「妹は今、病院にいます」

 西松にはもう期待しないことにして、拓海は鈴の状態を打ち明けた。すると西松は、意外そうに片眉を上げた。

「事故にあって、意識がまだ戻りません」

「それは、どんな事故だ?」

「トラックにひかれたんです。妹がいきなり道路に飛び出したそうです」

「なるほどね。つまり妹は事故の前から情緒不安定だった。今更その理由を知りたくてここに来たわけね。だけどどうしてこんなところで知れると思う。お前が知らない妹のことを、他人の俺が知っているわけがないだろ」

「全部を求めているわけじゃないんです。ほんの少しでも、手がかりを得たかったんです」

「へぇ。熱心だなぁ。まぁ頑張れよ。それで、携帯は?」

 西松は煙草を灰皿に押しつけて消す。そして少し目を光らせて拓海にたずねた。

「携帯?」

「お前の妹は事故当時携帯電話を持っていたのか?」

「えっと、事故の時は持っていなくて、家にありました。携帯電話は事故の前に壊れていて、そもそも使えない状態でした」

「へぇ。なんで壊れたんだろうな」

「ここに来る前、携帯ショップに寄りました。店員に妹の携帯電話を見せたら水没したようだと言われました」

「トイレか、風呂にでも落としたのか」

「お風呂に落としたんじゃないかと思います。妹は元々携帯に依存気味だったんです。きっとトイレにもお風呂にも持ち込んでいたはずです」

「重要なのは、落としてしまったのか。落としたのかだ」

「妹が自分で水没させたと言いたいんですか?」

「その可能性もあるだろ。めちゃくちゃムカつくメールが届いて、怒りのままに携帯を壊すのは珍しいことじゃない」

「俺はそんな経験ないです」

「俺はある。何度も携帯を壊した結果、持たないことにした」

 西松は何気なく言って、新しい煙草を口にくわえる。そしてライターの蓋を開けたものの、火を点けずに閉じた。

「携帯を持ってないんですか? なくてよく暮らせますね」

「持っていないと暮らせないほうが問題だろ。一週間くらい電源を切って過ごしてみろよ。多少の不便はあっても、他人に縛られずに済んで気持ちに余裕ができるぜ。その期間案外着信は一回もなくて、友達がいないことに気づける可能性もある」

「その事実に気づいてどうするんですか。俺だったら気づきたくないです」

「そもそも友達なんてくだらないだろ。あいつらはな、ずっと仲良くしようねとか言いながら、結局自分の利益しか考えていないんだぜ。信じた挙句振り回されて捨てられるのが落ちだ。そうなる前に無駄な繋がりを切り捨ててこそ真の勝ち組だ」

「西松さんに友達がいないのはわかりました。だけど俺の友達は西松さんが言う友達とは違います。みんな良い人なんです」

「わかってねぇなぁ。これだからガキは嫌なんだ。てかお前の妹こそ友達と思っていたやつから裏切られて情緒不安定になったんじゃないか?」

 なんとなく話していただけなのに自らも疑っていたところに辿り着いて拓海はドキリとする。
 もしかして西松は最初からわかっていたのではないかと思って、その顔を見つめた。
 当の西松は煙草に火を点け、会話に飽きたのか大きく欠伸をしていた。

「お前さ、スマートとかいうアプリを利用しているか?」

「スタートなら利用しています」

「ああ、それだ。スタート。今じゃ携帯電話を持つほとんどのやつらが利用しているらしいな。利用するのは個人の自由だから勝手にやっていればいい。だけどまるで利用してないのがおかしいみたいな風潮はどうなんだよ。みんなと同じツールを使っていることに安心し、その安心感を更に他人に押しつけることってそんなに正義か? 俺には理解できないね。男なら黙って手紙を書けってんだ」

「手紙じゃ直ぐに想いを伝えられないじゃないですか。スタートは連絡を取るのにかなり便利なんですよ。メールよりも楽です」

「だとしても直ぐに伝えたい想いってそんなにあるか? 緊急なら電話すればいいだろ」

「やり取りの内容は人それぞれだと思います。そもそもちょっとしたメッセージを手軽に送りあえるのがいいんですよ。程よいコミュニケーションになります」

「だからコミュニケーションを取りたいなら相手を前にして直接話せよ。俺は嫌だね。おはよう。おやすみ。さようならなんて文字を毎朝毎晩毎時間ちまちま打つなんて絶対無理」

「まぁ、色んな主義の人がいていいんじゃないですか。西松さんはそれでいいと思います。というか、西松さんのことは驚くくらいどうでもいいです」

「おい、お前、だんだん雑になってきたな。俺を馬鹿にしているよな」

「していませんよ。てか西松さんは、本当に鈴のことを知らないようですね。それなのに無駄なお時間を取らせてすみません。そろそろ帰ります」

 西松が再び煙草を吸い出したため、辺りに煙が充満する。拓海はいつまでもそのにおいに慣れなかった。そしてこれ以上事務所にとどまる意味を見出せなくてソファーから立ち上がった。

「次はどこに行くんだよ。マジで他の探偵事務所に乗り換えるのか?」

「最初から探偵事務所に依頼をするお金なんて持っていませんよ。お金をかけずに自分にできることをやるつもりです」

「いいお兄ちゃんだな」

「自分ではそう思いません」

「俺もほしかったよ。都合良くパシれるお兄ちゃん。で、具体的になにをやるんだよ」

「とりあえず妹の同級生と話してみます。午後会う約束をしているんです」

 昨夜、知恵にスタートでメッセージを送った。二年生まで鈴と仲が良かった三人と話をしたいと頼めば、知恵は直ぐにその三人と連絡を取ってくれた。一人は用事があるそうだが、二人は今日の午後会うことを了承してくれた。

「女子中学生か。なんかいいな。俺も一緒に行ってやろう」

「は? 普通に迷惑です。遊びじゃないんですよ。てか、子供は嫌いだって言っていたじゃないですか」

「俺は確かにガキが嫌いだ。俺以外の人間は全員嫌いというスタンスで長い間やってきた。だけど女子中学生のにおいは結構好きだ」

「余計に一緒に来てほしくないんですけど」

「まぁ遠慮するな。そうと決まったら早速行こうぜ」

 西松は吸いかけの煙草を灰皿に押しつけソファーから立ち上がる。それから全開だったシャツのボタンを一つ一つ留めて身なりを整えていた。