軌道を確かめながら竹刀を振って、止めさせる。


「竹刀をゆっくりと振る。竹刀がブレないように注意する。剣先をブレさせるなよ」

「なぜ、竹刀をゆっくり動かしているだけなのに、こんなに疲れるんだよ」

「文句を言わずに続ける!」


 刀祢は小学生の時に兄2人に徹底的に基礎を教わったことを思い出す。毎日、同じことの繰り返しで不満を持つこともあったが兄2人は徹底的に基礎を教えた。そのおかげで、短期間で基礎を体に染み込ませることができた。

 五十嵐が近々他校との他校との練習試合があると言う。練習試合で剣道部の男子部は勝ったことが1度もない。刀祢と直哉に参加してもらえないかと相談を受ける。刀祢と直哉は剣道部ではない。剣道部の試合は剣道部でするように促す。


「とにかく剣道部だけで頑張れ」

「そんなこと言わずに、刀祢と直哉も参加してくれよ。俺達、1度くらい練習試合で勝ちたいんだよ」

「それぐらい、自分達の力で勝て。十分に稽古すれば勝てる」

「そんなに簡単に上手くなれねーよ」


 他校との練習試合だけは直哉と2人で観戦しにいくことを約束する。五十嵐はそれだけでも心強いと笑う。

 そして、バイトの時間になったので、刀祢は五十嵐に伝えて、直哉と心寧に手を振ってバイトをするため道場に向かった。
 学校から家に戻り、道着に着替えて道場へ向かう。

 館長の父、大輝と師範代の長男、公輝へ挨拶をし、バイトに入る。

 この道場でバイトを初めてから10日間、父の大輝からも長男の公輝からも何の助言もなく、何の注意点もなく、全てを刀祢に任せている。

 昔から、父の大輝は厳格な父親であったが、寡黙であり、人と距離を取る人柄だった。刀祢は父の大輝と遊んだ記憶は小学校にあがる前までである。それ以降は長男の大輝と次男の剣斗が刀祢の面倒を見た。

 先日までは父、大輝の印象は厳格で寡黙という印象しかなかった。しかし、先日の剣斗との試合の後に、刀祢のことをいつも黙って見守ってくれていたことを理解した。

 今回も刀祢に担当させている門下生3人のことも、刀祢のことも距離を取って、見守っているに違いない。

 昔の刀祢であれば、始終黙っているだけなく、何かを言ってほしいと不満を募らせていたことだろう。

 父、大輝の寡黙さ、それを模範しよとする長男、公輝に対して、その態度が気に入らず、最近まで反発を繰り返していたのだから。

 今では少しは2人の考えていることが理解できる。今回、刀祢に門下生を預けているのは、門下生達と刀祢を見極めようとしてるのだ。

 特に刀祢は門下生達に稽古をつけ、導いていける人物なのか見極めようと見守られている、そんな気がする。


「刀祢さん、基礎訓練が終わりました。これから、稽古をお願いします」

「わかった!」


 天音が刀祢の近くへ駆け寄って、準備ができたことを伝える。

 天音、由香、秀樹の3人も、この10日間でずいぶんと成長した。今では体の正中線から重心がずれなくなり、腕を折りたたんで剣を振ることができるようになっている。


「では今日は組手の練習をしてみようか。組手と言っても本気の打ち合いじゃない。いつものようにゆっくりと木刀を振るんだ。木刀が相手の木刀にどう当たるか、どのように流せばいいか、その感触を掴もう」


「「「はい!」」」


 由香と秀樹が組手を始めた。天音が困った顔で刀祢を見る。


「天音さんは俺と組手をしよう。どんどん打ち込んできて」


 刀祢は中段に構えて、天音が打ち込んでくるのを待つ。天音は折りたたんだ腕を伸ばすようにして、正面から木刀を振ってくる。刀祢は天音の木刀に自分の木刀を重ねるように当てて、天音の木刀の軌道を変える。

 天音は真剣な顔でどんどんと打ち込んでくる。それを木刀を添えるように当てて、全ての天音の打ち込みを受け流していく。


「次は交代して、俺が打ち込むから、天音さんが、それを受け流してみよう。ゆっくりと打ち込むから、天音さんは落ち着いて、木刀を添わすようにして、剣を受け流してみて」

「はい! わかりました!」


 次に刀祢が天音に向かって木刀を打ち込む。天音が受け流せるように工夫して打ち込む。天音は刀祢の打ち込みをどんどんと受け流す。

 刀祢は思う。攻撃も大事だが、防御はそれ以上に大事だ。刀であれば一撃で致命傷になる。木刀も本気を出せば致命傷を負う。一撃をもらわない訓練が必要だ。

 自分の任されている門下生には怪我をしてほしくない。だからこそ、この組手が大事なのだ。

 天音の相手が終え、次は由香、次は秀樹と順番に刀祢は組手をしていく。3人が段々と受け流すコツが掴めてきているように感じる。

 剣斗なら勝つための剣術を教えるだろうが、刀祢は負けない剣術を教えようと思っている。


「そろそろ休憩にしよう。3人共、お疲れ様」


 3人を1周したところで休憩を取る。天音達は水筒を取り出して水分を補給する。

 水筒のコップに麦茶を入れて天音が刀祢にコップをくれる。


「刀祢さんの受け流しは、とても優しいですね。決して受け止めようとはされないんですね」

「刀を受け止めることは、自分の体の全ても止まってしまう状態だ。相手も同じ状態になる。そうなると離れ際で勝負が決まる。これに勝つには経験と駆け引きが重要になってくる。そんな危ない勝負をしたくないからね。俺は徹底的に受け流す練習ばかりしてきたんだよ」

「そうですね。経験の浅い私達だと、剣を受け止めると、後の動作ができませんから。受け流し方を覚えたほうが良いですね」


 天音はそう言って、刀祢の意見に賛同する。


「刀祢さん、館長と師範代が木刀を持っている所を見たことがないんですが、やっぱりスゴイんですか?」

「館長と師範代の剣技は俺も最近は見ていないな。例えていうなら剛の剣といったほうがいいかな。一撃一撃がすごく重いんだ。受け止めていたら、腕が壊れそうなほどに重かったのを覚えてる」

「館長の剣は剛の剣ですか! 刀祢さんの剣は受け流しの剣ですね!」

「俺の剣はそんな恰好いい剣とは思わないけど」

「刀祢さんは恰好いいですよ」



 刀祢は父、大輝と組手をしたことがない。しかし、兄の公輝とはよく組手をした。公輝の剣は一撃が重く、受け流さないと腕が痺れた。その時から刀祢は受け流す剣を覚えるようになったことを思い出す。

 兄の公輝は父、大輝の剣を真似ている。だから父、大輝の剣は剛の剣だと刀祢は推測する。

 そして、刀祢は剛の剣を会得できなかった。それは兄2人と組手をして、兄達の剣を受け流さないと勝負に負けることから、受け流す剣を会得してしまった。

 父や兄とは違う剣技になってしまったけど、刀祢は自分の受け流す剣を気に入っていた。

 しかし、ただ受け流すだけでは勝負にまけてしまう。反撃の一撃を持つ必要がある。まだまだ、この3人には教えることが山積みだと刀祢は思う。


「休憩も終わったし、また組手を始めようか!」


「「「はい!」」」


 天音、由香、秀樹の3人は元気よく返事をすると組手に取りかかった。

 刀祢は人に教えるということは、自分の復習にもなり、良い稽古になることを初めて知った。
 練習試合当日の朝。

 朝早くにロードレーサーに乗って学校へ向かう。校門のところで争っている男女を見つける。ロードレーサーを止めて、ゆっくりと校門へと向かう。

 揉めている女子は心寧だった。心寧は見知らぬ男子に腕を引っ張られている。男子の服装はブレザーの色もパンツの色も違う。他校の生徒だ。


「どうしたんだ?」

「刀祢、助けて!」

「朝から心寧に絡んで、お前は他校生だろう?」


 なるべく平静を装って声をかけると、心寧は男子の手を振り解いて、刀祢の背中へと隠れる。


「俺は県立第七高校の倉木省吾(クラキショウゴ)だ。今、心寧さんと大事な話をしていたんだ。邪魔しないでくれるかな」

「私はあなたと話すことなんて、一切ないわ。いい加減に私につきまとうのはやめて!」



 心寧は大事な友達だ放っておくことはできない。それに心寧は涙を溜めて震えているじゃないか。これは普通じゃない。


「心寧が嫌がっている。ここは退いてもらおうか!」

「君は剣道部の部員か?見たことはないが?」

「剣道部の部員ではないが、関係者だ」


 それを聞いた倉木は楽し気に笑う。


「今日の剣道部の練習試合で、五月丘高校が負けたら、心寧さんとデートさせてもらう。この勝負を受けてもらおう!」

「なぜ、あなたが勝手に私とデートすることになってるの? 冗談じゃないわ。あなたなんて大嫌いよ」


 倉木の通う県立第七高校は、県大会で3位の成績を誇る、剣道部の強豪だ。普通であれば、五月丘高校の弱小剣道部では勝てる相手ではない。

 そのことをわかっていて無理な条件を突きつけてきているのだ。ずいぶんと卑怯なやり方だ。倉木という男子の性格がわかるというものだ。


「心寧は泣いて、お前のことを嫌がってるんだから、手を引けよ。もう嫌われているんだよ。心寧とデートしても無駄だ。心寧はお前のことが嫌いだ」

「それは違う。他校だからあまり交流がない。本当の俺のことを知ってくれれば、必ず心寧さんも心を開いてくれるはずだ。そのことを俺は知っている」

「お前、正気か? 前向きすぎないか? 少しは現実を見ろよ」


 なんとポジティブな性格なのだろう。そして自己中。心寧の気持ちなんて全く理解しようともしてない。この手のタイプは厄介だ。


「勝負を受けてやっても良い。その代り、こちらからも条件を出す。大将戦に俺が出る。お前も大将戦に出てこい。その勝負で俺が勝ったら、お前は2度と心寧につきまとうな。俺が負けたら、心寧とデートしてもいい」


 慌てて、心寧が刀祢の後ろから前に回る。


「刀祢、勝手にデートの話しを進めないでよ。私は嫌よ。絶対に嫌!」


 刀祢は心寧の耳元でささやく。


「俺は絶対に勝つ。安心しろ」


 刀祢の言葉を聞いて頷くと、心寧は刀祢の後ろへ隠れた。よほど倉木のことがイヤらしい。


「やっと話し合いは終わったか。俺はその条件で勝負を受けてもいい。俺相手に勝負を挑んだことを、後で後悔させてやる。俺は実力は県内3位だ。せいぜい頑張ってくれ」

「ああ、俺がお前を倒す」

「その言葉をそのまま返そう」


 そう言って倉木は校門から去っていった。


「あいつは何者だ? どうして心寧に付きまとっているんだ?」

「以前、県立第七高校と練習試合をした時に、いきなり一目惚れしたって告白されて、それからずっと付きまとわられているのよ。すっごくしつこいの」


 気の強い心寧が、これだけ困っているんだから、相当しつこくデートに誘われているな。心寧は嫌がっているし、何とかしたほうがいい。

 まだ生徒達が通ってくる時間よりも少し早い。生徒達の注目を集めなかっただけでも良かった。

 心寧が刀祢の背中を叩く。


「刀祢、試合に出るには剣道部員になる必要があるわよ。入部届を先生に提出して、認め印を貰わないとダメだよ。急がないと時間がない」

「あ! あいつと戦うには剣道部へ入部する必要があるのか!」

「刀祢、そのこと、考えていなかったの? 早く入部の手続きを取り行こう」


 心寧の言う通りだ。倉木と戦うためには剣道部に入部する必要がある。朝のうちに書類の手続きを済ませておいたほうがいい。刀祢は駐輪場へロードレーサーを駐輪させて、心寧と2人で教室まで急いだ。

 教室に着いて、自分の鞄を机の上に置いていると、直哉が登校してきた。刀祢と心寧が慌てている姿を見て声をかけてくる。


「2人共、何を騒いでるんだ?」

「丁度、良い所に来た。直哉も一緒に手続きに行くぞ!」

「刀祢、何のことだ? ゆっくりと説明してくれ」


 今日の朝の校門での一軒を直哉に説明する。


「また厄介事か。俺も剣道部に入部する。手伝わせろ」

「初めから直哉には手伝ってもらうつもりだった。よろしく頼む」

「わかった!」


 心寧を先頭に廊下を職員室まで歩いていく。

 職員室の中へ入って剣道部の顧問の先生の前に立つ。心寧が、2人が剣道部へ入部することを告げると、顧問の先生はダルそうに机を開けて、入部届を出して刀祢達に手渡す。

 その場で入部届にサインをして顧問の先生に手渡す。心寧が詳細は私から説明しておくと説明する。顧問の先生は頷いて了承した。これで刀祢と直哉は剣道部員になったわけだ。


「刀祢も直哉も、私のせいで2人を巻き込んでゴメンね」


 心寧が申し訳なさそうな顔をする。


「気にするな! 俺もあいつは気に入らない! 絶対に助けてやるから!」

「刀祢がその気なら、俺も協力しないとね」


 刀祢の言葉を聞いた直哉は心寧と刀祢の顔を見て、爽やかに微笑んでいる。


「それじゃあ、俺は五十嵐にこのことを説明してくる」


 直哉は2年3組の教室を目指して歩いていった。刀祢と心寧は2人で自分達の教室へと戻る。

 小さい声で心寧が呟く。


「刀祢、助けて! 絶対に勝ってね!」

「おう! 任せておけ!」
 放課後になって、刀祢は直哉と心寧と共に武道場へ向かう。更衣室で道着の上に防具を身に着け、今日は完全に剣道着の恰好だ。


「いつも思うけど、結構、動きにくいな」

「それは慣れだよ刀祢。俺はもう慣れた」


 直哉が体を動かしながら、身体の動きをチェックする。刀祢も感じたことだが、剣道着をきると、窮屈(キュウクツ)な感覚に身体が覆われる。

 武道場で五月丘高校剣道部の男子達は練習を始める。ゆっくりと竹刀を振って、竹刀のブレを確かめて修正していく。それを何度も繰り返して、竹刀をブレなく真直ぐに振り下ろす感覚を体に馴染ませる。

 竹刀を振りながらすり足の脚捌きで体を前後させ、正中線のブレを確かめる正中線を動かさないようにして体重移動させる。


「五月丘高校の奴等、踊りを踊ってるぞ」

「剣道は踊りと違うぞ。何を勘違いしてるんだ」


 それを見た、県立第七高校の剣道部の男子達は口々に笑っている。

 準備運動が終わり、組手の練習をする。刀祢の相手は五十嵐で、直哉の相手は新浜だ。 五十嵐は練習通りに腕を小さくたたんで、素早く剣を繰り出す。刀祢は五十嵐の剣を受け流していく。

 直哉は鋭い剣を新浜に向けて放つ。新浜は必死に防御して、直哉の剣を受け流す。受け流し方がかなり様になっている。


(五十嵐と新浜は剣の受け流しはできそうだな。これで勝負はわからない)


 県立第七高校は県内3位の強豪だけあって、練習風景も苛烈だ。上段からの打ち込みの練習。体をぶつけ合う激しい組手。激しい訓練をしているのに部員達は平然な顔をしている。相当、スタミナと体力に自信があるようだ。

 今日は県立第七高校の監督が主審を務め、コーチ2名が副審を務める。1試合の制限時間は4分。相手から有効打を1本先取したほうが勝利者となる変則ルールだ。

 試合形式は対勝負。五月丘高校が勝利するためには3回勝つ必要がある。

 五月丘高校の先鋒は南、次鋒は新浜、中堅は五十嵐、副将は直哉、大将は刀祢の順で決まった。

 県立第七高校の大将は倉木が務める。


「刀祢、剣道のルールを覚えているだろうな」

「一応は覚えてるさ。小学生の時は剣道もしていだんだからな」

「五十嵐、刀祢にもう一度、細かい剣道のルールを説明してやってくれ」


 直哉は時々、剣道部へ稽古をつけにきているので、剣道部の細かいルールまで知っているが、あまり顔をださない刀祢は細かいルールを忘れてかけている。

 剣道では1本を取った後に、打ち切ったことを姿勢で見せる必要がある。1本を取った後も相手の攻撃が続くので、すぐに竹刀を構え直して防御の姿勢に入る必要がある。

 判定がでるまで、次の1本を打てる体制を取る必要がある。そこまでしないと1本、有効打の判定にならない。

 五十嵐に細かにルールを教えてもらうが、上手く頭に入ってこない。基本的なルールだけ覚えて、後は試合を観戦して選手達の動きを覚えることに決める。刀祢はいつもと同じ平常運転だ。

 試合が開始され、県立第七高校は異例な出来事に出会うことになる。先鋒戦の南が延長戦の末まで粘ったことだった。南は負けてしまったが良く健闘した。

 次鋒戦でも新浜が延長戦まで粘り、相手の有効打をことごとく防ぐ。新浜は竹刀を受け流すことが上手い。相手選手は苦労したが、最後に有効打を取られて負けた。

 中堅の五十嵐は、激しい攻防を繰り返す。そして相手の面をとらえて勝利した。五月丘高校の初勝利である。


「やったぞ―――!」


 五十嵐が興奮して男子部員達の前でガッツポーズを取る。

 直哉は試合開始の瞬間に相手の面を取りにいく。相手も体ごとぶつかって鍔迫り合いになるが、離れた一瞬をついて相手の面を捉えて1本勝ち。これで勝負は2対2となり、大将戦に持ち込まれた。


「俺は仕事を果たしたぞ。後は刀祢が決めるだけだ」

「ああ、後のことは任せろ! 決めてくる!」


 大将の倉木は試合開始と同時に身体ごと飛び込んできて刀祢の面を狙う。刀祢は軽く頭を振って面を逸らす。そして鍔迫り合いにならないように、一歩後退する。

 その離れ際を倉木が狙う。また体ごとぶつかるように面を狙ってくる。これが倉木の戦法らしい。

 刀祢は倉木と体を離してから、素早い脚捌きで円を描くように右に動き、中段の竹刀の先で倉木の竹刀を軽く叩いて挑発する。倉木はやはり体当たりの面攻撃を繰り出してくる。

 刀祢は華麗な脚捌きで体当たりを躱し、がら空きになっている胴へ横薙ぎの一閃を入れる。主審が有効打の赤旗を上げる。追撃されないようにすぐに構え直して右へと円を描く。主審が試合終了の旗を揚げる。

 五月丘高校は刀祢、直哉、五十嵐が勝ち、練習試合は五月丘高校の勝利となった。練習試合とはいえ、五月丘高校剣道部男子部の初の勝利だ。初の快挙だ。


「「「「ヤッター! 県立第七高校に勝ったぞ!」」」」


 五十嵐達男子部員達は抱き合って喜んでいる。刀祢と直哉は笑顔で拳と拳を合せる。

 一方、負けた県立第七高校の雰囲気は暗い。県内3位の高校が弱小高校に負けたのだ、ショックも多きい。後から監督やコーチ陣から絞られることだろう。

 刀祢は県立第七高校の監督に挨拶をし、倉木に話しかける。


「お前は負けた。約束は守ってもらう。2度と心寧の周りに現れるな!」

「ああ、わかった。約束は守る!」


 倉木は悔しそうに、刀祢を睨んでいたが、刀祢から離れていった。

 練習試合が終わり、県立第七高校の生徒が帰って行った、武道場の中で、男子部の初勝利を聞いた女子部員は、男子部に拍手して勝利を喜んでくれた。

 刀祢と直哉の近くへ心寧が近寄ってくる。そして2人に深々と頭を下げる。


「2人のおかげで男子部が勝利することができた。本当にありがとう!」

「ああ、俺達も楽しかった!」


 直哉はそう言って、爽やかに笑って、髪を掻く。


「もう倉木は心寧には近づかない。俺と約束したからな!」


 刀祢がボソリと呟く。


「また刀祢に助けられたね。ありがとう」


 心寧は照れて顔を赤くして微笑んでいる。


「心寧は大事な友達だからな!」


 刀祢はそれだけ言うと、照れて顔を横を向いた。

 心寧はそっと手を伸ばして、刀祢の手を優しく握った。
 練習試合があった日から1週間が経った。五月丘高校剣道部男子の初勝利の噂は五月丘高校全体へと流れていった。

 それ以降、刀祢の周りで微妙な変化が起こっている。

 直哉は剣道も面白いと言って、頻繁に剣道部に顔を出すようになった。剣術道場も面白いが、剣道の激しいぶつかり合いも楽しいと言っている。

 直哉が頻繁に剣道部に行くようになったことで、剣道部女子へ入部希望の女子が多くなったらしい。完全に直哉狙いだ。

 刀祢は練習試合で剣道の難しさを知った。刀祢は自分が倉木に勝てたのはたまたまだと思っている。今まで剣術のほうが難しいと思っていたが、大きく認識を変えた。

 ただの人斬りだった剣術がスポーツとなって、色々なルールが決められて複雑化している。スポーツとしての剣道は、剣術に慣れている刀祢とすれば、非常に難しい競技だった。


「そこが面白いんだよ。剣術ではできないことも剣道だとできるしな」


 直哉はそう言って、爽やかに笑っていた。刀祢は直哉ほど前向きになれなかった。やはり刀祢は剣術を愛している。

 最近では3年生達も刀祢の悪口や悪い噂を言わなくなったと杏里がいう。3年生の中では刀祢のことを褒めている3年生もいるそうだ。

 剣道部勝利の情報はクラス内に流れた。クラス内にも微妙な変化が出ている。刀祢を遠巻きにして様子を見ているのは変わりはないが、以前ほど嫌な感じではない。


「やっと、クラスの皆が刀祢のことを認めてくれたのよ。本当はクラスの皆も刀祢に謝りたいと思っているの。でも恥ずかしくてできないみたい」


 莉奈が嬉しそうに微笑んで、刀祢に教えてくれた。刀祢は以前の状態に慣れていたので、今の刀祢に優しいクラスの雰囲気に慣れなかった。

 そして一番の変化が刀祢の目の前で、微笑んで座っている心寧だ。

 心寧は練習試合が終わった翌日から、毎日、弁当を作ってくるようになった以前なら早弁をしていると、嫌そうに莉奈の近くの席に座っていたのに、今は嬉しそうに刀祢の前に座って、刀祢の早弁を食べている姿を見ている。

 そんなにじっと見られると食べにくくて仕方がない。


「今日は美味しい?」

「ああ、いつもと変らないな」

「そ、それなら良かった!」


 刀祢が口喧嘩を誘っているのに、心寧は乗ってこない。なぜか嬉しそうに微笑んでいる。この変化は何だ?

 そして心寧が一番変わったことは、クラスの皆の輪に、刀祢を引き入れようとしなくなったことだ。一切、そのことは言わなくなった。


「刀祢は刀祢だからね。刀祢の好きにすればいいよ」


 こんな言葉が心寧の口から出てくる日がくるとは思ってもみなかった。実に居心地が悪く、やりにくい。

 クラス内では、刀祢と心寧が急接近しているという噂が流れている。普通なら必死で違うと言うはずの心寧が何も言わずに噂を無視している。

 確かに刀祢にとって心寧は大事な友達である。しかし、今まで心寧を女子として、あまり意識したことがない。

 刀祢としては男友達の延長、口喧嘩友達といった感じだ。

 噂を否定したいが、朝から刀祢が早弁している姿を、前に座って微笑んでいる心寧。2人の姿を見れば誤解する者達もでてくるだろう。


「心寧もやっと素直になったのね。良かったわ。これで刀祢君が素直になってくれれば良いのだけど」


 莉奈はそんなことを言っていたが、刀祢としては今まで素直に生きてきたつもりだ。莉奈の言っている意味が全くわからない。

 そんなことを考えながら刀祢が早弁を食べていると、少し心配そうな顔をして心寧が口を開いた。


「刀祢、毎日、授業中は寝てばかりしているけど、テスト対策はできてるの?」


 刀祢は毎日、授業中は眠っている。調子の良い時は昼休憩も寝ている。こんな状態なので、授業中に授業のノートを取っているはずがない。

 そういえばもうすぐ中間考査だ。心寧が心配するのも無理はない。

 莉奈は学年5位、心寧は学年で38位の成績を誇っている。直哉は平均ぐらいの成績だ。刀祢と杏里は赤点よりギリギリ上といった感じで、刀祢の成績は決して良くない。はっきり言って悪い。

「今日は刀祢にこれを貸してあげようと思って持ってきたの。要点はまとめておいたから。刀祢にあげるわ。役に立てて」


 心寧が2冊のノートを刀祢にくれる。中を見ると、きれいな字で、2年生になってからの授業内容が整理されて書かれている。そして要点は端的にまとめられている。


「お前、こんなの作って、勉強家だな」

「ううん。刀祢のために作ったんだよ」

「はあ――――?」


 なんだろう?このサービスは?心寧の気遣いだと思いたいが、何が裏があるのではないかと、刀祢の警戒心が跳ね上がる。


「今度、道場の稽古が終わった後、一緒に勉強しよ。私が教えてあげるから。剣道の次は勉強を頑張ろうね」


 刀祢の体が自然に震える。こんなに穏やかで優しい心寧を見たことがない。こんなのは心寧ではない。頼むから、いつものように絡んでほしいと、いつもの心寧に戻ってほしいと刀祢は心の中で願った。


「稽古が終わったら、ファミレスで勉強ね。約束だからね」


(なんだ?この変わりようは?変化についていけない)


 心寧は嬉しそうに微笑みを深めて、刀祢が早弁をしている姿を見てる。
 莉奈の家に泊まりに来て、今は莉奈のベッドで、莉奈に抱き枕状態にされている。

 莉奈がにっこりと笑って、悪戯する時の子猫のような顔をする。


「最近、刀祢君と口喧嘩もしないで、仲良くしてるわね。心寧の心中で何か変化でもあったのかな? 莉奈はすごく興味あるんだけど!」

「最近の刀祢は私のことを庇ってくれる。何回も助けてくれた。それなのに口喧嘩するのはおかしいと思って」

「それで最近、心寧は刀祢くんに優しいのね。刀祢くんの言葉に過剰に反応していなもそのせいね」


 刀祢とは小学校3年生に道場に入門したからの付き合いだ。小学校の頃は道場に行くと、刀祢が色々な剣術を教えてくれた。

 館長の大輝おじさんも師範代の公輝兄さんも寡黙だけど温かくて優しい人だった。誰も見ていない所でよくキャンディーを貰ったことを覚えている。

 剣斗兄さんはいつも凛々しくて、規律正しくて、正義で、いつの間にか剣斗兄さんを目標にするようになっていた。

 しかし、中学生になった頃ぐらいから、刀祢が両親や兄達に反発するようになった。今でも心寧はその原因をハッキリと知らない。

 心寧の目からは刀祢のワガママに映った。その頃から刀祢は眉間に皺を寄せて険しい顔をするようになった。刀祢は長身だから中学校の皆は刀祢のことを怖がった。

 公輝兄さんや剣斗兄さんを見習うように刀祢に注意すると、すぐ口喧嘩になった。その頃から心寧を見ると刀祢は口喧嘩を吹っかけるようになる。

 中学校の中でも刀祢は1人だけで浮いていた。その頃に直哉と仲良くなっていつも学校では直哉とだけ話していた。心寧が他の皆とも仲良くするようにいうと、口喧嘩になるか、無視されるようになった。心寧は辛かった。

 いつも自分勝手な行動をしている刀祢のことが我慢できなかった。剣斗兄さんに怒られている刀祢を見て、当然だと思った。刀祢が心寧と道場で組手をする時に本気をださないのも心寧の不満の1つだった。


「中学の時、心寧はいつも刀祢くんの愚痴ばっかり言ってたものね」

「うん、あの頃は私は剣斗兄さんのことを信じていたし、剣斗兄さんの言葉は全て合ってると思っていたから」

「今は違うのね?」

「館長のいう通り、刀祢は優しいと思うの。自分なりにペースで人に気遣いしているとってわかったから」


 莉奈は心寧の小学校からの親友だ。だから小学校からの刀祢と心寧のことを知っている。

 高校2年生になって刀祢と一緒のクラスと知った時、心寧はため息が出た。心配していた通り、刀祢はクラスの皆から浮いていった。刀祢のほうもまったくクラスの皆を気にせず、仲良くしようともしなかった。

 そのことが心寧には刀祢のいつものワガママに映った。いつも道場でも1人で黙々と稽古をして、組手を誰ともしようとしない姿もワガママに思った。でも、1人で稽古している刀祢の姿が格好良く見えて、悔しかった。


「心寧は高校で刀祢くんと一緒のクラスになった時、そんなことを思っていたんだね。それがどうして変わったの?キッカケは何?」

「刀祢は本気で組手をすれば、私が怪我することを理解していた。だから、手加減してくれていた。そこを段々と理解できてきたの?」

「以前、それが心寧は嫌だって言っていたじゃない?それがどうして変わったの?」

「刀祢の本気の実力を見たから。今まで私は刀祢と実力は僅差だと思っていた。それは間違いだった。刀祢は遥か上を歩いていることがわかったの」


 道場で心寧と刀祢が組手して、刀祢が負けた時、剣斗兄さんが刀祢を罵倒した。それに怒った館長の大輝おじさんが2人に本気の試合を命じた。心寧は刀祢の本気の試合を初めて見た。結果は刀祢が勝ち、剣斗兄さんは負けて、救急車で運ばれていった。
 
 試合の時の刀祢の剣技を見て、体に電流が流れるような衝撃を受けた。今まで心寧は刀祢と互角に戦えると思っていた。それは心寧の傲慢だった。

 刀祢の剣技は心寧の遥かに上を行くものだった。不覚にも心寧は刀祢の剣技に見惚れた。

 館長の大輝おじさんは剣斗兄さんの考え方を間違っていると言った。そして刀祢のことを優しすぎると評価する。

 剣斗を目標としていた心寧にとって館長の大輝おじさんからの一言はショックな出来事だった。心寧が信じていた目標がガラガラと崩れていく。

 はじめは刀祢が優しいということがわからなかった。でも刀祢は道場でも木刀で女性の顔を狙おうとしない。女性と組手をしたがらない。

 刀祢は心寧以外の女子とは口喧嘩をしない。心寧と口喧嘩はするが、いつも刀祢のほうが心寧のいうことを聞いてくれる。よく考えると刀祢が優しいという意味が段々とわかってきた。見えてきた。

 館長の大輝おじさんが、刀祢のことを優しすぎると言ったことは正しい。剣道部の男子部のことも、面倒そうにしていたが、きちんと稽古をつけてくれる。道場でも担当している門下生3人に基礎から優しく教えている。

 ハイキングに行った時は心寧が怪我をしたのに、文句も言わずに傷の手当をしてくれて、おんぶまでしてくれた。あの時はすごく恥ずかしかったし、嬉しかった。

 県立第七高校の倉木に絡まれた時は、倉木と勝負して勝ってくれた。おかげで心寧は倉木につきまとわれることはなくなった。刀祢のおかげで剣道部の男子部が初めて練習試合で勝つことができた。


「刀祢は剣斗兄さんのように実力を振りかざさない。刀祢はいつも組手をする時、私に怪我をさせないように気遣ってくれる」

「刀祢くんは心寧の実力が発揮できるように組手をしれくていたんだね」

「刀祢はいつも口喧嘩を吹っかけてくるけど、口喧嘩で勝とうしとしない。結局、私のいうことを聞いてくれる」

「最近、心寧は刀祢くんに、いっぱい優しさをもらってるね。だから心寧も変わろうと思ったのかな?」
「少しは恩返しをしたいと思っただけよ!」


 今まで心寧が刀祢を見ていたのは態度だけだった。きちんと全てを見ていなかった。きちんと刀祢のことを理解しようとしていなかった。ずっと心寧は自分の気持ちばかりを刀祢にぶつけていた。

 これからは刀祢のことは刀祢に任せようと思う。心寧は黙って刀祢を見守っていこう。刀祢は大事な友達と言ってくれた。だから刀祢を大事にしようと思う。


「心寧は刀祢君を理解することに決めたのね。やっとそこまで気づいたんだ。少しは進歩したかなか?まだ自分の気持ちに気づいていないみたいだけど」

「私が自分の気持ちに気づいていない? 刀祢への気持ちに気づいていない?」

「小さい頃から一緒だから、それが当たり前になっていて気づかないのね。でも段々と理解するようになるから大丈夫だよ」


 莉奈が意味のわからない謎の言葉をいう。


「心寧はまだまだ成長しないとね。どうして刀祢くんのことが、そんなに気になるのか、心寧も少しは自分の気持ちに気づいたほうがいいよ」

「どうして、私が、刀祢のことをそれほど気にするのか? 私、そんなに刀祢のこと気にしていないよ!」

「そう? 今日の心寧も刀祢くんの話ばっかりしてるよ。心寧も自分の気持ちに、もう少しだけ素直になったほうが良いかもね!」

(私の気持ちは刀祢のことを――――)
 昼休憩が時間がやってきた。刀祢は授業中も机に伏せているが、薄くは意識がある。刀祢は熟睡する体制に入り、夢の中へと入っていく。

 刀祢が熟睡していると肩をポンポンと叩かれた。顔を上げると、鼻がつきそうなほどの至近距離で心寧が刀祢の顔を見ていた。

 思わず焦った刀祢は椅子をずらして、心寧から距離を取る。


「ビックリさせるなよ。昼休憩に何しに来たんだ?」

「ごめんなさい。刀祢に渡したいものがあって―――」


 おかしい。いつもの心寧なら、昼休憩ぐらいは起きていなさいと言って、怒ってくるはずなのに、いつもと反応が違う。


「渡したいモノって何だ?」

「これ、ボストンバック!」


 心寧は手に持っていた布鞄の中からボストンバックを取り出して、刀祢の机の上に置く。刀祢は不思議に思ったが、とりあえずボストンバックを手に取ってフタを開けると、きれいに並んだサンドイッチが入っている。

 心寧は刀祢が昼食を食べない主義であることを知っている。渡す相手を誰かと間違えているのではないかと刀祢は考える。


「誰かと間違ってないか?」

「ううん。それは刀祢のために作ってきたの。たまには軽食を食べてもいいでしょう。お腹空いてない?」


 お腹が空いていないかと聞かれれば、小腹は空いている。サンドイッチぐらいなら丁度良い感じだ。


「サンドイッチなら食べられるな」

「一緒に食べましょう!」

「ああ、いいぞ! 一緒に食べよう!」


 いつも昼休憩の時は心寧は莉奈と一緒にお弁当を食べているはずだ。今まで心寧とは一緒に昼休憩を過ごしたことはない。


「こんなことすると、変な噂がたつぞ!」

「噂なんて放っておけば、忘れるわよ」

「今まで、変な噂を嫌っていたのは心寧だろう!」

「刀祢と噂になるのは、別に構わないわよ。すぐに消えるし」


 何時もなら周りへの体裁を一番に気にする心寧の言葉とは思えない。一体どういう心境の変化があったのか?


「何かすごい悩み事でもかかえてんのか? 俺で良かったら相談にのるぞ」

「悩み事は解決したの」

「そうか! 良かったな!」


 刀祢は心寧の言っている意味がわからなかった。悩みが解決したのなら、いつも通りに莉奈とお弁当を食べたらいいだろう。わざわざ刀祢を起こして一緒にサンドイッチを食べる必要はない。


「なぜサンドイッチを作ってくれたんだ?」

「気分が良くって、刀祢の分も作ったの、食べてね」

「ああ、ありがとう。ありがたくいただくよ」


 悩み事が解決して、気分が良くなって刀祢の昼食を作ってくれたということらしい。しかし、なぜ、刀祢に昼食を作ってくれたのか。


「一生懸命に作ったんだから、早く一緒に食べようよ」

「―――おう、そうするか!」


 刀祢はツナサンドを手に取って口の中へ入れる。味は美味しいが、玉ねぎが大きくて口の中でシャキシャキする。


「美味しい?」

「味は美味しいが、玉ねぎが少し大きいな。口の中でシャキシャキする」

「今度から玉ねぎは、もっと細かく切ってくることにするわ。今回はこれで我慢してね」

「これはこれ、美味ししいって言ってるじゃないか!」

「うん、嬉しい!」


 それを聞いた心寧が俯いて、両手を前にして恥ずかしそうに顔を下に向けている。

 いつもの心寧なら、せっかく作ってきたんだから、美味しいなら文句を言わずに食べなさいと言ってくるはずなのに、様子が違う。


「心寧、そこまで深く考えることじゃない。味はすごく美味しいんだし、そんなに気にすることはないぞ。次に細かくすればいだけだから。俺が言い過ぎた」

「大丈夫。刀祢が美味しいって言ってくれたから! 嬉しい!」


 刀祢がそう言うと、心寧は美味しいと言ってくれたことが嬉しいらしく、刀祢を見て笑顔になる。今日の心寧はいつもと違う。心寧の扱いに注意が必要だ。

 刀祢は卵サンド、ハムサンドとサンドイッチを食べていく。その度に、心寧にきちんと美味しいことを伝え、心寧が落ち込まないようにする。

 こんなに神経を使いながら食べたサンドイッチは初めてだ。サンドイッチを全て食べ終わって、ホッと安堵する。心寧は布袋から水筒を出してコップに麦茶を注いで刀祢に渡す。

 いつもの心寧なら机にコップを置くはずだ。手渡しなんてしてこない。心寧は刀祢のことを面倒に思っていたはずなのに、今日のサービスは過剰だ。

 そう思いながら心寧の手からコップを取って麦茶を一気に飲み干す。


「ごちそうさま!心寧、美味かったぞ。また作ってきてくれ!」

「お粗末様でした。また作ってくるね」


 刀祢に対して心寧がお粗末様などと言うとは思わなかった。心寧は刀祢の声を聞いたはずなのに、そのままスルーした。いつもなら口喧嘩が始まるはずなのに。

 サンドイッチも食べ終わったはずなのに、心寧は椅子から動こうとしない。刀祢が困って周りを見回すと、莉奈と目が合った。莉奈は悪戯っ子のような輝く目で刀祢と心寧を見て手を振って微笑んでいる。


「これは莉奈の悪戯か?」

「何のこと言ってるの? 意味わからないよ」

「今回のサンドイッチは莉奈に手伝ってもらってないからね」

「ああ、心寧の手作りということだな。ありがとう」


 心寧は嘘を言わない。人を騙すこともしない。では莉奈の悪戯ではない。では、どうして心寧は刀祢の傍から離れない。

 心寧が優しい澄んだ声で刀祢に聞いてくる。その声を聞いて、刀祢は即決する。今日の心寧はいつもと違う。


「今日は道場に行くの? それとも剣道部に寄っていく?」

「今日は道場に真直ぐ行くわ」

「私も剣道部が終わったら道場に行くわね。門下生と一緒に教えてよ」


 心寧は今まで剣術では刀祢より強いと思っていたはずだ。まさか心寧から剣術を教わりたいという言葉が出て来るとは思わなかった。


「心寧に教えることなんてねーよ。心寧のほうが俺より強いだろ」

「そんなことない。刀祢のほうが強いってわかったから。お願いね」


 そう言って、心寧が手を合わせて頼む。心寧は道場に行っても今と同じ調子なのだろうか。早く元の心寧に戻ってくれと刀祢は思う。


「仕方ないな。組手以外なら一緒にやろう」

「刀祢、ありがとう!」


 それを聞いた心寧は花が咲いたように微笑んだ。
 道着に着替えて、道場へ向かう。道場に着くと既に由香、天音、秀樹の3人は道場で基礎練習を初めていた。刀祢は静かにその姿を見守る。3人共、基礎訓練をする姿は様になっている。


「こんばんわ」

「「「こんばんわ」」」


 3人から元気の良い声が返ってくる。刀祢は木刀を構えて、1人1人へ組手を相手をしていく。3人共、打ち込みの筋が良くなっている。打ち込む時に木刀のブレがない。

 良い打ち込みができるようになってきたと内心で刀祢は嬉しく思う。まだまだ教えることも多いが、基礎訓練が完全であれば、この3人なら稽古を楽しんでくれるだろうと思う。


「少し休憩にしましょう」


 3人に声をかけて、道場の隅に全員で座る。刀祢の隣は天音の定位置となっている。3人共、水筒を持参していて、天音は紙コップで水筒に入っている麦茶を刀祢に分けてくれた。

 麦茶を一気に飲むと、喉が潤って、火照った体に染み渡っていく。

 天音は気遣いのできるお姉さんだ。少しホワッとした雰囲気をもっていて、人を和ませる空気を醸し出している。落ち着いた黒い瞳、きれいな二重、少し低い鼻、ポッテリとした唇が大人びていて魅力的である。

 天音がこの道場に入門したキッカケは、朝の通勤電車で、毎日のように痴漢に遭うことで困っていたことだった。

 気が小さかった天音は痴漢に遭っても大きな声を出せずにいた。しかし、道場に通うようになって今では痴漢に遭っても、大きな声で叫べるようになったという。

 刀祢から見ても天音は、後数年もすれば妖艶な美女に変化すると思う。これからも天音は多くの男性達の視線を集め、多くの男性達から声をかけられることだろう。美女も大変だ。

 道場で天音に会っても緊張しないが、道場の外で天音と会えば、刀祢は必ず緊張してしまうだろう。

 天音は微笑んで麦茶を紙コップに注いでくれる。


「刀祢くんは、付き合っている女の子はいるの? 好きな女の子は?」

「好きな女の子も、付き合っている女の子もいません。俺はモテないですから」


 刀祢は笑って髪を指で軽く掻く。

 刀祢は自分が常に険しい顔をして、不機嫌な顔付きをしていることを知っている。そんな自分のことを好きになってくれる女子がいるとは思えない。


「男性は見た目も大事ですが、それよりも大事なのは中身です」

「俺には何も誇れる所はないですから」


 今まで両親に褒められたこともない。兄貴達からも褒められたことはない。褒められたことがあるとすれば、剣技のことだけだ。自分はつくづく剣技しか取り柄のない男だと刀祢は思う。


「刀祢くんは男性として誇れる部分が沢山あります。自分で自覚がないだけです」


 天音の真剣な眼差しを受けて、刀祢は冗談として受け流せなかった。


「褒めてくれてありがとうございます」

「道場が終わってから、私に少し時間をください」


 天音が突然、刀祢にお願いをしてくる。何か相談事でもあるのだろうか。


「わかりました。道場で待っています」


 刀祢は軽い気持ちで、天音のお願いを聞き入れた。



 道場に剣道部の練習を終えた心寧と直哉が入ってきた。2人が刀祢の元まで歩いてくる。


「刀祢、学校で話していたとおり、今日は私にも稽古をつけてね」


 元気よく心寧が言う。


「今は基本的なことしか教えていない。心寧は基本はできているから、教えることなんてないぞ」

「そうだぞ、心寧。刀祢は門下生を預かってるんだ。心寧と稽古をしている所を見られると、刀祢が館長に怒られる。ここは大人しく刀祢の言う通りにしよう」


 直哉は心寧の肩を優しく叩く。心寧は少し、ショゲていたが、小さく頷くと、直哉と一緒に自分達の定位置へと歩いていった。


「心寧さんと刀祢くんは仲良いですね」


 天音が微笑みながら聞いてくる。


「心寧とは小学校3年生からの付き合いですからね。大事な友達です」


 心寧がこの道場に来たのが小学校3年生。それからの付き合いだから幼馴染に近いかもしれない。


「すごく仲良く見えます」

「そんなことないですよ。顔を見合わせれば口喧嘩ばかりの時期もありましたし」


 心寧とは小学生の間は仲が良かったが、中学へ入学した頃から言い合いを始めるようになった。

 心寧は剣斗兄貴のことを信じていたので、ことごとく意見が合わなかった。剣斗兄貴を信じる心寧のことを刀祢は苦手だった。そのうち、心寧と口喧嘩していることが普通の状態になっていく。

 中学生のある日、心寧が3日ほど風邪をひき、熱をだして学校を休んだことがあった。寂しさを刀祢は感じた。

 風邪から復帰した心寧と口喧嘩をしている時、妙な安心感と安堵を感じたことを、今でも思い出すことができる。刀祢は心寧と口喧嘩している時、そのことを楽しんでいた。

 それから心寧と口喧嘩するのが楽しくなった。心寧と口喧嘩していないと妙に元気が出ない。それからは、刀祢から心寧に口喧嘩をふっかけるようになっていった。

 刀祢は考える気もなく、心寧との口喧嘩の日々を思い出していた。








 道場が終わりになり、先に直哉と心寧には帰ってもらう。

 天音が更衣室で着替えて来て、薄いベージュ色のツーピースのスーツを着て道場へ入ってくる。まるで別人のような大人の女性だ。刀祢の体が自然と緊張する。

 天音は真剣な顔付きで刀祢の前に立って会釈する。


「刀祢くんのことが好きです! 付き合ってください!」


 刀祢は天音の意表を突く告白に、一瞬、誰に言ってるのだろうと思う。しかし、道場には、今は刀祢と天音しかいない。自分が告白されている事実を理解して、内心で大いに焦るが、顔に出さないようにする。

 天音は答えを待っている。刀祢は考えるが、答えが出ない。しかし、心の奥にモヤモヤした気持ちがある。こんな状態で、真剣に告白してくれている天音に応じるのは失礼だと思った。


「ごめんなさい―――」

「理由を聞いてもいいですか? やっぱり誰か好きな人でもいるんですか?」

「好きな人はいない。天音さんに応えようとした時、モヤモヤした気持ちがあって、スッキリした気持ちになれなかった。こんな気持ちで天音さんに応えるのは、天音さんに失礼だと思う。だから、ごめんなさい」


 天音は優しく微笑む。


「やっぱり、ダメだったかー!」


 刀祢は黙ったまま、何も答えずに立っていた。謝ると失礼だと思った。


「刀祢くん、早く自分の気持ちに気づいたほうがいいわよ」


 天音はそう言い残して道場から去っていった。


(自分の気持ち―――)
 どうして天音さんをフッてしまったんだろう。天音さんは気配りの利く年上の美女だ。

 刀祢には勿体ない話だと思う。

 天音さんは大学1年生の栗色のロングストレートがよく似合う美人だ。可愛くてきれいで童顔で。スタイルも良くて、自慢できる彼女になっていただろう。

 稽古をつけ始めてから、天音さんが一番、刀祢に懐いて努力してくれていた。努力家な面も刀祢は評価していた。なのに、あの場面で告白を断ってしまった。

 刀祢はベッドの上に横になって、天井を見つめながら考える。

 今まで刀祢は女子から告白されたことなどなかった。天音さんから告白されたことも今となってはドッキリではないかと疑ってしまう。それほど刀祢はモテたことがない。

 あの心のモヤモヤ感は何だったんだろう。あのモヤモヤ感がなかったら天音さんの告白にOKを出していた。妙に心の中に引っかかるものがあった。だから断ってしまった。

 惜しいことをしたと刀祢は後悔するが、心のどこかで、これで良かったんだという安心感もある。刀祢は今まで剣の修行ばかりに集中してきた。だから未だに初恋などしたことがない。

 だから恋の感覚がわからない。女性を好きになったこともない。近くにいる女性といえば母親だが、母親はあまり話さない人で、寡黙な父親とお似合の女性だ。

 刀祢のことを信頼しているのか、無関心なのか、全くの放任主義で、今まであまり拘わった記憶が刀祢にはない。

 直哉は小学校の時から女子にモテる。中学の時に直哉とは親友になったが、その時には直哉は女子に対して、興味を示さなくなっていた。

 中学時代の直哉は「女子って構わないとウルサイから困る」と口癖のように言っては、女子達の中に入って、爽やかな笑顔を振りまいていた。

 そう言えば直哉の初恋の話なんて聞いたことがないぞ。直哉も好きな女性がいるのかな。いつも多くの女性に囲まれて笑顔でいるので、直哉が誰が好きなのか、刀祢もわからない。

 杏里は中学の頃から知っているが、高校に入ってからギャル化して、天然ぶりを発揮している。中学の時から元気で明るい奴だった。

 中学の時は杏里が直哉のことを好きだとは知らなかったが、高校に入ってから杏里が直哉に猛アタックをかけている。

 しかし、直哉は上手く杏里をあしらって、相手にしていない。たぶん杏里は直哉のタイプではないように思う。


(今度、直哉にこっそりと、好きな女子がいるか聞いてみよう)


 友達と言えば、心寧と莉奈が今は一番近くにいる友達だ。しかし、心寧と莉奈では、心の距離が違う。

 莉奈は中学の時からの知り合いだが、いつもおっとりとしていて知的で、いつも刀祢を諭したり、叱ったりするお姉さん的存在だ。

 莉奈は、そのおっとりとした雰囲気と、知的な面を持ち合わせた美少女だ。刀祢も美少女だとは思う。胸もEカップあるし、男子生徒の中でも人気が高い。

 しかし、莉奈は刀祢にとっては怒ると怖いお姉さん的な存在で、恋愛対象として見ることはできない。絶対に無理といえる。

 心寧は小学校4年生から道場に通うようになり、その頃からの刀祢との知り合いだ。

 いつも道場で一緒に稽古をし、小学校も中学校も同じ学校で、いつも口喧嘩ばかりしている幼馴染だ。

 刀祢の小学校からのアルバムには心寧の小学校の頃の写真が多く載っている。いつも刀祢の傍にいて当たり前の存在だ。心寧のことを女性として意識したことがない。

 心寧は他校からも告白にくるほどの美少女だと莉奈はいうが、刀祢にとって心寧は、どこにでもいる女子高生と変らない存在で、美少女とは思えなかった。

 あんな怒りっぽくて、泣き虫で、感情的な心寧が、どうしてモテるの意味不明だ。

 刀祢はベッドに仰向けになったまま、まぶたを伏せる。すると、小学校からの心寧のことばかりが思い出として浮かんでくる。

 泣いている心寧。怒っている心寧。拗ねている心寧。喜んでいる心寧。笑っている心寧。


(ヤバい! 俺って女子といえば心寧しか知らないじゃん)


 今更ながらに、天音と付き合ったほうが良かったかもと思う。そうしなければ、心寧に侵食されてしまう。どうしてフッてしまったんだろうと今になって後悔する。

 すると頭の中で泣いて、服を掴む幼い心寧の顔が浮かぶ。

 刀祢は心寧を泣かせたくない自分に気づいて、驚く。今まで、そんなことを考えたこともなかった。確かに刀祢は心寧のことを妹のように思っている部分もあった。

 可愛い妹、口喧嘩をして口を尖らせている妹、ちょっと拗ねている妹、笑顔が可愛い妹。

 刀祢は小さい頃から道場で心寧と一緒の時、心寧に剣術を教えていた。その関係もあって、自然と心寧のことを妹のような存在にすり替えてしまっていたらしい。


(心寧のことは妹のようで放っておけないんだよな)


 刀祢が冗談で心寧を泣かせるのは構わない。しかり他の男子が心寧を泣かしたりすることは絶対に許せない。そんなことをした男子は絶対にギタギタにしてやる。

 どうして、心寧のことを、こんなに庇って、守ろうとしているのか、刀祢自身が理解することはなかった。

 ただ、刀祢は心寧の笑顔をずっと見ていたかった。それがモヤモヤの原因であることを理解
する。


(このままだと、心寧が早く彼氏を作らないと、俺は彼女を作れないじゃないか)


 刀祢は自分の心を、全く勘違いしていることに気づかず、そのまま目をつむって眠りにおちた。

 刀祢は心寧が初恋の相手であることに全く気づくことはなかった。