あれぇ、真面目くんじゃない?」
聞き覚えのある声の方向に僕は振り向いた。
鈴鹿咲季と再び会ったのは地元のショッピングモールにある大型書店の中だった。

「あ、ごめんね・・・こんにちは」
突然のことでびっくりした僕は、何と答えていいか分からず、取り敢えず謝った。
そう、僕は何も言えなくなった時、なぜか謝る癖がある。
「何で謝るの?」
彼女はクスッと小さく笑った。

「ねえ、何読んでるの?」
彼女は興味深そうに僕が見ていた本を覗き込んできた。
「ああ、ごめんね。あの・・・小説だけど」
「また謝ってる。やっぱり君っておもしろいね」

彼女の笑いのツボにはまったのか、小さい笑いが大きくなった。
でも、彼女の笑いは決して人を馬鹿にしたような嫌味な感じが無く、とても爽やかだった。

彼女は何かの本を探しているのか、僕の隣で本棚を見回していた。
それからしばらく沈黙が続いた。ちょっと気まずい雰囲気が漂う。

 ――あ、何か喋らべらないとまずいのかな・・。

僕はこの場を和ませなければならないという脅迫観念に襲われて、焦りながら懸命に話題を考える。

「鈴鹿さんは・・・何か買いにきたの?」

やっとの思いで絞り出した質問(セリフ)がこの程度だ。
「私は絵本を見に来たの。絵本好きなんだ」
「ああ、そう」

会話が続かない。僕は学校以外で、いや学校でさえ女の子と会話することがほとんどなく、完全に舞い上がっていた。

これ以上一緒にいると、どんどん退屈な男だと思われそうだ。実際その通り退屈な男なんだけど・・・。
この雰囲気の重圧に耐えられなくなった僕は、この場を退散することを選択した。
困ったら取りあえず逃げ出す、こういう情けない性格だった。

「ごめんね。それじゃあ僕はここで・・」
すると、彼女はそのタイミングを待ち構えていたかのように僕を引き止めた。
「ねえ、まだ時間ある? 何か飲んでいかない? 喉乾いちゃった」
「え?・・・」
想定外の彼女の言葉に僕の頭の中はこんがらがった。

 ――どうしよう? こういうのって断ったら失礼なのかな? でも何を話していいのか分からないし・・・。

僕は心の中でブツブツ言いながらも実際に声は発することはできず、ただ固まっていた。

「どうしたの? ほらっ、行こ」

彼女は僕にニコッと微笑むと人ごみの中へ僕の手を引っ張っていく。
彼女はいつもこんな感じにマイペースなのだろうか?

僕は彼女に連行されるようにショッピングモール内にあるアメリカンスタイルのカフェに入った。
こういう店はあまり慣れていないので落ち着かない。女の子が一緒となればなおさらだ。
そもそも女の子と二人きりで店に入ること自体、初めてだった。

「ねえ。私たち、ついこの前、屋上で会ったばかりなのに、またここで偶然に会うなんて、何か運命みたいなの感じない?」
「ああ、そうだね」
僕はそっけない返事しかできなかった。
そう、こういうところで洒落たことが言えないのが僕だ。

「ふふ。あまり感じてないみたいだね」
「ううん。そんなことないよ」
僕は慌てて否定するが、全然説得力がないのは分かっていた。

「ねえ、真面目くん」
僕はその言い方にちょっとムッとなった。
「フフッ、そうだったよね。ごめん、この呼び方嫌いだったんだよね」
そんな言葉に僕は愛想笑いもできなかった。

「そういえばさ、私たちってまだお互い名前、知らなかったよね」
「そう・・・だね」
君の名前は知ってるけど、と心の中で呟いた。

「私は鈴鹿咲季。A組だよ。よろしくね」
彼女はにこっと首を傾げて笑った。
「あ、よろしく・・・」
「で、君の名前は?」
「あ、ごめんね。僕は名倉・・・名倉雄喜・・B組・・・です」

たかが名前を言うだけなのにコチコチに緊張している自分が恥ずかしかった。
「“です”って、別に同級生に敬語いならいっしょ。B組だったら美術が一緒だよね」
「うん。そうだね」
「名倉・・・くんは、昼休みはいつも屋上にいるの?」
「うん・・・いつもというわけではないけど・・晴れた日はけっこう・・・いるかな」
「昼休みに他のみんなと遊ばないんだ」
「・・・・・」

僕は返事に詰まってしまった。
一人でいるのが好きだからなのだが、そんなこと言って“暗い”って思われるのが恐かったのだ。

「フフッ、一人でいるのが好きなんだよね。それ、すっごく分かるよ」
やっぱり不思議な子だ。まるで僕の心を読めてるようだった。それとも僕の態度があからさま過ぎるのだろうか。
でも、その彼女の核心をついた言葉は僕の硬くなっていた緊張感を徐々に解かしていくようだった。

「僕ってさ、コミュニケーション能力に欠けてるんだよね。みんなと話を合わせたりするのがすっごい苦手でね。だから一人が気楽なんだ」
「ふーん」
 あっさりとした返事だ。

「鈴鹿さんは友達多そうだよね。人見知りとかしなさそうだし。人の心を読むのがすごい感じがするし」
「うーん、そうかなあ・・・」
彼女は唸りながら首を傾けた。

「君さあ、もしかして、他人との間に壁とか感じてない? 特に自分とタイプの違う人に」
僕はまた言葉に詰まった。
その通りだ。確かに僕は積極的なタイプの人たちとの間に大きな壁を感じていた。
「私すごくわかるよ、その気持。なんかこう・・・見えない高い壁があるって感覚」
彼女はそう言いながら手で大きく壁を作った。

 ――え?  そうなの? 

彼女のような明るく快活そうな人でも他人に壁を感じることなんてあるんだと、予想外の言葉に僕は驚いた。

「でもね、他人との間に感じてる壁って、大体その人自身が作ったものなんだって。だからその壁は自分自身で壊せるらしいよ」
グサっとくる言葉だった。

確かに彼女の言う通りかもしれない。でも、僕にはその壁を壊す度胸を持ち合わせてなさそうだ。

「あ、ごめん。なんか私、偉そうなこと言っちゃってるかな?」
「あ、いや、こっちこそごめんね」
彼女でも壁を感じることがあることを知って、ちょっと彼女に対する見方が変わったような気がした。
彼女のような社交的な人には僕のような消極的なタイプの人間の気持ちなんて理解できないと思い込んでいたから。

確かに他人との間に壁があることはいつも感じていることだった。
でも、その壁は自分自身が作っている、なんてことは考えたことがなかった。

「あのさ、もしかして、私にも壁って感じてるのかな?」
彼女は探るような声で訊いてきた。
「ど、どうして?」
「だって君、さっきから私の顔を全然見てくれてないでしょ?」
また心にグサリと刺ささる言葉だった。
言葉がナイフだったら僕はもう失血死してるだろう。

そう。僕は子供の時から人と話す時、その人の顔や目を見るのが苦手だった。
ずっと親からも先生からも言われていた。人と話す時はその人の目を見ろと。
でも、僕はそれがずっとできなかった。
同級生からここまでズバリと言われたのは今日が初めてだった。

「ごめんね」

僕はすかさず謝まった。
そりゃ顔を見るのを避けられたら、いい気分はしないだろう。
相手に失礼なことだってことは分かっていた。でも・・・僕はできなかった。

「別にいいよ、謝んなくて。別に君を責めてるわけじゃないんだよ。いや、私、もしかして嫌われてるのかなって思ってさ」
やっぱり人からはそういう風に見られてしまう。それは仕方がないことだ。
「違うよ。気分を悪くしたらごめんね。実は僕、人の顔とか目を見て話すのがすごい苦手なんだ」
「どうして?」
何でそんなに突っ込んで訊いてくるのか、正直言って僕は困った。

「あの・・・正直に言うね。人と話す時って相手の人もこっちの顔とか目を見るでしょ?」
「うん。そうだね」
「僕さ、話をする時、相手の人からジッと顔を見られると、途端に恥ずかしくなるんだ。それでつい目を逸らしちゃうんだよね。別に嫌っているわけでもないし、避けtるわけでもないんだよね」
こんなこと他人に話すのは初めてだった。まして女の子に。

「やっぱりそうなんだ!」
彼女は大きな声で叫んだ。なぜかとても嬉しそうに。
「え?」
その声の大きさに思わず僕はビクッと顔を引いた。
「ごめんね。あの・・・何が?」
彼女の嬉しそうに叫んだ意味が僕は全く分からなかった。

「ああ、ごめん、大きい声出して。いいのいいの、気にしないで。こっちの話だから・・・」
彼女は笑いながら両手を前に出し、ゴメンのポーズをとるが、気にしないでって言われてもすごく気になった。

「名倉くんは、本よく読むの?」
「え? 何で?」
「君って人の質問に対していっつも理由を訊いてくるんだね」
そう言いながら彼女はクスッと笑った。

「ああ、ごめんね」
「だからいいよ、いちいち謝んなくて」
彼女の笑い声が大きくなった。
「僕さ、女の子から質問されるの・・・っていうか女の子と話すこと自体に慣れてないから・・・」
「ふーん、そっかあ。女の子に慣れてないんだあ」
彼女はなぜかしら嬉しそうにニヤニヤと僕の顔を見ていた。やっぱり馬鹿にされてんのだろうか?
「いや、さっきの質問はいろいろと本を見てたから訊いただけだよ。どんな本読んでるのかなあって・・・」
彼女は悪戯っぽい顔をしながら言った。
「うん、そうだね。まあ一人でいることが好きだから。本を読んでいると落ち着くんだ」
「どんな本読むの?」
「んー、やっぱり小説が多いかな」
「へえ、どんな小説?」
「いろんなもの読むよ。SFとかアドベンチャーものとか・・・あとはファンタジー系も好きだな。鈴鹿・・・さんは?」
「私は小説はあまり読まないかな。コミックとかが多いよ。文字ばかりだと私眠くなっ
ちゃうんだよね」
うん、そんなイメージがした。確かに彼女は静かに家で読書をしているタイプには見えない。
「あの・・・もしかしてコミックとか、くだらないとかバカにしてる?」
彼女は何か寂しそうに訊いてきた。
「あ、ごめんね。そんなこと思ってないよ。確かに僕はコミックはあまり読まないんだけど、別にバカになんかしてないよ。読むことが少ないのは、コミックには絵があるからなんだ」
「コミックなんだから絵があるの当たり前じゃない? それに絵があるほうが分かりやすいでしょ」
「そうだね。でもその絵があるせいで物語の世界のイメージが固定されちゃうじゃない?」
「物語のイメージ?」
「うん。コミックだとキャラクターや景色はすべて描いてあるよね。だからそのイメージは当然その作家さんが描いたイメージになるけど、小説だとそれが描かれていないから、その世界を自分で自由にイメージできるんだよね」
「ああ、キャラクターの顔とか背景とか?」
「そう。もちろんコミックも、その描かれたキャラのイメージが自分好みだったらいいんだけろうどね。小説なら自分の好みのイメージでキャラクターを勝手に想像することができるでしょ?」
「なるほどねえ。何かすっごい納得しちゃったあ。私も今度小説、読んでみようかな」
「よかったら今度貸してあげるよ」
「ほんと? 絶対だよ!」

他愛もない流れるような会話が彼女と続く。
でも、これが僕にはとても新鮮だった。そして何より楽しかった。そう、こういう他愛もない普通の会話が僕はできなかったんだ。

彼女と一緒の電車に乗り、二人で家路につく。
彼女の家は学校に近いらしく、次の停車駅の学校の最寄駅で降りるようだ。
僕が降りる駅はもう少し先だったので、ちょっと寂しい感じがした。

電車が駅のホームに止まり、ドアが開く。
「じゃあ、私はここで降りるから」
「あ、ごめんね。じゃあまた」
「フフッ、また謝ってる・・・じゃあね」
電車を降りる彼女はいつもの眩しい笑顔だ。

ドアが閉まる瞬間、彼女は僕に小さく手を振ってくれた。
僕も小さく手を振った。
これも他愛のないやりとりだが、僕にとっては初めてのことですごく新鮮だった。

――なんか・・・いいな、こういうの。

そう思いながら、僕はちょっと浮かれていた。初めてのこの感覚に。