彼女に“真面目”と言われた。
僕は他の人からもよく“真面目”と言われる。

そう、僕はみんなが言うように“真面目”な人間だ。
いや、“真面目にしている”人間というのが正しいかもしれない。

そして、僕は真面目と言われるのが嫌いだ。
真面目という言葉すら嫌いだ。
なぜ嫌いなのか? 
それは、僕自身が好きで真面目にしているわけではないからだ。

真面目に行動するということは、世間に敷かれた社会常識というレールの上にしっかりと乗っていることを意味すると思っている。
僕はそのレールに乗っている。でも、好きで乗っているわけではない。
じゃあなぜ?
それは、そのレールの上に乗っていると安心できるからだ。
逆に言うと、乗っていないと不安になるのだ。
そう、僕は進んで真面目に生きているわけではないんだ。

学校の勉強をしたくない時だってある。けれど、勉強をしなければ当然テストの点が悪くなる。
業だって、たまにはサボってみたいと思うことがある。
でも授業をちゃんと受けないと内申点が悪くなり、成績表に影響する。
すると、良い学校に行けなくなり、良い会社へ行けなくなる。
そして良い生活ができなくなる。
そんなつまらない脅迫観念と、刷り込まれた社会通念に捉われているのが僕という人間だった。

僕は結局、いわゆる“社会のレール”から外れるのが怖いだけなんだ。
そんな社会のレールから外れないように僕はずっと真面目にしてきた。
人に“嫌”と言うこともできなかった。人に嫌われたくなかったから。
そんな“真面目”な自分が僕は嫌いだった。
でも、だからと言ってそこから外れる度胸も無かった。そんな自分の臆病さも嫌いだった。

真面目だというだけで学級委員をやらされたこともある。
人をまとめるなんてことは僕の最も苦手なことだった。
だからできるだけ目立たないようにも生きてきた。

学校には、僕のような“真面目タイプ”とは対照的に、性格がとても自由で活動的、遊びにも積極的な生徒たちがいる。
僕はそれを“アクティブタイプ”と呼んでいる。そう、まさしく彼女のようなタイプの生徒だ。

アクティブタイプの生徒は、教室ではとても賑やかでいつも中心にいる。
時には授業をサボったり、男女交際にも積極的で自由奔放だ。
制服は規則通り着ることはしない。裏では酒やタバコもたしなむ生徒も多く、イメージ的にはいつも騒いで遊んでいる、そんな感じの生徒たちだ。

誤解があるといけないが、僕の学校にいるアクティブタイプの生徒は、一見不良っぽいのだが、決して“不良”ではなかった。(未成年なので酒とタバコはまずいのかもしれないが)
成績もみんなそこそこで悪くはない。授業中は騒がしくて全然勉強なんかしてなさそうなのに、テストはトップクラスの奴もいたりする。
このようなアクティブタイプの生徒に対して、僕は常に壁のようなものを感じており、それはコンプレックスにもなっていた。

僕は何より彼らが羨ましかった。そして憧れた。
僕もそういう人間になりたい、そう思っていた。
けれども僕は、彼らと同じようにルールから外れて授業をサボったり、勉強しないで遊びまわるような積極性や度胸を持っていない。
だから僕は、明るく快活な彼女に対しても見えない壁を感じざるえなかった。
やっぱり僕とは違う、そう思っていいた。