拓海が帰宅した数時間後、事務所の電話が鳴り出した。
西松はソファーから立ち上がり、背伸びをする。それから咳払いをして喉の調子を整えた後に受話器を取った。
「はい。西松探偵事務所です」
『いつもお世話になっています。秋山です』
電話に出ると低い声の男が名乗る。男、秋山は西松のビジネスパートナーだった。
『これから少女を一人向かわせたいのですが、よろしいでしょうか?』
「名前と年齢はわかりますか?」
『残念ながら全く口をきいてくれない状態です。おそらく高校生で、家出だと思いますが、所持金はありませんでした。駅前でガラの悪い男たちに絡まれているのを保護しました』
「なるほど。わかりました。あとはお任せください」
『どうかよろしくお願いします。それでは失礼致します』
事務的なやり取りを終えて、秋山は直ぐに通話を切る。西松は受話器を置いてほとんど無意識に舌打ちした。
秋山は普通に会話をしているつもりなのかもしれないけれど、怯えているのが伝わってきた。もう何百回も同じやり取りをしているはずなのに全く慣れていなくて呆れた。
秋山という男はとある慈善団体に所属していた。西松は一度秋山を事務所に招いて直接話したことがあった。その時自身の能力の説明をして、以来秋山は必要最低限にしか接触して来ない。ただその必要最低限が多過ぎた。
西松と秋山はビジネスパートナーで、どうしても関わらずにはいられなかった。そしてなんだかんだお互いの利益は一致し、秋山との付き合いは地味に長い。だからもう少し慣れてもいいのではないかと西松は不満に思う。電話越しで思考は覗けないと何度も伝えたのに、秋山が態度を変えることはなかった。
秋山のことはともかく、これから客が来る。
西松は頭を切り替えて、事務所の中を見渡した。
ビルが古いのはしかたないが、どこも比較的綺麗に片付けられている。床にゴミは落ちていないし、窓ガラスもピカピカだった。きっとトイレも問題ない。事務所が綺麗なのはすべて拓海のおかげで、なぜか西松が誇らしい気持ちになった。それから西松は一応喚起をしておこうと窓を開け、なんとなく外の様子を眺めた。
日が沈むタイミングで街にはいくつもの光が灯りだす。ビルに面する道路は帰宅する人間と通勤する人間で賑わっていた。
西松が窓の外に視線を向けたまましばらくの間ボーっとしていると、ビルの前に一台の車が停まった。
車の後頭部座席の扉が開いて、一人の少女が降りて来る。少女は運転席にいる人間となにか言葉を交わした後、ビルを見上げた。
自然と、西松と少女の目が合う。
西松はこいつが客かと、少女の顔をしばらく見つめた。少女も西松からなかなか目を逸らそうとしなかった。
少女と西松が見つめ合っている間、車は発進して去ってしまった。
「上がって来いよ」
少女は無表情で、だけどビルの古さと西松の姿に驚いている。いつまでもそこに立たせておくわけにはいかないので、西松は少女に声をかけた。少女は西松に言われると少しだけ肩を震わせて、階段のほうに向かった。
しばらくして、事務所の扉が開いた。少女はキョロキョロと事務所の中を見回しながら西松の元にやって来た。
「とりあえず、ソファーに座って」
少女は素直にソファーに座る。西松が珈琲でも飲むかと聞いたら、小さく首を横に振った。西松はあっそうと言って、テーブルを挟んで少女の向かい側にあるソファーに腰を下ろした。
「で、名前は?」
少女が何者であるか、西松はまだ知らない。だから名前をたずねてみたが、少女はじっと西松を見つめるだけで答えなかった。
「あんたを保護したおっさんは、秋山って名前で間違いないよな?」
質問を変えても、やはり反応はない。だけどあまり気にせずに西松は話を続けた。
「あのおっさんにも名前を教えなかったって聞いたけど、なんのつもりなの? 人に迷惑をかけて楽しいの?」
話しながらも、少女の容姿を観察する。
長くてサラサラの黒髪に適度に短い制服のスカート。カラコンを入れているのか黒目が大きくて、まつ毛は綺麗に上を向いていた。
比較的清潔感があるどこにでもいそうな女子高生で、特別に道を外している感じはしなかった。だけど補導された以上、なんらかの問題を抱えているのは確かだろう。