翌日の午後、僕は彼女の入院している病院にいた。もちろん彼女に会うためだ。

病室は事前に彼女のお母さんからメールで聞いていた。
彼女に会うのは何日ぶりだろうか。
でも僕の心の中は嬉しさより不安が大きかった。

怒っていないだろうか・・・僕になんかもう会いたくないのではないか・・・そんなことを思いながら病室に前に着いた。
病室の扉の横にある名札に彼女の名前を確認する。

 ――ここだ。

病室の中の覗くと、カーテンで仕切られたベッドが部屋の四方に置かれていた。わりと広い四人部屋だ。
奥の窓際のベッドで本を読んでいる彼女すぐに見つけた。僕は胸がきゅっと締め付けられた。
声を掛けようとした。なのに声が出ない。

 ――あれ? 何で?

僕は振り絞るように声を出した。
「あの・・・こんにちは!」
病室内に僕の声が大きく響く。その声に病室にいたみんなが一斉にこちらを向いた。

 ――あ、まずい・・・っていうか恥ずかしい。

「あっ、すいません!」
僕はすかさず謝った。彼女がびっくりした顔でこちらを見ていた。

「名倉くん? 来てくれたの」
「あっ、ごめんね。久しぶり・・・」
驚いている彼女の顔が慌てている僕を見て笑顔に変わった。
「相変わらずいいキャラしてるね。君は」
「ごめんね。うるさかったよね」
危険な目に遭わせてしまった僕を怒ってるんじゃないかと不安だったが、僕を明るく迎えてくれたのでホッとした。

「ごめん。君に連絡したかったんだけど、お母さんに携帯使わせてもらえなくて連絡できなかったんだ。よく部屋わかったね」
「ああ、学校で教えてもらったんだ」
「そう・・・」
僕は下手な芝居をしていた。

「あの・・・今日家族の人は?」
「大丈夫。お母さんが来るのは朝と夕方だから。さっき帰ったところだから今日は夕方まで来ないよ。そうだよね。うちの両親とかち合ったらまた何か言われちゃうもんね。ごめんね、いろいろ言われたんでしょ。みんな私が悪いのに。一所懸命説明したんだけど・・」
「僕のほうは全然大丈夫だよ。鈴鹿さんこそ、体は大丈夫なの?」
僕がそう訊くと、彼女はゆっくりと俯いた。

「私の病気のこと・・・聞いた?」
彼女は探るようなトーンで僕に訊いてきた。
「え? お母さんからは昔から体が少し弱いってことは聞いたけど、あとは・・」
僕は精一杯に嘘をついた。
彼女はまたしばらく黙っていた。
「私ね・・・心臓があまりよくないんだ。生まれつき・・・」
「そ・・・そうなんだ」
僕は平然を装った。
「海に行った時は、薬を学校のカバンの中に入れっぱなしで、持っていくの忘れちゃったんだよね。私ってドジだから・・・ごめんね、心配かけて」
そうか。あの日はカバンを持たずにそのまま学校を出てきちゃったから。

「もしかして電車に乗る前に学校に戻ろうとしたのは、薬を忘れたのを思い出したからだったの? 僕、何も知らなくて・・・本当にごめんね」
僕は自分のしてしまったことの重大さを知った。僕は取り返しのつかないことをしてしまうところだったんだ。
「ううん、違うよ。あの時は私のわがままに君を付き合わせたら悪いなって本当に思ったんだ。薬も一日くらいなら平気かなって思ったし・・・。でも君に手を引っ張ってもらった時は本当に嬉しかったよ」
僕は・・・何も言えなかった。

「あー、そういえばさっき私のこと『鈴鹿さん』って言ったでしょ。名前で呼ぶ約束だよね」
彼女は頬を膨らませた。
「あ、ごめんね。でも確か、君もさっき僕のこと『名倉くん』って言ったよ」
「あー、君こそ今、私のこと『君』って言ったよ」
何だかよく分からない押し問答が続いた。
「ごめんね。なんか君のがうつっちゃったよ」
「フフッ、影響されやすいんだね、君」
「うん、そうみたい。でも『君』って呼び方も何か悪くないかも」
「そうでしょ」
拗ねていた彼女はやさしく笑った。

「あのさ・・・大丈夫・・・なの」
「え?」
「その、心臓の病気って・・・命にかかわる・・・とか・・・」

 ――何を言い出すんだ、僕は。

言葉に出してしまったあと猛烈に後悔した。訊いてはいけないことを訊いてしまった。
でも、それを聞いた彼女は、いつもの眩しい笑顔で答えてくれた。
「えー心配してくれてるの? 嬉しいな。大丈夫だよ。そんな大袈裟なもんじゃないよ、私の病気は。ちゃんと薬を飲んで、運動とか、食事とか、お医者様の言うことを聞いて無理しなければ大丈夫って言われてるから」
そう言ったあと、にこりとまた微笑んだ。

彼女も嘘をついている。二人の間に嘘が交錯していた。

彼女はどんな気持ちでこの嘘をついているんだろうか。それを思うと心が張り裂けそうになった。
「ごめんね」
「また謝ってる。別に君が謝ることないでしょ」
彼女は大きく笑った。

「携帯やスマホが無いと全然連絡できないから不便だよね」
彼女は困ったように言った。
「でも昔はみんなそうだったからね」
「そうだよね」
「僕らの父さんや母さんの時代はどうやって連絡取り合ってたのかな?」
「やっぱり電話か手紙じゃない?・・・あと交換日記とか?」
「今はラインとかあるから交換日記なんかする人はいないんじゃないかな?」
それを聞いた彼女が黙ったまま上目遣いで僕のほうを見た。
「私、雄喜と交換日記したいな」
「僕が日記を書いたら、きっと理屈っぽくて論文みたいになっちゃうよ」
僕は彼女のその言葉は軽い冗談だと思い、軽い答えで返してしまった。

「そうだ。海に落ちた時に私が買ってあげたスエットどうしてる?」
「ああ、今は僕の愛用の部屋着になってるよ」
「ホント? 嬉しいな。私も一緒におそろいの買っておけばよかったな」
「また今度一緒に買いに行こうよ。今度は海に落ちないようにするから」
「うん、そうだね。約束だよ」
彼女は嬉しそうに笑った。僕は彼女のこの笑顔こそ人を幸せにできる、そう思った。
その笑顔は少なくとも僕を何か暖かい気持ちでいっぱいにしてくれた。