「残念よ。このクラスの生徒が盗んだなんて、信じたくなかった。本当は、本人が正直に打ち明けてくれればいいと思っていたんだけど、本人から連絡はなかったわ」

――ヤバいヤバいマジでヤバい
  ほんとヤバいんだけどどうしよう

 財布を盗まれた被害者である佐藤が、隣のクラスの生徒にスタートでメッセージを送っている。

――もしかして修羅場ってる?

 直ぐに相手から返信があって、佐藤も机の下で素早く手を動かしていた。

――うんヤバい超修羅場ってる
  空気ヤバい
  私超被害者扱いで心が痛い。

――結局ただの勘違いだったのにどうするつもりなの?

 鈴は佐藤たちのスタートの会話を聞いて、佐藤の背中を二度見した。
 佐藤は背中を丸めて、一見は元気を失くしているようだった。だけどスタート上の佐藤は、教室の誰よりもはしゃいでいた。

「私から送ったメッセージは既読無視。電話にも出なかった。それはつまり、弁解できないということなのかしら」

 佐藤たちのスタートの内容に気づいていない担任は、深刻そうな顔をして話を続ける。佐藤はその間も携帯電話を弄るのを止めなかった。

――それ秘密だよ
  絶対に誰にも言っちゃ駄目だよ
  財布は普通に家にあったって今更みんなに打ち明けられないよ

「あの時間、忘れ物をしたと一人で教室に戻っていたそうね。四組で授業をしていた山田先生も、あなたのことを目撃したと言っていたわ。あの時間は、あなただけしか廊下を歩いていなかったって教えてもらったの」

――てか騒ぎになった時に家にある可能性は少しも考えなかったの?

「私と、佐藤さんと、あなたの三人だけで話をつけられる問題じゃない。クラスメート全員が知っている。だからこの時間に、みんなの前で、あなたは謝罪する必要があるのよ。あなたのためにも、ここでしっかりこの問題を終わらせたほうがいいのよ」

――だって昨日に限って大金が入っていて見当たらなくて焦ったんだもん

――確かに九千円がなくて焦るのはわかるよ
  あんたが昨日財布を忘れたせいでライブのチケット買えなかったし最悪だった

――ほんとごめんって
  だけどまだチケットは余っているみたいで良かったじゃん

――そういう問題じゃない

――埋め合わせは今度する

――埋め合わせをすべきなのは私にじゃないでしょ

「ねぇ、加賀美さん、悪いのはあなたなのに、どうして私をそんなに睨みつけているの?」

――そうだね
  加賀美さんごめんなさいって心の中ではもう何百万回も謝ってるよ

――心の中でいくら謝罪したって加賀美さんには永遠に届かないから
  加賀美さんほんとに可哀想
  犯人扱いされたことに傷ついて学校に来なくなるかもね

――それマジで困るわ
  だけど私には今ここで真実を打ち明ける勇気はないんです
  本当のことがバレたら私こそ学校に行けなくなる
  だから絶対に誰にも言わないでよ。

――言わないよ
  私には直接関係ないことだしね

――ほんと頼むよ
  あんたのこと信じているからね
  私たちは一生親友だよ
  困った時はお互い様なんだよ

――都合の良い時だけ親友面するなし
  とりあえず放課後なにか奢ってね

「加賀美さんがなにをやったのか、もうみんな知っているのよ」

 被害者とされている佐藤に目を向けている者はいない。亜里沙に教室中の視線が集まっている。亜里沙はクラスメートの視線を流して、担任のことだけを睨みつけていた。
 斜め後ろから見える亜里沙の横顔を見て、鈴は小さく息を呑む。その眼差しから亜里沙の強い意志を感じ取った。亜里沙は逃げずに担任と向き合おうとしていた。

「加賀美さん、立ちなさい」

 担任に言われても、亜里沙は動かない。鈴は机の下で握られた亜里沙の拳が震えているのに気づいた。
 いくら戦う意思があっても、亜里沙には身の潔白を証明する術がなかった。
 違うと言ったところで、きっと誰も信じてくれない。それがわかっているからこそ、亜里沙はなにも言わないのだろう。それでもこのままというわけにはいかない。
 ならば亜里沙はどうするべきなのか。
 鈴は前日の自分と亜里沙の姿を重ね合わせて、誰かに助けてほしいと強く願っていたことを思い出した。

 亜里沙と担任がにらみ合っている間に、雨脚が更に激しくなる。佐藤はまだスタートでやり取りをしていたけれど、その内容はもう鈴の耳に入らなかった。それよりも、次に担任が発する言葉が気になった。そして亜里沙が最初になにを言うのか、聞き逃さないようにと耳を澄ませた。

「佐藤さんに、謝るの」

 耳の奥が、キンと鳴る。担任の声は、今まで聞こえたどんな声よりもかき消したい声だった。
 担任を筆頭に佐藤を除いたクラスメートは亜里沙が犯人だと決めつけてしまっている。そんな中真実を知ってしまった鈴は、やっぱり机の下で拳を握り締めた。そして亜里沙に同情する以前に、担任への怒りが抑えられなくなっていた。

「ほら、早く! 加賀美さん! みんなの前で謝罪しなさい!」

「先生!」

 鈴は机を両手で叩いて、席を立ち上がった。
 担任が、亜里沙が、他の生徒が、驚いたような表情で鈴を見た。

「町村、さん? いったいどうしたの?」

 担任は顔を引きつらせて鈴にたずねた。

「加賀美さんを一方的に責めるのは、おかしいと思います。どこに加賀美さんが財布を盗んだ証拠があるんですか?」

 鈴の考えはまとまっていなかったけれど、自然と口が動いた。
 言葉と一緒に、これまで溜め込んでいたものが噴き出るのを感じた。