お前は俺のこと嫌いだったよな?なぜ、いつも傍にいる!?

 直哉と刀祢が五十嵐と新浜の対面に立つ。五十嵐と新浜はきちんと剣道の防具を着用している。しかし直哉と刀祢は道着に竹刀だけの恰好だ。


「その姿は何だ。きちんと防具をつけろ。俺達をバカにしてるのか」

「それは誤解だ。急に武道場に来たから、道着しか用意できなかっただけだ。そんな些細なことは気にするな。思いっきり試合をしよう」

「防具も着けていない相手に、真剣に竹刀で打ち込めるか!」

「俺達のことは本当に気にしないで、思いっきり打ち込んできてくれ!」

「俺達をバカにしやがって! 後悔させてやる!」


 直哉は五十嵐達にそう言ってにこやかに笑う。

 五十嵐は文句を言いたそうにしていたが、直哉の笑顔を見て諦めた。

 直哉が先に歩き始めて開始線に座る。それを見た新浜が開始線に座る。主審を務める心寧が手を上げて試合開始の合図を出す。

 互いに一礼をして竹刀を構える。直哉は中段に竹刀を構え、正眼の姿勢を取る。新浜は上段に構える。


「キィェエ―――!」


 新浜は奇声を上げて、上段に構えた竹刀を小刻みに上下させる。そして細かい脚捌きで前後に動くが、すり足になっていないので、妙に足が浮いている。

 直哉は無表情のまま、ヒタと新浜を見据えたまま微動だにしない。直哉が仕掛けた。中段の竹刀を少し前に出して新浜の動きを誘う。

 新浜は勢いよく直哉の竹刀を自分の竹刀で跳ね飛ばす。直哉はその勢いを殺さず円を描くようにして竹刀を新浜の直上へ回転させて面を奪う。


「面あり! 勝負あり!」


 剣道部の女子部員達から盛大な拍手が沸き上がる。直哉の名前を呼ぶ女子もいる。直哉は爽やかに笑って女子部員に手を振る。

 女子部員達は喜びの歓声をあげる。

 さすが学校NO1イケメンの直哉だけのことはある。女子からの人気度は抜群だ。しかし男子部員の視線は鋭い。

 次は刀祢と五十嵐との対戦だ。2人共開始線に座って試合開始を待つ。心寧が試合開始の合図を送ると、2人は礼をして竹刀を構える。

 刀祢は竹刀を中断に構えて五十嵐を見据える。五十嵐も同じ中段だ。竹刀の先を刀祢の竹刀に当てて、刀祢を挑発してくるが、そんな挑発に誘われることはない。

 痺れをきらした五十嵐は体当たり気味に竹刀を振り下ろしながら、刀祢に体をぶつけてくる。それを見越していた刀祢は体を半歩ずらして、体当たりをヒラリと躱す。そして中段に構える。

 次に五十嵐は中段に竹刀を構えて、面や籠手を狙って竹刀を振るう。刀祢は相手の竹刀を自分の竹刀を添わせて、軌道を変えて、相手に1本を取らせない。

 五十嵐は必死に竹刀を繰り出してくるが、ことごとく刀祢に竹刀の軌道を変えられてしまう。


「キィェェー!」


 気合を入れて上段から面を奪いにくる。刀祢は1歩後退して寸の見切りで竹刀を躱す。

 五十嵐は体当たりを繰り返し、竹刀を必死にくりだすが、刀祢はひらりと躱し、自分の竹刀を相手の竹刀に添えて軌道をずらし、相手の攻撃の全てを無効にしてしまう。

 そして常に五十嵐の攻撃が終わると平然とした顔で竹刀を中段に構える。その姿は何とも凛々しい。


「まさか、刀祢、試合中に稽古をつけてるの? 刀祢、すごい!」


 この試合は正式な試合ではない。よって攻撃を仕掛けなくても注意を受けることはない。そして制限時間も設けられていない。どちらかが1本を取られるまで試合は続く。

 心寧は心の中で刀祢の技術を褒める。通常は木刀を使用している刀祢にとって竹刀を使うことは、剣のブレを起こす原因になりやすい。しかし、刀祢は自分の竹刀を自在に操っている。

 そして五十嵐の竹刀を打ち返すのでもなく、受け止めるのでもなく、竹刀を添えるようにして受け流していく。そしてさりげなく、五十嵐の普段の体勢の悪さを正すように、誘導している。

 刀祢は試合をしているわけではなく、五十嵐に稽古をつけているのだ。試合中に稽古をつけるという発想が心寧にはなかった。

 五十嵐はとうとう体力が尽きて、道場の真中でヘタリこんだ。その頭の上にポンと刀祢が竹刀を軽く叩く。


「面あり! 勝負あり!」


 五十嵐は面をすぐに取って、仰向けに倒れて大きく深呼吸をしている。体中、汗だくだ。その姿を見て、剣道部の女子部員達はビックリしている。心寧だけが小さく拍手をして満面の笑みを浮かべる。


「五十嵐、よく耐えたな。でも練習不足だ。毎日の練習を怠っているから、こんなことぐらいで倒れるんだぞ。これからは遊ばずに練習しろよ。勝ったら、何でも言うことを聞くんだろう。これからは毎日、稽古に励め。そして心寧の言うことをキチンと聞け。俺と直哉も時々は顔をだすからな」

「息がツライ―――息を整えるからちょっと待って―――」

「ああ、ゆっくりと息を整えろ。それまで待ってやる」


 五十嵐はまだ息が荒く、倒れたまま動けない状態だが、段々と息が整ってきて、口を開く。


「ああ、約束は守る。これだけ動いて、まだ余裕って、どれだけ体力があるんだよ。化け物か。お前はすごいわ」

「心寧の通う道場では、俺クラスは何人もいるぞ。だから心寧は強いんだ。だから心寧の言う通りに稽古していれば、お前達も強くなる」

「わかった。これからは心寧の言う通りにする。それでいいか?」

「時々、俺と直哉も武道場へ来て、稽古をつけてやる」

「もう来るな! 体がもたん!」


 五十嵐は黙ったまま天井を眺めている。まだ呼吸は荒いままだ。

 心寧がタオルを持って刀祢に元へ歩いてくる。タオルをもらって軽く汗を拭く。


「これで稽古はつけたぞ。これで心寧との約束は守ったからな。後は直哉に任せて、俺はバイトに行く」

「ありがとう、刀祢」


 心寧が慌てて、刀祢の道着の袖を引っ張る。


「せっかくだからさ。剣道部の皆と自己紹介をしようよ。刀祢にも新しい知り合いができるよ。刀祢のこともわかってくれると思うしさ」


(ん?話が違う。もしかすると、心寧の本当の目的はこれか!)


「お前もお節介な女だな。俺は今の友達で十分だ」

「そんなこと言わずに皆と友達になろうよ。剣道部の皆も刀祢達に稽古を付けてもらうと強くなるし、私も助かるし――」

「ああ、時々ならな。普段は直哉に任せる。それでいいだろう」


 それを聞いた心寧は安堵したような顔になり、優しい目で刀祢を見て、にっこりと微笑んだ。
 家に帰り道着に着替えて、道場の中へ入る。道場の中は夜の部の門下生達が既に練習を始めていて活気づいている。

 館長の父大輝と師範代の長男公輝の座っている元へ行って軽く会釈する。


「遅かったな。刀祢に門下生3人を預ける。自分の好きなように育ててみろ」


 父の大輝はそれだけいうと、刀祢から視線を外して、道場全体を見ている。


「これは門下生達の訓練でもある、刀祢が人を教える訓練でもある。刀祢が門下生をどのように導くか見極めさせてもらう。お前の担当はあの3人だ」


 長男の公輝が指差した方向を向くと、道着を着て床に座っている女子2人男子1名がいた。見るからにやる気がないのが伝わってくる。


(落第生を押し付けられたのか? やる気のない者達を使って俺を見極めようというのか)


 刀祢はもう一度、会釈をして、刀祢が担当する3人も元へ歩いていく。刀祢が近づくと、3人は呆然と刀祢の顔を見ている。


「剣斗師範代代理が怪我をされて、門下生を教えられなくなった、その間、剣斗師範代代理の弟の俺、刀祢が君達を教えることになった。3人の名前ぐらいは自己紹介しれくれないか?」


 茶髪のロングストレートの女性が立ち上がって礼をする。


「私は長瀬天音(ナガセアマネ)と言います。大学1年生です。この道場の門下生になってから半年になります。よろしくお願いいたします」


 次に少し幼い感じの女子が立ち上がる。


「私は鈴木由香(スズキユカ)です。五月丘高校の1年生です。新垣心寧(アラガキココネ)先輩に憧れて門下生になりました。」


 最後に刀祢と同じぐらいの長身でマッチョな男性が立ち上がる。


「俺は河野秀樹(コウノヒデキ)大学2年生だ。よろしく」

「では俺のことは刀祢と呼んでくれ。俺も下の名前を呼ばせてもらう。半年間、剣斗師範代代理からどんな練習法を教えてもらったんだ?」

「師範代代理からは半年間は見学して、門下生達の動きを見て慣れろと言われました。基礎を一応教わっただけです」


 代表して天音が応える。ハキハキとした物言いでシッカリ者のようだ。


(剣斗の奴、素質がないと思って、中途半端な教え方をしていたな)


 剣斗は自分が使えないと思った者には教えない、またはいい加減な教え方をする。

 そのことを父の大輝も長男の公輝も何も言わないで黙認している。

 小さい頃からそうだった。長男の公輝は父大輝に従順で、父の大輝の真似ばかりする。父の大輝は寡黙なので、長男の公輝も何も言わない。

 そして、何にでも出張ってくる剣斗がその場を仕切る。そのことについても2人は何も言わずに黙認する。刀祢はそんな父と長男のことが嫌いだった。

 次男剣斗とは性格が全く合わなかったが、父の大輝と長男の公輝とも反りが上手く合わず、刀祢から一方的に無視していた。

 父の大輝から刀祢は優しい言葉をかけてもらったこともなく、剣技で認めてもらったこともなかったので、悔しい思いをしたこともある。

 天音、由香、秀樹の3人はまだ稽古の下準備もできていない状態だ。たぶん何も教わっていないのだろう。


「今日は稽古に入る前の下準備を教える。剣を持って中段に構えて、木刀の先を揺らさず、1点に集中させること。10分1セットで3回繰り返そう」


「「「はい!」」」


 それを聞いた3人はあまりにも簡単なことなので、笑顔で木刀を中段に構えて、刀祢の言ったように集中を始める。

 しばらくすると3人に剣先が微妙に揺れる。そして木刀を握っている手や腕に余分な力が入っているようで、体から汗を噴き出させている。一瞬でも気を抜けば、1点を目標に木刀を制止させることができない。

 3セットが終わった所で秀樹が自分の腕の筋肉をほぐしている。


「簡単だと思ったけど、案外と体力と精神力を使うな。ただ中段で立っているだけなのにこれだけ辛いとは思わなかった」


 天音と由香も同じ感想のようで深く頷いている。


「集中力が散漫だと時間が長く感じる。そして木刀の重さも段々と重く感じてくる。まだ集中力が足りていない証拠だ」


 刀祢は次の訓練法を教える。木刀を中段に構えて、真直ぐ、ゆっくりと上段の構えに移動させる。そして木刀を振りぬくように、ゆっくりと下に降ろしてくる。全てが止まるようなゆっくりとした動きだ。


「竹刀を止まらない程度にゆっくりと振り下ろしてくるのがコツだ。決して急ごうとするなよ。ゆっくりとだ」


 この時に木刀の剣先が揺れてはいけない。常に木刀を軌道をブレさせず、自分の筋力で木刀を止めることができることが重要だと刀祢は3人に説明する。天音、由香、秀樹の3人は深く頷くと練習を始めた。これも1セット3回だ。


「剣先を揺らすな。木刀の振りも真直ぐに振り下ろす。集中して」


 3人はどうしても中段から上段へ木刀を上げる時に木刀の剣先が揺れる。そして木刀をゆっくりと振り下ろす時に軌道が歪み、真直ぐ振り下ろすことができない。


「できるだけ、木刀全体を感じて把握すること。そして体の力を調整しよう。木刀を振り下ろす時は、できるだけゆっくりと真直ぐに降ろすことに集中する」


 3人は時間をかけて3セットを終了させる。その時には3人共汗を流し、床に座り込む。極度の精神集中で疲れてしまったらしい。


「今日教えたことは、稽古前の下準備だ。基本の2つだけを教えた。基本は大事だ。3人は少し出遅れている。しかし気にする必要はない。俺が出遅れた分を取り戻す方法を教える。優しく教えるつもりだが、よろしく」


 秀樹が床に座りながら疲れた声を上げる。


「刀祢を信じるよ。それにしても、これが稽古の下準備とはキツクないか。もう少し、楽な方法はないのか?」

「一番、楽で近道な方法を教えている。3人の稽古については館長から許可を受けている。俺に従ってもらうしかない。諦めてくれ」


 館長の名を言われて、秀樹は諦め、天音と由香は頷いている。


「先ほどの基本ができるようになれば、こういう応用もできる。少し見ていてくれ!」


 刀祢は木刀を中断に構えて、ゆっくりと木刀を操り、華麗に舞いを踊るように剣を操り、華麗な脚捌きを見せる。

 その刀祢の姿を見て、由香、秀樹は口を開けて、見惚れている。なぜか、天音だけは頬をピンク色に染めていた。
 刀祢が天音、由香、秀樹の3人に稽古をつけていると、学校の剣道部が終わった直哉と心寧が道場へきた。

 心寧と直哉は自分達の準備運動をしながら、刀祢の稽古の付け方を観察する。刀祢は基礎中の基礎を教えているようだ。

 心寧と直哉が刀祢達に近づいてくる。


「刀祢、私達も仲間に入れてよ」

「ああ、いいぞ! 心寧、直哉、この3人に準備運動の模範演技を見せてあげてくれ」

「わかったわ! 直哉、準備運動しよう!」


 直哉と心寧は木刀を中断に構え、ゆっくりとした動きで剣術の型を丁寧になぞっていく。さすがに直哉も心寧も木刀の先がブレたりせず、重心移動もスムーズで完璧だ。

 それを見た天音、由香、秀樹の3人は完全に観客気分で拍手をしている。


「何を拍手してるんだよ。今度はお前達も一緒にするの。これは稽古なんだから。そのことを忘れてもらっては困る」


 刀祢はそう言うと、それぞれ2人1組に分かれて、剣術の型を教えることになった。刀祢は天音を、心寧は由香を、直哉は秀樹を教える。1対1で、丁寧に体の動きと木刀の動きを教えていく。

 そして何度も天音、由香、秀樹の3人は合格というまで、剣術の型を繰り返し行う。注意点があれば、すぐに矯正される。

「剣先がブレてる。木刀を真直ぐ振れていない。もっとゆっくりと、集中して」

 慣れない3人は妙なところに力が入ってしまい、その癖が抜けない。そのため余分に体力が必要となり、息が荒くなっている。

 何度も力の抜き方を教え、反復練習を行う。最後にはそれなりに見えるようになっていた。その時点で3人の体力が尽きた。秀樹が手をあげる。


「刀祢、少し休ませてください。ちょっと体力がキツイ」

「仕方がないな。3人共、少し休憩な」


 3人には休憩をしてもらう。その間に心寧が刀祢に近寄ってくる。


「今日は剣道の面を持ってきたから、それを被るから、私と組手をして」


 刀祢は女性全員に対して剣を向けられないというのに、心寧は何か勘違いしているようだ。原因は確かに心寧の額に怪我をさせたことだが今では、そのことを気にしていない。

 女性と組手をして、怪我をさせる可能性があることがイヤなだけだ。心寧は完全に勘違いをしている。

 刀祢も心寧から組手の稽古を頼まれれば断ることもできない。


「仕方ないな。組手1回だけだからな!」

「1回だけでいいよ。その代りに本気を出して。今日は面も持ってきたんだから、顔を狙っても怪我にはならないわ」

「そういう問題とは違うんだけどな」


 刀祢は木刀を中断に構えて、心寧と対峙する。心寧も中段の姿勢をとる。心寧は腕を小さく折りたたんで高速で刀祢を攻撃する。心寧の必勝パターンだ。

 しかし、何度も組手の相手をしている刀祢には通用しない。全ての剣を木刀で受け流し、絶妙な脚捌きで躱していく。しかし、刀祢から攻撃することはない。


「刀祢! 本気を出してって言ってるでしょ!」

「これでも一生懸命やってるよ! うるせーな!」


 刀祢も悔しい気持ちはある。心寧が真剣に組手をしているのに、攻撃できない自分が情けない。しかし、こればかりは体が動かないのだから仕方がない。最後には刀祢が心寧に追い詰められ、1本を取られてしまった。

 面を取った心寧の顔は、勝ったというのに笑顔はなかった。


「こんな勝ち方。勝っても嬉しくないんだからね」

「心寧が勝ったんだから良いだろう!」


 天音と由香が拍手している。直哉と秀樹も頷いている。

 天音が刀祢と心寧の元まで歩いてくる。天音が突然の質問をする。


「刀祢さんと心寧さんは付き合ってるんですか?」


「「え?」」


 刀祢と心寧は天音の質問を聞いて2人共驚いた顔をする。


「心寧、お前、俺のこと好きだっけ? 嫌いだよな?」

「嫌いじゃないけど、ただの大事な友達よ。時々、口喧嘩はするけど」

「俺も心寧のことは友達だと思ってる。一番安心できるしな。お節介なところもあるけど」


 刀祢と心寧の2人は互いに笑顔で答える。

 それを聞いた天音は2人をじっと見て観察している。

 道場が終わる時間まであとわずかだ。皆で話し合っている暇はない。


「それでは休憩は終わり。さっきの稽古の反復練習をしよう」


「「「はい!」」」


 刀祢は天音、由香、秀樹の3人に今日教えた内容を、反復練習をさせる。直哉と心寧は丁寧に3人に指導していく。刀祢1人で指導していた時よりもスムーズだ。

 3人は体力不足で倒れそうになっていたが、道場が終わるまでよく耐えてくれた。


「今日は3人共、お疲れ様。これが基礎になるから、稽古の時は必ず、先にこの練習は欠かさずにやってほしい。俺達も準備運動として毎日のように繰り返しやっている」


「「「わかりました! ありがとうございます!」」」


 夜の部の道場も終わって、天音、由香、秀樹の3人は頭を下げて帰っていった。道場が閉鎖されて刀祢と心寧と直哉だけが道場に残る。

 刀祢は父親の大輝からバイト代を日払いでもらった。これで金欠生活からも脱出できる。刀祢は封筒を持って満面の笑みを浮かべる。

 刀祢は心寧と直哉に声をかける。


「いつも奢ってもらってるから、ファミレスでドリンクバーセットぐらいなら奢るよ」


 直哉と心寧が刀祢の言葉を聞いて微笑んでいる。
 刀祢が心寧に頼まれて剣道部へ行ってから10日が経った。今では頻繁に心寧がお弁当を持ってきてくれるので、朝からガッツリと早弁ができる。

 早弁については心寧から散々、注意を受けたが、刀祢の食事習慣は朝食と夕食に偏ってしまっている。家でもガッツリと朝食を食べているが、どうしても朝は腹が減る。莉奈にも注意を受けたが、空腹は最高の調味料だ。刀祢は早弁をやめなかった。

 今日も心寧の持ってきたお弁当を早弁していると、杏里が元気に登校してきた。自分の席に鞄を放り投げて、そのまま莉奈と心寧の元へ走っていく。


「今日、3年生のギャルお姉さんに聞いてきた情報なんだけど、すごいの!」

「今度は何の情報なの? 今度はキチンとした情報なの?」

「今度は良い情報だよ! 自信あり―――!」


 また3年生の教室へ遊びに行っていたらしい。3年生の男女は杏里のことをよく可愛がっている。しかし天然で、何でも信じ込む杏里は3年生達のよい玩具になっているとしか考えられない。


「この街にあるハイキングコースの山あるじゃん。頂上に神社がある所」

「高嶺山のハイキングコースね。小さい頃、行ったことがあるわ」

「中学の時、心寧と一緒に遠足でいったわね。思い出すわ」


 街の外れにある標高1000mほどの山で名は高嶺山という。車でも走れるハイキングコースが完備されていて、多くの人達がハイキングコースとして愛用されている山だ。


「あの山の神社ってパワースポットらしいの!神社に男女で行って、お願いごとをすると、縁を結んでくれるんだって!すごいでしょ!」

「あの神社って、縁結びの神社だったの? 私、知らなかった!」


 杏里は胸を張って莉奈と心寧に言っているが、これは100%杏里をからかったデマ情報だろう。そんな話を今まで聞いたこともない。杏里は全く疑う様子もなく、鼻息を荒くして報告している。

 杏里はその神社に直哉と一緒に行きたいらしい。杏里はギャルで友達というか、知り合いは数多いが、やはり彼氏には直哉が良いようだ。ある意味一途といえる。

 直哉が登校してきた。自分の席へ鞄を置いて、そのまま刀祢の元まで歩いてくると、刀祢の対面の席に座る。


「俺が剣道部の男子に稽古をつけてるのに、なぜ刀祢がお弁当を心寧に作ってもらってるんだ。おかしくないか?」

「それは心寧に言ってくれ。俺はもらっているだけだからな」

「少しは2人共、気づけよな!」

「何を?」

「俺は別に良いけどさ」


 直哉は剣道部の男子達と仲良くなったらしく、頻繁に剣道部へ顔を出し、男子部の稽古の指導にあたっている。


「直哉には面倒かけると思ってるけど、男子部と仲良くなったのは直哉だ。俺は剣道部の稽古を行けとは言ってないぞ」

「何か不公平感を感じただけだ。なぜ俺が稽古をつけてるんだろうな」

「それは直哉が決めたことだろう。俺は何も言ってないぞ」

「別にいいんだけどさ」


 直哉の話しでは剣道部の男子達は、刀祢達が試合に勝った日から真面目に稽古に励んでいるという。直哉が基礎から教えているので、段々と様になってきたという。

 今度、刀祢も顔を出してみようと思う。もちろん稽古をつけるつもりは一切ない。

 直哉から剣道部の男子達の件を聞いていると、杏里が勢いよく走って来て、直哉の目の前でピタッと止まる。そして嬉しそうに直哉の顔を覗き込む。


「直哉ー。今週の休み、私と一緒にハイキングコースの神社に行こう。とっても良いことが起こるよ。私と2人で行こうよ!」

「刀祢、いったい杏里は何を言ってるんだ? 刀祢は何か知っているのか?」

「知らん。心寧と莉奈に聞け!」


 直哉が何のことだという目で刀祢を見る。説明するのもバカらしいので、刀祢は早弁に専念することにした。


「私と一緒に高嶺山の神社に行こうよ!」

「行ってもいいが2人はイヤだ。もっと大勢のほうが楽しい」

「それじゃあ、刀祢と心寧をさそって、Wデートだね!」

「ブファ――!」


 思わず口から弁当を噴き出しかける。なんということを言い出すんだ。杏里の大声は心寧の耳にも入った。心寧は慌てて走ってくる。


「杏里、どうして私が刀祢とデートしないといけないのよ。そんなのダメよ」

「その言葉はそのまま返させてもらう。なぜ俺が心寧とデートしないといけないんだ。断らせてもらう。心寧とデートなんて考えたこともない」

「私だって同じよ。なぜ刀祢とデートしないといけないのよ! それに、どうして私が刀祢に断られないといけないのよ!」


 刀祢と心寧の口喧嘩が教室内に響き渡る。クラスの皆は興味深げに2人を観察している。刀祢と心寧はお互いに顔を見ないように首を横に向ける。

 莉奈がおっとりした足取りで自分の席から刀祢達の元へ歩いてきた。心寧は莉奈の腕を掴んで、早口で今の状況を説明している。すると莉奈がにっこりと笑って刀祢を見る。


「刀祢君、心寧のどこが気に入らないのかしら。学校でも有名な美少女よ。ちょっと莉奈、刀祢君とゆっくりとお話したいな」

「莉奈、良く聞いてくれ。いくらなんでも心寧と俺がデートをするのはおかしいだろう」


 刀祢は姿勢を正して、汗を流す。刀祢は莉奈が苦手だ。莉奈は外見はおっとりしているが、内面はしっかり者でお姉さん的存在である。刀祢は莉奈には人間的に全く勝てる気がしない。莉奈の説教は優しくて長い。その間、刀祢の精神をガリガリと削られる。それだけは避けたい。

 それでも刀祢にも言い分がある。すこしの言い訳ぐらいはしたい。


「さっきの口喧嘩は心寧のほうが先に俺を断ってきたんだからな。だから俺も言い返しただけだ。だから、今回は俺は悪くない」


 すると莉奈はゆったりと笑みを深くする。


「あのね、刀祢君、男子からのデートの誘いは断っていいの。でも女子からのデートの誘いを無下に断ってはダメなの。それが世界共通のマナーよ。女の子は繊細で傷つきやすいんだから、男子と同じに扱ってはいけないの」

「そんな世界共通の常識なんて聞いたことねーよ」

「では、刀祢くんは心寧が傷ついてもいいのね?」

「そんなことは言ってない!」


 それを聞いた直哉は、自分にも被害がくるのではと、腰が浮いている。

 仕方ないわね、というように莉奈が目を伏せてため息を吐く。


「今週の休日にハイキング、私も一緒に行くわ。それだとデートではなくて、仲良しの友達5人でのハイキングになるわよね。そのほうが楽しいわ。刀祢君もそれだと納得できるわよね?直哉くんもそれでいいわよね?」

「俺も皆でハイキングに行けば楽しいと思ったよ。Wデートと言われて驚いただけだ。週末のハイキング、楽しみにしておく。その代り、お弁当などは全部女子で作ってくれよな。荷物は俺達が持つからさ」

 刀祢はそう言って、まだ食べかけのお弁当に箸をつけた。
 週末の休日になった。空は秋晴れで鱗雲がきれいだ。

 家からロードレーサーに乗って、高嶺山のふもとにあるパーキングへ向かう。

 刀祢がパーキングに着いた時には、既に全員が揃っていた。女性陣は全員が私服のワンピースを着ている。その中で1人だけ見たことのない女子がいる。

 後ろを向いているので顔はわからないが艶々の黒髪のロングストレートの女子だ。

 その女子が振り向くと、いつもポニーテールにしている髪を降ろした心寧だった。いつもと違って女性らしい清楚さが漂っている。


(女って、服装と髪型でこんなにも印象が変わるのか!)


 心寧が美少女だと言われているのは知っていたが、刀祢は気にしたこともなかった。

 今の髪を降ろした心寧を見て、皆が美少女という意味を理解した。心寧は恥ずかしそうに照れながら、刀祢を見て微笑んでいる。
 

(心寧って、こんなに清楚で上品な雰囲気だったか? 俺は騙されているのか?)


 女性に対する不信感を益々高める刀祢だった。


「今日は休日だから、髪の毛を降ろしてきたの。どう似合ってる?」

「ああ、似合ってるぞ。別人かと思った。普段からそうしていれば、お淑やかに見えるのにな。でも、今日は登山だぞ。街に行くわけじゃないぞ」


 都会の街に行くならオシャレをするのもわかるが、山中の登山へ行くのにオシャレをする女心がわからない刀祢。


「心寧が精一杯おシャレしたんだから、もっと素直に褒めてあげて!」

「ああ―――」



 莉奈がおっとりとした笑顔で刀祢に語りかけてくる。刀祢は急いで首を縦に大きく振って頷く。


「ああ! 心寧、似合ってるぞ!」

「本当?」

「ああ―――」


 心寧が顔を赤らめて嬉しそうに微笑んでいる。

 刀祢は莉奈からリュックを受け取って背負う。そして周囲を見回した。既に直哉はリュックを背負い、片手に杏里が寄り添っていて、困った顔をしている。


「山頂へ向かって出発!」

「「「「オ――――!」」」」


 杏里が大きな声で合図を出す、それと共に皆はハイキングコースに入って山頂を目指す。高嶺山のハイキングコースは車も走れるほどの幅があり、山頂まで舗装されているので、歩くだけだと怪我をする心配はない。

 刀祢は先頭に立って、黙々と歩いていく。全く後ろを見ようともしない。グングンと皆から離れていく。


「刀祢! ちょっと待ちなさいよ! 皆で一緒に登るから楽しいんでしょ!」

「俺は今は1人で歩きたい気分なんだ! 放っておいてくれ!」


 心寧は大声で刀祢を呼ぶが、刀祢は無視して振り向きもしない。


(今日はやりづらい。心寧と何を話していいかもわからない。俺に声をかけるな。俺は1人で山頂を目指すんだ)


 刀祢の心など知らない心寧は、刀祢の元へ走っていって、隣に並ぶ。


「無視するって酷いじゃない。皆で一緒にハイキングしようって言ってるの。もう少し、歩くのを遅くして。皆が追いつけない。刀祢、何を焦ってるの?」

「山頂で皆と合流すればいい。心寧は莉奈達と一緒に来い。俺に構わないでくれ。心寧は特に俺に拘わらなくていい」

「何をわけわからないことも言っているのよ。今日の刀祢、ちょっとおかしいよ」

「わかってくれなくて良い! わかられたくない!」


 心寧は文句を言いながら、刀祢と一緒に並んで歩いていく。2人はどんどんと山頂へ向かって歩いていく。

 口喧嘩をしながら先を歩いて行く刀祢と心寧を見て、莉奈は呆れ顔になり、直哉は笑っている。杏里は直哉の隣で気持ちよさそうにしている。


「本当に仲がいいわね。口喧嘩しながら2人で歩いて行っちゃうなんて、2人共、自分達が仲良しだって気づいていない所が可愛いわね」

「ああ、本当だな」

 そう言って、莉奈は先を行く2人を見ながら微笑んだ。


「自分達がすごく仲が良いことに気づいてない。だから俺が苦労するんだけど。あの2人を見ていると飽きないわ」

「本当にそうね。2人を見ていると微笑ましいわ」


 直哉も遠ざかっていく刀祢と心寧を見て笑顔になる。


「刀祢と心寧は超仲良し―! 私と直哉も仲良しだよね?」

「そ、そうかな」


 直哉は腕に抱き着いている杏里を見て、顔を引きつらせる。

 刀祢は隣を見る度に焦る。艶々な黒髪が風になびいてきれいだ。刀祢は女性が苦手だ。女性を意識すると体に妙に緊張が走る。だから今までは心寧は口喧嘩ができる女友達と思って意識していなかった。

 だが、これだけイメージチェンジをされると、さすがの刀祢も焦る。今日を乗り切れば、来週から普段の心寧に戻る。そう心に言い聞かせる。


「ちょっと左足が痛くなってきた。刀祢、歩くスピードを下げて」

「どうしたんだ? 左足を痛めたのか?」

「―――ちょっとね」


 心寧は剣術家だ。少々の痛さは我慢する。その心寧が痛いと言うことはどこか怪我をした可能性が高い。

 刀祢は歩くのを止めて、心寧を道の端まで連れて行き、路上に座らせる。そして、心寧の左足を持ち上げて、靴と靴下を脱がせる。

 心寧は自分の姿を見て恥ずかしがっているが、刀祢は真剣だ。

 心寧が履いていた靴は新品のスニーカーだった。新品なので、まだ革が硬い。靴の当たっている踵の場所が少し、皮膚が剥がれている。これは痛いはずだ。

 リュックから消毒液とバンドエイドを数枚だして、心寧の傷へ消毒液をかけ、バンドエイドを何枚も張って、傷が靴にあたらないように措置する。


「これでいいぞ。登山に新品の靴はダメだ。気を付けろよ」

「心配させて、ごめんなさい」

「ああ」


 心寧は自分で靴下と靴を履いて、立ち上がって調子を見る。靴の部分と踵の間にバンドエイドがあり、クッションになっている。そのことで傷口は痛くない。


「刀祢! ありがとう!」

「おう」


 心寧は顔を真っ赤にして、嬉しそうに微笑んだ。

 刀祢は恥ずかしくなり、顔を横に向ける。
 道端に真直ぐな枝があったので、刀祢は枝を取り上げて、枝の片方を心寧を持たせる。

 刀祢は枝を持って心寧を引っ張るようにして歩く。


「刀祢、これすごく楽!」

「そうだろう。俺が引っ張ってるんだからな」

「ありがとう、刀祢」

「ああ」


 心寧の嬉しそうな声が後ろから聞えてくる。

 心寧を引っ張るのに、少し力はいるが、毎日鍛えている刀祢にとっては何の影響もない。

 道路の先に山からの落石が多く落ちていた。刀祢は慎重に落石の間をぬって歩いて行く。


「キャ――!」

「どうした、心寧?」


 後ろから心寧の悲鳴が聞こえる。後ろを振り向くと、見事に心寧が石につまづいて、コケていた。


「何やってんだ?」

「あんまり楽だったから、周りの森や空を見ていて、足元を見てなかった。ゴメンなさい」

「どこも怪我してないか?」


 心寧が立ち上がろうとするが、上手く立ち上がれない。立ち上がろうとする度に痛そうな顔をする。この顔は怪我を我慢している顔だ。


「痛いのはどっちの足だ?」

「左足!」


 刀祢は心寧の左足の前にしゃがみ込んで、心寧の足を持って左右にゆっくりと回して見る。


「痛い!」

「これは捻挫だな」


 どうやら、心寧は捻挫をしているようだ。このままだと山頂に辿り着くことはできない。

 心寧がここで下山をすれば、莉奈や直樹達も下山するだろう。今日のハイキングが台無しになる。そうなれば心寧は責任を感じるだろう。そんな思いはさせたくない。

 刀祢は立ち上がるとリュックを背中から降ろし、手に持って、心寧の後ろに回る。そして心寧にリュックを背負わせる。

 そして、心寧の前に背中を向けてしゃがみこむ。


「乗れ!」

「乗れって、まさか、おんぶ? そんなの恥ずかしいわ」

「恥ずかしがっている場合か。このままだと山頂につけないぞ」

「ウ――刀祢、恥ずかしいよ」

「いいから乗れ! 山頂まで連れて行く!」


 心寧は恥ずかしそうに考えていたが、ゆっくりと刀祢の背中にしがみついた。

 刀祢はゆっくりと立ち上がって心寧をおんぶすると、1歩を大股にして、ゆっくりと山頂目指して歩いていく。

 心寧が小さな声で刀祢に聞いてくる。


「重い?」

「心寧ぐらい軽いもんだ。心配ない!」


 いつもの刀祢ならここで「重い」と答えて、心寧と口喧嘩を始めるところだが、今はそんな時ではない。背中の上で暴れられても困る。

 心寧の体から甘くて優しい香りがする。そのことで心寧に意識を向けそうになる。


(今日の俺は変だぞ! 心寧を意識するな! 心寧は友達、心寧は友達!)


 刀祢はなるべく平常心を保って、心寧を意識の外へ置いておく。そして、山頂を目指すことだけを考えて、黙々と歩く。

 心寧は刀祢の大きな背中にしっかりと捕まって、頬を預けている。

 しばらく歩くと山頂の神社が見えて来た。後少しだ。刀祢は大きく深呼吸をして、気合を入れ直して歩き続ける。

 神社の鳥居を潜ると、長椅子が2つ並べられた自販機コーナーがあった。その長椅子の中央に心寧を座らせる。心寧はリュックを背中から降ろす。


「やっと着いたね。ありがとう」

「ああ―――」


 心寧が恥ずかしそうに照れながら刀祢にお礼をいう。

 刀祢は心寧の隣に座ってリュックから水筒を出して、フタを取って麦茶を一気に体に流し込む。火照った体に麦茶が染みわたる。

 そして、そのまま水筒を心寧に渡す。


「美味いぞ!」

「ありがとう、刀祢」


 心寧はなぜか恥ずかしそうにしていたが、水筒を口につけて、コクコクと麦茶を飲んでいく。


「うん、美味しい!」

「運動の後の麦茶は美味いな」


 30分以上経った時、直樹達が山頂の神社に着いた。直樹の隣には莉奈が並んで歩いて来る。杏里は直哉の背中の上から手を振っている。

 直哉は刀祢達の元へ到着すると、背中におんぶしていた杏里を下ろして長椅子に座らせる。


「私も疲れたわ。杏里が先に倒れちゃうんだもん」

「ごめんね――莉奈! 直哉の背中、気持ちいい―!」

「杏里が途中で体力不足で歩けなくなって困ったよ」


 直哉はそういって髪を掻いて笑う。


「こっちは心寧が捻挫をして、俺もおんぶしてきた」

「そうか、刀祢もか。お互いに大変だったな」


 そう言って直哉が爽やかに笑う。

 心寧は莉奈に捻挫をしたことを説明している。莉奈はそれをきいて、驚いた顔をして、心配そうに心寧の足を見る。

 杏里が手をあげて口を開く。


「パワースポット! 神社へお参り!」

「「「「ハーイ!」」」」


 そういえば、それが杏里の目的だった。直哉は困った顔をして笑っている。

 刀祢は心寧をおんぶして、他の皆は歩いて神社の境内へ向かう。賽銭箱に小銭を投げ入れて、本坪鈴(ほんつぼすず)を鳴らして、手を合わせて拝む。


「私は直哉との縁結びを願った――心寧と莉奈は何を願ったの?」

「私は大学受験合格よ」

「杏里、人に願い事を言うと、その願いは叶わないって知ってた?」

「嘘―! 私、言っちゃたよ。どうしよう莉奈?」

「嘘よ」


そう言って莉奈がニッコリと微笑む。

 そして皆で長椅子の場所まで戻る。刀祢は背中から心寧を長椅子の中央に下ろす。

 心寧の隣に莉奈が座り、リュックの中からお弁当をだして心寧と刀祢に渡す。杏里もリュックの中からお弁当を取り出し、直哉に渡した。

 刀祢が弁当のフタを開けると、色とりどりのおかずがギッシリと詰まっていた。


「心寧が朝早くからお弁当を作ったの。私の分も作ってくれたのよ。直哉君のお弁当は杏里が作りました」

「心寧と莉奈の弁当も美味しそうだな。杏里の弁当も美味しそうだぞ」

「うん、直哉に食べてもらうって家で言ったら、ママが作ってくれたから美味しいよ」

「それって杏里の手作り弁当とは言わんぞ」


そう言って、直哉は爽やかな笑顔をうかべる。

 皆でそれぞれのお弁当を食べながら、今日のハイキングについて談笑して楽しむ。

 神社の中は静かで、風が少しだけ吹いていて気持ちがいい。


「刀祢、美味しい?」

「ああ、美味いぞ」

「少し分けてあげるね」


 刀祢は空腹だったので一気に弁当を食べてしまい、心寧からも少し分けてもらった。そんな2人を見て莉奈が微笑む。

 直哉は杏里のお弁当を美味しそうに食べている。

 皆で楽しく談笑している間に時間は過ぎていく。もうそろそろ下山する時間だ。

 刀祢のリュックは杏里が持ってくれた。直哉は登りと同じリュックを背負って杏里と手を繋いで歩いていく。莉奈は直哉の隣を歩く。刀祢は心寧をおんぶして下山する。


「刀祢、帰りもおんぶしてくれて、ありがとう」

「気にするな。軽いもんだ」


 心寧が恥ずかしそうに皆に聞こえないような小さな声でささやいた。刀祢は大きく頷く。

 ハプニングも色々あったが、友達と一緒に過ごして楽しいと思える1日だった。
 月曜日に教室へ向かうと既に心寧と莉奈が教室の椅子に座っていた。

 手だけを上げて挨拶をして、刀祢は自分の席に座る。すると心寧が椅子から立ち上がり、少し左足を引きずりながら、刀祢の元へやって来る。


「足を引きずっているようだが、大丈夫か?」

「うん。痛みも少なくなったし、腫れも引いてきた。心配してくれてありがとう。これ、ハイキングの時のお礼」

「ああ、弁当か。助かる」

 心寧は弁当袋を机の上に置く。これで早弁ができるから嬉しい。

 ハイキングのあった日は、心寧の家まで刀祢が心寧をおぶっていくことになった。刀祢のロードレーサーは直哉が自分のロードレーサと一緒に手に持って歩いてくれた。莉奈も杏里も結局、付き合って歩いて帰った。

 心寧の家に着いた時には心寧の足のくるぶしの辺りんが腫れて熱を持っていた。心寧のお母さんにお礼を言われて、直哉と一緒に帰ったが、照れくさかった。心寧のお母さんは刀祢を見て、久しぶりと言って喜んでくれていた。

 今日の心寧は黒髪を結い、ポニーテールにしている。いつものスタイルだ。その姿を見て、安心する刀祢がいた。刀祢にとって心寧はポニーテールのほうが落ち着く。


「お母さんが刀祢にありがとうって伝えてって言ってた」

「ああ、おばさんと会ったのは中学へ入学して以来だったな。懐かしかったよ」

「今度はゆっくりと遊びに来てって言ってた」

「ああ、考えとくわ」


 心寧は左足を引きずっているが、痛みはほとんどなく、ゆっくりなら歩けるという。怪我が大したことなくて本当に良かった。

 刀祢は机の上に置かれた弁当袋から弁当を取り出して、フタを開けて、何時ものように早弁を始める。

 今まで、何かと文句を言っていた心寧だったが、最近は諦めたらしく、早弁については認めてもらえたようだ。


「この足だと剣道部へ行けないよ」

「その怪我で剣道は無理だな」

「どうしよう?この怪我だと剣道部の皆に稽古をつけられないよ」


 心寧は、この左足では剣道部へ行っても稽古をつけることができないと困った顔をする。直哉がいれば何とかなるだろうと刀祢は思う。しかし、直哉にばかり押し付けるのも悪い。今日は自分も剣道部に顔を出してみようと考える。


「直哉と一緒に、今日は俺も剣道部へ遊びにいくよ」

「本当! そうしてもらえると助かる。ありがとう!」

「ああ、心寧が怪我してるからな」


 心寧は嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。

 最近は弁当を作って来てもらう日も多い。ここでお返しをしておくほうが良いと刀祢は判断する。

 直哉が登校してきたので、今日は心寧が剣道部の稽古をつけられないことを伝え、刀祢も直哉と一緒に行くことを説明する。







 放課後になり、心寧、直哉、刀祢の3人で剣道部の武道場へ向かう。直哉と刀祢は道着を着ただけだ。直哉はいつも道着だけで参加しているという。直哉も刀祢も正式な剣道部員ではないから仕方がない。

 武道場へ着くと既に五十嵐達は基礎訓練を終わらせた所だった。今日は直哉と心寧が女子部のほうへ向かう。


「今日は君達の稽古を見せてもらうよ」

「「「「ハーイ! よろしくお願いいたします」」」」


女子部員達が直哉を見て嬉しそうだ。


「今日は手伝いに来たぞ。今日は俺が担当な」

「なぜ、直哉ではなく、刀祢なんだ」


 刀祢がそう告げると五十嵐をはじめ男子部員達は顔を引きつらせる。


「今日は新しい足さばきの練習をする。すり足で体の重心をブレずに歩くこう」

「わかったよ。皆、足さばきの練習をするぞ」


 五十嵐達はすり足での足さばきが苦手なようで、スムーズではない。すり足での足さばきができるようになれば、それだけ早く体を動かすことができる。

 竹刀を真直ぐにゆっくりと振りながら、すり足で道場を進んでいく。すり足で歩く時に、正中線がブレてはならない。

 竹刀に集中すると、すり足が疎かになる。すり足に集中すると竹刀がブレる。すり足と竹刀、身体全体に集中力を向ける必要がある。

 すり足の練習が終了になると、小休憩を挟んだ。五十嵐は刀祢の隣に座って、色々と話しかけてくる。ずいぶんと五十嵐も刀祢と打ち解けたものだ。


「前から聞きたかったんだけどさ。刀祢と心寧ってデキてんのか?」

「はあ? どこを見たらそう思えるんだ? 意味がわからん」

「刀祢と心寧を見ていると、すごく仲良く見えるぞ。そう思ってもおかしくない」

「心寧とは口喧嘩友達だ。小学校からの付き合いだから、付き合いは長いけどな。友達だ」


 五十嵐が複雑そうな顔をして刀祢を見る。そして呆れたようにため息をついた。


「直哉が言ってたとおりだな。これは重症だ。直哉に任せよう」

「五十嵐、お前、何を言ってるんだ?」


 刀祢のいない時に五十嵐と直哉は一体、何の話をしているのだろうか。当人がいない所で、あまり変な話をしないでほしいと刀祢は思う。

 練習を再開する。次は竹刀を振る基礎を練習。五十嵐と男子部員達は肩の付け根から竹刀を振る癖がある。そうなると竹刀を大振りするばかりで、体力を消耗するだけ無駄だ。それに標的に確実に当てることが難しい。

 刀祢は腕を折りたたんで腕の筋力だけで竹刀を振る練習をさせる。やはり、ゆっくりと竹刀の軌道を確かめながら竹刀を振って、止めさせる。


「竹刀をゆっくりと振る。竹刀がブレないように注意する。剣先をブレさせるなよ」

「なぜ、竹刀をゆっくり動かしているだけなのに、こんなに疲れるんだよ」

「文句を言わずに続ける!」


 刀祢は小学生の時に兄2人に徹底的に基礎を教わったことを思い出す。毎日、同じことの繰り返しで不満を持つこともあったが兄2人は徹底的に基礎を教えた。そのおかげで、短期間で基礎を体に染み込ませることができた。

 五十嵐が近々他校との他校との練習試合があると言う。練習試合で剣道部の男子部は勝ったことが1度もない。刀祢と直哉に参加してもらえないかと相談を受ける。刀祢と直哉は剣道部ではない。剣道部の試合は剣道部でするように促す。


「とにかく剣道部だけで頑張れ」

「そんなこと言わずに、刀祢と直哉も参加してくれよ。俺達、1度くらい練習試合で勝ちたいんだよ」

「それぐらい、自分達の力で勝て。十分に稽古すれば勝てる」

「そんなに簡単に上手くなれねーよ」


 他校との練習試合だけは直哉と2人で観戦しにいくことを約束する。五十嵐はそれだけでも心強いと笑う。

 そして、バイトの時間になったので、刀祢は五十嵐に伝えて、直哉と心寧に手を振ってバイトをするため道場に向かった。
 学校から家に戻り、道着に着替えて道場へ向かう。

 館長の父、大輝と師範代の長男、公輝へ挨拶をし、バイトに入る。

 この道場でバイトを初めてから10日間、父の大輝からも長男の公輝からも何の助言もなく、何の注意点もなく、全てを刀祢に任せている。

 昔から、父の大輝は厳格な父親であったが、寡黙であり、人と距離を取る人柄だった。刀祢は父の大輝と遊んだ記憶は小学校にあがる前までである。それ以降は長男の大輝と次男の剣斗が刀祢の面倒を見た。

 先日までは父、大輝の印象は厳格で寡黙という印象しかなかった。しかし、先日の剣斗との試合の後に、刀祢のことをいつも黙って見守ってくれていたことを理解した。

 今回も刀祢に担当させている門下生3人のことも、刀祢のことも距離を取って、見守っているに違いない。

 昔の刀祢であれば、始終黙っているだけなく、何かを言ってほしいと不満を募らせていたことだろう。

 父、大輝の寡黙さ、それを模範しよとする長男、公輝に対して、その態度が気に入らず、最近まで反発を繰り返していたのだから。

 今では少しは2人の考えていることが理解できる。今回、刀祢に門下生を預けているのは、門下生達と刀祢を見極めようとしてるのだ。

 特に刀祢は門下生達に稽古をつけ、導いていける人物なのか見極めようと見守られている、そんな気がする。


「刀祢さん、基礎訓練が終わりました。これから、稽古をお願いします」

「わかった!」


 天音が刀祢の近くへ駆け寄って、準備ができたことを伝える。

 天音、由香、秀樹の3人も、この10日間でずいぶんと成長した。今では体の正中線から重心がずれなくなり、腕を折りたたんで剣を振ることができるようになっている。


「では今日は組手の練習をしてみようか。組手と言っても本気の打ち合いじゃない。いつものようにゆっくりと木刀を振るんだ。木刀が相手の木刀にどう当たるか、どのように流せばいいか、その感触を掴もう」


「「「はい!」」」


 由香と秀樹が組手を始めた。天音が困った顔で刀祢を見る。


「天音さんは俺と組手をしよう。どんどん打ち込んできて」


 刀祢は中段に構えて、天音が打ち込んでくるのを待つ。天音は折りたたんだ腕を伸ばすようにして、正面から木刀を振ってくる。刀祢は天音の木刀に自分の木刀を重ねるように当てて、天音の木刀の軌道を変える。

 天音は真剣な顔でどんどんと打ち込んでくる。それを木刀を添えるように当てて、全ての天音の打ち込みを受け流していく。


「次は交代して、俺が打ち込むから、天音さんが、それを受け流してみよう。ゆっくりと打ち込むから、天音さんは落ち着いて、木刀を添わすようにして、剣を受け流してみて」

「はい! わかりました!」


 次に刀祢が天音に向かって木刀を打ち込む。天音が受け流せるように工夫して打ち込む。天音は刀祢の打ち込みをどんどんと受け流す。

 刀祢は思う。攻撃も大事だが、防御はそれ以上に大事だ。刀であれば一撃で致命傷になる。木刀も本気を出せば致命傷を負う。一撃をもらわない訓練が必要だ。

 自分の任されている門下生には怪我をしてほしくない。だからこそ、この組手が大事なのだ。

 天音の相手が終え、次は由香、次は秀樹と順番に刀祢は組手をしていく。3人が段々と受け流すコツが掴めてきているように感じる。

 剣斗なら勝つための剣術を教えるだろうが、刀祢は負けない剣術を教えようと思っている。


「そろそろ休憩にしよう。3人共、お疲れ様」


 3人を1周したところで休憩を取る。天音達は水筒を取り出して水分を補給する。

 水筒のコップに麦茶を入れて天音が刀祢にコップをくれる。


「刀祢さんの受け流しは、とても優しいですね。決して受け止めようとはされないんですね」

「刀を受け止めることは、自分の体の全ても止まってしまう状態だ。相手も同じ状態になる。そうなると離れ際で勝負が決まる。これに勝つには経験と駆け引きが重要になってくる。そんな危ない勝負をしたくないからね。俺は徹底的に受け流す練習ばかりしてきたんだよ」

「そうですね。経験の浅い私達だと、剣を受け止めると、後の動作ができませんから。受け流し方を覚えたほうが良いですね」


 天音はそう言って、刀祢の意見に賛同する。


「刀祢さん、館長と師範代が木刀を持っている所を見たことがないんですが、やっぱりスゴイんですか?」

「館長と師範代の剣技は俺も最近は見ていないな。例えていうなら剛の剣といったほうがいいかな。一撃一撃がすごく重いんだ。受け止めていたら、腕が壊れそうなほどに重かったのを覚えてる」

「館長の剣は剛の剣ですか! 刀祢さんの剣は受け流しの剣ですね!」

「俺の剣はそんな恰好いい剣とは思わないけど」

「刀祢さんは恰好いいですよ」



 刀祢は父、大輝と組手をしたことがない。しかし、兄の公輝とはよく組手をした。公輝の剣は一撃が重く、受け流さないと腕が痺れた。その時から刀祢は受け流す剣を覚えるようになったことを思い出す。

 兄の公輝は父、大輝の剣を真似ている。だから父、大輝の剣は剛の剣だと刀祢は推測する。

 そして、刀祢は剛の剣を会得できなかった。それは兄2人と組手をして、兄達の剣を受け流さないと勝負に負けることから、受け流す剣を会得してしまった。

 父や兄とは違う剣技になってしまったけど、刀祢は自分の受け流す剣を気に入っていた。

 しかし、ただ受け流すだけでは勝負にまけてしまう。反撃の一撃を持つ必要がある。まだまだ、この3人には教えることが山積みだと刀祢は思う。


「休憩も終わったし、また組手を始めようか!」


「「「はい!」」」


 天音、由香、秀樹の3人は元気よく返事をすると組手に取りかかった。

 刀祢は人に教えるということは、自分の復習にもなり、良い稽古になることを初めて知った。
 練習試合当日の朝。

 朝早くにロードレーサーに乗って学校へ向かう。校門のところで争っている男女を見つける。ロードレーサーを止めて、ゆっくりと校門へと向かう。

 揉めている女子は心寧だった。心寧は見知らぬ男子に腕を引っ張られている。男子の服装はブレザーの色もパンツの色も違う。他校の生徒だ。


「どうしたんだ?」

「刀祢、助けて!」

「朝から心寧に絡んで、お前は他校生だろう?」


 なるべく平静を装って声をかけると、心寧は男子の手を振り解いて、刀祢の背中へと隠れる。


「俺は県立第七高校の倉木省吾(クラキショウゴ)だ。今、心寧さんと大事な話をしていたんだ。邪魔しないでくれるかな」

「私はあなたと話すことなんて、一切ないわ。いい加減に私につきまとうのはやめて!」



 心寧は大事な友達だ放っておくことはできない。それに心寧は涙を溜めて震えているじゃないか。これは普通じゃない。


「心寧が嫌がっている。ここは退いてもらおうか!」

「君は剣道部の部員か?見たことはないが?」

「剣道部の部員ではないが、関係者だ」


 それを聞いた倉木は楽し気に笑う。


「今日の剣道部の練習試合で、五月丘高校が負けたら、心寧さんとデートさせてもらう。この勝負を受けてもらおう!」

「なぜ、あなたが勝手に私とデートすることになってるの? 冗談じゃないわ。あなたなんて大嫌いよ」


 倉木の通う県立第七高校は、県大会で3位の成績を誇る、剣道部の強豪だ。普通であれば、五月丘高校の弱小剣道部では勝てる相手ではない。

 そのことをわかっていて無理な条件を突きつけてきているのだ。ずいぶんと卑怯なやり方だ。倉木という男子の性格がわかるというものだ。


「心寧は泣いて、お前のことを嫌がってるんだから、手を引けよ。もう嫌われているんだよ。心寧とデートしても無駄だ。心寧はお前のことが嫌いだ」

「それは違う。他校だからあまり交流がない。本当の俺のことを知ってくれれば、必ず心寧さんも心を開いてくれるはずだ。そのことを俺は知っている」

「お前、正気か? 前向きすぎないか? 少しは現実を見ろよ」


 なんとポジティブな性格なのだろう。そして自己中。心寧の気持ちなんて全く理解しようともしてない。この手のタイプは厄介だ。


「勝負を受けてやっても良い。その代り、こちらからも条件を出す。大将戦に俺が出る。お前も大将戦に出てこい。その勝負で俺が勝ったら、お前は2度と心寧につきまとうな。俺が負けたら、心寧とデートしてもいい」


 慌てて、心寧が刀祢の後ろから前に回る。


「刀祢、勝手にデートの話しを進めないでよ。私は嫌よ。絶対に嫌!」


 刀祢は心寧の耳元でささやく。


「俺は絶対に勝つ。安心しろ」


 刀祢の言葉を聞いて頷くと、心寧は刀祢の後ろへ隠れた。よほど倉木のことがイヤらしい。


「やっと話し合いは終わったか。俺はその条件で勝負を受けてもいい。俺相手に勝負を挑んだことを、後で後悔させてやる。俺は実力は県内3位だ。せいぜい頑張ってくれ」

「ああ、俺がお前を倒す」

「その言葉をそのまま返そう」


 そう言って倉木は校門から去っていった。


「あいつは何者だ? どうして心寧に付きまとっているんだ?」

「以前、県立第七高校と練習試合をした時に、いきなり一目惚れしたって告白されて、それからずっと付きまとわられているのよ。すっごくしつこいの」


 気の強い心寧が、これだけ困っているんだから、相当しつこくデートに誘われているな。心寧は嫌がっているし、何とかしたほうがいい。

 まだ生徒達が通ってくる時間よりも少し早い。生徒達の注目を集めなかっただけでも良かった。

 心寧が刀祢の背中を叩く。


「刀祢、試合に出るには剣道部員になる必要があるわよ。入部届を先生に提出して、認め印を貰わないとダメだよ。急がないと時間がない」

「あ! あいつと戦うには剣道部へ入部する必要があるのか!」

「刀祢、そのこと、考えていなかったの? 早く入部の手続きを取り行こう」


 心寧の言う通りだ。倉木と戦うためには剣道部に入部する必要がある。朝のうちに書類の手続きを済ませておいたほうがいい。刀祢は駐輪場へロードレーサーを駐輪させて、心寧と2人で教室まで急いだ。

 教室に着いて、自分の鞄を机の上に置いていると、直哉が登校してきた。刀祢と心寧が慌てている姿を見て声をかけてくる。


「2人共、何を騒いでるんだ?」

「丁度、良い所に来た。直哉も一緒に手続きに行くぞ!」

「刀祢、何のことだ? ゆっくりと説明してくれ」


 今日の朝の校門での一軒を直哉に説明する。


「また厄介事か。俺も剣道部に入部する。手伝わせろ」

「初めから直哉には手伝ってもらうつもりだった。よろしく頼む」

「わかった!」


 心寧を先頭に廊下を職員室まで歩いていく。

 職員室の中へ入って剣道部の顧問の先生の前に立つ。心寧が、2人が剣道部へ入部することを告げると、顧問の先生はダルそうに机を開けて、入部届を出して刀祢達に手渡す。

 その場で入部届にサインをして顧問の先生に手渡す。心寧が詳細は私から説明しておくと説明する。顧問の先生は頷いて了承した。これで刀祢と直哉は剣道部員になったわけだ。


「刀祢も直哉も、私のせいで2人を巻き込んでゴメンね」


 心寧が申し訳なさそうな顔をする。


「気にするな! 俺もあいつは気に入らない! 絶対に助けてやるから!」

「刀祢がその気なら、俺も協力しないとね」


 刀祢の言葉を聞いた直哉は心寧と刀祢の顔を見て、爽やかに微笑んでいる。


「それじゃあ、俺は五十嵐にこのことを説明してくる」


 直哉は2年3組の教室を目指して歩いていった。刀祢と心寧は2人で自分達の教室へと戻る。

 小さい声で心寧が呟く。


「刀祢、助けて! 絶対に勝ってね!」

「おう! 任せておけ!」