「ねえ、交換日記しない?」
「え? 鈴鹿さん・・・と?」
「誰としたかったの?」
「・・・・・」
 どういうつもりで言ってるのか、彼女は僕を睨んだ。
「だってせっかく可愛い日記帳買ったしさ。えー、嫌なの?」
「いや、あの嫌ってわけではないんだけど、実は僕も日記なんてつけたことないんだよね。文章を書くのすごい苦手だし。変に理屈っぽくなっちゃうんだ」
そう、僕は日記はおろか手紙すらほとんど書いた記憶がない。
「ふーん。そっか。ねえ、君が好きなクラスメートって、誰?」
いきなり話題変えて振ってくるのも、どうも彼女の癖らしい。しかもグイグイと顔を近づけて迫ってくる。

「いや、ごめんね・・・いきなりそんなこと訊かれても・・・」
「いいじゃない、教えてよ。誰にも言わないよ。大体、私クラス違うし」
僕は考えた。でも本当に答えに困った。気になる子がいるにはいたのだが、その子はクラスメートではなかったからだ。
「じゃあ。誰にも言わないでよ」
僕は、その子の変わりにクラスの中で一番人気のある女子の名前を挙げた。正直、僕はその一番人気の子に対して『好き』という感情は全く持ってなかった。しかし、誰の名前も挙げないと彼女の追及がめんどくさくなりそうだったので、つい好きでもない子の名前を挙げてしまったのだ。
「あー知ってるよ。長い髪の子だよね。美術クラス一緒だし。そっかー、ああいう子が好みなんだ。確かにあの子美人だし、男子に人気ありそうだね」
「でしょ。僕なんて全然相手にされないよ」
「んーそんなことないと思うよ。女の子ってけっこう積極的な男子に弱いからチャンスあるかも」
「だったら尚更だよ。僕は消極男子のクラス代表だよ」
「フフッ、いつ選挙があったの? 私も投票したかったな」
彼女はまたケラケラと笑い出した。本当によく笑う。いや、笑い過ぎだ。

「鈴鹿さんは? 付き合ってる人いるの?」
以前の僕ならこんなこと絶対に訊けなかっただろう。よく言った、と自分で思った。
「おお! 反撃にきたね」
僕の鋭いと思った質問に対し、彼女はなぜか嬉しそうな反応をした。
でも、そのあと急に困った顔になり、そして唸りだした。
「うーん・・・・」
とぼけているのだろうか。僕は思い切って核心に迫った。
「あのサッカー部の? 武田君っていったっけ? 彼は?」
「ああ、克也ね!」
僕の訊き方もわざとらしかったが、彼女の思い出したような答え方もわざとらしかった。どう見ても誤魔化しているように感じた。
「そうだね。彼はけっこうイケメンだし、スポーツマンだし、女子としては一番彼氏にしたいタイプかもしれないね」
付き合ってるの?・・・とさらに訊きたかったが、そこまで突っ込めなかった。

「ねえ、その子に告白してみなよ。私、応援してあげる」
「だから僕にはそんな度胸無いって」
「ああ・・もしかしたらフラれるのを、怖いとか、かっこ悪いとか思ってない?」
「そりゃだれだって・・・そう思うでしょ?」
「そんなことないよ。何も行動しないでそのまま終わるよりも、たとえ駄目だったとしても行動しないと。たった一度の短い人生だよ。もっと積極的に行かなきゃ」
僕は彼女の言葉に少しイラッときた。結局、彼女は気の弱い僕をからかっているんだ。
「別にいいよ。もともと僕は積極的な性格じゃないし、なろうとも思わない」

僕は嘘をついた。
彼女のような積極的な性格に本当は憧れてた。そうなりたいと思っていた。でも、どうせそんな風にはなれないと思い込んでいる自分が自分に嘘をつかせた。
「大体さ、鈴鹿さんは何でそんなこと僕に言うの?」
僕の声のトーンが無意識に大きくなっていた。
「んー。君っていつも一所懸命だから、応援したくなっちゃうから・・・かな?」
なぜだろう。僕の心の中がイライラ感に覆われてくる。彼女の言動のせいだろうか。もしくは昨日の彼の言った言葉のせいだろうか。自分の感情のコントロールが利かなくなっていた。
こんなこと初めてだった。

「もういいよ!」
僕は吐き捨てたように叫んだ。
「どうしたの? 名倉くん」
彼女は僕のその声の大きさにびっくりしていた。
「鈴鹿さんはさ、内気で恋愛下手の僕をおもしろがっているだけでしょ?」
「そんなことないよ。名倉くん、何でそんなこと言うの?」
彼女は僕の感情の高ぶりに戸惑っていた。僕自身、なぜこんなに感情的になってしまっているのか分からなかった。でも一度崩れた僕の感情は抑えられない。
「大体、僕が誰を好きになろうが、告白しようがしまいが、鈴鹿さんには関係ないでしょ! 鈴鹿さんはあちこちの男子と遊んで付き合ってるんだろうけど、僕は鈴鹿さんみたいに軽くないんだよ!」

「何? それ・・・」
彼女の声が急に強張った。

二人の間の空気が一瞬に張り詰める。
――今、何を言ったんだ、僕は?
僕は後悔の念に駆られた。
――怒らせた? 彼女を・・・。
僕は、言ってはいけないことを言ってしまったんだと気づいた。
こんなことを言うつもりはなかった。僕は彼女の顔を怖くて見ることができなかった。かなり怒っているに違いない。
――どうしよう。謝らないと・・・。

「あ、あの、ごめ・・・」
「そんなふうに思ってたんだ! 私のこと・・・」
彼女の強い口調の声が僕の声を遮ぎった。
そして、彼女はゆっくりと立ち上がった。
――怒鳴られる。
そう思った。でも僕にはもう言葉が無かった。

「君だけは・・違うと思ってたのに・・・」
――え?
僕はびっくりした。その呟くようなとても小さく悲しそうな彼女の声に。彼女のこんな声を聞いたのは初めてだった。
―─早く、早く謝らないと・・・。
焦ってそう思った時、彼女はそのまま出口のほうへ早足で向かっていってしまった。彼女の目が赤く潤んで見えた。
――涙?・・・。
それを見た時、僕は彼女を怒らせたのではなく、傷付けてしまったんだということに気がついた。

――最低なヤツだ・・・僕は。
今までに記憶に無いような猛烈な自己嫌悪感に僕は襲われた。
――僕は彼女に何を言ったんだ?
何であんなことを言ってしまったのか、僕自身も分からなかった。僕は彼女の何を知っているというんだろう。彼女のことなんてまだ何も知らないくせに。他人からの話だけを鵜呑みにして彼女のことを侮辱したんだ。

侮辱・・・それは僕が一番嫌いな行為だった。人に侮辱されることよりも、人を侮辱することが何よりも嫌いだった。僕は彼女を侮辱して傷付けたんだ。
僕はすぐに彼女のあとを追った。 店の外に出てまわりを見渡した。でも、彼女の姿はすでに見えなくなっていた。
僕は店の前で一人呆然と立ち尽くした。いつの間にか、あたりはすっかり暗くなっていた。
上着を店内に置いて出てきたせいだろうか、強い春風がとても冷たく感じた。
僕は一人で家に帰ってからも、頭の中は自己嫌悪でいっぱいだった。彼女のあんな寂しく悲しい声は初めてだった。

僕はなぜあんなことを言ってしまったのだろうか。
このまま彼女との関係は終わってしまうのだろうか。いや、関係といっても正式に付き合っていたわけではない。
このまま彼女に嫌われて、これっきりになるのかもしれない。でもそれも仕方がないことだった。僕が悪いのだから。
だけど、やはり僕は彼女はきちんと謝りたかった。彼女を傷付けてしまったことを。
――そうだ。明日、学校で彼女に謝ろう。
そう決意し、僕は寝床に入った。