僕は彼女に手を引っ張られながらホテルへと続く通路を歩いている。
外側から見ることはあっても中に入るのは初めてだ。

何だろう、この感覚は。後ろめたさと言うのだろうか、僕は強い罪悪感に包まれた。
罪悪感だけではない。不安感、緊張感、いろいろな気持ちが交錯しながら、僕の心臓がバクバクと大きな鼓動を上げ始める。

薄暗い自動扉があり、そこから中に入る。
迷路のような細い廊下を進むとフロントらしき場所に出た。でも、そこに人はいなかった。
その横の壁にはドラマとかでしか見たことがなかった部屋の写真が表示されている大きなパネルが掛かっていた。

 ――どうすればいいんだろう?

勝手が分からない僕はただオロオロとしていた。
「名倉くん、どうやって入ればいいのか分かる?」
彼女は困った顔をしながら小声で囁いた。僕は情けないかな、黙ったまま首を横に振った。

その時、フロントの脇にあったドアがガチャリという大きな音をたてて開き、
そこから中年のがっしりと太ったおばさんが出てきた。そのおばさんは怖い顔で、僕たちをじろっと睨むように見まわした。
非常にまずい雰囲気が漂う。

「あなたたち、高校生でしょ。ダメよ、高校生は入れないわよ!」

 ――そういえば僕たちは制服姿だった。やっぱりダメだよな。

そう思いながら僕は帰ろうとした。でも、彼女は諦めなかった。
「すいません。この人、海に落っこちちゃって。シャワーと、あと服を着替えるだけでいいんです。入れてもらえませんか? 私たちは何も・・・」
彼女は今にも泣きそうな顔になりながら懸命に事情を説明した。

「いいよ鈴鹿さん。僕、大丈夫だから、帰ろう」
「大丈夫じゃないよ!」
それを聞いていたおばさんは、僕の濡れた姿をもう一度じっと見まわした。そして彼女の訴えが効いたのか、その怖い顔は呆れたような顔したかと思うとすぐに穏やかな顔に変わった。
「ふふ、なるほどね・・・。しようがないわね。わかったわ。でも今日は週末で混んでいて満室なのよ。一番大きい部屋でよければすぐ準備させるけど、ちょっと部屋のお値段、高いけど大丈夫?」

 ――え? 入れてくれるの?

僕はおばさんの豹変にびっくりする。
「はい、入れていただけたらどこでもいいです」
「じゃあ、清掃を急がせるわね。待合室で少し待っててくれる?」
「ありがとうございます!」
彼女は深々とお辞儀をした。

おばさんは制服姿の僕達を親切に待合室まで案内してくれた。
待合室といっても小さなソファがあるだけの狭いコーナーだった。
僕たちはそのソファに並んで座った。ソファといってもとても小さく、いやでも体が密着した。
すぐ横にいる彼女の吐息が聞こえるようだった。僕の鼓動はだんだんと抑えが利かなくなっていく。

 ――まずい! 落ち着け、僕の心臓!

「やさしいおばさんでよかったね」
彼女が掠れるような小声で呟いた。
「・・・そうだね」
「本当はこういうところって高校生は入っちゃいけないんでしょ?」
さらに小さな声で彼女は囁いた。

 ――僕に訊かないで欲しい。

「これって、学校にバレたらやっぱりマズいかな?」
彼女の囁きは続いた。

 ――そりゃマズいでしょ!

しばらくの時間、僕にとって辛い沈黙が続いた。濡れた服が体の密着感をさらに強く感じさせた。だんだんと顔がポカポカと熱くなっていくのを感じる。

 ――あれ? 僕の体もマズいかもしれない・・・。

「寒い? 名倉くん」
「あ、ごめんね。大丈夫だよ」
彼女が僕の顔を覗き込む。
「名倉くん、顔、真っ赤だよ! もしかして熱、出ちゃった?」
びっくりした顔で彼女が叫んだ。
ヤバい。どうやら体のほうが正直に反応してしまっていたようだ。

「い、いや・・・これは熱って言うか・・・大丈夫だから・・・」
僕は慌てて誤魔化した。
その時、僕の服の濡れによって彼女の服まで水が染みているのに気づいた。
「あ、ごめんね。冷たいよね」
僕が離れようと立ち上がろうとした時、彼女の手が僕の手を抑えた。

「大丈夫。私は平気だよ」
「だって、鈴鹿さんの服が濡れちゃうよ」
「その分、君の服が早く乾くよ」
彼女はさらりと答えた。
「でも、それじゃ・・・」
このままでは彼女も風邪をひいてしまうのではないかと思い、無理やりにでも離れようと思った時だった。フロントのおばさんがニコニコしながらようやくやってきた。

「ごめんさないね、お待たせしちゃって。どうぞ、部屋の準備ができたわ」
おばさんはそっと僕にカード式のキーが渡してくれた。
「いい子じゃないの。がんばりなさい!」
おばさんはニタリと笑いながら僕にしか聞こえないように小さな声で言うと、僕の背中をバンと叩いた。

 ――がんばれって、何をよ? 

僕は心の中で呟いた。
「おばさん、何だって?」
「いや、何でもない。カードキー失くさないようにって。それよりあのおばさん、何かやらしい顔してなかった?」
「うーん。今の君の顔ほどじゃないけどね」
彼女は悪戯っぽい顔で微笑んだ。

部屋に入ると同時に、僕は圧倒された。そこは僕が描いていたファッションホテルのイメージとは全く違った空間が広がっていた。
大きなシャンデリア、プロジェクター、ビリヤード、ダーツなど普通のホテルでは見られないものが並んでいる。もっと狭くて汚いイメージを持っていた僕は、ぽっかりと口を開けたまま茫然としていた。

 ――いったい何なんだここは?

中にある部屋は三つに分かれていて、それぞれがみんなムチャ広い。大勢でパーティもできそうだ。一番大きい部屋だと言っていたので、ここだけ特別な部屋なのかもしれない。
「名倉くんは早くお風呂に入って。私は何か着替えを買ってくるから」
そう言うと彼女は足早に部屋を出て行った。

 ――あれ? 行っちゃった。

部屋に一人残った僕は、ひとまず冷静さを取り戻した。まずはともあれ、この濡れた体を何とかしないと。
僕は彼女の言葉に甘え、お風呂に入らせてもらうことにした。

海水でズブ濡れになり、冷えきった体がどっぷりと熱い湯に浸される。
体の芯の芯まで十分に温まった僕は、覗き込むようにして浴室のドアを開けた。彼女はまだ帰ってきてないようだ。

僕は取りあえず、何か羽織るものを探した。彼女が着替えを買ってきてくれるまででも、さすがにバスタオル一丁というわけにはいかない。
おあつらえ向きのバスローブが備えつけてあるのを見つけた。外国の映画ではよく見るものだったが、実際に見るのは初めてだった。

バスローブを羽織った自分の姿を鏡で見る。
そこには違和感満載の変態っぽい男が立っていた。

 ――うーん・・・。

思わず僕は唸った。映画とかで見る俳優がスマートに着ている姿と何か違う。いや全然違う。
どちらかというと安っぽいドラマに出てくるスケベおやじを連想させた。バスローブというのは典型的な日本人の体形には合わないようだ。