「実はね、私も二月二十九日についてはひとつ知ってることがあるんだよ。知りたい」
「話したそうだね」
彼女はちょっと僕を睨んだあと、話し続ける。

「あのね、昔ヨーロッパでは一般的に女性から男性に求婚できなかったらしいんだけど、二月二十九日だけは女性から男性に求婚できる特別な日だったんだって」
「それは男にとっては下手な怪談より怖い話だね」
「だよねだよね。やっぱ怖いよね。女の私からみてもそう思うもん!」
彼女は怖いと言いながら、とても嬉しそうに話した。

「誕生日といえば、明日は鈴鹿さんの誕生日だったよね?」
「へー、よく覚えてたね!」
「さすがに今日聞いたことだからね」
「私、言ったっけ?」
「そのペンギンさんは誰からのプレゼントだっけ?」
彼女は舌をぺろっと出しておどけたように笑った。

「三月生まれで咲季・・・そうか、花の咲く季節という意味なんだね」
「そうだよ。私、この名前好きなんだ」
「うん。とてもいい名前だね」
「フフッ、ありがと」
彼女はめずらしく照れた表情をした。

「ねえ、そういえば君の誕生日っていつ?」
「僕? 四月五日だよ」
「なんだあ! 私と二週間しか違わないじゃん!」
「ああ・・・そうだね」
「そっかあ。よかったあ、ほとんど離れてなくて・・・」

 ――離れてない?・・・

僕は彼女の喜んでいる本当の意味を理解していなかった。
「あの・・・名倉くん」
彼女は何か思わせぶりの口調になった。
「え、なに?」
「私ね、ずっと君に言いたかったことがあるんだ・・・」

 ――え? まさか・・・。

僕は否が応にも変な期待をした。
「な・・・何?」
僕の心臓は一気に高鳴る。
「あのね・・・私・・・」
「う・・・うん」
「私・・・実は、明日で十八なんだ」
「え?・・・・ああ、そう十八」

 ――なんだ、歳のことか。びっくりさせないでよ。

そう思いながら僕はどっと肩を撫で下ろした。

「そう、もう十八か・・・・・え! じゅうはち?」

 ――あれ? 僕は今、何歳(いくつ)だったっけ? 

自分の歳をあらためて確認する。
確か、来月の四月の誕生日で十八だよな、僕・・・。あれ? 
彼女は恥ずかしそうに上目使いで僕を見ていた。
「え? もしかして鈴鹿さんって?」
「うん。本当だったらもうひとつ上の学年なの・・・私、中学の時にいろいろあって、中学二年生を二回やってるんだ」

 ――やっぱり元彼の言ってた噂は本当のことだったんだ・・・。

「私の中学時代のことの噂って、何か訊いてる?」
探ってくるような言い方で僕に訊いてきた。
「ううん、別に、何も・・・」
僕は咄嗟に嘘をついて、そのまま平然を装った。嘘をつくのが苦手な僕にしては上手く誤魔化せたと思う。
内心はやはりショックだった。でも、僕は彼女の過去のことは気にしないと決めた。

僕はしばらく黙ったまま下を俯いていた。
「君ってやっぱりいい人だね。何も訊かないんだね」
「別に・・・。だって鈴鹿さんは今の鈴鹿さんだから。それ以上でもそれ以下でもないでしょ」
彼女はそれを聞くと優しく微笑んだ。

「ありがとう。でもよかった。思ったより君よりおばさんじゃなくて。二週間だったら、ほとんど変わらないもんね。四捨五入したら同じになるし」
「それを言うなら十五捨十六入でしょ」
「君、細かいねえ・・・」
呆れたように彼女が言った。
「鈴鹿さんが大雑把過ぎるんだよ」
僕の拗ねた仕草に彼女はまた笑った。

「あ、あのさ・・・」
僕にしては唐突な話の出だしだった。
「うん?」
「実は、僕も前から鈴鹿さんに言いたいことがあって・・・」
「え? なになに? もしかして告白?」

 ――それ、言っちゃうかなあ・・。

「ごめんね。違うよ」
「なーんだ。じゃあ、なあに?」
「あの申し訳ないけど・・その『君』って呼び方、実はちょっと苦手なんだ・・」
「え? どうして?」
彼女はびっくりした顔で僕を見た。
「僕、『君』って呼ばれると、なんか先生とかに言われてる感じがして、萎縮しちゃうんだ」
「えーそうなの・・・私は親しみがあって好きなんだけど・・・」
今度はきょとんとして顔をしかめた。
「まあ君が言うならしょうがないな。よし、じゃあこれからは名前で呼ぶことにしようか。ね、雄喜!」

 ――え、名前って下の方なの? しかも呼び捨てって・・・。

「そうだ。じゃあさ、雄喜も私を下の名前で呼んでよ。友達もみんなも名前で呼んでるしさ」
予想外の話の展開に僕は焦った。今まで女の子を名前で呼ぶなんてもちろん無い。
僕にとって女の子の名前を呼び捨てにするなんて漫画やドラマの世界の中だけだった。

「え? な、名前って・・・何て呼べばいいのかな?」
「『名前で呼んで』ってお願いして『何て呼べばいいの』って聞かれたら、何て答えればいいの私・・・」
「さき・・・ちゃん・・・でいいのかな?」
何か無茶苦茶恥ずかしかった。いや、恥ずかしさを超えた何とも言えない違和感が心の中を走った。
「ああ、ちゃん付けはやめて。同じクラスに『亜紀ちゃん』がいるからさ、紛らわしいの。『さき』でいいよ」

 ――え、呼び捨て?

ハードルが上げられた。

「ああ・・・さ・き・・・・」
声が裏返った。
「あのお? 聞こえないよ」
彼女は悪戯っぽい声で言った。
「さき・・・」
「フフッ・・・」
彼女はとても嬉しそうな顔で笑った。

・・・なんて思っている時だ。何か焦げた臭いがまわりに充満していた。
「うあ! ちょっと雄喜ィ! 焦げてるよお!」
彼女が慌てた顔で叫んだ。

「ゲゲ!」
ドライヤーを近くで当て過ぎたのだろう。乾かしていたペンギンのお腹が見事にこんがりとした黄金色に焦げ始めていた。
「ああ、ごめんね! どうしよう・・・」
焦がしてしまったのは僕が彼女に渡したほうのストラップだった。彼女はその焦げたペンギンのお腹を痛々しそうにさすっていた。

「ああ、痛そう。君、ペンちゃんを焼き鳥にするつもり? 動物虐待だよ!」
「あの、ごめんね。僕のと交換するよ」
「ううん、こっちのでいいよ」
彼女は笑いながらあっさりと答えた。
「だって焦がしちゃったし・・・」
「こっちがいいの! このペンちゃんは君が私に買ってくれたものだもん」
「え? だって・・・同じじゃない?」
「同じじゃないよ!  そっちのペンちゃんは私が君にあげたやつだからね。大切にしなきゃ怒るよ」

 ――そんなものなのかな・・・。

経験不足だからなのだろうか、僕はやはり女の子の気持ちが理解できない。