帰宅した拓海は適当に夕食を済ませてから鈴の部屋に入ってみた。
 鈴の部屋は白を基調とした家具が置かれ、全体的に雰囲気は明るかった。引きこもっている間もちゃんと掃除をしていたようで、拓海の部屋のように床にプリントが散乱していたり、本が積み重なったりはしていない。ベッドシーツも綺麗に整えられている。そしてなんだかいい匂いがした。

 拓海は軽く全体を見回した後、鈴の勉強机の引き出しを開けてみた。するとさっそく携帯電話を見つけて手に取った。

 画面に目立つ傷はない。とりあえず電源を入れようとしたものの、画面はいつまでも黒いままだった。
 電池が切れているのだろうと思った拓海は部屋の隅にあった充電器に携帯電話を繋げた。それから他の引き出しの中を確認して、椅子の上に置かれている鈴の通学鞄に目がついた。

 事故当時、鈴は通学鞄を持たずに学校を飛び出していた。だから現在椅子の上にある通学鞄は鈴の担任が事故後に届けてくれたものだった。
 通学鞄を開けてみると、中には教科書類と財布が入っていた。教科書をパラパラと捲ってみたところ、破かれたり、悪口を書かれたりしているということはなかった。財布の中にレシートはなくて、小銭と合わせて二千円程度のお金と一枚の名刺が入っていた。そして拓海は名刺の名前を見て首を傾げた。

“西松探偵事務所 西松彼方”

 なぜ鈴は探偵事務所の名刺を持っているのか。
 拓海はこれまでの人生で探偵事務所に足を運んだことがなければ、探偵という存在と対面したこともなかった。一方でテレビや小説の中で探偵が事件を解決するのはよく目にしていて、だからこそリアリティーのない存在だった。
 だけど、鈴は違っていたのか。
 探偵事務所の名刺が財布の中にあるからには探偵になんらかの関心、または繋がりを持っていたに違いない。
 住所からして探偵事務所は新宿にある。知恵の後輩が新宿で鈴を見かけたことともなにか関係があるのかもしれない。だとしたら、一度探偵事務所を訪れてみる価値はあるだろう。
 拓海は重要な手がかりだと思って、名刺を制服のポケットの中に突っ込んだ。そしてまた色々と漁ってみたが、他に手がかりになりそうなものは見つからなかった。

 一通りの捜索を終え、充電中だった鈴の携帯電話の電源を再び入れようとした。しかしいくら待っても電源は点かなかった。どうやら壊れているようなので修理に出すことにして、やはりポケットの中にしまった。
 拓海が鈴の部屋から出たと同時に、母親が帰宅した。

「ただいま」

「おかえり。焼きそば、母さんのぶんも作っておいたよ」

 母親は疲れた顔をして、荷物をソファーの上に置く。拓海がキッチンのほうを指差すと、申し訳なさそうに眉を下げた。

「ありがとう。ごめんね。最近、ろくに夕飯を作ってあげられなくて」

「ガキじゃないんだから、自分でできることは自分でやるよ。俺のことは気にしなくていい。それよりもこの頃ちゃんと眠れてるの? 目の下の隈、かなり酷くなってる。鈴が目を覚ました時に母さんがやつれていたら驚くと思うよ」

「明日休みだから今夜はゆっくり眠るわ。それで、午後病院に行くつもり。拓海は明日、なにか予定があるの?」

「ああ。うん。新宿に行くつもり」

「そう。誰かと遊ぶ約束でもしているの?」

「まあ、そんな感じかな」

「へぇ。拓海も最近遊べてなかったでしょ。いい息抜きになればいいわね」

 母親は話しながらキッチンに向かい、拓海が作り置きしていた焼きそばを温め直していた。新宿に行くことに特に疑問を抱いていないようで、たぶん探偵事務所のことも知らないのだろうと拓海は思った。

「ねぇ、母さん、鈴って事故の時にスマホを持ってなかったの?」

「スマホ? 制服のポケットには手鏡とハンカチしか入っていなかったわよ。鞄は後で先生が届けてくれたのは拓海も知っているでしょ。どちらにしても、携帯は家にあったはずよ。あの子の携帯、壊れていたみたいなのよ。事故のだいぶ前から使えなかったの」

 拓海が質問すると、母親は何気ない様子で答える。拓海はそんな母親の言葉に驚いた。

「は? それって、本当の話?」

「本当よ。嘘をついてどうするのよ」

「だって、壊れたなら普通は直ぐに修理に出すだろ」

「一応は本人に修理するか新しいのを買うかどうするのって聞いたわよ。でも家から出ないから必要ないって言われたのよ。なにかあったら、家の電話を使えばいいってさ」

「俺、全く知らなかった」

 拓海はポケットの中の携帯電話を握り締めた。
 そういえば、最近鈴に電話もスタートもしていなかった。家に帰れば鈴がいて、直接顔を合わせてそれなりに言葉を交わしていた。だけど学校の話題は避けていて、中身のない会話しかしていない。携帯電話にあまり触っていないことに気づいていても、まさか壊れているとは思ってもいなかった。

「私も直ぐには気づけなかったわ。あの子の携帯に電話をしたのに繋がらなくて、だから本人に問い詰めたらやっと話してくれたんだけど、それで喧嘩になっちゃったの。どうして早く言わないのよって叱れば、鈴は言いたくなかったんだよと逆ギレしちゃってね。学校に行かない理由を聞いても黙るか怒るだけだったし、反抗期なのかしら。小学生の頃はなんでも話してくれたのに、中学生になったら話す時間が一気に減っちゃった。きっとこれからもどんどん秘密が増えていくのね。しかたないことだとは思うけれど、やっぱり寂しいわ」

 母親は温めた焼きそばをテーブルの上に置いて席につく。そして箸で麺をほぐしながら大きなため息をついた。

「鈴はもう小さな子供じゃない。鈴には鈴の世界がある。だからあんまり干渉してはいけないってわかっていたのよ。そしてなるべくそっとしておくことにしたけれど、今は間違っていたのかもしれないと思う。もっと上手く支えてあげる方法があったはずなのよ」

「俺が言うのもなんだけど、なにかするのは、今からでも遅くないんじゃないかな。鈴は別に、母さんのことが嫌いだったわけじゃないと思う。ただ素直になれないだけだったんだ。目が覚めたら、もう一度聞いてみなよ。今までなにに悩んでいたのか。例え答えてくれなくても、傍にいてやればいいと思う。実は俺も後悔しているんだ。今度はもっと真剣に鈴と向き合ってみるよ」

 母親の箸は進まない。目の下に隈があるだけじゃなく全体的に小さくなったように見える母親のことが拓海は心配だった。だから少しでも元気になってもらいたくて、普段なら照れくさくて言えない本心を口にした。

「もしかして、お母さんを慰めてくれてるの?」

「慰めになるといいけど」

「十分よ。拓海、色々とごめんね。一緒に、頑張ろうね」

 拓海は当然だと頷く。それから母親と軽く学校の話をしてから自分の部屋に戻った。