西松は、本気らしい。

 拓海は流れについていけずに困惑した。
 西松と鈴の関係はまだわかっていない。明らかに怪しい男なのに他の女子中学生に会わせるのは不安だった。だから拓海は途中で西松を撒こうと考えた。
 本名は知られてしまったけれど住所はまだ教えていないため、一度撒けば家までついて来る心配はなかった。

「おい、行くぞ」

 ネクタイも結び仕度を終えた西松は拓海よりも先に事務所の外に出ようとする。拓海も慌てて事務所を出て西松と一緒に新宿駅まで向かった。

 駅までの間、特に話すことはないのでお互い無言だった。
 拓海は西松の顔を横からチラチラと観察して、駅に近づくごとに西松の眉間の皺が深くなるのに気づいた。
 どうやら人の多さに苛立っているようだ。すれ違う人間も西松のオーラに慄いているのか、どことなく西松を避けて歩いていた。

 西松の様子に違和感を覚えながら、あっという間に駅まで辿り着いてしまった。拓海はどのタイミングで西松を撒くべきかわからずに、意味もなく構内をブラブラした。

「おい。電車に乗るんだろ」

 事務所を出て、西松が初めて口を開く。西松は拓海がいつも利用している鉄道会社の改札口を指差していた。
 新宿駅は多くの電車の中継地点となっていて、改札口が複数ある。それなのに西松はどうしてピンポイントで目的の改札口を差し示すことができるのか。
拓海は驚きを隠せず、西松の顔をまじまじと見つめた。

「なに驚いてんだよ。俺に下手な小細工は通用しねぇんだよ。そこで待ってろ。切符を買って来る」

 拓海は唖然として、発券機に向かう西松の背中を見送る。撒くならば今がチャンスだと思ったが、西松がどこまでの料金の切符を買って来るのか興味が出た。そして戻って来た西松は、拓海の家がある駅までの乗車券を手に握っていた。

 偶然か。それとも最初から知っていたのか。

 この男はなにか重要なことを隠していると気づいて、拓海は西松を睨みつける。当の西松はより不機嫌そうにして、行くぞとまた拓海よりも先に改札を潜った。

 ホームには人が溢れ、多くは次の電車を待って列を作っていた。拓海と西松も列に並んで電車の到着を待った。その時、西松の顔は真っ青になっていた。拓海は西松のことが心配になったが声はかけなかった。それからしばらくして、電車がホームに入ってきた。
 扉が開いて、複数の客が下車した後、拓海は早速電車に乗り込んだ。けれど西松はホームに立ったまま動こうとしなかった。

「西松さん?」

 他の客が迷惑そうに西松を避けて電車に乗り込む。拓海が動かない西松の名前を呼ぶと、西松はビクリと肩を震わせた。その顔は真っ青だった。

「やべっ、寝てた」

 西松は慌てた様子で電車に乗り込む。そしてあまりに無理のある嘘をついた。

「……西松さんは目を開けたまま寝るんですか?」

「俺くらいのレベルになったら余裕だよ」

 西松は冗談を言いながらスーツの内ポケットに手を伸ばす。そこから煙草を取り出したので、拓海はギョッとした。

「ちょっと西松さん、電車の中で煙草を吸う気ですか? ありえないですよ」

「うるせぇな。口寂しいからくわえるだけだ」

 拓海が止めようとすると、西松は舌打ちする。そして本当に煙草を一本くわえてしまった。その様子を見ていた他の乗客が明らかに引いているのがわかって、拓海は恥ずかしくなった。西松の知り合いだと思われるのが嫌で少しずつ西松から距離を置いた。

 数十分後、ようやく目的の駅に辿り着いて、西松は拓海よりも先に電車を降りた。そして改札を出てから一直線に喫煙所へ向かい煙草を吸い出した。
 一方、拓海はそんな西松を横目に駅に隣接するファストフード店に入って昼食をとることにした。

 しばらくして満足したのか、西松もファストフード店に入ってきた。そして適当に注文をした商品を持って拓海の席までやって来る。顔色はだいぶ良くなっていた。

「電車では体調が悪かったんですか?」

「ああ。ゲロをまき散らしそうだった。今も若干気持ち悪い」

「ならば家に帰って休んだほうがいいんじゃないですか?」

「俺にまたあの電車に乗れと言うのか。今度こそ吐くぞ」

「タクシーで帰ればいいと思います」

「んな金ねぇよ」

「てか、具合が悪い時に煙草を吸うと逆効果になるような気がするんですけど」

「煙草は俺の心の友なんだよ。煙草を吸っていると多くの人間が迷惑そうな顔をして寄って来ないだろ。つまり煙草一本で最高のシチュエーションを演出できる」

「確かに西松さんが煙草をくわえた瞬間、車内の人はみんなドン引きしていました」

「やっぱり煙草って偉大だな。惚れ直したわ」

「だいぶ病んでますね。人間の友達を作ったほうがいいと思いますよ」

「友達ったって、どうやって作るんだよ」

 たずねられて、拓海はどうしたら西松に友達ができるのかを考えた。
 西松は見た目からして近寄り難いし、楽しく会話ができるようなタイプではない。まず拓海自身西松と友達になりたいとは思えなかった。

「社会人になったらなかなか作りづらいものかもしれませんね。学生時代からの友達は一人もいないんですか?」

「いないな」

 西松は即答する。本当に一人の友達もいないようだった。

「もしかして学生時代にいじめられていたんですか?」

「むしろ俺がいじめっ子として有名だった」

「見た目通り最低ですね」

「お前な、目上の人間に対して色々と失礼だぞ。もっと人の気を良くさせるような話術を学べよ。そんなんじゃこの先の人生上手くやっていけないぞ」

 西松は煙草の代わりにフライドポテトを指に挟んで偉そうに言う。その言葉は特に拓海の心に響かなかった。

「駄目人間代表みたいな西松さんがある程度やれているのがわかって、将来への不安はほんの少しだけ薄れましたよ。西松さんだって生きられる。ここはそんな優しい世界なんですね」

「本当に失礼だな。まぁ、本心と口に出す言葉が一致しているのは褒めてやる」

「嬉しくないんですけど。普通に嫌味を言っているだけですから、褒められても気持ち悪いだけです」

「ここは素直に喜べよ。俺は俺以外のすべての人間が嫌いで、嫌いな人間の中にもランクがある。俺が一番嫌いなのは、笑顔で甘い言葉を囁きながら腹の中では毒を吐きまくっている人間だ。お前は口にする言葉も腹の中も毒だらけでむしろ気分が良い」

「やっぱり嬉しくないんですけど」

 西松と中身のない会話をしている間、拓海はあちこちから視線を感じていた。
 西松が目立つ容姿をしているせいか、他の客がチラチラと見てくる。離れた席に拓海と同じクラスに在籍している女子生徒が座っていて、やはり興味深そうにしていた。だけど彼女は拓海に声をかけるでもなく、目が合うと慌てて逸らしていた。
 月曜日に学校へ行けばおそらく質問責めにされるだろう。
 一緒にいた男の正体を聞かれた時、なんて答えればいいのか拓海はわからなかった。