鈴と拓海がお互い小学生だった頃、鈴は拓海よりも身長が高かった。けれどここ数年で、拓海の背はグンと伸び、いつの間にかもう一生埋められないだろう差をつけられてしまった。
鈴は拓海の急激な成長に内心焦っていた。
高校生と中学生。兄と妹。男と女。
いろんな差ができるのは当然なのに、簡単には認めたくなかった。だから懸命に背伸びをして、派手な友達とつるみ、拓海が経験したことがないようなことに挑戦して、拓海はガキだと馬鹿にしていた。
今改めて拓海の背中を見つめて、鈴は唇を噛み締めた。
目の前にいる男は、決して特別な男ではない。誰もが振り向くほど格好良いわけじゃないし、頭が良いわけでもない。身長が伸びたとはいえ男子高校生の全国平均くらいでとどまっている。運動もほどほどにできるレベルで、なにかものすごくすぐれた特技があるわけでもない。
それでも鈴は、拓海にかなわなかった。
「ねぇ、お兄ちゃん」
「なに?」
鈴にはもう一つ拓海に聞きたいことがあった。
西松は鈴にない能力を持っている。鈴が拾えるのはスタートで送られるメッセージだけだけれど、西松はスタートを介さずとも人の心の中で考えていることを拾うことができた。鈴はスタートでの内容を勝手に覗いておきながら、自分のそれは覗かれたくないと思っている。言葉や文字にもしたくない心の中を覗かれているなんて問題外だ。西松にお礼を言わなければと思いながら、鈴が西松の元に行かないのは、西松にすべてを知られてしまうのが怖いからだった。
だけど、拓海は、どうなのだろう。
西松に心を読まれるのが、怖くないのか。
「……今日の放課後も、バイトだよね?」
なぜか答えを聞くのが怖くて出かけた質問をつい呑み込む。そして口に出た鈴の質問に、拓海は不思議そうに目を細めた。
「ああ。そうだけど」
「西松さんの事務所で、いつもなにをしているの? 本当に電話番をしているの?」
「電話番をしているのは確かだが、電話は基本的にかかってこない。あとは掃除とかをちょこっとやって、主な仕事は西松さんのお守りだよ。あの人友達がいないから、俺を都合の良い話し相手にしているんだ」
「それって仕事なの?」
「どうだろう。謎だよ。時々、俺はいったいなにをしているんだろうと思う。無性に西松さんを殴りたくなることがあるんだ。あの人は、最低な雇用主だ。きっと人の上に立つべき人間じゃない。だけど、人の下でも働けない。金持ちは好きじゃないけど、あの人に限っては働かなくても困らないレベルの財産があって良かったなって思う」
拓海は空を見上げて、ため息をはく。どこか疲れた表情をしていて、拓海の人生も必ずしも順調というわけではないようだった。
「さっき言ってた、お礼の手紙、書こうかな」
「そうか。たぶん喜ぶよ。あの人、郵便受けを覗くのが好きなんだ。だけど届くのはダイレクトメールばかりでいつもキレてる。友達はいないくせに、なにを期待しているんだか」
「それこそお客さんからのお礼の手紙を待っているんじゃないのかな」
「俺があそこで働き始めて、たったの一人も客なんて来ていないけどな。依頼は受けない主義だと本人が宣言していたし、見事に貫いている」
「西松さん、よく事務所なんて経営していられるね」
「ほんと、不思議なもんだ。こんなんでいいのかと見ていて不安になるけれど、あんなふうに適当でもそれなりに生きていけるとわかってなにかと前向きに考えられるようになったんだ」
「西松さんから色々学ぶのはいいと思うけど、くれぐれも西松さんのようにはならないでよね」
「なりたいなんて思わねぇよ。なりたいと思ったところで、なれねぇよ」
拓海と話しながら歩いていると、鈴が通う中学校の校舎が見えてきた。そして鈴と同じミルクチョコレート色の制服を着た生徒たちの姿も目につくようになった。
鈴は少し緊張しながら、知っている顔がいないかと周りの生徒を確認していた。また生徒たちのほうも鈴のことを気にしていた。
中学は女子校なため、男子高生と歩いている鈴は悪目立ちしてしまっていた。拓海も視線が集まっているのに気づいているのか、居心地が悪そうに顔をしかめていた。
「お兄ちゃん。もうこの辺でいいよ。校舎も見えているし、一人で行けるから」
「駄目だ。せっかくここまで来たんだから門まで送る」
「察してよ。いい加減恥ずかしいから、一人になりたいんだよ」
「兄妹でなにを恥ずかしがる。もっと堂々としてろ。俺たちに後ろめたいことはなにもない」
「お兄ちゃんってさ、変なところで頑固だよね」
「鈴だってそうだろ」
「そうかな。だとしても、お兄ちゃんほどじゃないと思う」
「どっちもどっちだろ。俺たち、結構似ているよ。母さんも似ているって言っていた」
「まぁ、兄妹だからね。だけど、全く違う人間だよ。私はお兄ちゃんとは違う」
あともう少しで門に辿り着く。これまでは順調に進んでいたのに、鈴は足がだんだん重くなるのを感じた。その場に止まってしまいたかったけれど、止まったら終わりだと意地で前に進んだ。
「鈴、顔色が悪いぞ。もしかして、今、聞こえているのか?」
「……クラスメートがスタートでメッセージを送ってる。町村鈴が、学校に来ているって」
「なんだよそれ。どうせなら謎のイケメンと一緒だという情報を拡散しろよ」
「私のことを知らない生徒たちはともかく、クラスメートにはお兄ちゃんなんて見えていないんだよ。彼女たちにとって重要なのは今日私が登校してきたことだからね。てか、イケメンとか、笑ってほしいの?」
「笑いたきゃ笑え。くそっ。俺が西松さんみたいな容姿だったら、もっとざわめくんだろうな」
「西松さんと登校したら先生に呼び出されそうだよね。別の意味で問題だよ」
「今度召喚してやってもいいぞ」
拓海は鈴の緊張をほぐそうとしているのかおどけて話す。
おかげで鈴は少しだけ気を紛らわすことができた。そしてついに校門に到着して今度こそ拓海と別れた。
鈴は拓海の急激な成長に内心焦っていた。
高校生と中学生。兄と妹。男と女。
いろんな差ができるのは当然なのに、簡単には認めたくなかった。だから懸命に背伸びをして、派手な友達とつるみ、拓海が経験したことがないようなことに挑戦して、拓海はガキだと馬鹿にしていた。
今改めて拓海の背中を見つめて、鈴は唇を噛み締めた。
目の前にいる男は、決して特別な男ではない。誰もが振り向くほど格好良いわけじゃないし、頭が良いわけでもない。身長が伸びたとはいえ男子高校生の全国平均くらいでとどまっている。運動もほどほどにできるレベルで、なにかものすごくすぐれた特技があるわけでもない。
それでも鈴は、拓海にかなわなかった。
「ねぇ、お兄ちゃん」
「なに?」
鈴にはもう一つ拓海に聞きたいことがあった。
西松は鈴にない能力を持っている。鈴が拾えるのはスタートで送られるメッセージだけだけれど、西松はスタートを介さずとも人の心の中で考えていることを拾うことができた。鈴はスタートでの内容を勝手に覗いておきながら、自分のそれは覗かれたくないと思っている。言葉や文字にもしたくない心の中を覗かれているなんて問題外だ。西松にお礼を言わなければと思いながら、鈴が西松の元に行かないのは、西松にすべてを知られてしまうのが怖いからだった。
だけど、拓海は、どうなのだろう。
西松に心を読まれるのが、怖くないのか。
「……今日の放課後も、バイトだよね?」
なぜか答えを聞くのが怖くて出かけた質問をつい呑み込む。そして口に出た鈴の質問に、拓海は不思議そうに目を細めた。
「ああ。そうだけど」
「西松さんの事務所で、いつもなにをしているの? 本当に電話番をしているの?」
「電話番をしているのは確かだが、電話は基本的にかかってこない。あとは掃除とかをちょこっとやって、主な仕事は西松さんのお守りだよ。あの人友達がいないから、俺を都合の良い話し相手にしているんだ」
「それって仕事なの?」
「どうだろう。謎だよ。時々、俺はいったいなにをしているんだろうと思う。無性に西松さんを殴りたくなることがあるんだ。あの人は、最低な雇用主だ。きっと人の上に立つべき人間じゃない。だけど、人の下でも働けない。金持ちは好きじゃないけど、あの人に限っては働かなくても困らないレベルの財産があって良かったなって思う」
拓海は空を見上げて、ため息をはく。どこか疲れた表情をしていて、拓海の人生も必ずしも順調というわけではないようだった。
「さっき言ってた、お礼の手紙、書こうかな」
「そうか。たぶん喜ぶよ。あの人、郵便受けを覗くのが好きなんだ。だけど届くのはダイレクトメールばかりでいつもキレてる。友達はいないくせに、なにを期待しているんだか」
「それこそお客さんからのお礼の手紙を待っているんじゃないのかな」
「俺があそこで働き始めて、たったの一人も客なんて来ていないけどな。依頼は受けない主義だと本人が宣言していたし、見事に貫いている」
「西松さん、よく事務所なんて経営していられるね」
「ほんと、不思議なもんだ。こんなんでいいのかと見ていて不安になるけれど、あんなふうに適当でもそれなりに生きていけるとわかってなにかと前向きに考えられるようになったんだ」
「西松さんから色々学ぶのはいいと思うけど、くれぐれも西松さんのようにはならないでよね」
「なりたいなんて思わねぇよ。なりたいと思ったところで、なれねぇよ」
拓海と話しながら歩いていると、鈴が通う中学校の校舎が見えてきた。そして鈴と同じミルクチョコレート色の制服を着た生徒たちの姿も目につくようになった。
鈴は少し緊張しながら、知っている顔がいないかと周りの生徒を確認していた。また生徒たちのほうも鈴のことを気にしていた。
中学は女子校なため、男子高生と歩いている鈴は悪目立ちしてしまっていた。拓海も視線が集まっているのに気づいているのか、居心地が悪そうに顔をしかめていた。
「お兄ちゃん。もうこの辺でいいよ。校舎も見えているし、一人で行けるから」
「駄目だ。せっかくここまで来たんだから門まで送る」
「察してよ。いい加減恥ずかしいから、一人になりたいんだよ」
「兄妹でなにを恥ずかしがる。もっと堂々としてろ。俺たちに後ろめたいことはなにもない」
「お兄ちゃんってさ、変なところで頑固だよね」
「鈴だってそうだろ」
「そうかな。だとしても、お兄ちゃんほどじゃないと思う」
「どっちもどっちだろ。俺たち、結構似ているよ。母さんも似ているって言っていた」
「まぁ、兄妹だからね。だけど、全く違う人間だよ。私はお兄ちゃんとは違う」
あともう少しで門に辿り着く。これまでは順調に進んでいたのに、鈴は足がだんだん重くなるのを感じた。その場に止まってしまいたかったけれど、止まったら終わりだと意地で前に進んだ。
「鈴、顔色が悪いぞ。もしかして、今、聞こえているのか?」
「……クラスメートがスタートでメッセージを送ってる。町村鈴が、学校に来ているって」
「なんだよそれ。どうせなら謎のイケメンと一緒だという情報を拡散しろよ」
「私のことを知らない生徒たちはともかく、クラスメートにはお兄ちゃんなんて見えていないんだよ。彼女たちにとって重要なのは今日私が登校してきたことだからね。てか、イケメンとか、笑ってほしいの?」
「笑いたきゃ笑え。くそっ。俺が西松さんみたいな容姿だったら、もっとざわめくんだろうな」
「西松さんと登校したら先生に呼び出されそうだよね。別の意味で問題だよ」
「今度召喚してやってもいいぞ」
拓海は鈴の緊張をほぐそうとしているのかおどけて話す。
おかげで鈴は少しだけ気を紛らわすことができた。そしてついに校門に到着して今度こそ拓海と別れた。