なかなか寝付けなかった。
時間が経つのが異様に長く感じられる。
早く明日にならないだろうか。気ばかりが焦った。
彼女に早く謝りたい。そんなモヤモヤした焦る思いで体の中がいっぱいになっていた。
眠れない。こんなに気分が悪い夜は記憶に無い。
ウトウトしながらもゆっくりと時間が過ぎていく。
気がつくと窓の外は明るくなっていた。どうやら夜が明けたようだ。結局、夕べは眠れたのか眠れなかったのか、自分でもよく分からない。
朝食は全く喉を通らかった。僕は居ても立ってもいられず、早めに家を出ることにした。
彼女とはクラスも違うし、教室に入ってしまったあとは話せる機会が無いだろうから、登校前に校舎の前で彼女を待って謝ろう、そう考えた。
いつもより一時間ほど早めに学校に着く。時刻は七時半をまわったくらいだろうか。校門の前にある一戸建て住宅の屋根の上から朝日が眩しく差し込んできた。
登校している生徒はまだ疎らだ。早朝練習の部活の生徒がランニングをしていた。
今朝はいつもよりちょっと肌寒い。吐き出された息が顔の前の空気を白く濁した。小鳥たちのさえずりが聞こえる。
僕は下駄箱の前で彼女が現れるのを待つことにした。
そう言えば彼女はいつも何時ころ登校するのだろう?
無計画極まりないが、僕は何時間でも待つ覚悟でいた。
早い時間は生徒が少ないため人を捜すことは簡単だ。だが時間と共に登校する生徒の数が増えてくると、それがだんだんと難しくなってくる。僕は彼女を見過ごさないように門から入ってくる生徒を懸命に目で追った。
――見逃すな・・・。
疎らに行きゆく生徒を何人か見送っている時だった。僕は気がついた。
――あれ?
僕の鼓動が全身に響いていた。ただ人を待っているだけなのに。
――何だろう・・・この胸が締め付けられる感じ。
それは今まで経験したことのない感覚だった。
待ち始めてしばらく経った時、遠目だが校門を通り抜ける彼女の姿が目に入った。稲妻のような緊張感が僕の心に突き刺さる。
――来た!
彼女が下駄箱の入口に入るタイミングに合わせるように、歩幅の間隔を合わせていく。
ちょうど下駄箱の入口に入る直前に彼女の横に付く。
その瞬間だ。僕に気づいたのだろうか、彼女が一瞬こちらを見た。
――よし! 今だ!
「お・・おはよう!」
僕は目一杯に気持ちを振り絞って声を掛けた。
しかし、彼女は黙ったまま下を向いていた。
何か呟いた気がしたが、こちらを向いてはくれなかった。
廊下の向こう側で彼女のクラスメートが手を振っている。
「咲季ィー、おはよー」
「あ、おはよ!陽菜」
彼女はクラスメートに元気に返事をして、小走りに行ってしまった。
僕はただポツンと一人取り残されたように下駄箱の前で突っ立っていた。
――ああ、無視・・・されちゃった。
覚悟はしてはいたが、こうあからさまに無視されるとやっぱりショックだった。
でもそれも当然だ。それだけ彼女の怒りが大きいということだろう。
彼女の教室へ行って、そこで謝ろうと機会を伺ったが、今日は合同の美術の授業は無かったし、彼女のまわりはいつも友達でいっぱいで二人で話ができるようなタイミングは全く無かった。
――もういいか。やろうとしたことはやったし。
言い訳がましく諦めようとする自分がいた。
いや、駄目だ。彼女を侮辱して傷付けた自分を許せない。
今までの自分であればここで諦めていたかもしれない。でも今回は違った。
彼女が僕を許してくれなくてもいい。ただ謝りたい。
その気持ちだけが諦めることなく、僕を動かしていた。
放課後のチャイムが鳴る。今日は部活の日だ。
でも僕の心の中は部活どころではなかった。
同じテニス部の二年生に体調が悪いので休むとの伝言を頼んで、僕は彼女を学校の帰り道で待つことを決めた。
部活をサボるのは高校へ入ってからは初めてだ。これも別に“真面目”というわけではない。サボる度胸が無かっただけのことだ。
待ち伏せ場所には学校近くの中央公園を選んだ。そう。以前、部活のランニング中に、彼女があの男子生徒と一緒に歩いているのを見た所だ。
――でも、またあの彼氏と一緒だったらどうしよう?
頭の中で余計な考えが走馬灯のようにぐるぐると回り始めた。
変に先に考えてしまうのは僕の悪い癖だった。
僕はなるようにしかならないと自分に言い聞かせながら覚悟を決めて待つことにした。
そういえば、このように女の子を待ち伏せするのは今日が生まれて初めてのことではないだろうか。
公園の中にある管理事務所の角で彼女を待つことにした。ここなら学校方面から来る生徒をきれいに見渡せる。
行きゆく生徒を何人か見送っている時、僕はまた同じ感覚に包み込まれた。
――あれ? また?・・・。
僕の鼓動が再び全身に響いていた。
――何か・・・苦しい・・・。
しばらくの時間が過ぎた。
でも彼女の姿はまだ見えなかった。
公園を歩道をランニングする人がたびたび通り過ぎる。
だんだんと風が冷たくなってくるのを感じる。
特に時間の意識をしていたわけではなかったが、一時間くらいは経っただろうか。
僕はちょっと遅すぎるように思い始めた。
もしかして帰り道を勘違いしてた? もしくは別の道で帰ってしまったか?
西の空に傾いた大きな夕日が新興住宅街の向こう側へと傾きかけていた。
まわりの空気が冷え込んでくるのに合わせ、だんだんと僕の気持ちも弱気になってくる。
――やっぱり、ここは通らないのかな・・・。
今日はもう会えそうもないと思い、諦めて帰ろうと振り向いた瞬間だった。
見覚えのある生徒の集団が掛け声をかけながら走ってきた。
――あ、まずい!
僕は思わず心の中で叫んだ。テニス部の部員がランニングしてこちらに向かってきたのだ。
そう。ここはテニス部の練習締めのランニングコースだった。
そんなことも忘れるほど僕は冷静さを失っていたらしい。
今日は病院へ行くと言って部活をさぼってるので見られたらまずいのだ。僕はすかさず管理棟の建物の陰に隠れた。
部員の掛け声が管理棟の反対側を通り過ぎていく。
――どうかバレませんよに・・・。
祈りながら部員の掛け声が通り過ぎるのを待つ。
徐々に掛け声が小さくなり、遠ざかっていくのが分かった。
――いやあ、危なかったな・・・。
僕は、ほっと一息をついた。そして振り返って顔を上げた時に僕の体は氷のごとく硬直した。
彼女が目の前にびっくりした顔で立っていた。
もちろん、僕もびっくりした。
どうも自分が来た遊歩道とは別のルートで来たようだ。
「何してるの? こんなとこで」
彼女は少し怒ったような口調で言った。僕の頭はパニック状態に陥った。
――ああ、ど、どうしよう?・・・。
昨夜から言おうと、せっかく準備していたセリフはすべて頭から消し飛んでいた。
――そうだ、とにかく謝まらなきゃ。
「ご・・・ごめんね。きのう鈴鹿さんに酷いこと言っちゃって。本当に・・ごめんさない」
僕はひたすら謝った。それしかできなかった。
まわりから見たらとてもカッコ悪い姿だろう。でも、そんなことどうでもよかった。僕自身が許せなかったから・・・。僕自身がとにかく彼女に謝りたかったから・・・。
「もしかして私を待ってたの? ここでずっと」
僕は黙って頷いた。彼女の顔は見られなかった。
「まるでストーカーみたい・・・」
呆れたような冷たい口調で彼女は言った。そう言われても仕方ない。その通りだ。悪いのは僕なんだから。
しばらく嫌な沈黙が続いた。
――確かにこれじゃあストーカーだよな。
心の中で失笑した。
僕は、これ以上つきまとわったら彼女に迷惑だと思い、これで帰ることにした。
「本当にごめんね。じゃあ、さよなら」
僕はもう一回大きく頭を下げたあと、彼女に背を向けて歩き出した。
「ちょっと! どこ行くのよ?」
彼女が怒ったように叫んだ。
「え?」
腹の虫がまだ収まらないのだろうか。彼女は僕を呼び止めた。
――文句が言い足りないのかな? でも、仕方ないよな・・・。
僕は再び彼女のほうに振り向いた。
「あの、ごめんね・・・何?」
「あのさ、私の家、あっちなんだけど・・・」
彼女は僕が帰ろうとした道の反対の方向に顔を向けた。
「え? あの・・・・」
「ストーカー・・・怖いからさ、送ってくれる?」
僕は意味が理解できず、黙ったまま固まった。
彼女はそんな僕に目を合わせず、反対のほうを向きながら叫ぶように言った。
「だからあ、私を家まで送ってって言ってるの!」
――え?
どういうことなのか、やっぱり理解できない。
時間が経つのが異様に長く感じられる。
早く明日にならないだろうか。気ばかりが焦った。
彼女に早く謝りたい。そんなモヤモヤした焦る思いで体の中がいっぱいになっていた。
眠れない。こんなに気分が悪い夜は記憶に無い。
ウトウトしながらもゆっくりと時間が過ぎていく。
気がつくと窓の外は明るくなっていた。どうやら夜が明けたようだ。結局、夕べは眠れたのか眠れなかったのか、自分でもよく分からない。
朝食は全く喉を通らかった。僕は居ても立ってもいられず、早めに家を出ることにした。
彼女とはクラスも違うし、教室に入ってしまったあとは話せる機会が無いだろうから、登校前に校舎の前で彼女を待って謝ろう、そう考えた。
いつもより一時間ほど早めに学校に着く。時刻は七時半をまわったくらいだろうか。校門の前にある一戸建て住宅の屋根の上から朝日が眩しく差し込んできた。
登校している生徒はまだ疎らだ。早朝練習の部活の生徒がランニングをしていた。
今朝はいつもよりちょっと肌寒い。吐き出された息が顔の前の空気を白く濁した。小鳥たちのさえずりが聞こえる。
僕は下駄箱の前で彼女が現れるのを待つことにした。
そう言えば彼女はいつも何時ころ登校するのだろう?
無計画極まりないが、僕は何時間でも待つ覚悟でいた。
早い時間は生徒が少ないため人を捜すことは簡単だ。だが時間と共に登校する生徒の数が増えてくると、それがだんだんと難しくなってくる。僕は彼女を見過ごさないように門から入ってくる生徒を懸命に目で追った。
――見逃すな・・・。
疎らに行きゆく生徒を何人か見送っている時だった。僕は気がついた。
――あれ?
僕の鼓動が全身に響いていた。ただ人を待っているだけなのに。
――何だろう・・・この胸が締め付けられる感じ。
それは今まで経験したことのない感覚だった。
待ち始めてしばらく経った時、遠目だが校門を通り抜ける彼女の姿が目に入った。稲妻のような緊張感が僕の心に突き刺さる。
――来た!
彼女が下駄箱の入口に入るタイミングに合わせるように、歩幅の間隔を合わせていく。
ちょうど下駄箱の入口に入る直前に彼女の横に付く。
その瞬間だ。僕に気づいたのだろうか、彼女が一瞬こちらを見た。
――よし! 今だ!
「お・・おはよう!」
僕は目一杯に気持ちを振り絞って声を掛けた。
しかし、彼女は黙ったまま下を向いていた。
何か呟いた気がしたが、こちらを向いてはくれなかった。
廊下の向こう側で彼女のクラスメートが手を振っている。
「咲季ィー、おはよー」
「あ、おはよ!陽菜」
彼女はクラスメートに元気に返事をして、小走りに行ってしまった。
僕はただポツンと一人取り残されたように下駄箱の前で突っ立っていた。
――ああ、無視・・・されちゃった。
覚悟はしてはいたが、こうあからさまに無視されるとやっぱりショックだった。
でもそれも当然だ。それだけ彼女の怒りが大きいということだろう。
彼女の教室へ行って、そこで謝ろうと機会を伺ったが、今日は合同の美術の授業は無かったし、彼女のまわりはいつも友達でいっぱいで二人で話ができるようなタイミングは全く無かった。
――もういいか。やろうとしたことはやったし。
言い訳がましく諦めようとする自分がいた。
いや、駄目だ。彼女を侮辱して傷付けた自分を許せない。
今までの自分であればここで諦めていたかもしれない。でも今回は違った。
彼女が僕を許してくれなくてもいい。ただ謝りたい。
その気持ちだけが諦めることなく、僕を動かしていた。
放課後のチャイムが鳴る。今日は部活の日だ。
でも僕の心の中は部活どころではなかった。
同じテニス部の二年生に体調が悪いので休むとの伝言を頼んで、僕は彼女を学校の帰り道で待つことを決めた。
部活をサボるのは高校へ入ってからは初めてだ。これも別に“真面目”というわけではない。サボる度胸が無かっただけのことだ。
待ち伏せ場所には学校近くの中央公園を選んだ。そう。以前、部活のランニング中に、彼女があの男子生徒と一緒に歩いているのを見た所だ。
――でも、またあの彼氏と一緒だったらどうしよう?
頭の中で余計な考えが走馬灯のようにぐるぐると回り始めた。
変に先に考えてしまうのは僕の悪い癖だった。
僕はなるようにしかならないと自分に言い聞かせながら覚悟を決めて待つことにした。
そういえば、このように女の子を待ち伏せするのは今日が生まれて初めてのことではないだろうか。
公園の中にある管理事務所の角で彼女を待つことにした。ここなら学校方面から来る生徒をきれいに見渡せる。
行きゆく生徒を何人か見送っている時、僕はまた同じ感覚に包み込まれた。
――あれ? また?・・・。
僕の鼓動が再び全身に響いていた。
――何か・・・苦しい・・・。
しばらくの時間が過ぎた。
でも彼女の姿はまだ見えなかった。
公園を歩道をランニングする人がたびたび通り過ぎる。
だんだんと風が冷たくなってくるのを感じる。
特に時間の意識をしていたわけではなかったが、一時間くらいは経っただろうか。
僕はちょっと遅すぎるように思い始めた。
もしかして帰り道を勘違いしてた? もしくは別の道で帰ってしまったか?
西の空に傾いた大きな夕日が新興住宅街の向こう側へと傾きかけていた。
まわりの空気が冷え込んでくるのに合わせ、だんだんと僕の気持ちも弱気になってくる。
――やっぱり、ここは通らないのかな・・・。
今日はもう会えそうもないと思い、諦めて帰ろうと振り向いた瞬間だった。
見覚えのある生徒の集団が掛け声をかけながら走ってきた。
――あ、まずい!
僕は思わず心の中で叫んだ。テニス部の部員がランニングしてこちらに向かってきたのだ。
そう。ここはテニス部の練習締めのランニングコースだった。
そんなことも忘れるほど僕は冷静さを失っていたらしい。
今日は病院へ行くと言って部活をさぼってるので見られたらまずいのだ。僕はすかさず管理棟の建物の陰に隠れた。
部員の掛け声が管理棟の反対側を通り過ぎていく。
――どうかバレませんよに・・・。
祈りながら部員の掛け声が通り過ぎるのを待つ。
徐々に掛け声が小さくなり、遠ざかっていくのが分かった。
――いやあ、危なかったな・・・。
僕は、ほっと一息をついた。そして振り返って顔を上げた時に僕の体は氷のごとく硬直した。
彼女が目の前にびっくりした顔で立っていた。
もちろん、僕もびっくりした。
どうも自分が来た遊歩道とは別のルートで来たようだ。
「何してるの? こんなとこで」
彼女は少し怒ったような口調で言った。僕の頭はパニック状態に陥った。
――ああ、ど、どうしよう?・・・。
昨夜から言おうと、せっかく準備していたセリフはすべて頭から消し飛んでいた。
――そうだ、とにかく謝まらなきゃ。
「ご・・・ごめんね。きのう鈴鹿さんに酷いこと言っちゃって。本当に・・ごめんさない」
僕はひたすら謝った。それしかできなかった。
まわりから見たらとてもカッコ悪い姿だろう。でも、そんなことどうでもよかった。僕自身が許せなかったから・・・。僕自身がとにかく彼女に謝りたかったから・・・。
「もしかして私を待ってたの? ここでずっと」
僕は黙って頷いた。彼女の顔は見られなかった。
「まるでストーカーみたい・・・」
呆れたような冷たい口調で彼女は言った。そう言われても仕方ない。その通りだ。悪いのは僕なんだから。
しばらく嫌な沈黙が続いた。
――確かにこれじゃあストーカーだよな。
心の中で失笑した。
僕は、これ以上つきまとわったら彼女に迷惑だと思い、これで帰ることにした。
「本当にごめんね。じゃあ、さよなら」
僕はもう一回大きく頭を下げたあと、彼女に背を向けて歩き出した。
「ちょっと! どこ行くのよ?」
彼女が怒ったように叫んだ。
「え?」
腹の虫がまだ収まらないのだろうか。彼女は僕を呼び止めた。
――文句が言い足りないのかな? でも、仕方ないよな・・・。
僕は再び彼女のほうに振り向いた。
「あの、ごめんね・・・何?」
「あのさ、私の家、あっちなんだけど・・・」
彼女は僕が帰ろうとした道の反対の方向に顔を向けた。
「え? あの・・・・」
「ストーカー・・・怖いからさ、送ってくれる?」
僕は意味が理解できず、黙ったまま固まった。
彼女はそんな僕に目を合わせず、反対のほうを向きながら叫ぶように言った。
「だからあ、私を家まで送ってって言ってるの!」
――え?
どういうことなのか、やっぱり理解できない。