お前は俺のこと嫌いだったよな?なぜ、いつも傍にいる!?

 広い板張りのきれいな道場の中で、道着を着て木刀を振る刀祢の姿があった。

 まるで、ゆくりと舞を踊るように、ゆっくりと体を動かして、体の動きを確かめる。そして木刀をゆっくりと動かしていく。

 木刀をゆくっりと確実な軌道で動かすことは、素人から見れば簡単なことだが、実は相当な筋力と精神力が必要な訓練だ。

 刀祢は体から大量の汗を流しつつ、段々とゆっくりと木刀を振っては、止めて、木刀の軌道を確かめる。

 少しでも木刀が震えたり、先がブレてはいけない。木刀をビシッときれいに操作する必要がある。

 風月流剣術の基本の型を何回も繰り返して、1人で訓練に励む。

 風月流剣術は3代目服部半蔵正就が開祖と言われているが、確かな文献はない。風月流剣術は木刀を使った実戦剣術で、脛斬りまでも剣術に取り入れている。

 しかし、京本家の両親や兄の公輝、剣斗は本気で信じている。刀祢にはそんな歴史のことはどうでも良かった。体さえ動かせればよい。

 刀祢が初めに持たされた玩具は幼児用の木刀である。まだ3歳になったばかりの頃だ。木刀が何かもわからず、兄貴達の真似をして木刀を振っていた思い出がある。

 6歳になってから、道場で本格的な訓練が始まった。

 道場での勝負は寸止めであり、決して相手を木刀を当ててはならない。瞬発的に振っている木刀を一瞬で止める技術も必要とされる。これができなければ組手での練習をすることは禁じられている。

 6歳の時から組手の練習をしていた刀祢は実に早熟な剣士だった。心寧は小学校3年生、9歳の時に風月流剣士となった。

 心寧が組手の相手をできるようになったのは11歳の時である。それまで2年間は木刀での素振りと見切りの訓練が中心だった。

 道場に誰かが入ってきた。振り返ると更衣室で道着に着替えてきた直哉と心寧だ。

 直哉は中学1年生の時から道場に通っているが、真剣に取り組むほうではなく、最近では、サボることも多い。

 心寧は今でも熱心に道場に通ってきている。刀祢にとっては小学校からの一番身近な付き合いの相手だ。


「直哉が来るなんて、最近では珍しいな」

「ああ、心寧に誘われてね。女の子に誘われたら嫌とはいえないさ。相変わらず刀祢は熱心だな」

「そうでもない。体が鈍っている感じが抜けない。久しぶりに直哉、組手でもするか」

「体が温まったら相手をしよう」


 そういって直哉は木刀を持って素振りを始める。そして段々と木刀をゆっくりと振っていく。そして体を徐々に慣らしていく。直哉の体から汗が噴き出す。

 心寧も直哉と一緒に、木刀の素振りから体を慣らしていく。道着を着て木刀を振る心寧の姿は、まさに美少女剣士である。体は凛としていて、真剣な横顔はとても凛々しい。


「刀祢、直哉との組手が終わったら、私と組手の相手をしてよ。いつものように逃げないでね」

「別に心寧から逃げてない。俺は女性に剣を向けないだけだ。勘違いすんな!」

「学校では私のことを全く女子扱いしないのに、こんな時だけ女子扱いしないでよ」


 刀祢は心寧と組手の練習をするのが苦手だ。刀祢は女性との組手を避けている。

 小学生の時、心寧と組手の練習をしている時に、心寧を動きを予想しきれずに、木刀の寸止めができず、心寧の額に傷を負わせたことがある。

 心寧も女の子だ。女子にとって顔は命のはず。その顔に傷を負わせたことで、刀祢は女子との組手をするのを避けるようになった。女子に本気で木刀を向けられない。

 正確にいうと、女子だと面への攻撃ができなくなった。無意識に避けてしまう。そのおかげで心寧との組手では、負け続きになっている。そのことを心寧は知っている。


「そろそろ、直哉も体が温まっただろう。組手をやろぜ。今日も俺が勝たせてもらうがな」

「確かに俺は道場をサボっていることも多いが、簡単には勝たせない。今日こそは刀祢に参ったと言わせて見せる」


 刀祢は心寧の言葉を聞かなかったことにして、直哉と組手を始める。普段は直哉は練習をサボっているが、筋は良く、剣技には光るモノがある。

 直哉の身長182cmという長身から振り下ろされる木刀は早くて鋭い。刀祢は178cmの身長があるので、直哉と組手は丁度良い。

 直哉の木刀を見切りで躱し、木刀で受け流す。直哉は真剣に打ち込んでくるが、刀祢は舞うように木刀を躱し、きれいに木刀を受け流す。

 直哉は真剣に刀祢を倒そうと、全力で木刀を振るうが、組手が終わるまで刀祢は見事に直哉の剣を躱し続けた。


「こら! 刀祢、せっかく組手してるんだぞ! 本気を出せよ!」

「本気を出して欲しかったら、直哉も、もっと本気で倒しに来い。もっと真剣になれ」


 直哉の剣には光るモノはあるが、まだまだ未開発の原石のようなものだ。刀祢が本気になれば数分で決着がついてしまう。そのほうが組手にならない。このことは直哉に黙っておく。


「次は私と組手よ。本気を出さないと木刀で叩くわよ。刀祢、本気で相手してね」

「わかってるよ。本気で相手をすればいいんだろう。毎回、本気、本気って、心寧はうるさいな」


 心寧が木刀を構えて、真剣な顔で刀祢へ向かってくる。技術の高い心寧では、刀祢も木刀で心寧の剣技を受けるのがやっとだ。

 そして、胴や籠手、膝を狙って木刀を振る。身の軽い心寧は舞うように刀祢の木刀を受け流して躱していく。


「どうして面を狙わないの! もっと本気を出して!」

「クッ!」


 心寧が本気を出してきた。段々と追い詰められる刀祢。最後には心寧の木刀が、刀祢の面を捉える。刀祢の顔の前で木刀が止められる。


「参った。俺の負けだ」

「私、相手だと本気になれないと言うの。私が女だからなの?」

「俺は本気で心寧の相手をしてたぞ!」

「嘘! 私の顔を絶対に狙わないよね。私、知ってるんだからね!」

「―――――」


 心寧は残念そうな顔をして道場の隅まで歩いていくと、座ってタオルで首や顔を拭いている。

 刀祢達は道場においてある自販機でジュースを買って、休憩を取ることにした。
 先ほどから道場の上座に座って父の大輝(ダイキ)、長男の公輝(ゴウキ)、次男の剣斗(ケント)の3人が刀祢達が組手をしている姿を黙って観察していた。

 剣斗がいきなり席を立って、刀祢の元へ厳しい顔をして歩いてくる。


「さっきの直哉との組手、心寧との組手も見せてもらった。手ぬるいことをしているなら道場から去れ! お前に剣士の資格はない!」

「はあ、何を言ってんだ! 剣斗兄貴に言われる筋合いはねーよ。うるさいから、あっちへ行ってろ!」

「それが兄に対する態度か。礼儀がなってない。礼儀を弁えろ」


 嫌いな相手に礼儀を弁えるつもりはない。何かというと正義、礼儀、矜持などの言葉を持ちだす剣斗のことが嫌いでしかたがない。全く性格が合わないのだ。

 京本家は武家のように厳格な家柄をしている。武術の家柄として恥ずかしくないように常に礼儀と厳格さを重んじる。

 父の大輝(ダイキ)は礼儀作法には厳格な父親である。それを見て、育ってきた長男の公輝(ゴウキ)、次男の剣斗(ケント)にも、その教えが流れている。

 しかし、剣斗は、そのことを人に押し付ける性格で、正義感が強く、常に正義、礼儀、矜持、誇りなどと言って人を縛ろうとする癖がある。

 末っ子の刀祢のことを自分の手下のように思っている節があり、そのことが刀祢にとっては絶対に許せない。そのことも原因となり、刀祢は両親に反抗し、兄達にも反発するようになった。

 父の大輝は厳格ではあるが、物静かな人物である。長男の公輝もそれに倣っている。高校2年生になった今では、両親と長男の公輝に対する反発心はない。それだけ刀祢も成長した。

 しかし、次男の剣斗だけは未だに刀祢を服従させようとし、自分の考え方を押し付けようとしてくるので、刀祢にとって厄介な相手である。


「剣士同士が組手をしている時に、相手に手加減をすることは、相手の剣士を愚弄(ぐろう)した行為だ。相手の剣士の矜持、誇りを傷つける行為だ。そんなこともわからないのか」

「馬鹿か。剣士同士といっても同じ人間だろうが。人に痛い思いをさせて、怪我をさせたら意味ないだろう。今の時代は武士の時代じゃねーんだ。この時代遅れ」


 剣斗の目付きが変わり、手に持っていた木刀を構えようとする。刀祢も立ち上がって木刀を持つ手に力を入れる。

 そこへ心寧が立ち上がって剣斗と刀祢の間に割って入る。


「刀祢は何も悪くありません。私が女性だから、稽古で顔を怪我させたくないと気遣ってくれていただけです。それに直哉は最近、道場をサボっていて、本調子ではありませんでした。だから刀祢は直哉に合わせた組手をしてくれていたんです」

「そんなことは見ていてわかった。剣士に男女の区別はない。本調子であろうが、なかろうが、組手をして手を抜いては稽古にならない。それを稽古とは言わない。俺は刀祢と話している。心寧は出て来るな」


 それを聞いた直哉がのっそりと立ち上がり、剣を握りなおす。剣斗とやり合うつもりだ。刀祢も直哉を止めるつもりはない。刀祢自身も今日で剣斗と決着をつける気持ちになった。


(心寧は俺をかばっただけなのに。心寧は剣斗兄貴のことを崇めていたのに、その言い方はないだろう)


 遠くから低くて道場に響き渡る声がする。父の大輝だ。


「剣斗、刀祢と正式な試合をしろ。木刀の寸止めは禁止。本気で試合をしろ。許可する」


 父の大輝の命は絶対である。大輝の命を聞いて、剣斗は真剣な顔つきへと変わる。そして、直哉と心寧は顔を青くして、刀祢達から離れた。

 剣斗は木刀を中断に構え、正眼の構えを取る。刀祢は下段の構えを取る。

 剣道では下段で構える剣士はいない。剣道では胴より上の攻撃しか許されていない。

 しかし、風月流剣術は実戦剣術だ。もちろん下半身への攻撃も許されている。それだけ危険な剣術であるため、本来の試合は木刀の寸止めと決められている。

 父の大輝はその木刀の寸止めを禁止した。異例な事態といえる。一歩間違えれば、両方共に大怪我をしかねない。


「俺は師範代代理だ。後悔するなよ」


 剣斗は自分の優位さをアピールして刀祢の心を揺さぶろうとする。しかし、刀祢の心は波紋1つない湖のように、静かに澄んでいた。

 刀祢が瞬きをする。その一瞬をついて中段の木刀を少し上段に傾けて剣斗が飛び込んでくる。刀祢の額を割るつもりだ。


「キィィェエ――!」


 しかし、その瞬きは刀祢が自分で演じたもの。剣斗が飛び込んでくるように誘ったものだった。飛び込む時には必ず左膝(ヒダリヒザ)が前に出る。その瞬間を刀祢は待っていた。


「ハッ!」


 刀祢は剣斗の木刀を躱すように、身を屈め、全身を前に押し出すようにして体を交差させる。その一瞬に自分の木刀で剣斗の膝頭(ヒザガシラ)を叩く。


「ギャァア―――! 痛い! 痛い! 俺の膝が―――!」


 剣斗は膝を抱えたまま、道場の中で仰向けになって泣きわめいている。


「勝負あり。刀祢の勝ち!」


 刀祢と剣斗の近くまで歩いて来ていた、父の大輝が試合終了の合図を出す。


「剣斗、これが本気の試合だ。泣きわめいて剣士としての矜持はどうした。誇りはどうした」

「親父、救急車を呼んでくれ―――! 頼むよ! 親父!」

「友を思う優しさ。女性を思う優しさ。優しさを持っていない剣斗に剣士を名乗る資格はない! 今日限り、この道場はお前を破門とする!」


 あまりにも苛烈な父、大輝の剣斗に対する怒りだった。


「刀祢、これからも、その優しさを大事にしていけ! お前の心を見極めさせてもらった! 
これからも励め!」


 初めて父、大輝が刀祢を認めた一言。

 父に許されたことで、刀祢の心の硬くなっていた殻にヒビが入って割れた。

 いつの間にか自然と目から涙が溢れ、刀祢は嬉し涙を流して号泣していた。
 長男の公輝が救急車を呼んで、近くの総合医療病院まで、剣斗の付き添いとして、救急車に同乗していった。

 道場内には、父の大輝、刀祢、心寧、直哉の4人が残る。

 刀祢は初めての真剣試合の後、身体が震え、痺れて震えている手の平を見ていた。

 木刀での真剣試合は危険すぎる。命の危険性まである。木刀を寸止めするルールは絶対に解いてはいけない。

 まだ、人を大怪我をさせたというショックから立ち直ることができない。あれだけ憎んでいた剣斗であっても、大怪我をさせたという負い目を感じる。

 今まで、中学になってから、早朝の4時に起きて、木刀を振って練習してきた。いつか師範代代理である剣斗を負かすために、努力をしてきた。そして剣斗に勝ったが、素直に喜ぶことができない。

 人を傷つけることが、自分の心の負担になることはわかっていたが、剣斗を大怪我させても、同じように負い目を感じるとは思わなかった。

 父の大輝が、刀祢の震えている手の平を押える。

 剣斗と試合をしている時は、心が不思議なほど鎮まっていて、遠くの針が落ちる音でも聞き取れそうなほど集中していた。いつもよりも集中力が高まって、戦術的思考もきちんと働いていた。あんな境地に達したのは初めてだ。


「人を傷つけることは、自分を傷つけること。人を殺すことは、自分を殺すことだ。その重さを背負っていけるほど、お前の精神は強くない。お前は優しすぎる。しかし、お前は人として正しい。武道家はその重荷を背負っていかなければならない。今のお前では精神力が弱い。だから二度と真剣試合はするな」


 刀祢は自分の心の弱さを知って、黙って深く頷いた。

 心寧が父、大輝の近くへ走り寄る。


「私は今まで剣斗師範代代理の教えに従ってきました。尊敬もしていました。しかし、間違いだったのでしょうか。わからなくなりました。館長教えてください」

「剣斗は自分を律するという意味を間違えていた。自分を律するとは礼儀作法を守ることではない。剣士としての誇りを持つことでもない。人に律することを強要することでもない。律するとは自分の経験において、自分に掟を持つということだ。律するという言葉の意味は深い。経験して学んでいくことでしか会得できない」

「それでは私は間違っていたのですか?」

「自分の経験において律しているのであれば良い。経験によって成長していく。心寧はまだ若い。自分を律するには、経験による自分の掟が必要だ。これからも、自分で判断して律していけばいい」


 心寧はその場で体の力が抜け、床へ崩れそうになる。隣まで来ていた直哉が心寧を支える。

 今まで心寧は剣斗兄貴を崇拝していた。その剣斗兄貴が間違っているとハッキリ言われ、自分の信じている柱が崩れていった。

 今の心寧は自分を考えがまとまらないだろう。しかし、今までのように薄っぺらい正義、礼儀などに縛られることはなくなる。これから、心寧がどのように変化していくのか、刀祢は不安だった。

 直哉は普段はにこやかに笑っている奴だが、自分のルールというものをしっかりと持っている。

 いつも笑顔の裏には、しっかりと自分を律している顔が隠れている。そういう意味では刀祢よりも直哉のほうが精神的に強いと刀祢は思った。

 直哉が心寧を支えたまま、刀祢に声をかける。


「今日は心寧を俺が送って帰る。刀祢は後始末をしろ」


 直哉は遠回りに、父の大輝と刀祢が、まだ話をすることがあるだろうと告げてくる。

 久しぶりに父の大輝と2人っきりで話をすることになる。刀祢としては何を話してよいのかわからない。今までのことを反省するつもりもなく、父、大輝に謝るつもりもない。

 今まで父の大輝が、刀祢の反抗や反発を容認してきた意味を知りたいとも思わない。それは父、大輝の考えであり、行動だからだ。

 そんなことを考えていると、直哉は刀祢に手を振って、心寧を支えて更衣室へ行こうとする。

 刀祢も心寧を送っていこうと考えたが、心寧の崇拝していた剣斗を倒したのは刀祢だ。刀祢が心寧の心の支柱を崩したとも言える。今の心寧に対して、かける言葉が見つからなかった。

 だが、何か心寧に対して言ってあげたいという心が刀祢の中で湧き上がる。


「心寧! お前はそのままでいいから! 自分を信じて、そのままのお前でいてくれ!」


 直哉だけに心寧を送ることを頼むのは情けないが、これ以上の言葉を刀祢は見つけることができなかった。

 道場の中には父の大輝と刀祢だけが残された。父の大輝も一言も話さない。刀祢も一言も話さない。道場は静けさに支配されていく。

 父の大輝が、無表情で刀祢に命を出す。


「師範代代理の剣斗が大怪我をしてしまった。道場としては教える役目の者が1人減った。人手不足だ。師範代代理はしなくていい。刀祢なりに門下生達に稽古をつけよ。時間の空いている時で良い。バイト代は日当で払ってやる」


 門下生達の稽古の指導を任せるということは、父の大輝が刀祢を認めたという証だ。

 そして、家で朝食と夕食をドカ食いして、小遣いを貰わず、昼食代も貰っていなかった刀祢が金銭に困っていたことを父の大輝は知っていた。

 今更、小遣いを欲しい、昼食代を欲しいとも言えず、意地を張っている刀祢は、バイト代とでも言わないと、金銭を受け取ることはしない。

 父の大輝が気遣って言っていることがわかる。久しぶりに父の優しさに触れたような気がした。


「わかりました。責任は俺にもあります。門下生の指導をさせていただきます」

「刀祢の指導と稽古で、門下生達の成長が決まる。しっかりと励め!」


 父の大輝が刀祢を認めた一言だった。


「ありがとう! 父さん!」


 刀祢は照れながら俯いて呟いた。
 直哉にお願いして、莉奈の家へと送ってもらった。

 莉奈の両親は海外赴任していて、莉奈はマンションで1人暮らしをしている。

 直哉は何も言わずに、莉奈の家の場所を聞き、莉奈のマンションの前まで送ってくれた。こんな時に何も言わずに黙っていてくれる直哉の優しさが伝わってくる。

 莉奈の家の前について、インターホンを押す。のんびりとした声が聞こえ、家の中から莉奈がパジャマ姿で現れる。莉奈の顔を見て、安堵して莉奈に抱き着いた。


「どうしたの心寧? 顔色が青いわよ。一体、何があったの? 家の中でゆっくりと話をしようね」

「うん、莉奈、ありがとう。急に泊めてもらってごめんね。1人でいると頭が混乱しそうで」

「気にすることないよ。私達、友達でしょ。いつでも泊まりにきてね」

「うん、ありがとう」


 莉奈は部屋の中へ連れて入ると、1度ギュッと体を抱きしめてくれる。


「待っててね。今、お風呂と料理の準備をするから。ゆっくりと心を落ち着けてよう」

「ありがとう。莉奈の言うとおりにする。後で話を聞いてね」


 莉奈は私をリビングのソファに座らせて、お風呂場に行って湯を張ってくれる。そしてキッチンへ行って、手早く料理をしてくれる。

 莉奈は料理がすごく上手い。莉奈の料理は美味しい。莉奈に料理を教えてもらっているが、莉奈のように上手くできない。刀祢にも「しょっぱい」と言われたし―――

 莉奈はテーブルの上にオムライスを置いてくれる。ケチャップで猫の絵が書いていてとても可愛い。

 一口、オムライスを口の中へ入れると、急にお腹が空いてきた。夢中でオムライスを食べる。フワフワの卵が口の中で蕩けて、とても美味しい。


「莉奈、オムライス、とっても美味しいわ。莉奈はやっぱり料理が上手ね」

「褒めてくれてありがとう。顔色が良くなってきたね」

「さっきよりも、気分がずいぶん、良くなったから。待ってくれてありがとう」

「次はお風呂でゆっくりしてね」

「うん、体に残っている緊張をほぐしてくる」


 莉奈は自分の部屋へ入っていって、替えのパジャマを渡してくれる。脱衣所へ行って服を脱いでお風呂場に入る。

 お風呂に浸かりながら、今日の剣斗兄さんと刀祢の試合は凄かった。あんな真剣勝負は初めて見た。剣斗兄さんの剣技も見事だったが、刀祢の剣技も素晴らしかった。本物の神剣勝負の迫力に圧倒された。あんな試合、怖くてできない。

 小学校の時、刀祢が優勝した試合のことを思い出す。あの時の刀祢は恰好良かった。あの時は刀祢の剣技に見惚れていた。うかつにも刀祢に初恋をしたことを思い出す。なんだか悔しい。こんな恥ずかしいことは誰にも言えない。

 湯船の中に頭まで浸かる。恥ずかしさで火照った体にお湯が染み渡る。ゆっくりと湯船に浸かってからお風呂を出る。

 脱衣所でパジャマに着替えて、バスタオルで髪の毛を結って、莉奈の部屋へ向かう。ドアを開けると、莉奈はベッドで寝ころんでいた。

 莉奈はベッドに端に座って、隣へ座るように、手でベッドをポンポンと叩く。莉奈の隣に座ると、莉奈が優しく抱きしめてくれる。莉奈の体温が伝わってきて、莉奈の体から甘くて落ち着く香りがして、とても気分が落ち着く。


「さあ、お話をしようか。先に心寧から今日あったとこを話してね。心配したんだから」

「今日、道場で剣斗兄さんと刀祢が本気の試合をしたの!」

「本気の試合って?」

「寸止めしない、木刀での試合。木刀で叩き合う試合……」

「そんなことをすれば、本気で怪我するじゃない!なぜ、刀祢くんがそんな危ない試合をしたの?」

 今日、道場であった出来事の全てを莉奈に話す。話していくうちに段々と気分が落ち込んでくるのがわかる。今まで頼ってきた剣斗兄さんを否定されたことが大きい。

 しかし、館長の言うことは正しい。剣斗兄さんは礼儀にうるさく、規則正しく、厳格だった。そして、それを他人に強要もしていた。生徒会長になってからは全生徒が対象になった。規律正しくなれば、風紀も乱れなくて良いと賛成に思っていたけど、他の生徒達は心の中では剣斗兄さんの方針が窮屈(きゅうくつ)だったみたい。


(私は間違っていたんだろうか)


 自分の心の中で何かが崩れ去ってしまったように感じる。これからどうすればいいんだろう。


「刀祢君は試合の後、何か心寧に言ってなかったかな?」

「私は私のままでいいって言われた。そのままの私でいいんだって」

「そうだね。刀祢君の言う通りだと私も思うよ。刀祢君は優しいね」

「刀祢は優しい―――」


 刀祢はいつも稽古の組手の時、顔を狙ってこない。そして組手稽古をやりたがらない。組手をする時は本気になれないみたい。だから刀祢に勝つことができる。今日の試合を見て知った。

 昔に組手稽古をした時に、心寧から突っ込んでいき、刀祢の手元がくるって、額に刀祢の木刀が当たったことがあった。傷はきれいに治ったけど、その時から、刀祢は心寧との組手を避けるようになった。

 今までは、女性だから、刀祢は顔を傷つけたくないんだと思っていた。でも、それだけではないみたい。刀祢は優しすぎると館長は言っていた。

 よく考えれば、クラスの皆と距離を離しているのも、クラスの皆へ配慮した優しさだし、刀祢が起きていれば、クラスの皆が怖がるから、授業中も寝ているのも刀祢の優しさ。

 今日まではそのことに気づかなかった。刀祢が自分勝手な行動をしていると思っていたから。だから、結構、キツイことも言ってきたと思う。


(そのことはゴメンなさい)


 でも、刀祢もクラスの皆と仲良くしてほしかった。だから剣斗兄さんのように強引に仲間に入れようとしていた。


 それは間違いだとわかった。でも、刀祢の優しさに私もクラスの皆もよりかかったままでいいんだろうか。そのことが刀祢のためになるんだろうか。

 また刀祢は何も言わないで黙って、全てを自分で背負おうとするのだろう。それを見ているのは違うと思う。

 刀祢の優しさには感謝するけど、全てを自分一人で抱えようとする性格は我慢できない。

 心寧は刀祢のことを大事な友達だと思ってるし、直哉や莉奈や杏里だって刀祢の友達だって思ってる。刀祢の優しさに頼ってばかりはいられない。


(刀祢、今までありがとう。でも刀祢1人に背負わせるのは違うと思う)


「答えは出たのかな?」

「うん。刀祢の優しさには感謝するけど、それに甘えるのは間違ってると思う。私は私らしく刀祢を助けたいし、刀祢に自分の殻にこもられたくない。」


 今まで黙って、見守ってくれていた莉奈が心寧に声をかける。


「これからも刀祢に私の考えを伝えていこうと思う。私は私らしく、刀祢の友達でいようと思う。」

「それでいいよ。心寧らしくていい。刀祢君もそういう心寧だから安心できるんだよ」


 莉奈は嬉しそうに、心寧に抱き着いて、にっこりと微笑んだ。
 刀祢の朝は早い。太陽が昇った頃に起きて、顔を洗ったのに、道着に着替え自分が納得するまで木刀を振る。そして朝食をガッツリと食べて登校する。

 両親は相変わらず、刀祢を放任しているのが、いつも食事だけはキッチリと作っておいてくれる。朝食と夕食をガッツリ食べるのが刀祢のスタイルだ。

 少し早くに家を出て、ロードレーサーに乗って学校へ向かう。いつも刀祢が登校している時間では、教室内の生徒はほとんどいない。

 しかし、今日だけは、なぜか心寧と莉奈が教室にいた。刀祢が自分の席に座ると顔を赤くした心寧が、後ろ手で何かを隠して、刀祢の席へ歩いてくる。

 心寧の様子がおかしい。なにかモジモジしていて、普通の女の子のようだ。見ていて調子が狂う。いつものように口喧嘩をしているほうがマシだ。


「俺に何かようか?」

「あのさ、これ作ってきたんだけど。刀祢が食べてくれないかな?」


 心寧は後ろ手で隠していた荷物を見せる。弁当袋だ。心寧の弁当の味付けは微妙だ。刀祢の中で少し警戒心が湧く。


「莉奈の家に泊って、莉奈と一緒に作ったお弁当だから、味は大丈夫。あげるから食べてよ」

「なぜ俺にくれる? 心寧、お前の企みは何だ?」

「失礼なこと言わないでよ。莉奈と話し合って、いつも昼食のない刀祢のために作ってきたんじゃないの」

「わかった、ありがたくもらう」


 弁当袋をもらって机の上に置く。最近では常から昼食は食べない。それに体が慣れてしまっている。今日も朝からガッツリと朝食をたべてきたが、また腹が少し空いている。ありがたくいただこう。

 刀祢は弁当袋から弁当を取り出し、フタを取って中身をみる。色々なおかずが入っていて、美味しそうだった。箸を握って弁当を食べ始める。

 それまで呆然として見ていた心寧が口を開く。


「なぜ、朝から弁当を食べてるのよ。私は昼食用に作ってきたのよ。早弁したら意味ないじゃない」

「美味いものは早めに食べたほうがいい。この弁当、本当に美味しいな。本当に心寧が作ったのか?莉奈がつくったんじゃないのか?」

「失礼なことを言わないでよ。全部、私の手作りよ」

「そうか。心寧も莉奈が一緒にいれば、美味しい弁当が作れるんだな」


 段々と口調が元の心寧に戻ってきた。刀祢としてはホッとする。大人しい心寧なんて調子が狂う。怒っている心寧のほうが安心する。


「もう、せっかく刀祢のためにお弁当を作ってきたのに。次からお弁当を作ってあげないから!」

「だから美味しいって言ってるだろ。そこまで怒らなくていいだろう」


 心寧は頬を膨らませて、刀祢の元から去って行って、莉奈の席で、何やら莉奈と話している。莉奈が席を立って、刀祢の席までゆっくりと歩いてくる。


「刀祢くん、おはよう。今日は朝から美味しそうなお弁当を食べてるのね」

「ああ、心寧にもらった。莉奈の家でお弁当をつくったって聞いた。莉奈もありがとうな」

「なぜ朝からお弁当を食べてるの?それはお昼用だったはずよ」

「心寧からもそう聞いたんだが、我慢できなくて早弁にした」


 莉奈はおっとりした感じでにっこりと微笑む。


「せっかく昼食用にお弁当を作ってきた心寧の真心をはどうするの。どうして心寧相手だと悪戯するの? もう少し優しくしてあげたら」

「少し、やり過ぎた。俺が悪かった」

「私に謝るのは筋違いよ。刀祢くん」


 どうしても心寧を見ていると悪戯したくなるのだから仕方がない。しかし、そのことを莉奈に知られると怒られる。刀祢は莉奈の説教が一番苦手だ。


「わかったら、心寧に謝ってあげてね。心寧、悲しんでるわよ」

「きちんと美味しいと伝えたぞ」

「それではダメ! きちんと心寧に謝ること! 悪戯した刀祢君が悪いわ!」

「わかったよ」


 刀祢は箸を置いて、両手を上げて降参のポーズを取る。それを見て、莉奈はにっこりと微笑むと自分の席へと戻っていった。少し怖かった。

 弁当を早々と完食して、弁当袋に入れ、席を立って、心寧の席へ向かう。心寧は振り向いて刀祢の顔を見るが、何も言わずに顔を背けた。


「ああ、心寧! せっかくの弁当を早弁して悪かった。腹が空いてたんだ!」

「―――――」


 心寧からの返事はない。顔を横に向けたままだ。


「この弁当、最高に美味しかった。また気が向いた時に作ってくれ」

「本当?」

「ああ、本当に美味かった」

 心寧が振り返って、刀祢から弁当袋を受け取ると、嬉しそうに微笑んでいる。


「お弁当を作ってあげる代わりに条件があるわ。時々でいいから私達の剣道部へ来て。そして私達に稽古をつけてほしいの」


 道場でバイトを始める刀祢には剣道部に顔をだす時間はない。父の大輝は時間のある時と言っていたが、道場でバイトをすると日払いでバイト代が入る。

 バイト代が入れば、金欠生活からもさよならできる。刀祢にとっては重大問題である。バイトを優先したい。


「これからは剣斗兄貴がいないから、道場でバイトすることになったんだ。だから時間が空いてない」

「無理にとは言わないわ。時々でいいの。少しの時間でいい。この間の刀祢の剣技を見てわかったわ。刀祢は私よりも強い。だから少しだけお願いよ」


 バイトをすれば弁当がなくなる。弁当を取ればバイト代がなくなる。刀祢は悩ましい問題に頭を抱える。


「少しだけなら付き合ってもいい。バイトに行くまでの間だぞ。ほんの少しの時間だからな」


 心寧はにっこりと満足そうに笑った。なぜ、今頃になって心寧は剣道部の稽古なんて刀祢に言ってくるのだろう。

 刀祢には心寧が誘う意味がわからなかった。
 五月丘高校の剣道部は決して強くない。剣道部としては弱小高校だ。しかし、剣道部の歴史は古く開校当時から続いている部だという。

 今は剣道部の女子部の部長を心寧が務めている。心寧が部長になった理由は、心寧が一番強かったからだ。

 女子部員は8名おり、男子部員は5名という有様で、剣道部の中で1番強い心寧が男女部員達に稽古をつけているという。

 顧問の先生達は剣道をしたこともなく、全くの無関心らしい。

「弱小剣道部なのに歴史だけは古いんだよな」

「刀祢、弱小剣道部って言わないで! 一応、個人の部では私も頑張ってるんだし」

「心寧だけ頑張っても意味ねーじゃん!」


 心寧も部長として務めているが、部員達には強さを求めているわけではなく、剣道の楽しさ、剣道を通じての礼儀、向上心を持ってもらえれば良いと考えて、部長を引き受けたと語る。

 女子部員達は心寧を中心に結束力が高く、意気投合し練習に励んでいるが、問題は男子部員らしい。

 男子部の部長、五十嵐亮太(イガラシリョウタ)は男子部員の中では一番剣道ができ、男子部員5人を従えて、勝手放題なことをしているという。いくら心寧が注意しても無視される状態になっている。

 そこで、心寧が刀祢にお願いをしてきたという訳だ。


「そんな男子部の奴等、放っておけばいいじゃないか。やる気のない奴に教えても仕方がないぞ」

「きちんと練習させないと、私達まで顧問の先生に怒られるでしょ!」

「顧問なんて、練習も見に来ないじゃん」

「気分の問題よ! せっかくの部活なんだから、キッチリとしてほしいし」


 刀祢に巻き込まれて連れて来られた直哉が納得いかない顔でいう。刀祢も全くの同意見だ。稽古をする気のない者に教えても伸びない。

 心寧が用意した道着だけに着替えた直哉と刀祢は、心寧に連れられて体育館に併設してる武道場へ向かっている最中である。


「俺が道場のバイトに行くまでだからな。後のことは直哉に任せるから」

「刀祢、そのつもりで俺を連れてきたのか。ちょっと酷くないか」

「直哉にはすまないと思ってる。だが俺にはバイトがあるんだ。頼むよ」

「それを知ってるから、付いてきたんだけんどな」


 直哉には申し訳ないと思ったが、最近、道場をサボり気味の直哉にこの案件を預けるのが丁度良いと刀祢は勝手に判断した。

 男性部員が直哉のことをどう思うかわからないが、学校NO1のイケメンが剣道部へ行けば、女子部員達が喜ぶに違いない。それで心寧も信望も高まれば良い。


(直哉には尊い犠牲になってもらおう)


「ごめんね直哉。本当は刀祢に頼んだことなのに、巻き込んじゃって」

「別に暇だから良いけどさ。バイト代が入ったら刀祢には何か奢ってもらうから」

「ああ、直哉にはいつも奢ってもらっているからな。バイト代が入ったら、直哉に奢るのは当然さ」

「直哉だけ特別扱い。刀祢、私にも奢ってよ。お弁当を作ってきてるじゃん」

「仕方ないな。心寧も連れて行ってやるよ」


 和気あいあいと3人で武道場へ向かうと武道場の中では剣道部員の女子部だけが熱 心に稽古をしていた。男子部はチャンバラをして遊んでいる。

 武道場の中へ入り、心寧が剣道部員の男女全員を集める。


「私が通っている剣術道場の同じ門下生の2人を連れてきたわ。紹介するわね。京本刀祢(キョウモトトウヤ)君と斎藤直哉(サイトウナオヤ)君ね。私と同じ2年1組よ。今日は2人に稽古をつけてもらうからよろしくね」


 学校NO1イケメンの直哉の名前は学校中で有名だ。女子部員達は直哉を見て、顔をほんのりと赤らめて恥ずかしがっている。

 そして、刀祢は学校で一番悪名が高いことで有名だ。剣道部員達全員は刀祢の顔を見ないようにしている。

 刀祢の顔は常に目が吊り上がっていて、眉間に皺があり不機嫌な顔をしている。しかし、これが普段の刀祢の顔なので仕方がない。だからいつも初対面の段階で誤解を受ける。

 1人の男性部員が刀祢達に近寄ってくる。


「俺は五十嵐亮太(イガラシリョウタ)だ。2年3組。剣道部男子部の部長を努めている。別にお前達に稽古をつけてもらう必要はない。帰ってくれ」

「いきなり、帰ってくれはないだろう。まだ来たばかりだぞ」

「いいから、帰れ!」


 刀祢が顔を向けると、五十嵐亮太は、お前達なんて怖くないぞという感じで刀祢達に向かって胸を張る。


「チャンバラを続けていたいなら、俺は邪魔はしないぞ。教えるのも面倒くさいからな。今日は心寧に頼まれて来ただけだ」

「刀祢の言う通りだな。俺達だって暇じゃない。遊びで剣術をやっている者にも興味はないしな。今回はなかったことということで帰ってもいいか?」


 刀祢と直哉が五十嵐のことなど相手にしていないように、自分達は帰ると言い出す。


「俺達だって、真剣に剣道に打ち込んでいる。今日はたまたま息抜きをしていただけだ。バカにするな」

「チャンバラしていて、真剣に稽古してるって。剣道はそんなに簡単なスポーツなのか?」

「お前達に何がわかる。俺達だって真剣に稽古してる時もあるんだ。今は息抜きをしていただけだ」


 こういう類の相手は、少し挑発するとすぐに乗ってくる。刀祢と直哉の思う壺である。五十嵐は顔を真っ赤にして怒っている。


「どれだけお前達が強いか、部長の俺と、副部長の新浜(ニイハマ)が試してやる。もし俺達に勝てたら認めてやる。何でも言うことを聞いてやる」

「わかった。試合をしよう。ちょっと準備運動するから待っていてくれ」

「準備運動?」

「準備運動は重要だぞ。よく覚えておけ」


 直哉と刀祢は竹刀を持つと、ゆっくりと竹刀を振って、止めてを繰り返す。

 竹刀と木刀では重さが違う。その微妙な差が剣の乱れを生む。そのことを理解している2人は竹刀をゆっくりと振って、重さを確かめ、竹刀を止めることで、竹刀がブレないかを確かめて、身体に馴染ませていく。

 その間、五十嵐と新浜は竹刀を持って、大振りに竹刀を振り回して身体を温めている。刀祢達から見れば、構えも体重移動もバラバラで素人にしか見えない。

 直哉が小さな声で呟く。


「刀祢、本当にこんな奴らと試合する意味があるのか?」

「心寧に頼まれているからな。約束は果たしたほうが良いだろう」


 刀祢と直哉は竹刀が体に馴染んできた所で、両腕を小さく折りたたんで、適度な筋力で、竹刀を振る。そして段々と竹刀を振るスピードを上げていく。

 竹刀を振る度に「ヒューン」という風切り音が聞こえるようになる。体が温まり、準備ができたところで刀祢が五十嵐達に声をかける。


「おまたせ! 準備ができた! さあ、試合をやろうか!」
 直哉と刀祢が五十嵐と新浜の対面に立つ。五十嵐と新浜はきちんと剣道の防具を着用している。しかし直哉と刀祢は道着に竹刀だけの恰好だ。


「その姿は何だ。きちんと防具をつけろ。俺達をバカにしてるのか」

「それは誤解だ。急に武道場に来たから、道着しか用意できなかっただけだ。そんな些細なことは気にするな。思いっきり試合をしよう」

「防具も着けていない相手に、真剣に竹刀で打ち込めるか!」

「俺達のことは本当に気にしないで、思いっきり打ち込んできてくれ!」

「俺達をバカにしやがって! 後悔させてやる!」


 直哉は五十嵐達にそう言ってにこやかに笑う。

 五十嵐は文句を言いたそうにしていたが、直哉の笑顔を見て諦めた。

 直哉が先に歩き始めて開始線に座る。それを見た新浜が開始線に座る。主審を務める心寧が手を上げて試合開始の合図を出す。

 互いに一礼をして竹刀を構える。直哉は中段に竹刀を構え、正眼の姿勢を取る。新浜は上段に構える。


「キィェエ―――!」


 新浜は奇声を上げて、上段に構えた竹刀を小刻みに上下させる。そして細かい脚捌きで前後に動くが、すり足になっていないので、妙に足が浮いている。

 直哉は無表情のまま、ヒタと新浜を見据えたまま微動だにしない。直哉が仕掛けた。中段の竹刀を少し前に出して新浜の動きを誘う。

 新浜は勢いよく直哉の竹刀を自分の竹刀で跳ね飛ばす。直哉はその勢いを殺さず円を描くようにして竹刀を新浜の直上へ回転させて面を奪う。


「面あり! 勝負あり!」


 剣道部の女子部員達から盛大な拍手が沸き上がる。直哉の名前を呼ぶ女子もいる。直哉は爽やかに笑って女子部員に手を振る。

 女子部員達は喜びの歓声をあげる。

 さすが学校NO1イケメンの直哉だけのことはある。女子からの人気度は抜群だ。しかし男子部員の視線は鋭い。

 次は刀祢と五十嵐との対戦だ。2人共開始線に座って試合開始を待つ。心寧が試合開始の合図を送ると、2人は礼をして竹刀を構える。

 刀祢は竹刀を中断に構えて五十嵐を見据える。五十嵐も同じ中段だ。竹刀の先を刀祢の竹刀に当てて、刀祢を挑発してくるが、そんな挑発に誘われることはない。

 痺れをきらした五十嵐は体当たり気味に竹刀を振り下ろしながら、刀祢に体をぶつけてくる。それを見越していた刀祢は体を半歩ずらして、体当たりをヒラリと躱す。そして中段に構える。

 次に五十嵐は中段に竹刀を構えて、面や籠手を狙って竹刀を振るう。刀祢は相手の竹刀を自分の竹刀を添わせて、軌道を変えて、相手に1本を取らせない。

 五十嵐は必死に竹刀を繰り出してくるが、ことごとく刀祢に竹刀の軌道を変えられてしまう。


「キィェェー!」


 気合を入れて上段から面を奪いにくる。刀祢は1歩後退して寸の見切りで竹刀を躱す。

 五十嵐は体当たりを繰り返し、竹刀を必死にくりだすが、刀祢はひらりと躱し、自分の竹刀を相手の竹刀に添えて軌道をずらし、相手の攻撃の全てを無効にしてしまう。

 そして常に五十嵐の攻撃が終わると平然とした顔で竹刀を中段に構える。その姿は何とも凛々しい。


「まさか、刀祢、試合中に稽古をつけてるの? 刀祢、すごい!」


 この試合は正式な試合ではない。よって攻撃を仕掛けなくても注意を受けることはない。そして制限時間も設けられていない。どちらかが1本を取られるまで試合は続く。

 心寧は心の中で刀祢の技術を褒める。通常は木刀を使用している刀祢にとって竹刀を使うことは、剣のブレを起こす原因になりやすい。しかし、刀祢は自分の竹刀を自在に操っている。

 そして五十嵐の竹刀を打ち返すのでもなく、受け止めるのでもなく、竹刀を添えるようにして受け流していく。そしてさりげなく、五十嵐の普段の体勢の悪さを正すように、誘導している。

 刀祢は試合をしているわけではなく、五十嵐に稽古をつけているのだ。試合中に稽古をつけるという発想が心寧にはなかった。

 五十嵐はとうとう体力が尽きて、道場の真中でヘタリこんだ。その頭の上にポンと刀祢が竹刀を軽く叩く。


「面あり! 勝負あり!」


 五十嵐は面をすぐに取って、仰向けに倒れて大きく深呼吸をしている。体中、汗だくだ。その姿を見て、剣道部の女子部員達はビックリしている。心寧だけが小さく拍手をして満面の笑みを浮かべる。


「五十嵐、よく耐えたな。でも練習不足だ。毎日の練習を怠っているから、こんなことぐらいで倒れるんだぞ。これからは遊ばずに練習しろよ。勝ったら、何でも言うことを聞くんだろう。これからは毎日、稽古に励め。そして心寧の言うことをキチンと聞け。俺と直哉も時々は顔をだすからな」

「息がツライ―――息を整えるからちょっと待って―――」

「ああ、ゆっくりと息を整えろ。それまで待ってやる」


 五十嵐はまだ息が荒く、倒れたまま動けない状態だが、段々と息が整ってきて、口を開く。


「ああ、約束は守る。これだけ動いて、まだ余裕って、どれだけ体力があるんだよ。化け物か。お前はすごいわ」

「心寧の通う道場では、俺クラスは何人もいるぞ。だから心寧は強いんだ。だから心寧の言う通りに稽古していれば、お前達も強くなる」

「わかった。これからは心寧の言う通りにする。それでいいか?」

「時々、俺と直哉も武道場へ来て、稽古をつけてやる」

「もう来るな! 体がもたん!」


 五十嵐は黙ったまま天井を眺めている。まだ呼吸は荒いままだ。

 心寧がタオルを持って刀祢に元へ歩いてくる。タオルをもらって軽く汗を拭く。


「これで稽古はつけたぞ。これで心寧との約束は守ったからな。後は直哉に任せて、俺はバイトに行く」

「ありがとう、刀祢」


 心寧が慌てて、刀祢の道着の袖を引っ張る。


「せっかくだからさ。剣道部の皆と自己紹介をしようよ。刀祢にも新しい知り合いができるよ。刀祢のこともわかってくれると思うしさ」


(ん?話が違う。もしかすると、心寧の本当の目的はこれか!)


「お前もお節介な女だな。俺は今の友達で十分だ」

「そんなこと言わずに皆と友達になろうよ。剣道部の皆も刀祢達に稽古を付けてもらうと強くなるし、私も助かるし――」

「ああ、時々ならな。普段は直哉に任せる。それでいいだろう」


 それを聞いた心寧は安堵したような顔になり、優しい目で刀祢を見て、にっこりと微笑んだ。
 家に帰り道着に着替えて、道場の中へ入る。道場の中は夜の部の門下生達が既に練習を始めていて活気づいている。

 館長の父大輝と師範代の長男公輝の座っている元へ行って軽く会釈する。


「遅かったな。刀祢に門下生3人を預ける。自分の好きなように育ててみろ」


 父の大輝はそれだけいうと、刀祢から視線を外して、道場全体を見ている。


「これは門下生達の訓練でもある、刀祢が人を教える訓練でもある。刀祢が門下生をどのように導くか見極めさせてもらう。お前の担当はあの3人だ」


 長男の公輝が指差した方向を向くと、道着を着て床に座っている女子2人男子1名がいた。見るからにやる気がないのが伝わってくる。


(落第生を押し付けられたのか? やる気のない者達を使って俺を見極めようというのか)


 刀祢はもう一度、会釈をして、刀祢が担当する3人も元へ歩いていく。刀祢が近づくと、3人は呆然と刀祢の顔を見ている。


「剣斗師範代代理が怪我をされて、門下生を教えられなくなった、その間、剣斗師範代代理の弟の俺、刀祢が君達を教えることになった。3人の名前ぐらいは自己紹介しれくれないか?」


 茶髪のロングストレートの女性が立ち上がって礼をする。


「私は長瀬天音(ナガセアマネ)と言います。大学1年生です。この道場の門下生になってから半年になります。よろしくお願いいたします」


 次に少し幼い感じの女子が立ち上がる。


「私は鈴木由香(スズキユカ)です。五月丘高校の1年生です。新垣心寧(アラガキココネ)先輩に憧れて門下生になりました。」


 最後に刀祢と同じぐらいの長身でマッチョな男性が立ち上がる。


「俺は河野秀樹(コウノヒデキ)大学2年生だ。よろしく」

「では俺のことは刀祢と呼んでくれ。俺も下の名前を呼ばせてもらう。半年間、剣斗師範代代理からどんな練習法を教えてもらったんだ?」

「師範代代理からは半年間は見学して、門下生達の動きを見て慣れろと言われました。基礎を一応教わっただけです」


 代表して天音が応える。ハキハキとした物言いでシッカリ者のようだ。


(剣斗の奴、素質がないと思って、中途半端な教え方をしていたな)


 剣斗は自分が使えないと思った者には教えない、またはいい加減な教え方をする。

 そのことを父の大輝も長男の公輝も何も言わないで黙認している。

 小さい頃からそうだった。長男の公輝は父大輝に従順で、父の大輝の真似ばかりする。父の大輝は寡黙なので、長男の公輝も何も言わない。

 そして、何にでも出張ってくる剣斗がその場を仕切る。そのことについても2人は何も言わずに黙認する。刀祢はそんな父と長男のことが嫌いだった。

 次男剣斗とは性格が全く合わなかったが、父の大輝と長男の公輝とも反りが上手く合わず、刀祢から一方的に無視していた。

 父の大輝から刀祢は優しい言葉をかけてもらったこともなく、剣技で認めてもらったこともなかったので、悔しい思いをしたこともある。

 天音、由香、秀樹の3人はまだ稽古の下準備もできていない状態だ。たぶん何も教わっていないのだろう。


「今日は稽古に入る前の下準備を教える。剣を持って中段に構えて、木刀の先を揺らさず、1点に集中させること。10分1セットで3回繰り返そう」


「「「はい!」」」


 それを聞いた3人はあまりにも簡単なことなので、笑顔で木刀を中段に構えて、刀祢の言ったように集中を始める。

 しばらくすると3人に剣先が微妙に揺れる。そして木刀を握っている手や腕に余分な力が入っているようで、体から汗を噴き出させている。一瞬でも気を抜けば、1点を目標に木刀を制止させることができない。

 3セットが終わった所で秀樹が自分の腕の筋肉をほぐしている。


「簡単だと思ったけど、案外と体力と精神力を使うな。ただ中段で立っているだけなのにこれだけ辛いとは思わなかった」


 天音と由香も同じ感想のようで深く頷いている。


「集中力が散漫だと時間が長く感じる。そして木刀の重さも段々と重く感じてくる。まだ集中力が足りていない証拠だ」


 刀祢は次の訓練法を教える。木刀を中段に構えて、真直ぐ、ゆっくりと上段の構えに移動させる。そして木刀を振りぬくように、ゆっくりと下に降ろしてくる。全てが止まるようなゆっくりとした動きだ。


「竹刀を止まらない程度にゆっくりと振り下ろしてくるのがコツだ。決して急ごうとするなよ。ゆっくりとだ」


 この時に木刀の剣先が揺れてはいけない。常に木刀を軌道をブレさせず、自分の筋力で木刀を止めることができることが重要だと刀祢は3人に説明する。天音、由香、秀樹の3人は深く頷くと練習を始めた。これも1セット3回だ。


「剣先を揺らすな。木刀の振りも真直ぐに振り下ろす。集中して」


 3人はどうしても中段から上段へ木刀を上げる時に木刀の剣先が揺れる。そして木刀をゆっくりと振り下ろす時に軌道が歪み、真直ぐ振り下ろすことができない。


「できるだけ、木刀全体を感じて把握すること。そして体の力を調整しよう。木刀を振り下ろす時は、できるだけゆっくりと真直ぐに降ろすことに集中する」


 3人は時間をかけて3セットを終了させる。その時には3人共汗を流し、床に座り込む。極度の精神集中で疲れてしまったらしい。


「今日教えたことは、稽古前の下準備だ。基本の2つだけを教えた。基本は大事だ。3人は少し出遅れている。しかし気にする必要はない。俺が出遅れた分を取り戻す方法を教える。優しく教えるつもりだが、よろしく」


 秀樹が床に座りながら疲れた声を上げる。


「刀祢を信じるよ。それにしても、これが稽古の下準備とはキツクないか。もう少し、楽な方法はないのか?」

「一番、楽で近道な方法を教えている。3人の稽古については館長から許可を受けている。俺に従ってもらうしかない。諦めてくれ」


 館長の名を言われて、秀樹は諦め、天音と由香は頷いている。


「先ほどの基本ができるようになれば、こういう応用もできる。少し見ていてくれ!」


 刀祢は木刀を中断に構えて、ゆっくりと木刀を操り、華麗に舞いを踊るように剣を操り、華麗な脚捌きを見せる。

 その刀祢の姿を見て、由香、秀樹は口を開けて、見惚れている。なぜか、天音だけは頬をピンク色に染めていた。
 刀祢が天音、由香、秀樹の3人に稽古をつけていると、学校の剣道部が終わった直哉と心寧が道場へきた。

 心寧と直哉は自分達の準備運動をしながら、刀祢の稽古の付け方を観察する。刀祢は基礎中の基礎を教えているようだ。

 心寧と直哉が刀祢達に近づいてくる。


「刀祢、私達も仲間に入れてよ」

「ああ、いいぞ! 心寧、直哉、この3人に準備運動の模範演技を見せてあげてくれ」

「わかったわ! 直哉、準備運動しよう!」


 直哉と心寧は木刀を中断に構え、ゆっくりとした動きで剣術の型を丁寧になぞっていく。さすがに直哉も心寧も木刀の先がブレたりせず、重心移動もスムーズで完璧だ。

 それを見た天音、由香、秀樹の3人は完全に観客気分で拍手をしている。


「何を拍手してるんだよ。今度はお前達も一緒にするの。これは稽古なんだから。そのことを忘れてもらっては困る」


 刀祢はそう言うと、それぞれ2人1組に分かれて、剣術の型を教えることになった。刀祢は天音を、心寧は由香を、直哉は秀樹を教える。1対1で、丁寧に体の動きと木刀の動きを教えていく。

 そして何度も天音、由香、秀樹の3人は合格というまで、剣術の型を繰り返し行う。注意点があれば、すぐに矯正される。

「剣先がブレてる。木刀を真直ぐ振れていない。もっとゆっくりと、集中して」

 慣れない3人は妙なところに力が入ってしまい、その癖が抜けない。そのため余分に体力が必要となり、息が荒くなっている。

 何度も力の抜き方を教え、反復練習を行う。最後にはそれなりに見えるようになっていた。その時点で3人の体力が尽きた。秀樹が手をあげる。


「刀祢、少し休ませてください。ちょっと体力がキツイ」

「仕方がないな。3人共、少し休憩な」


 3人には休憩をしてもらう。その間に心寧が刀祢に近寄ってくる。


「今日は剣道の面を持ってきたから、それを被るから、私と組手をして」


 刀祢は女性全員に対して剣を向けられないというのに、心寧は何か勘違いしているようだ。原因は確かに心寧の額に怪我をさせたことだが今では、そのことを気にしていない。

 女性と組手をして、怪我をさせる可能性があることがイヤなだけだ。心寧は完全に勘違いをしている。

 刀祢も心寧から組手の稽古を頼まれれば断ることもできない。


「仕方ないな。組手1回だけだからな!」

「1回だけでいいよ。その代りに本気を出して。今日は面も持ってきたんだから、顔を狙っても怪我にはならないわ」

「そういう問題とは違うんだけどな」


 刀祢は木刀を中断に構えて、心寧と対峙する。心寧も中段の姿勢をとる。心寧は腕を小さく折りたたんで高速で刀祢を攻撃する。心寧の必勝パターンだ。

 しかし、何度も組手の相手をしている刀祢には通用しない。全ての剣を木刀で受け流し、絶妙な脚捌きで躱していく。しかし、刀祢から攻撃することはない。


「刀祢! 本気を出してって言ってるでしょ!」

「これでも一生懸命やってるよ! うるせーな!」


 刀祢も悔しい気持ちはある。心寧が真剣に組手をしているのに、攻撃できない自分が情けない。しかし、こればかりは体が動かないのだから仕方がない。最後には刀祢が心寧に追い詰められ、1本を取られてしまった。

 面を取った心寧の顔は、勝ったというのに笑顔はなかった。


「こんな勝ち方。勝っても嬉しくないんだからね」

「心寧が勝ったんだから良いだろう!」


 天音と由香が拍手している。直哉と秀樹も頷いている。

 天音が刀祢と心寧の元まで歩いてくる。天音が突然の質問をする。


「刀祢さんと心寧さんは付き合ってるんですか?」


「「え?」」


 刀祢と心寧は天音の質問を聞いて2人共驚いた顔をする。


「心寧、お前、俺のこと好きだっけ? 嫌いだよな?」

「嫌いじゃないけど、ただの大事な友達よ。時々、口喧嘩はするけど」

「俺も心寧のことは友達だと思ってる。一番安心できるしな。お節介なところもあるけど」


 刀祢と心寧の2人は互いに笑顔で答える。

 それを聞いた天音は2人をじっと見て観察している。

 道場が終わる時間まであとわずかだ。皆で話し合っている暇はない。


「それでは休憩は終わり。さっきの稽古の反復練習をしよう」


「「「はい!」」」


 刀祢は天音、由香、秀樹の3人に今日教えた内容を、反復練習をさせる。直哉と心寧は丁寧に3人に指導していく。刀祢1人で指導していた時よりもスムーズだ。

 3人は体力不足で倒れそうになっていたが、道場が終わるまでよく耐えてくれた。


「今日は3人共、お疲れ様。これが基礎になるから、稽古の時は必ず、先にこの練習は欠かさずにやってほしい。俺達も準備運動として毎日のように繰り返しやっている」


「「「わかりました! ありがとうございます!」」」


 夜の部の道場も終わって、天音、由香、秀樹の3人は頭を下げて帰っていった。道場が閉鎖されて刀祢と心寧と直哉だけが道場に残る。

 刀祢は父親の大輝からバイト代を日払いでもらった。これで金欠生活からも脱出できる。刀祢は封筒を持って満面の笑みを浮かべる。

 刀祢は心寧と直哉に声をかける。


「いつも奢ってもらってるから、ファミレスでドリンクバーセットぐらいなら奢るよ」


 直哉と心寧が刀祢の言葉を聞いて微笑んでいる。