1限目の授業が終わると楓乃が涼の席まで歩いてきた。
「お父さんが、時には遊びに来なさいって」
「まだ一人暮らしをして1カ月も経ってないぞ。心配しなくてもキチンとしてるよ」
楓乃は155cmの小柄な体を寄せて、涼の席に迫ってくる。
楓乃は感情表現が豊かで、喜怒哀楽の感情が豊かだ。
小さい頃から孤立しようとする涼の手を引いて、皆の輪の中へ入れるのは楓乃の役目だ。
中学ぐらいまで兄妹のように育ってきたので楓乃ことを女性として意識することはなかった。
しかし、高校生になってから楓乃に女性的な身体的特徴が目立ち始めた。
その頃から、楓乃ことを女性として意識しているわけではないが……少し楓乃が苦手になった。
ミディアムボブの栗色の髪が良く似合っている。
今では、少し吊り上がった目尻に、くりっとした二重、感情豊かな瞳が特徴的で、細い鼻筋、きれいな唇の健康的な美少女といえる。
品行方正で素行も優等生な楓乃は、クラスの男子にも人気が高い。自分でそう自覚していない所が困る。
あまり近づいて、クラスの皆に誤解されたら楓乃も困るだろう。
だから、もう少し距離を開けてほしい。
「楓乃ちゃんが涼ちゃんの近くにいくなら、私も近くに行く」
「聖香は寄ってくるな。お前とは2日前に顔を合わせたばかりだろう」
「出会いに日数など関係ないのだ。顔を合わせた時からお友達」
天音聖香(アマネセイカ)とは始業式の後に、同じクラスになり、席替えでたまたま隣の席になっただけで、今まで、顔を合わせたこともなければ、話をしたこともない。
涼と隣の席の挨拶をして以降、気軽にどんどんと涼に話かけてくる。
非常に人懐っこくて、どこか憎めない性格の持ち主だ。
「涼ちゃんは心に壁を張る癖があるね。私は怖くないよ。困ったことがあったら、いつでも聖香に相談してね。涼ちゃんと聖香は、もう友達なんだから」
いつの間にか、涼は聖香から友達認定されてしまった。
聖香は少し垂れた目尻に、色気のある二重、そして好奇心旺盛で活発な瞳が印象的である。きれいな鼻筋にぽってりとした色っぽい唇、茶髪のミディアムふわゆるカールが、可愛さを増加させる。
やはり、聖香も明るさと、優しい印象から、男子生徒達に人気の高い美少女といえる。
「聖香ちゃん、涼にそんなに近づいてはダメだよ。涼は人が苦手なんだから」
「そんなこと言って、楓乃ちゃんのほうが涼ちゃんの近くにいるじゃん。それってズルいよ」
「私は涼と兄妹みたいにして育ったから、涼も私だけは大丈夫なの」
「だったら、私は涼ちゃんとも楓乃ちゃんとも仲良くする! もっと仲良くなれるね!」
聖香は楓乃の両手を握って、満面に微笑んでいる。
「そうね。聖香ちゃんは涼の隣の席だから、私も仲良くしないとね。よろしくね」
「私と楓乃ちゃんの仲じゃん。涼ちゃんも含めて、もっと仲良くなろうね」
この時点で楓乃、聖香の仲良し同盟が結成された。
できれば避けて通りたいが、1人が幼馴染で、1人が隣の席だから、涼に逃げ場はない。
美少女2人に囲まれて、涼も決して嫌なわけではない。ただ人との心の距離感が近いと苦手意識が出るだけだ。
涼の席の目の前で嬉しそうに楓乃と聖香が談笑している。
「楽しそうにやってんな」
少し遠くから声をかけて、歩いてきたのは涼の高校1年生からの友達で長瀬湊(ナガセミナト)。涼の性格を熟知してくれていて、いつも少し距離を保ってくれる、心遣いのできる男だ。
いつも沈着冷静で、浮足立つことがなく、誰にでも知的な印象を与える好男子だ。女性にも優しくウケが良い。
楓乃とは涼を通じて、高校1年生の時からの知り合いだ。聖香と湊は高校2年生の時に同じクラスだったという。
「初めての奴は聖香のことを突っ込んでくると思うかもしれないが、それは誤解だよ。聖香は無理強いは絶対にしない。涼が優しいことを見抜いてるんだよ」
「初めて人に優しいなんて言われたな」
「何を言ってるの。いつも涼は優しいよ。もう少し図々しくても良いと私は思う」
「それは楓乃ちゃんの言うとおりかも。すごく涼ちゃんは遠慮するもんね」
会って、まだ3日しか経っていないのに、既に聖香に性格を見抜かれているのは何故だ。湊が言う通り、聖香はそういう感覚に鋭いのかもしれない。
湊とは付き合いも長いし、信用がおける男だ。湊が言うのだから間違いないだろう。
楓乃と聖香は湊に遊んでもらって嬉しそうだ。
涼はそんな3人を見て、安堵のため息をつくと、窓際の席の前のほうへ視線を向ける。
そこには愛理沙が座って読書をしていた。艶々のロングストレートの黒髪がすごく似合っている。キリッとした二重、多くて長いまつ毛、冷静で知的な瞳が印象的だ。きれいな鼻筋、大人びた唇、透き通った白い肌が美しさを一段と際立たせる。
ただ、座って読書しているだけなのに、その美しさに視線を奪われてしまう。
公園で会っていた時は、いつも夕暮れ時から夜だったので、愛理沙がこれほどの美少女とは思わなかった。
「やっぱり涼ちゃんも愛理沙ちゃんのことが気になるんだね。でも彼女に告白してもダメだよ。今まで3年間、彼氏つくらないから。涼ちゃんも諦めたほうが良いよ」
そんなことを考えてもいなかった。聖香が真剣な顔で愛理沙のことを諭してくる。
「いや……俺は別に……そういうつもりで見ていたわけじゃないぞ」
「じゃあ、どう思って見ていたの?」
毎日、夕方にアパートの近くの公園で会っているとは言えない。
「確かに愛理沙のことは美少女だと思ってみていた。それだけで、感情的なものはない」
それは本当のことだ。いつも公園で一緒にいて、無言で一緒に共有している時間は楽しい。しかし、男女の感情があるかと、自分に問いかけても否となる。
皆に秘密だけど、あの夕暮れの公園で愛理沙と無言で一緒に居られる時間が好きなんだ。
いつもの夕暮れの時間帯にパーカーを目深に被ってアパートを出て、近く公園まで歩く。
今日も高台から見る夕陽は大きくてきれいだ。朝の日の出も好きだが、今は夕陽のほうが好きかもしれない。
自販機でコーヒーを買って、少しの間、手を温める。そしてプルトップを開けて一気にコーヒーを飲み干す。
まだ4月の中旬だ、夜に近づくにつれて外気温が下がってくる。
その少し寒くなってくる間が、心地良い。
今日は大空一面を雲が覆っていて、星空が見えない。
しかし、夕陽が沈んだ頃には、街の明かりが輝き始めるので、街の風景を見ているだけでも飽きない。
いつもの時間に……ブランコの鳴る音がする。愛理沙が座って街の風景を眺めている。
別に何かを話したいわけではない。でも愛理沙に話しかけたい。そう思った。
「―――あのさ……自販機で温かい飲み物を買うからさ……よかったら何か飲まないか?」
「ありがとう。ミルクティをもらえると嬉しい」
少し小さい愛理沙の声が聞こえる。
涼はベンチから立ち上がって自販機で自分のコーヒーを買って、愛理沙用にミルクティを買う。そしてブランコに近付いて、少し身を屈めて愛理沙にミルクティを渡す。
「ありがとう」
「声をかけたのは俺だから、気にしないで」
涼は定位置のベンチに腰をかけて、コーヒーの缶で手を温める。
愛理沙もまだ飲まないでミルクティの缶を持って手を温めている。
夕陽が沈み、公園の街灯がパチパチと音を鳴らして点灯する。
街の灯りはきらびやかでとてもきれいだ。愛理沙は街の風景をずっと眺めている。涼はそんな愛理沙の横顔を何気なく見続けていた。
「どうしたの?」
「ああ……まさか同じクラスの女子だと思わなくてさ。もっと年上のお姉さんかと思ってた。すごく落ち着いているからさ」
「褒め言葉だと思っておくわ」
そう言って、愛理沙は涼のほうへと振りむくと、缶のプルトップを開けて、ミルクティを一口飲む。
涼もつられてプルトップを開けてコーヒーを一口飲む。
「なぜ、あなたはいつも、この公園にいるの?」
「家にいてもつまらないし、窮屈なんだ。解放感が欲しくて、ここに座ってるのかな? よくわからないや」
「私と同じね。家にいることがツライ。全てから解放されたい。だから夜空を、街の風景を見ているのかもしれない」
涼は一瞬だが愛理沙と自分は似ている部分があるのではないかと考えた。
しかし、人それぞれに事情は違う。愛理沙が涼と似ていると思うのは早計だと感じた。
そのまま2人で無言のまま、街の夜景を眺める。
ただ無言のまま2人で公園に座っているだけで、少し心が温まる。
「あなたは、私になぜって質問してこないのね」
「人にはそれぞれ事情があるからね。立ち入ってはいけない部分もあるだろうし、詮索はできないよ」
「ありがとう。私は人が怖いから……人に詮索されるのはダメ」
「俺も同じ。人は怖い……人が一定の心の距離まで近づいてくると、逃げたくなる」
愛理沙は不思議な顔をして、涼の顔をじっと見つめる。
その顔は非のうちどころのない、絶世の美少女。穏やかに涼を見つめ続ける。
「あなたは傷ついている人なのね」
「愛理沙はどうなの?」
「私は傷つけて、傷ついている人」
「愛理沙も傷ついている人なんだね」
涼は知っていて、愛理沙の「傷つけて」の部分をスルーした。
そして涼も愛理沙を見つめ続ける。
「そうなるのかな?」
「そうだよ。だから人が怖いんだ」
「人を傷つけるのも怖いのよ」
「愛理沙とは違う意味かもしれないけど、俺も人を傷つけるのは怖いよ。できれば触れたくない」
人を傷つけたら、人を傷つけた記憶が残る。それはとても嫌なことで、心に残して置きたくない。
人を傷つけたら、自分を苦しめることに繋がる。
だから涼は人を傷つけるのも嫌だった。
涼は今の素直な気持ちを愛理沙に伝えた。
「私は生きているだけで、人を傷つける。そのことがツライ。誰も傷つけたくない。誰からも傷つけられたくない」
愛理沙の言葉にすぐに頷けない。何も知らないのに、簡単に頷いてはいけないように思う。
愛理沙の過去には色々な事情がありそうだ。愛理沙のことを何も知らない涼が頷いてはいけない気がした。
「今の言葉は、聞いたことにしたほうが良い? それとも今の言葉は忘れたほうが良い?」
「聞かなかったことにしてくれると嬉しい。私が本音を言えたのって何年ぶりだろう」
愛理沙は少し涙を溜めて、涼に向かって嬉しそうに微笑む。
それを見た涼は何も言わずに大きく頷いた。
「これからも俺は愛理沙の言ったことを忘れるよ。全て忘れる。だから、愛理沙が言いたくなったら言えばいい」
「ありがとう……涼……これからは涼って呼んでもいい?」
「いいよ。友達になろう」
「私みたいな厄介者で、運の悪い女を友達に持つと大変よ」
「俺はそうは思わない。愛理沙と友達になれて嬉しいよ」
愛理沙には色々な事情があるかもしれない。色々と背負っているかもしれない。学生の涼では解決できないかもしれない。
しかし、黙って話を聞いてあげることはできる。そして忘れてあげることができる。それだけで、少しでも愛理沙が楽になるなら、涼はそれでいいと思った。
「涼、ありがとう。できれば学校では公園のことは内緒にしてね」
「俺もそうのほうが良いと思った。俺はここで愛理沙と2人で夜空と夜景を見るのが大好きなんだ。だから誰にも邪魔されたくない」
愛理沙は小さい声で「……私も」と呟いたが、涼の耳に届かなかった。
「私、そろそろ家に帰るね」
「俺はもう少し夜景を見て帰るよ」
「涼、ありがとう。また明日ね」
そう言って、愛理沙は清々しい笑顔で手を振ってブランコを立つ。
愛理沙の胸にはピンクダイヤモンドのネックレスが輝いていた。
愛理沙と話をした次の日の放課後、授業が終わって勉強道具を鞄に入れていると、隣の席から聖香が体を寄せてきた。
「―――あのさ……今日の放課後なんだけど……涼ちゃん……時間空いてないかな?」
「別に急いで家に帰る用事というのはないが……」
「だったら、放課後に私と……」
聖香が顔を真っ赤にして、そのまま俯いてしまう。とても恥ずかしそうだ。
「ちょっと待ってよ。聖香だけ涼とどこへ行くつもりなの? それはダメだよ!」
いきなり近くから声が聞こえてきたので、振り返ると涼の机の近くに、楓乃が腰に手を当てて胸を張って立っていた。
「今日こそは涼には、私の家に来てもらうから、私の両親が涼の後見人をしてるんだから。涼は私の両親に自分の生活を報告する義務があるの」
「そう言って、楓乃ちゃん、涼ちゃんを独り占めするつもりでしょう」
「そ……そんなことしないわよ」
次は楓乃が顔を赤らめて顔を背ける。
「涼はいつも女子に囲まれて良いな」
少し遠くから湊が涼の元へ歩いてくる。顔にはニヤニヤ笑いが張り付いている。
「いつも女子にモテてるのは湊のほうじゃないか」
湊は誰にでも公平に優しい、そして理知的で紳士なため、女子からの人気が高い。
茶髪のショートヘアーが似合っている。
奥二重のまぶたに、理知的な瞳が印象的だ。きれいな眉、整った眉、整った唇の色白イケメンで、身長172cm、成績優秀でスポーツ万能のモテ男だ。
「あ……湊ちゃん、私はね……その……涼ちゃんと放課後に遊びに行きたかっただけなの。湊ちゃんからも誘ってくれないかな? 涼ちゃんも私と2人だけだと、たぶん逃げちゃうと思うから……お願い!」
「あ、聖香……ずるい! 涼が放課後に遊びにいくなら、私も一緒にいくから。私を忘れないで」
「放課後に遊びにいく相談か? それなら俺も仲間に入れてくれよ」
涼よりも大柄な筋肉マッチョがにこにこと笑って涼の席に近付いてくる。
この陽気な筋肉マッチョは入江陽太(イリエヨウタ)。日々、ジムで筋肉を鍛えることが趣味な脳筋男。
入江と涼は高校2年生の時からの付き合いだが、性格に裏表がなく、常に陽気で付き合いやすい男子だ。
身長は長身で大きく180cmある。
茶髪のふわゆるショート、くっきり二重で陽気で活発な大きな瞳が特徴的だ。高い鼻筋に健康的な唇。常に元気もりもりの筋肉マッチョは褐色に日焼けしている。
陽太の家がスポーツジムを経営しており、陽太は常日頃からスポーツジムのお客様のサポートをしている。そのことから、陽太自身も常日頃から筋肉を鍛えておく必要があるという。
「そうだな、男子3人に女子が2人集まったか。それじゃあカラオケでも行こうか。女子がもう1名増えると丁度3名づつになるんだけどな。誰か誘わないか?」
陽気な陽太がそんなことを提案する。
教室の中を見回すと、窓際で机の上を片付けている愛理沙を見つけた。涼はほんの一瞬だけ愛理沙を見て視線を止める。
「やっぱり、涼ちゃんは少しだけ愛理沙ちゃんに興味があるんだね。私、愛理沙ちゃんの友達だから、今から愛理沙ちゃんを誘ってくる……でも愛理沙ちゃん、大人数が苦手だから、断られたらゴメンね」
「あ―――聖香、無理に誘わなくてもいいから。苦手なものに誘うのは良くないよ」
「私も愛理沙ちゃんには沢山の皆と友達になってもらいたいの……ちょっと行ってくる」
聖香は席から立ち上がると、小走りに愛理沙の元へ行くと、身振り手振りで愛理沙に今の状況を伝えているようだ。一瞬だけ愛理沙が振り向いて涼と目が合ったような気がした。
聖香が嬉しそうな笑顔で席に戻ってくる。
「愛理沙ちゃん、歌は歌わないけど、それでも良かったら、皆と一緒に行くって。愛理沙ちゃんが皆と一緒に行動するなんて珍しいんだよ。愛理沙ちゃんも人が苦手だから」
「スゲー! 青雲高校NO1美少女とカラオケか。俺の美声を聞かせてやるぜ」
愛理沙が来ることで、陽太のやる気はグングンと上昇中だ。
「―――良かった……俺も歌が苦手だから。1人だけ見ているのは辛かったから、嬉しいよ」
「え……涼ちゃんって、カラオケ、歌えないの?」
「そうなのよ。涼っていつもカラオケに一緒に行くけど、カラオケを歌ったことないの」
「自分の歌声に自信がないだけだよ」
「涼は全てのことに自信がないからな。自分が甘いマスクをしている自覚もない」
湊が妙なことを言ってくるが、スルーして無視する。
しかし湊が言っていることは事実である。
涼は身長178cmで、黒髪のウルフカットが良く似合っている。
切れ長の涼し気が二重に諦観した瞳が印象的だ。細い鼻筋に薄い唇で、色白で肢体が長い。少し中性的な甘いマスクをしているが、涼はそのことを全く意識したことがない。
愛理沙が自分の席を立ちあがって鞄を持って、涼の席にへと歩いてきた。
「今日は声をかけてくれてありがとう。雪野愛理沙(ユキノアリサ)と言います。よろしくお願いします」
「は……初めまして、青野涼(アオノリョウ)と言います。よろしくお願いします」
涼と愛理沙はまだ学校では知り合いになっていない設定になっている。きちんと挨拶をしないと、皆に怪しまれてしまう。涼が緊張した顔をしていると、一瞬だけ愛理沙が微笑んだ。
「自己紹介は後でしようぜ。カラオケに行ってから自己紹介すればいいさ。まずは学校から早く出ようぜ」
陽太が涼の肩を持ってニッコリと笑う。
「それじゃあ、皆も集まったことだし、行きましょうか!」
楓乃の声を聞いて、涼も席を立って、皆と一緒に教室を後にし、カラオケボックスへ向かった。
皆で青雲高校を出て、駅前まで男女6人で歩いていく。
高台に住んでいる愛理沙はバス通学なので、自転車を持っていない。
青雲高校から家が近い聖香と楓乃も自転車通学していない。だから自転車を持っていない。
女子達3人は鞄だけを持って、3人並んで楽しそうに歩いている。
男子達は女子達の後ろを自転車を押しながら歩く。
「おい、湊、楓乃と聖香だけでも可愛くてきれいなのに、今日は愛理沙も一緒だぜ。俺達、本当にツイてるよな」
「そうだね。3人もタイプの違う美少女が揃うと気後れするね。今日は俺がホスト役を務めるよ」
「さすが湊だぜ。俺は女子達に美声を聞かせてやるぜ。日々、ジムで鍛えているからな」
「それは歌声じゃなくて、雄叫びだとおもうけど……」
男子3名は女子の後ろ姿を見ながら、コソコソとそんなことを話している。
女子達3名の中で聖香のスカートの丈だけが非常に短く、歩いているとヒラヒラして、見えそうで危険だ。
思わず視線を外して愛理沙を見る。
愛理沙は雪のように白い素肌に艶々のロングストレートの黒髪が良く似合っている。歩き方も1本の板の上を歩いているかのようにきれいで脚が長くて美しい。
いつも公園で会っている時は、寒さ対策でダボっとした私服を着ているので体のラインを隠しているが、肢体が長くて、モデルのような体型をしている。
学校でも美少女NO1と言われるだけのことはある。楓乃と聖香も美少女だが、愛理沙のほうが1歩抜きん出ている。
楓乃とは人当りが良く、人見知りしないのですぐ愛理沙と仲良くなったようだ。
聖香も嬉しそうに微笑んで会話を楽しんでいる。
愛理沙も少し微笑んでいるのが見える。
愛理沙が人と仲良くしている姿を見ると、なぜか涼は少し嬉しい気持ちになる自分がいる。
この間の公園での愛理沙の言葉を覚えているからだろうか。
愛理沙には幸せになってほしいと思う。
駅前のカラオケボックスに着いた6名は自転車を置いて、カラオケボックスの中へと入っていく。
それぞれにカウンターでスマホを見せてクーポンを使用する。湊が店員に部屋番号を聞いて、皆でカラオケの部屋へと入っていく。
部屋の中に荷物を置いて、それぞれにフリードリンクでドリンクを作る。涼はアイスコーヒーを作って手に持つ。
愛理沙はアイスミルクティだった。他の者もそれぞれにドリンクを手に持って部屋へと戻る。
モニターから一番近い所に座ったのは陽太だった。その隣に聖香が座る。部屋の受話器に近い場所に湊が座った。
向かいの席に楓乃が座り、隣に涼が座る。そして涼と少し距離を離して愛理沙が座った。
「1番は俺が行かせてもらうぜ」
コントローラーを持って陽太が曲番号を入力する。
「次は私だよ」
そのコントローラーを奪って聖香が曲番号を入れて、隣に座っている湊へコントローラーを渡す。
「俺に拒否権はないようだね」
湊は微笑みながら、コントローラーを受け取って曲番号を入力すると、愛理沙にコントローラーを渡した。
愛理沙はコントローラーを渡されると、何もせずに涼へと渡す。涼はコントローラーを見て苦笑を浮かべる。
涼は洋楽の歌は良く聞くが、カラオケで歌える曲もなく、歌声にも自信がない。
そのまま楓乃にコントローラーを渡すと楓乃が不満そうな顔をする。
「涼も歌えばいいのに。英語の歌でもいいじゃん。誰も知らない歌なんだし……間違っても誰もわからないじゃん」
「皆、英語の授業を受けてるじゃないか。発音を間違えたりすると恥ずかしいよ。歌声にも自信ないしさ。俺は見ているだけでも楽しいよ」
「もういい。私が先に歌っちゃうからね」
楓乃は納得していなかったが、涼への説得を諦めて、コントローラーに曲番号を入れて、陽太の前のテーブルに置く。
曲が大音量で流れてきた。新しい新曲だろう。涼は誰が歌っているのかもわからない。陽太は立ち上がってノリノリで歌っている。
陽太の横では嬉しそうに笑顔で聖香が手拍子をうっている。
楓乃もマイクを持たずに体を横に揺らして歌っている。とても楽しそうだ。
聖香の番になると、聖香は立ち上がって、アイドルの振り付けで踊って歌う。
聖香の歌は歌声、振り付け、表情も完璧で、涼達は多いに盛り上がった。
涼はドリンクがなくなったので立ち上がって、愛理沙の前を歩く。ちらっと愛理沙のほうを見るとドリンクが空になっている。ドリンクバーに行って、自分の分のコーヒーと愛理沙の分のアイスミルクティを作って、部屋へ戻る。
「ドリンク……ありがとう」
「楽しんでる?」
「皆、楽しそうだなって思って見てる。私は心に穴があるから、皆のように心から楽しめないから羨ましいかな」
「そうだね。純粋に歌を楽しめるって良いことだよね。俺も皆が羨ましいよ」
愛理沙が少しだけ涼の近くへ座り直す。
「涼…私…いつもの公園に行きたい。皆が羨ましくて辛くなる」
「わかった。じゃあ、少し経ってから2人で抜け出そう。後から皆に謝りの連絡を入れておけば大丈夫だよ」
「……ありがとう」
皆がカラオケに熱中して、モニターに視線を集中し始めた。
涼は愛理沙と一瞬だけ視線を合わせて、先に部屋を出るように言う。
愛理沙が部屋を出ていってから、少し経ってから椅子の上にお金を2人分置いて、涼も部屋を出る。
カラオケボックスを出て、自転車を置いている場所へ向かうと愛理沙が微笑んで立っていた。
「ありがとう。幸せ過ぎる空気で圧倒されちゃった。外に出てきて少しホッとしたわ」
「そうだね。外は風もあって気持ちいいね。愛理沙は高台までバスに乗って帰るかい?」
「ううん。涼と2人で歩いて帰る。そのほうが外にずっといられるから。高台に着いたら公園へ行きましょう」
「ああ、そうだね。丁度、夕暮れの時間帯だね。いつも通りに公園でゆっくりしよう」
「そうね。いつもの通りにね」
愛理沙はふわりと嬉しそうな微笑みを浮かべて涼の隣に並んだ。
夕陽を背にして、2人でゆっくりと高台までの道を歩いていく。
カラオケボックスを抜け出した日から1週間が経った。
カラオケボックスを抜け出した日に皆にLINEで、愛理沙が途中で気分が悪くなったので家の近くまで送って帰ったと嘘の言い訳をして、次の日に謝罪をした。
湊と陽太は快く承知してくれた。しかし楓乃と聖香は疑いの眼差しを涼へ向ける。
状況を把握した愛理沙が涼の席へ歩いてきて、本当に気分が悪くなったと伝え、頭を下げて謝ると、楓乃と聖香の2人はすぐに疑うことを止めて、愛理沙の体を気遣った。
なぜ、愛理沙の言うことは信じて、涼の言うことは信じないのか、納得できない部分もあったが、嘘の言い訳をしているのは涼である。そのことについては深く追求しないことにした。
それから平和な日々が続いていると涼は思っていた。
しかし、平和な日々の水面下で、愛理沙は3日に1回、中庭に呼び出され、男子生徒の告白を受けていた。
そして、愛理沙は2人の男子生徒に頭を下げて謝り、交際を断った。
今、愛理沙と涼はいつもの公園で夕陽が沈むのをじっと眺めている。今日は雲一つない快晴で、夕陽の太陽も一段と大きく、真っ赤な陽光が公園を照らす。
「モテる美少女も大変だね」
「他人事だと思って、気軽に言わないで。断る時、とても勇気がいるし……断った相手の心を傷つけたと思うだけで、すごく苦しくなるんだから」
「ごめん。気軽に言ったつもりはなかったんだ」
今日は公園で愛理沙と会ってから、男子生徒の告白を断ったことについて、愛理沙から事情を聞いていた。
愛理沙は人を傷つけるのも、人に傷つけられるのも極端に恐れる。だから人となるべくかかわらないように暮らしている。しかし、男子生徒の告白だけは無視できない。きっちりと断らないと後々問題になる。
「涼、質問なんだけど……あなたは私のことを好きになったりするの?……恋という意味で?」
いきなりの愛理沙の質問にとまどう。どう答えて良いのかわからない。
涼の素直に自分の気持ちを言うことにした。
「正直に言うよ。愛理沙のことはすごい美少女だと思ってる。愛理沙の性格も気に入ってる。そういう意味では俺は愛理沙のことを好きだと思う」
「―――い……いきなり告白しないで……私にも心の準備が―――」
「ごめん。言葉が足りなかった。俺は愛理沙のことを好きだけど、恋愛や恋ということじゃない。人として好きだと言いたかったんだ」
「そ……それなら最初からそう言って……心臓が止まるかと思ったわ」
言葉が足りなかったことで愛理沙に無用な心配をさせてしまったようだ。もう少し言葉を選べば良かったと涼は反省する。そして涼は言葉を続けた。
「たぶんとしか言えないけど、俺は人を好きになることができないと思う」
人を傷つけることも好きではないし、傷つけられるのはもっと嫌だし……人が苦手なんだ。心の距離が近くなると逃げたくなるというか……。
「それが私でも?」
「たぶん愛理沙とは公園でベンチとブランコに座っている今の位置関係が好きなんだ。だから恋愛という意味では愛理沙を見ることはできないな」
これ以上、心の距離が近くなると、愛理沙のことを苦手になると思う。
「そう……良かった。私と一緒で。私も今の涼との距離感が一番安定していて好きかな」
これ以上、涼が愛理沙の心に踏み込めば、愛理沙は涼であっても拒否するだろう……そのことがわかる。
「同じだね」
「そうね」
2人で顔を見合わせて微笑み合う。
最近では、この公園に来て愛理沙とずいぶん話をするようになった。しかし2人共、無理に話を続けようというつもりはない。だから黙っていたい時は互いに黙っている時も多い。
黙って2人でじっと夜空や夜景を眺めている時間がとても安らかで心が癒される。話ていても、急に黙って遠くを眺めている時もある。そのほうが居心地が良い。
毎日、公園で愛理沙と会うようになって、わかったことがある。
それは涼も愛理沙も人が苦手だということ。
そして、ある一定の心の距離以上に人に近寄られことを極端に苦手だ。
そういう意味では涼と愛理沙は似た者同士といえる。
「たぶんだけど、楓乃や聖香は涼に好意をもっていると思うわ。自分でも自覚してるんでしょう?」
愛理沙が鋭い所をついてくる。思わず涼は言葉に困る。
「楓乃は小さい時から一緒に育った。兄妹みたいなものだから、俺に好意を抱いているのはわかる」
「聖香のことは?」
「まだ知り合って2週間ほどしか経っていない。だからよくわからない。聖香のことなら愛理沙のほうがわかるだろう」
「聖香はかなり涼に好意と興味を持っているわ。なんとなくわかるもの」
楓乃も聖香も、それぞれに違う魅力をもっている可愛い美少女だ。性格も申し分ない。しかし、涼は2人を恋愛対象として見ることができない。
困った問題が発生したと、心の中で頭を抱える。
「楓乃も聖香もフリたくないでしょう……でも、涼は付き合えないよね。困った問題ね」
「ああ、2人は魅力的な美少女だ。困った問題になった。できれば2人を傷つけたくない」
愛理沙が薄く微笑む。何か良い方法でもあるのだろうか。
「知恵を貸してあげる? 協力してあげる……」
「2人が傷つかなくて済む方法なら、是非、教えてほしい。何でもする」
「何でも?」
「何でも!」
「涼が私の仮の彼氏になるの……」
はあ? 自分が愛理沙の仮の彼氏? 意味が良くわからない。愛理沙の答えを聞いて一層パニックになる。
「だって私と涼は互いに問題があるから恋愛関係になることはないでしょう」
恋愛関係になることがないから、互いに自分の心の距離を保つことができる。そして、涼は楓乃と聖香をフラなくて済む。愛理沙は男子生徒達の告白を受けなくて済む。涼も愛理沙も互いに心の負担を軽くすることができる。
「お互いに良い関係になると思うんだけど……嫌なら無理にとは言わないわ」
それから涼と愛理沙は夜空の星を見たり、夜景を眺めたりして過ごす。
その間に、涼は必死で答えを見つけようと考えた。
しばらくして、愛理沙の言っていることが、最良ではないが、良い解決方法だと理解する。
「わかった。愛理沙の意見を採用させてもらうよ」
「私も相手が涼だと助かる。本当にありがとう。こんな私だけど、よろしくね」
愛理沙が少し顔を赤らめて照れたように微笑む。自分の顔も赤くなっているだろう。
こうして涼は生まれて初めて、愛理沙と仮彼氏の約束を交わした。
愛理沙と仮彼氏の約束を結んだ次の日の放課後、涼と愛理沙は楓乃、聖香、湊、陽太の4人を涼の席に集めた。
そして、涼が愛理沙の彼氏になったことを発表した。
「今、何て言ったの? もう一度、聞かせて!」
頬を膨らませて、額をテカらせて楓乃が両手を腰に当てて仁王立ちになっている。内心は激オコだろう。
「―――涼ちゃん……そんな重要なことを、なぜ私に相談してくれないの?」
一方、聖香は目に涙を溜めて、涼の心に訴えてくる。
「―――ああ……少し言葉が足りなかった。これは愛理沙の男子生徒除け対策で……仮彼氏みたいなもんだ」
2人の緊迫した雰囲気に押されて、涼は思わず本当のことを漏らしてしまう。
涼の隣に立っている愛理沙の眉が少し上がる。
いままで冷静に話の流れを聞いていた湊が腕組を解いて涼に質問する。
「涼の話しをまとめると……最近、愛理沙への男子生徒の告白が多くなった……そこで愛理沙と涼で相談して、涼が彼氏……仮彼氏になったということで間違いないか?」
「ああ……そうだ」
陽太から、いつ愛理沙と2人で、そんな話を決めたのか問いかけられたが、まさか公園のことは言えない。
困っていると愛理沙が、カラオケに行った時に涼と連絡番号の交換をして、2人で相談したと助け舟を出してくれた。
「仮彼氏のことは、ここにいる皆だけの秘密にしてほしい。学校の中では愛理沙と俺は彼氏と彼女ということでお願いするよ」
「涼……このことが噂になって、学校中に広がれば、涼は男子学生全員の敵になるぞ……わかってるのか?」
そんな大事になるのか。陽太、少し脅かし過ぎだろう。そこまでの騒ぎになるとは思っていなかった。
全くの予想外だ。人から過度に注目されるのは苦手だ。
隣の愛理沙を見ると、愛理沙が冷たい微笑み浮かべている。
まるで、今更、取り消しはなしよと言われているようだ。
「少しは男子生徒達に嫉妬されると思う……しかし、これで愛理沙への告白が止まるなら、頑張ってみるよ」
「涼が思っているよりも大騒ぎになるからな、覚悟しておいた方がいいぞ……困った時は助けてやる」
「そうだな。困った時は相談に乗ってやるから……いつでも相談してこいよ」
「湊、陽太……そんなに脅かさないでくれ」
湊の顔も、陽太の顔も、目が笑っていない。真剣な眼差しだ……これは冗談で言ってるんじゃない。
完全に本気だ。愛理沙が美少女であることは認めるが、2人が真剣になるほどとは思わなかった。
「大丈夫……いざとなったら、私が出るわ。涼は私の彼氏だもん」
隣で目を白黒させている涼を助けるため、愛理沙が小さな声で答えた。
「ああ―――愛理沙ちゃん……今、涼ちゃんのことを、さりげなく彼氏アピールした」
聖香の目にまた涙が溜まってきた。
「そんなことないのよ。聖香……私にとって涼はあくまで仮彼氏だから……涼と困ったことになったら、聖香に相談してもいいかな?」
「うん……いつでも相談して。涼ちゃんにキチンと注意させるから」
「私も愛理沙に協力するわ。涼が変なことをしたら私に言ってね」
いつの間にか聖香と楓乃が愛理沙の味方についた。
そして、涼が要注意人物にされている。
この女子の連帯感はどこから来るのだろう。
なぜ、涼が悪役になっているのか、意味がわからなかった。
この後に湊、陽太、楓乃、聖香の4人から、涼に何かを奢るように要請が来たが、愛理沙が今日は調子が悪いと言って、4人からの要請を上手く断ってくれた。
そして、青雲高校の校門を潜って皆と別れて、涼と愛理沙の2人だけで高台を目指して歩く。
涼の自転車はロードレーサーなので、愛理沙を自転車の後ろに乗せることができない。仕方なく涼は自転車を押して、愛理沙が隣をゆっくりと歩く。
「涼……皆に仮彼氏のことを言っちゃうんだもん。少し焦ったわ」
「仕方ないだろう。あの4人は友達だし、あまり隠し事はしたくなかったんだ」
「そうね……涼らしいわね。私もそれで良かったと思う」
青空の中に白い高層雲が見られる。空が澄んでいる証拠だ。とても空高くまで見ることができる。
春の風が涼の頬をなでる。隣を見ると愛理沙のロングストレートの髪が風になびいている。
「学校ではどうしてたほうが良いかしら? やっぱりお弁当を作ったほうがいい?」
「愛理沙が学校で自由に生活できるスタイルで良いよ。愛理沙が作ってくれるというなら、ありがたくいただくけど」
「そうね……私も今の学校での生活パターンを崩したくないし、楓乃と聖香をあまり刺激したくないから、お弁当は当分の間、お預けね……気が向いた時に作ってくるね」
「ああ……それでいい。俺も愛理沙も少し心の距離が離れているほうが気楽な質だから、もう少し気軽に考えよう。愛理沙は自由に行動していいよ」
「―――ありがとう」
愛理沙は少し頬を赤らめて、照れたように俯いて、ゆっくりと涼の隣を歩く。
「涼の仮彼女になったんだから、涼のアパートの部屋を見たいな。今度、案内してくれる?」
あの埃とゴミと段ボールが積まれた部屋を愛理沙に見せることになるのか。
愛理沙を部屋へ案内する前に少しは自分でゴミと埃だけでも掃除しておこう。
「困っているようだけど、涼は部屋に見られたくないモノでも置いてあるの?」
「ち……違うんだ。少しだけ散らかっていてね。愛理沙に見せるのが恥ずかしいんだ」
「それぐらいなら、一緒に掃除しましょう。私も少しは掃除も片付けもできるから」
愛理沙の気分は高揚しているようだ。
しかし、今の状態の部屋を愛理沙に見せることはできない。
「わかった。今日はもうすぐ夕暮れになるから、休みの日でもアパートへ案内するよ」
「うん……わかった。私も休日は家にいたくないんだ。だから……嬉しい」
今度の休みの日は、愛理沙と部屋の片付けか。
なんだか愛理沙と出会ってから生活に変化が起こり始めているような気がする。
空虚だった景色が、急に色鮮やかになったような感じだ。
愛理沙は涼を見て、嬉しそうに微笑んでいる。そんな愛理沙を見て涼も嬉しくなる。
「今日は公園に寄ってから帰ろう」
「……うん。あまり長居できないけど」
太陽が西に傾きいてきている。もうすぐ夕陽に変わる。
少し赤くなってきた陽光の中を、涼と愛理沙の2人は、穏やかな時間の中を公園まで歩いた。
愛理沙が家に来る前に、家のゴミを集めて45ℓの半透明のゴミ袋へ詰めて、アパートのゴミ置き場へ捨てる。ダイニングテーブルのゴミや、キッチンのゴミ、部屋に散らかっているゴミを集めるだけで一苦労だった。
それでもなんとか部屋から全てのゴミを追い出すことができた。
100均で雑巾を買ってきて、水道の水で雑巾を濡らして、白く埃が被っている部分を丁寧に拭いていく。
白く埃の被った所の全てを濡れ雑巾で拭いていく。これだけでもかなりの重労働だ。テーブルの上、洗面所、キッチン、トイレ、埃のある所はとにかく全て拭いていった。
そして段ボールの中から掃除機を取り出して、コンセントに電源を差して、コードを長く伸ばしてスイッチを入れて掃除機をかける。部屋の中が段ボールまみれなので、ゆっくりと丁寧に掃除機をかける。
ダイニングの床がきれいに光り出した。これで愛理沙を部屋の中へ入れることができる。
休日になる前の日は、夜遅くまで、ゴミ捨て、雑巾がけ、掃除機と格闘し、自分では一応は部屋全体をきれいにできたと自負している。明日の休日は愛理沙が部屋へ来るので緊張が走る。
今から段ボールの荷物をほどいている時間はない。段ボールはそのまま積み上げておけばよいだろう。
段ボールを部屋の隅へ積み上げて、ベッドの置いてある部屋にも少しスペースができた。
これで明日は乗り切ろう。おかげで毎日、日課にしている夕暮れの公園には間に合わなかった。
その日の夜に心配した愛理沙からLINEで連絡が入った。
学校から帰ってきてから掃除をしていたことを明かす。
《そんなに気合を入れて掃除をしなくてもいいのに。片付いていなかったら一緒に片付けするよ》
《ありがとう。まだ部屋の中は段ボールの荷物でいっぱいなんだ。一応は片付けたんだけどね》
《それは明日、私が部屋へ行ってから考えましょう。今度から公園に来れない時は連絡をちょうだいね》
《ああ、わかった。今日は公園に行けなくてゴメンな。明日の14時に公園で待ち合わせしよう》
今日は公園に行けなかったことで、愛理沙に心配をかけてしまった。明日の待ち合わせ時間はきちんと守ろう。目覚まし時計を12時に合わせて、ジャージの上下に着替えてベッドの中へ入る。
◇
昼の12時にアラームの通りに起きて、シャワールームで体と髪を洗って、髪を乾かす。もちろん歯もキッチリと磨いている。私服に着替えて公園まで歩いて行くと、待ち合わせ時間の30分前だというのに、愛理沙はブランコに座って待ってくれていた。
今日の愛理沙は上からMA-1を羽織って、薄緑色のニットのカットソーにダメージデニムを履いている。とても似合っている。
「あれ? 待ち合わせ時間は14時だったよね?」
「いいの。私が公園で風景を眺めていたかっただけだから。涼こそ早かったね。」
実は愛理沙との待ち合わせ時間まで、涼も公園から風景を眺めてまっているつもりだった。
「涼のアパートまで行こう」
愛理沙がワクワクした顔で微笑んでくる。そんなに良いアパートではないので恥ずかしい。
「それじゃあ、行こうか」
涼の家は公園から、もう少し坂を上った所にある小さなアパートだ。涼の部屋は2階の端にある。
愛理沙は少し重そうに大きな紙袋を持っている。
「その紙袋、俺が持つよ」
紙袋を愛理沙から受け取って、2人でゆっくりと坂を上がってアパートへ到着した。2階へ登って、部屋の前に到着すると、部屋の鍵を開けて涼が先に玄関の中へ入る。愛理沙は涼の後ろに続いて玄関へ入る。
ダイニングは段ボール積み上げられているだけで、小さなダイニングテーブルが置かれてきちんと整えられている。涼にはそう見える。
ベッドの置いてある部屋も段ボールが積まれているが、愛理沙が座るスペースは作られている。涼はそのつもりでいる。
部屋へ入るとダイニングテーブルの上に置いた紙袋の中からエプロンを取り出して、愛理沙がMA-1を脱いで、エプロンを付けて、ストレートロングの黒髪をゴムで結い留めてポニーテールにする。
ポニーテールにするときれいなうなじが見えて、涼をドキッとさせる。
「昨日、頑張って掃除したのは認めるけど、まだまだ掃除が甘いわね。後、段ボールの荷物を出さないと、いつまで経っても片付かないわ」
「それは、また今度するよ。愛理沙はゆっくりしてくれればいいから」
「私、お掃除と片付けが得意なの。昨日から楽しみにしていたの。やりがいがある部屋で期待どおり」
紙袋の中からは、あらゆる洗剤がテーブルの上に置かれる。最初から愛理沙は掃除をし直すつもりだったようだ。愛理沙が嬉しそうに準備を進めているので、邪魔をしてはいけない。
「涼、段ボールのフタを開けて、中身を確かめて。服などは自分でクローゼットへ片付けてね」
涼は段ボールの中を確かめて、愛理沙に段ボールの中身を報告する。愛理沙はその都度、置き場所を決めて、段ボールの中身を外へ置いていくように涼に指示する。涼は指示された通りに置いていく。
中身がなくなった段ボールは畳んで玄関に立てかけられていく。
愛理沙はポニーテールを揺らしながら、段ボールから出てきた食器をスポンジできれいに洗う。
涼は段ボールの中に入っていた、自分の洋服をクローゼットとタンスへ片付ける。
愛理沙の指示もそうだが、手さばきも器用で、手早い。食器は洗った後に手早く布巾で拭かれて、ダイニングの食器棚に並べられていく。
愛理沙の機嫌は絶好調のようだ。鼻歌まで歌っている。こんな嬉しそうな愛理沙を見たのは初めてだ。
「今日はどんどん片付けようね」
「ああ、今日は頑張ろう」
嬉しそうに愛理沙は涼を見て微笑みとこぼす。つられて涼も笑顔になる。
愛理沙が上機嫌であるなら、それで良い。今日は愛理沙に付き合うことに決めた。
食器棚の中は愛理沙が綺麗に拭いた食器でいっぱいになった。
自分の部屋にこれだけの食器があることに涼は驚いた。
段ボールは見る間に空になって、玄関に畳んで置かれていく。
段ボールは1つだけ残して、全てが玄関に置かれている。
愛理沙と涼は濡れ雑巾で、ダイニングは愛理沙が担当し、私室は涼が濡れ雑巾で壁や床を拭いていく。
愛理沙の手が届かない照明器具については涼が担当して濡れ雑巾できれいに拭いていく。
その後に愛理沙は掃除機の電源を差し込んで、コードを長くして掃除機のスタートボタンを押して、ダイニングと部屋の掃除にとりかかる。
さすがに愛理沙にトイレの掃除をさせることはできない。愛理沙が気付かないうちに涼はこっそりとトイレ掃除をしたが、愛理沙にバレた。
「トイレ掃除にはコツがいるの。後で私もトイレ掃除をするわ」
「それはちょっと……してもらい過ぎというか……申し訳ないというか……」
「私がやりたいって言ってるんだから、任せてね」
初めて家に来た女子にトイレ掃除まで手伝ってもらうなんて、考えただけでも涼は顔を赤らめる……とても恥ずかしい。
愛理沙がトイレ掃除を終えた頃には、涼も愛理沙も体中、埃と汗にまみれていた。
「涼、これからお風呂掃除をするから。ついでに私もシャワーを借りてもいいかしら」
「はい? ……どうぞ、シャワーを使ってください……」
「ありがとう。お先にシャワーを浴びるわね」
涼の家には脱衣所がない。急いでふすまを閉めて、ダイニングを見えないようにする。ダイニングから愛理沙が服を脱ぐ音が聞こえる。
涼も普通の一般の男子だ。ふすま1枚向こうで美少女が着替えをしていると思うと、どうしてもイメージしそうになる。そのイメージを頭から急いで追い出す……体が妙に緊張して、背筋がピンとなる。
「ガチャ……バン」
愛理沙が風呂場に入っていった音が聞こえた。ダイニングに愛理沙が脱いだ服が置いてあると思うだけで、涼の体に緊張が走る。
「俺は何をやってんだ」
涼は体の力を抜いてベッドに寝そべって呟いた。目の隅に1つだけ残された段ボールが見える。
涼はベッドから体を起こして、段ボールの前に立つと、段ボールのフタを開ける。
中には現在風のおシャレな仏壇が入っている。この仏壇を見るのも1カ月ぶりぐらいだ。涼はこの仏壇が嫌いだ。あの事故のことを思い出してしまうから。
できれば、三崎さんの家に置いていきたかったが、三崎さんに断られてしまった。できれば涼の見える所に置きたくない。
涼は思わず、段ボールのフタを閉めて、自分のベッドに身体を横たえる。
「ガチャ……バン」
愛理沙が風呂場からあがってきた。バスタオルを使って、体を拭いている音がする。その音を聞いて、涼は顔を真っ赤にして、枕に顔を押し当てる。
「お風呂場、きれいに掃除しておいたから。いいシャワーだったわ。体がスッキリ。ありがとう。涼も入ったら?」
愛理沙はきれいに着替えて髪の毛をバスタオルで結っている。頬が上気してピンク色に染まっていて、とても色っぽい。そして愛理沙の体から石鹸とシャンプーの良い香りが漂ってくる。
涼は自分の顔を赤くなるのを自覚する。このままでは愛理沙に見つかってしまう。
「俺もシャワーに入ってくるわ」
愛理沙が涼のベッドの端に座る。涼はタンスからバスタオルを出して、慌ててふすまを閉めて、服を脱いで風呂場へと入っていく。
体を洗って、髪の毛を洗う。埃と汗で気持ち悪かったが、シャワーを浴びただけで体がスッキリとした。
風呂場を見回すと、きちんと掃除されていて、ピカピカに光っている。
愛理沙は本当に掃除と片付けが上手だ。
バスタオルで体を拭いて、服を着てふすまを開けると、段ボールの中に仕舞ってあった仏壇が外に出されて、愛理沙がロウソクを灯して、線香をあげ、手を合わせていた。
そして涼がふすまを開けたのを知ると、伏せていたまぶたを開けて、振り向いて涼を見る。
「どうして仏壇だけ段ボールに入れっぱなしにしてるの? どうして涼が仏壇なんて持ってるの?」
「仏壇は見たくなかったから、段ボールに入れていた。それは俺の死んだ家族の仏壇なんだ」
それを聞いた愛理沙は顔を青くして口元を両手で押える。
「愛理沙には言ってなかったけど……俺の家族は他界してるんだ。そして親戚もいない。だから高校に入るまで楓乃の家でお世話になっていた」
「――――そうだったの。訳を聞いてもいい?」
「ゴメンだけど、言いたくない。思い出したくないんだ」
もう一度、仏壇の真正面に座り、愛理沙は黙ったまま、しばらくの間、目を伏せて手を合わせていた。
愛理沙は人の心の傷に敏感だ。仏壇をみせてはいけなかったと涼は後悔した。
涼がベッドの端へ座っていると、愛理沙は仏壇の前から立ち上がって、涼と少し距離を開けてベッドに座った。
「実は、私の両親も他界してるの……だから親戚の家に引き取られて、そこで暮らしているの」
愛理沙は俯いたまま小さな声で呟いた。声が震えている。目にも涙が溜まっているようだ。
両親の他界がトラウマで愛理沙は人が苦手になったのか……
愛理沙が自分と似たような境遇にあるとは涼は思いもしなかった。
「親戚の家に私の両親の仏壇はないの……親の形見は、このピンクダイヤのネックレスだけなの」
愛理沙がネックレスを大事にしていたのは知っていたが、そういう訳があるとは思わなかった。
「これから、涼の家に来て、仏壇に手を合わせてもいい? 私、仏壇に手を合わせたいの……」
「うん。いいよ……愛理沙の好きにしていい」
「……ありがとう」
愛理沙は本当は自分の両親の仏壇に手を合わせたいのだろう。しかし仏壇がないから手を合わせられない。
家の仏壇で良ければ手を合わせてくれてもいいと涼は思った。
「前にも話した通り、私は人が苦手なの……でもすごく寂しいの。夜になると寂しくてたまらなくなるの」
「そうだったのか……俺で良ければ連絡しておいでよ。朝まででも愛理沙に付き合うから」
連絡を取り合うだけで、愛理沙の寂しさを埋められるとは思わない。
でも少しでも寂しさを紛らわせることができるなら力になりたいと思う。
「毎晩……連絡するね」
愛理沙は涼に聞こえるギリギリの小さな声で呟いた。
思わず、涼は愛理沙の体をギュッと抱きしめた。
愛理沙は慌てて、涼の手から逃れて、少し距離を取ってベッドに座る。
「涼……大丈夫だから……ビックリした」
「ゴメン、気が付いたら、愛理沙のことを抱きしめていた」
「涼は私の気持ちを気にしてくれたのね……もう大丈夫だから……涼は優しいね」
「そんなことないよ」
愛理沙は立ち上がってダイニングに置いてある冷蔵庫の中を見る。
冷蔵庫の中には食べ物も飲み物も何も入っていない空の状態だった。
「今までどうやって食事をしてきたの? まったく冷蔵庫に食品が入ってないよ」
「――――コンビニ弁当―――」
「それだと栄養が偏るわよ。今日は私が料理を作ってあげるから、一緒に夕食を食べましょう」
そう言って、愛理沙はダイニングテーブルにかけていたMA-1を着る。涼も慌てて上着を着て、家に鍵をかけて愛理沙の後を追う。
隣へ到着すると、愛理沙が顔を赤くして、照れて俯いている。
「涼……さっきの私の過去の話は忘れてね。私、同情されるの嫌だから」
「うん……愛理沙がそういうなら忘れる。俺が覚えていると愛理沙も辛くなるから……」
「さっき、愛理沙を抱いたのはゴメン」
「そのことも忘れよう。もう気にしてないし」
2人で高台にあるスーパーに向かったゆっくりと歩く。既に空は夕焼けになっていて、陽光が辺りを真っ赤に染めている。2人は隣に並んでゆっくりと歩調を合わせてスーパーへ向かう。
その間、2人は恥ずかしさと照れもあって、お互いに顔を合わせることもできなかった。
スーパーに入って涼がカゴをカーゴの上に置いて押す。愛理沙はカーゴの前を持って進路を決める。
手慣れた手つきで、愛理沙が食材をカーゴの中へ入れていく。
「今日はハンバーグとカレーライスでいい? 今の時期なら、カレーだったら日持ちするから」
「ありがとう。そこまで考えてくれたんだ……愛理沙も優しいね」
「別に私は、いつも家でしていることを、涼の部屋でするだけよ。優しくなんてない」
「そう……ありがとう」
涼は愛理沙に見つからないようにコーヒーの缶とミルクティのペットボトルをカゴの中へ入れる。
愛理沙も今まで何も飲んでいないから、喉が渇いているだろう。
涼の家までの帰り道に一緒に愛理沙と飲もうと思う。
愛理沙は涼の部屋に足りない、食器洗剤や、各種洗浄洗剤もカゴの中へ入れる。一緒に愛理沙がスーパーに来てくれて助かった。涼だけではそこまで気が回らなかった。
「涼、家で足りないものはスーパーに来れば、だいたいの物が揃うから、スーパーを活用するのよ。夕飯もスーパーのお弁当のほうが安いし、サラダは毎日食べてね」
「そうするよ。ありがとう」
レジで精算をして、荷物を大きなビニール袋2つに入れる。
そしてスーパーから出て、涼の家へと向かう。既に太陽は半分以上沈み、時間は夕暮れになっていた。
今日は公園で愛理沙と一緒にいる時間はなさそうだ……そのことが残念だ。
「1つ袋を持つ」
「いいよ。重いし……これぐらいは俺にさせてくれよ」
「うん」
涼はレジ袋からコーヒーの缶とミルクティのペットボトルを取り出して、愛理沙へミルクティのペットボトルを渡す。
そして、自分はコーヒの缶のプルトップを開けて、一口、コーヒーを飲む。愛理沙は嬉しそうに涼を見て、ミルクティのペットボトルのフタを開けて、コクコクと美味しそうに飲んでいる。
「ありがとう、喉が渇いていたの」
「愛理沙には掃除をしてもらったからね。少しだけど感謝の気持ち」
「――――ありがとう」
2人で夕暮れの道を涼の家まで歩く。気温が下がってきて、風が体に気持ち良い。愛理沙はMA-1を着ているので寒くなさそうだ。
涼の部屋へ戻ってきてから、愛理沙はMA-1を脱いで椅子にかけて、エプロンを付けて料理の支度を始める。涼は料理をしたことが一度もない。だから何を手伝って良いのかもわからない。
手際よく料理をこなしていく愛理沙をずっと見ていると、振り返った愛理沙が困った顔をする。
「そんなに料理をしている姿をじっと見られていたら恥ずかしいわ。ベッドで座って待ってて」
「ゴメン……つい、料理を作る速さに見惚れていた。愛理沙って料理が上手いんだな」
「私なんて普通よ。毎日しているから手慣れているだけよ」
そうか……愛理沙は毎日、料理をしているのか。
でも……親戚の家に引き取られているのに、毎日、料理を作っているのはおかしくないか?
愛理沙に質問してみたいが、部外者の涼が質問しても、心の距離が近すぎる。たぶん愛理沙は答えないだろう。
「わかった。ベッドでおとなしく待ってるよ。料理、期待してるね」
「任せて。毎日、料理をしているから、料理には少し自信があるの」
「うん」
涼は素直に従って、ベッドに身体を横たえる。考えるのは愛理沙のこと。
掃除も片付けも得意。毎日、料理もしている。普通に聞けば、すごい家庭的な女子と考えることもできる。
しかし、愛理沙は親戚の家に引き取られている……毎日の料理も、片付けや掃除も必要だろうか。
何か涼の心の中で、愛理沙の言葉に違和感を感じる。
しかし、愛理沙に聞いても正直には答えてくれないだろう。
愛理沙が自分から答えを言ってくれるまで待つしかない。
愛理沙の言葉に疑問があるからと言って、心に不用意に近付くのは、愛理沙の嫌うことだ。それは止めておいたほうがいい。
涼はこれからも愛理沙を注意深く見守っていこうと思った。
「涼、できたわよ」
「おお―――できた! 楽しみだな……ありがとう」
椅子に座ると、ダイニングテーブルの上にはハンバーグ、野菜サラダ、カレーライス、ミネラルウォーターが置かれていた。いろどりもきれいで美味しそうだ。
向かいの席にはエプロンを取った愛理沙が座って、涼を見て嬉しそうに微笑んでいる。
「食べてみて。感想をききたいの」
「うん」
ハンバーグに箸を入れて割ると肉汁が皿に広がる。一口食べると、肉汁がジュワっと口の中で広がる。
そして野菜サラダを食べる。ドレッシングが美味しく、口の中で野菜がシャキシャキいう。
カレーを一口食べると、涼の好きな中辛な味付けになっている。とても美味しい。
「ハンバーグも野菜サラダも美味しい。カレーは最高だね。俺好みの味付けだよ」
「よかった。たくさん食べてね。おかわりはあるから」
「うん」
愛理沙が嬉しそうに微笑んで、自分も料理を食べていく。
静かな食事……でもとても暖かくて、穏やかな食事の時間が流れていく。
料理を食べて、目の前の愛理沙の顔を見ると、常に愛理沙は涼を見て嬉しそうに笑顔を浮かべている。
「楽しい食事だ……少しの間、こんな食事を食べていなかったよ」
「私も今日の食事はすごく楽しい。また夕食を作ってあげるね」
「――――ありがとう」
2人は笑顔で時々見つめあって、微笑んでは、食事を楽しむ。
穏やかで楽しい時間は、あっという間に過ぎていく。
「あ……私、もう帰らないと……ちょっと時間を過ぎちゃった」
「そうなんだ……わかった。帰り道は俺が送って帰るよ」
「家の近くまで送って。途中で少しだけ公園で休んでもいい?」
「愛理沙の好きにすればいいよ。後片付けへ俺がきちんとしておくから安心して」
「本当?」
「本当。任せて」
2人で食事を食べ終えて、愛理沙はMA-1を着て、エプロンを紙袋の中へ片付けて、紙袋を持つ。
部屋に鍵をかけて、愛理沙を歩いて送っていく。
途中で愛理沙の持っていた紙袋を涼が持つ……洗剤などが入っているから、少し重い。
「本当はね。もう少しだけ涼の部屋に居たかった」
「うん。愛理沙だったらいつでも遊びに来てもいいよ」
愛理沙は顔を赤くして、俯きながら小さな声で呟く。
「夜……連絡してもいい?」
「いいよ……待ってる」
もう日が暮れて、空一面が星に覆われている。そして月が美しく輝き、地上を照らしている。
涼と愛理沙の2人は、いつもよりも体を近くに寄り添って、いつもの公園へ向かって歩いていく。