「ねえ、どうして人は死ぬのかな?」

春の声が遠くから聴こえそうな暖かい日の昼休み、なんとも物騒な女の子同士の会話が僕の頭の後方から聞こえてきた。

長い冬が終わる気配を感じ始めた高校二年の二月の末日、僕は学校の屋上にある給水塔の脇でいつものように文庫本を読んでいた。
女子にしては重いテーマの話題だなと思いながら、僕は心の中で思わず笑ってしまった。

昼休みの学校の屋上はいつも生徒で賑わっている。
でも、僕が今いるこの給水塔は屋上にあるペントハウスのさらに上にあるため、ここまで昇ってくる生徒は少ないのでいつも静かだ。
だからここは僕のお気に入りの場所だった。
今日はめずらしく女子数人のグループがいて、いつもよりちょっと賑やかだ。まあ僕専用の場所というわけではないので仕方ないことだ。

「どうして人は生まれてきたのかな?」

女の子同士の奇特な会話はまだは続いているようだ。
よくそんなテーマで話が盛り上がれるものだ。
僕ら高校生には少し奥が深過ぎる。
そんなことを心の中で呟きながらも、僕はひとりで本を読み続けていた。

まだ二月だというのに暖かい日が多くなった気がする。これが地球温暖化というものなのだろうか。まあ寒い日が暖かくなるのだから悪くないと思う。
僕は夏の暑い日のことなんて感覚的に忘れていた。

昼休みはいつもここで一人で本を読みながらのんびり過ごすのが僕の日課になっていた。
昼休みの教室というのは、どこかのグループの輪に入っていないと孤立感があからさまになる。
他のみんなは一緒に弁当を食べたり、スマホゲーム、外ではサッカー、キャッチボールをしたりしているが、僕はその輪には加わらず教室の外へ出ることが多かった。
僕は決して友達と一緒にいることが嫌いなわけではない。ただ、まわりの人に合わせるということが得意ではなかった。
僕は人と話す時、いつも身構えてしまう。
友達の会話の波にうまく乗れない。
どこで自分がその会話に入っていいのかそのタイミングがなかなか掴めないのだ。ちょうど集団で縄跳びをしていて、縄の中に飛び込むタイミングがうまく掴めない、という感じだろうか。
今だ! 今だ!・・・と叫びながらも縄の中に飛び込むことができない。

僕はみんなからとても真面目で大人しい生徒と言われる。でも“真面目”なんて言葉は褒め言葉なんかではないということは重々承知していた。

「あのさあ、聞いてる?」

 ――え?

頭の中でひとり言を続けていた僕は、さっきよりちょっと大きくなった声のトーンに振り向いた。
そこにはボブの黒髪を風に靡かせながら、一人の女子生徒がこちらを向いて立っていた。

 ――あれ? ひとり? 一緒の友達は?

さっきまでいた数人の女子生徒はいつの間にか、いなくなっていた。
まわりを見渡したところ、少なくとも視界に映る範囲には僕とその女子生徒しかいない。

 ――もしかして僕?

そう言いたげに、僕は指を自分の顔に向けた。
その女子生徒はクスッと笑いながら、小さく一回だけ頷いた。

 ――あれ? 誰・・・だっけ?

飛び抜けた美少女というわけではないが、短めにカットされた素直な黒髪と屈託の無い笑顔が僕の心を固まらせた。
その顔は確かに見覚えがあった。でも名前は出て来ない。

元々、僕は人の顔と名前をセットで憶えるのが苦手だ。
僕の高校は学年によりネクタイとリボンの色が分けられている。
今年は一年生が青、二年生は緑、三年生は赤になっていた。その女子生徒のリボンは緑色なので、僕と同じ二年生であることはすぐに分かった。

 ――思い出した。確かA組のすずか・・・
   そう、鈴鹿咲季だ。

明るく、快活なイメージが強い女の子で、その眩しい笑顔がとても印象的だった。
彼女とはクラスは別だし、部活も一緒ではない。特に共通の知り合いもいない。でも名前を知っているのには理由があった。

僕の学校の芸術の授業は『音楽、書道、美術』の三科目からの選択性になっており、クラス別で選択科目が分かれている。
クラスの中でも選択科目が異なる生徒がおり、芸術の時間は選択科目別に授業を受けることになっている。
B組で美術を選択している僕はA組の美術を選択している生徒と合同で授業を受けている。彼女とはその時間だけのクラスメートだった。
彼女はクラスの中でも賑やかで活発なグループに属していて、その中でもけっこう目立っている存在だった。
だから人の顔を覚える僕でも記憶に残っているのだろう。

「人ってさ、必ず死ぬんだよね」

何なんだこの質問は? こういうのを突拍子もない、と表現するのだろうか。しかもなんで僕に訊いてくるんだろう?

この学校は男女共学だったが、僕はクラスで女の子とまともに会話することがほとんど無かった。いや、できない・・・といったほうが正しいだろう。

断っておくが、別に女の子が嫌いなわけではない。
僕は元々他人との会話能力に乏しい。
どのように乏しいかと言うと、人との会話のやりとり、いわゆる言葉のキャッチボールが酷く下手なのだ。
僕は人から話しかけられたことについて、“まとも”な言葉でしか返せない。
たとえ冗談で話しかけられても“真面目”な答しか返せない融通の利かない人間だった。
ジョークに対してすぐジョークで返せる人を見ているといつも感心する。
頭の回転の鈍い僕にはできない芸当だ。女の子に対しては、それがさらに顕著になる。
案の定、彼女の問いかけに対し、僕は何も答えることができなかった。そもそも質問の意図が理解できていない。

「あのさ、私はいつまでこの独り言みたいの続けなきゃいけないの?」

彼女は口調が怒った感じになり、ちょっと険悪な雰囲気が漂い始めた。
どうも人違いで話し掛けているわけではなさそうだ。

「あの・・・やっぱり僕に訊いてる?」
「やっと喋ってくれたよ。何? 私ってこんな大きな声で自問自答する変な子に見えた?」

やっぱり僕なんだ、と思いながら困惑する。

 ――もしかして僕をからかっているのか?

しかし彼女は笑ってはいたものの、ふざけているようにも見えない。

「そうだね・・・確かに人間は必ず死ぬよね・・・」

たどたどしく僕がそう答えると、彼女は上目使いでクスッと小さく笑った。
「君さ、こんな言葉知ってる?『人は生まれた瞬間から死に向かっている』って」
女の子というのはいつもこんな話をしているのだろうか? 
でもこの言葉は僕は知っていた。

「うん、知っているよ。だからこそ、その一日一日を大切に生きようってことだよね」
「そうだよ。でもさ、だったら、そもそも何で人は生まれてくるのかな? どうせ死ぬんだったら最初から生まれてこなきゃよかった、とか思わない?」

顔に似合わず、重たいテーマをさらに沈めてくる。
少なくとも高校生の女の子が好んで考えるテーマではないだろう。僕自身もそんなこと考えたこともないし。

「人は、『死ぬために生まれてきた』のではなくて、『定められた時間だけ生きるために生まれてきた』ということじゃないかな?」
「定められた・・・時間?」
「そう、人というのは定められた時間だけ生きられるようにDNAにプログラムされて生まれてくるんだ」
「人のDNAにプログラムされているの? その定められた時間が?」
彼女は不思議そうな顔をして首を傾げた。

「まあ、それを寿命って呼ぶのだろうね。この寿命という時間は人によってみんな違うと思う。だから、『なぜ人は死ぬのか』という疑問の答えとしては、『元々、寿命という定められた時間で死ぬようにプログラムされてるから』ということになるんじゃないかな」

我ながら、なんとつまらない答えなんだろう。
もう少し洒落たことを言える頭が欲しかった、と思いながらそんな自分に呆れた。