「鈴、やっぱり具合が悪いのか?」

 拓海は鈴の顔を覗き込み、優しい声でたずねる。鈴は首を小さく横に振った。そしてもう限界だと思った。

「……違う。ただ、西松さんに会うのは、無理っぽい」

「せっかくここまで来たのにどうしてだよ」

「むしろ、私のほうが不思議だよ。お兄ちゃんは、どうして西松さんと普通に会って、話せるの?」

「どうしてって、あの人は、結構おもしろい」

「おもしろいって、なにその理由。お兄ちゃんは、もっと警戒したほうがいいよ。西松さんはさ、危険なんだよ。なにを企んでいるのかわからないのに、こっちのすべては知られてしまう。それって、怖過ぎると思わない?」

「だったら、なんでここに来ようと思ったんだ。鈴が自分で来たいって言ったんだろ。西松さんに教えてもらいたいことがあったんだろ。あの言葉は嘘だったのか?」

「嘘じゃない。だけど、簡単なことじゃなかった。気合いでは、どうにもならない。私、今、ものすごく怖いの。西松さんに、心の中を見られてしまうのが怖くてしかたない」

「てか、そんなの今更だろ。俺なんて、いつも垂れ流しだ。それでよくからかわれている」

「だからどうしてお兄ちゃんは平気でいられるの? 心を、読まれるんだよ。全部、知られてしまうんだよ。私は、そんなの耐えられない。ここに来るまでは、なんとかなるかもって思ってたけど、やっぱり無理だよ。もう嫌だ。なにもかもが嫌だ。どうして私ばっかりこんな想いをしなきゃいけないんだろう。声さえ聞こえなければ、西松さんの存在も知らずにいられたのに。友達だって、失わずにいられたはずなのに。こんなに、こんなに怖い想いをせずに済んだのに」

 鈴は勢いのまま感情をはき出す。拓海は唖然とした顔で聞いていた。鈴はそんな拓海を見て、この人は本当に心を読まれることに抵抗がないのだと気づいた。
 同じ兄妹なのに、どうしてこんなにも違うのか。もしもスタートの声が聞こえるのが拓海だったとしたら、もっと上手く振る舞っていたのだろう。
鈴は西松だけじゃなく、自分とはあまりにも違い過ぎる拓海のことも怖くなってきた。
 鈴と拓海が見つめ合っていると、頭上から窓が開く音がした。

「おい、お前ら、そんなところでなにをしているんだよ」

 鈴と拓海は視線を上に向ける。三階の窓から、西松が顔を出していた。そしてニヤニヤと笑みを浮かべながら二人にたずねた。

「まぁ、なにをしていたかなんて、既に知っているんだけどな。残念なことに、すべて筒抜けなんだよ。隠そうとすればするだけ、心の中で考えていることが強く伝わってしまっているぞ」

 言われて、鈴はその場から駆け出したくなった。けれど拓海に手を掴まれたままで、かなわない。せめてもの抵抗をと、視線を足元に落とした。西松はそんな鈴の行動がおもしろいのか、ケタケタと声を出して笑った。

「そうかそうか。そんなに俺が怖いか。俺としてはなかなか愉快な展開だ。久しぶりに楽しくてしかたない。いいぞ。もっと怖がれ」

「ちょっと、西松さん、心の声が聞こえてしまっているにしても、聞こえない振りをするとか、大人の対応はできないんですか? ただでさえ怖がっている鈴を余計に怖がらせないでください」

 鈴はなにも言い返せずに、地面を睨みつける。鈴の代わりに拓海が西松に文句を言った。

「できないんじゃない。しないんだよ」

「だとしたら最悪だろ」

「俺が最悪なことなんて、それこそ最初から知っていただろ。で、俺が最悪だとして、拓海だってどうなんだよ。妹が傷つくとわかって、どうしてここに連れて来たんだよ」

「それは」

「ああ。言わなくても、わかってる。鈴本人がここに来たがっていたんだ。俺と自分を比べて、自分のほうがマシだと思えれば前向きになれるような気がしていたんだろ。お前ら兄妹似ているな。拓海も一見駄目人間な俺がそれなりに生き延びているのを知って、自分もあまり肩に力を入れなくても生きられると安堵していた。それにしてもお前らさ、どうして俺を下に見たがるんだよ。俺とお前らは、本来比べものにならないほどの差があるんだよ。マシもなにもあるか。そもそも上か下か根拠のない格付けをして空しくならないのかよ」

「えっと、あの、俺は……」

 拓海は指摘されて、言葉を詰まらせる。鈴は自分のことを言われる以上に、拓海が悪く言われているのが心苦しくなった。

「それにしても、ガキのお守りは大変だな。たいして可愛くねぇガキに振り回されてばかりの拓海には同情するよ。珈琲でもご馳走してやる。上がって来いよ」

「……鈴は?」

「放っておけ。そいつはショックを受けてしばらくは動けないだろう。バイトが終わる時間までそこに放置しておけばいい」

「そんなこと、できるわけがないです。鈴を連れて、一旦帰ります」

「へぇ。そうかよ。改めてお兄ちゃんって大変だな。ほんと、同情するわ。というか、鈴、お前、兄貴に迷惑をかけているという自覚があるのか? 兄貴のためにとっととそこから消えろよ。いくらガキでも中学生なんだろ。だったら一人で家に帰れるはずだ。それともママを呼び出すか? ならば電話を貸してやるよ。ママー助けてーって泣きながら電話してみろよ」

 西松のふざけた言葉は、鈴と拓海だけの耳に届いているわけではない。
 西松が事務所の窓から顔を出してから通行人の視線が集まるのを鈴は感じていた。
 あいつらはいったいなんの話をしているのだろうか。それぞれどういう関係なのか。
 好奇心を隠さない視線に、背中が、胸が、痛くなる。
 目立つのは西松にとっても良くない状況なのではないかと思うけれど、西松は止まらなかった。

「ここまで一方的に言われても、だんまりか。黙っていれば済むと思っているなら、大きな間違いだぞ。望みがあるのならば、声に出さなきゃ意味がないんだよ。この世でお前の心情を懸命に察してくれるのは兄貴や母親ぐらいだからな。多くの人間は、お前なんかに興味はないんだよ」

 西松の声は、大きかった。たぶん、わざと大きく話している。いったい誰に聞かせたい声なのか。