「体育の時間、加賀美さんは教室に戻った。山田先生も、見ていた。だったら、加賀美さんしかいないじゃないの」

 三組の教室は二階の突き当たりにある。四組の教室に隣接する廊下を横切らなければ、三組には行けなかった。だから山田先生の証言は重要だった。

「その時間に教室に戻ったのは加賀美さんだけかもしれない。それを山田先生に目撃されていた。それで、どうして加賀美さんが財布を盗み出したと言い切れるんですか? 他の生徒も、山田先生も、加賀美さんが佐藤さんの財布を盗んだ瞬間を見ていたわけではないんですよね? 決定的な証拠はないのに、どうして加賀美さんがやったと決めつけられるんですか?」

「ごちゃごちゃ考えなくても、これまでの話を聞いていればわかるでしょ。加賀美さんしかいないのよ。その時盗めたのは、加賀美さんだけなのよ」

「本当に、そうですか? もっと冷静になってください。ちゃんとみんなの声を聞いてください」

「だから、昨日のうちにスタートでみんなの話を聞いて結論を出したのよ」

「それが駄目なんです。スタートを使うんじゃなくて、相手の目を見て、生の声を聞くべきだったと思うんです。スタートの内容が、どうしてすべてだと思えるんですか? 嘘をついている人。適当に答えていた人。相手の目を見てやり取りをしていれば、ちゃんとなにが真実なのか気づけていたと思います」

「もう、なんなのよ。意味がわかんない。頭痛がしてきた。町村さんは事件の時学校にいなかったんだから、余計な発言をして混乱させないでほしいわ。あなたはただでさえクラスに迷惑をかけているのよ。だから黙っていなさい」

「黙ってなんかいられません。それに、いなくたって、わかりますよ。加賀美さんは、無実です」

「あなたこそ、どうしてそう言い切れるのよ。もしかして他に犯人がいると思っているの?」

「いいえ。犯人なんて、どこにもいないと思っています」

「ほんと、なにを言っているのよ」

「犯人なんて、いないんです。それなのに先生は、最初からない罪を加賀美さんに着せようとしている。そんなの、いけないと思います」

「あー、もういいわ。わかったわよ。言いたいことは、なんとなくわかったから、もう十分よ。町村さんって、前から被害妄想が激しいところがあったわよね。事故にあってから、より精神的に不安定になってしまったんでしょ。他人の問題と、自分の問題の区別がつかなくなってしまっているんじゃないかしら。仲が良かった加賀美さんを助けたいという気持ちはわかるわ。けれどこんなやり方では加賀美さんを救うことはできないのよ。大丈夫。私がちゃんとフォローするから。私だって、加賀美さんのことを心配しているのよ。町村さんは、自分自身のことを考えて。体調が悪いならば、今からでも保健室に行ってきなさい。今日も早退していいわよ。帰る時は、くれぐれも車に気をつけなさいよ」

 いきなり口出しをされて担任が苛立っているのが鈴にはわかった。ただ亜里沙にするように強くは出られないようだ。登校拒否のことや事故のことがあってか、担任は腫物を扱うように鈴に接していた。そんな表面的な対応を、いったいいつまで続ける気なのか。どうせ感情を隠しきれないならば、いっそのことはっきりと言ってしまえばいいのにと鈴は思った。

 鈴はもう知っているのだ。担任が、普段なにを考えて生きているのか知ってしまっていた。

(――面倒くさい生徒がいるの)

 あの日。鈴が久しぶりに登校した日。普段生徒たちの前では絶対に口にしないだろう担任の声が聞こえた。鈴はその面倒くさい生徒は自分なのだと気づいて、頭の中が真っ白になった。
 友人同士で悪口や陰口を言い合うのは、必ずしも珍しいことではない。声の種類は違っていたけれど、鈴はこれまでの人生で友人から悪口を言われたことが何度もあった。その時はやはり傷ついて、だけどちゃんと割り切ることができていた。
 スタートの声が聞こえるようになって、内容以前に現実を受け入れるのに時間がかかった。ただでさえ混乱している中で聞こえる友人たちの悪口に酷く傷ついた。それでもなんとか乗り切らなければいけないと思って、頭に浮かんだのは母親と拓海と担任の顔だった。
 母親と拓海にはただでさえ心配させていて迷惑をかけたくない。だからあの日、担任に相談しようと決めて登校したのだ。そして耳に入った担任の声は鈴を絶望させるのに十分だった。
 パニックになった鈴は学校を飛び出して、トラックにひかれた。そして病室で目を覚ました時、生まれ変わったように感じた。だけど実際は生まれ変わってなんていなかった。
 時間が進んでいたとしても、状況はあまり変わっていなかった。それから自分自身が変わるしかないのだと西松から教えらえて、また教室に戻ってきた。
 前とは違って、今の鈴にはちゃんと逃げ場があった。誰かの言葉に傷ついたら、西松の元に向かえばいいと思っている。西松はもっとひどい言葉を投げかけてくるかもしれないけれど、言い返してやればいいのだ。

 そう、言い返してやればいい。