なんの希望も持てずにベッド脇の椅子に座ってボーっと鈴の顔を眺めていると、突然病室の扉が開いた。

「あっ」

 拓海は扉のほうに目を向けた。
 扉を開けたのはミルクチョコレート色の制服を着た少女だった。
 少女は拓海を見て声を上げ、固まってしまった。中に誰かがいるとは思ってもいなかったようだった。

「どうぞ」

 拓海は固まっている少女に声をかけた。少女は一瞬ためらうような仕草をして、小さく頭を下げた後拓海の傍までやってきた。

 拓海は椅子に座ったまま、ジロジロと少女を観察した。
 肩にかかるくらいの黒髪を二つに結び、眼鏡をかけた少女は頭が良さそうに見える。制服のシャツの第一ボタンをしっかりと留めているし、リボンに緩みもない。
 見た目の印象は悪くないけれど、拓海はどうしても少女に先入観を持たずにいられなかった。

「あの、鈴さんのお兄さんですか?」

「はい。兄の、拓海です。君は鈴の友達だね。いつも鈴がお世話になっています」

 お世話になっているというのは嫌味だった。
 少女は拓海に言われて、気まずそうに貧乏揺すりをしていた。

「えっと、私は鈴さんと同じクラスの、石神知恵です。今日は、千羽鶴を持ってきました。クラスのみんなで、鈴さんのために折ったんです」

 少女、石神知恵は持っていた紙袋から千羽鶴を取り出す。そして拓海に差し出した。
 拓海は千羽鶴を一瞥して、隅に置いといてと投げやりに言った。知恵は困ったような顔をしながらも頷いて、素直に部屋の隅に千羽鶴の入った紙袋を置いていた。

「毎日友達が来ているって看護師が言っていたけれど、それって石神さんのことなの?」

「えーっと、私が毎日来ているわけじゃなくて、クラスメートみんなが順番で来ることになっているんです。私は一週間前に一回来て、今回が二回目です」

「それって、担任からの提案?」

「いえ、違います。先生から指示されたわけじゃなくて、みんなが自主的に決めたことなんです。大勢で押しかけるのは迷惑だろうから、毎日一人か二人で来ることになっているんです」

「一回目はともかく、二回目、三回目となると、面倒になってくるんじゃないの?」

「少なくとも私は、面倒なんて思っていません。鈴さんに、早く良くなってもらいたいです」

 それまで控えめにしていた知恵が、心外そうに反論する。そんな知恵を見て、拓海は鼻で笑いたくなった。
 拓海が思うに、少女たちは保身のために病院に足を運んでいた。教室でいじめられていた鈴が思いがけず深刻な事態になって、一応は心配な振りをしていないと不味いと思っているのだろう。自分たちがやっていたいじめが表沙汰になった時のためにも、良い子な一面を見せておく必要があるのだ。
 きっと知恵だって例外ではない。一見は良い子そうな知恵も内心ではなにを考えているのかわからなかった。

「だけど、誰も、来なかったじゃねぇか」

 拓海は知恵が病室に入ってきてからイライラしていた。ここで知恵を責めても意味はないと思いつつ、つい口が動いた。

「えっ?」

「鈴が学校に行かなくなってから、誰も鈴を迎えに来てくれなかった」

「……それは、家を、知らなかったし……」

「んなの、言い訳になるかよ」

「……すみません」

 知恵は眉を下げて、謝罪する。その瞬間、拓海の苛立ちもおさまってしまった。
 拓海は大人げない自分に呆れた。
 実際に学校でなにが起こっていたのかを知らない。鈴が本当にいじめられていたとして、知恵が首謀者とは思えなかった。鈴を助けてくれなかったことに怒りを覚えるが、最も責めるべきなのは首謀者だった。
 とにかく、具体的なことを知らない内に誰かを責め立ててはいけない。
 拓海は軽く深呼吸をして、冷静になろうと努めた。

「悪かった。ちょっと、イライラしていて、ついあたってしまった」

「いえ。鈴さんのためになにもしてこなかったのは本当なので。なにか、できたはずなのに。今になって後悔しています。本当に、すみませんでした」

 拓海が謝ると、知恵も再び謝罪してくる。
 謝罪されると謝罪されるだけ、拓海は知恵にあたった自分が嫌になった。

「ねぇ、学校でさ、鈴ってどんな感じだったの?」

「明るくて、おもしろい子でした」

「俺が昔から知っている鈴も、明るくておもしろいやつだった。なのに、どうしてこうなっちゃったんだろうな」

 拓海が言うと、知恵はなんとなくでも理由を知っているのか唇を噛みしめていた。
 それから沈黙が続いて、拓海はいい加減居心地が悪くなった。
 千羽鶴を持ってきて知恵は役目を終えたはずなのに、なかなか病室を去ろうとしない。もう知恵の相手をしたくない拓海は、ポケットから携帯電話を取り出して誰かからメッセージが届いていないかを確認した。
 母親から一件の着信があり、友達から複数のメッセージが届いている。母親からの着信はおそらく帰宅が遅くなるという連絡だろうと予測した。そして友達からのメッセージは、新発売のコンビニのお菓子が美味いとか、漫画を貸してくれとか、くだらない内容だった。

「あ、あのっ」

 拓海が友達にメッセージを返していると、それまで黙り込んでいた知恵が口を開いた。

「なに?」

「あの、私は、鈴さんと同じグループにいたわけじゃなくて、特別に仲が良かったわけでもないです。それでもたまに鈴さんと話すことがあって、私、嬉しかったです。鈴さんは、クラスの中心的な人物の一人でしたから。私なんか釣り合わないと思っていたけれど、鈴さんは地味な私の前でも態度を変えることなく接してくれました」

 いきなり語り出した知恵に戸惑いつつ、拓海は話を遮らずに続きを待つ。知恵は言葉を選びながら、一生懸命話しているのがわかった。

「私、鈴さんのことが好きでした。憧れていました。だから、鈴さんが学校に来なくなった時、なにがあったんだろうってすごく気になっていたんです。でも、鈴さんと同じグループの人達は鈴さんがいなくても普通にしていました。それが、不思議でした。鈴さんがいないのが当然であるような顔をしていたんです。鈴さんが学校に来なくなった原因を知っているとしたら、彼女たちだと思いました。だけど彼女たちは鈴さんのように私と普通に会話をしてくれるような人たちではなくて、話しかけても無視されて、結局鈴さんが学校に来なくなった理由を知ることはできていません」

 いじめの主犯は、鈴が以前一緒に行動していたグループの人間なのだろうか。