拓海が俯いていると、いつの間にか西松が目の前に移動していた。そしてあろうことか、煙草の灰を拓海の頭の上に落とした。
「うわっ! なにしてんだよ! 人に灰を落とすって、能力とか関係無しに頭がおかしいだろ!」
拓海は慌てて頭の灰を振り払う。西松に同情していたのが一気に馬鹿らしくなった。
「暗い顔してんじゃねぇよ。とりあえずもらった金で肉を食いに行こうぜ」
「だから、これはタクシー代だって言ったじゃないですか」
「せっかくだからパーッと使おうぜ。帰りは心配しなくても親を呼ぶし」
「親?」
「ああ。お父さんに車で迎えに来てもらう」
「……お父さん? 西松さんって、何歳なんですか?」
「何歳だっていいだろ。例え何歳になってもお父さんにとって俺は可愛い息子なんだよ」
「なんか俺、西松さんのような大人にだけはなりたくないです」
「むしろ俺のようになれると思うなよ」
西松は満面の笑みを浮かべ、胸を張って言う。
西松の境遇は現在もかなり厳しいのかもしれないけれど、西松なりに人生を楽しんでいるのが拓海にはわかった。
そうじゃなければ、そんなふうには笑えない。
西松は煙草を吸う時、猫と触れ合う時、人をからかう時、たいてい笑顔で、たぶんトラックにひかれる前の鈴や母親よりもずっと多く笑っていた。馬鹿にするような笑顔を向けられるのはムカつくが、常に神妙な顔をされるよりはいい。
西松が笑っていられる間は、鈴にも希望があると思えた。
それで、これからどうするべきか。
西松は肉を食べたいと騒いで譲らない。母親にも夕飯を奢れと言われていたので拓海のほうが折れた。そして拓海が携帯電話で焼き肉屋を検索していると、突然母親から着信が入った。
母親は慌てた声で鈴が目を覚ましたと言った。拓海はそれを聞いて、すぐさま病院の中に駆け込んだ。
「鈴!」
病室には、医師や看護師が集まっていた。拓海が中に入ると、彼らは端に避けてベッドの前に空間を作ってくれた。母親は鈴の手を握って泣き崩れていた。鈴本人はよく状況を理解していないのか困惑した表情を浮かべている。それでも拓海の姿を目にした瞬間はちょっとだけ頬を緩ませていた。
「……鈴。良かった」
「おにい、ちゃん。私、どうしちゃったん、だろう」
「本当に、どうしちゃったんだろうな。俺、マジでビビったから。お前がいなくなるかもって考えたら、怖くてしかたなかった。だから、良かった。目を覚ましてくれて、本当に良かった」
「なんか、悲しませて、ごめんね」
「もう大丈夫なら、今までの悲しみなんてなんでもないよ。鈴は早く元気になることだけを考えればいいから。そして退院したら、一緒に新しい携帯を買いに行こうな」
「でもお兄ちゃん、私、もう携帯は……」
「わかってる。鈴が眠っている間、俺は鈴がなにに悩んでいたのかを知った」
「……なに、それ。知れるわけが、ないよ」
「いいや。知ったんだ。そして、もっと知りたいと思ってるから」
拓海に言われて、鈴は目を瞬かせる。母親や医者たちの手前具体的なことは話せなかったけれど、鈴は拓海の想いを理解したのか小さく頷いた。
「ずっと、声が聞こえていたよ。お母さんと、お兄ちゃんと、他にも、私のために祈ってくれていた人がいたのを知っている。元気になったら、ちゃんとみんなにお礼を言いたいな。それから、退院したら学校に行くからね。あの日は、戦おうと決めて家を出たのに、失敗しちゃった。でも、改めて、戦うよ。負けたく、ないもん」
鈴は負けず嫌いだったことを、拓海は思い出す。
一度や二度の失敗で、すべてを諦めてしまうような子ではないのだ。
拓海は思わず鈴を抱きしめたくなって、その前に母親が鈴に抱きついてしまった。
それから医師による診察が始まって、拓海はようやく西松のことが気になった。西松は病室まで拓海を追って来ていなかった。
西松は、どこにいるのだろうか。
外で待っているのかと思って病院を出てもその姿は見当たらなかった。どうやら一人で帰ってしまったようだった。
拓海は西松にお礼を言いそびれたことを悔やみ、なんとなくポケットの中に手を入れた。そして中に突っ込んでいたお金がなくなっていることに気づいた。
一度病院を出た時は、確かにあった。いったいどこで落としたのか。
記憶を辿ろうとすると、西松のしたり顔が頭に浮かんだ。疑うのは悪いと思いながら、一刻も早く確認したくなる。だけど鞄から携帯電話を取り出したところで、西松自身は携帯電話を持っていないので連絡の取りようがなかった。
とりあえず名刺に書いてある電話番号に電話をしてみたが繋がらない。三十秒ほどコールした後諦めて、今度は知恵にスタートでメッセージを送った。鈴が目覚めたと報告して、他の友人にも伝えてほしいとお願いする。それから再び病院に戻った。
鈴の病室に向かう途中、拓海はふと立ち止まった。窓の外から日が沈みかけているのが見えて胸の奥が熱くなった。
長いのか、長くないのか、よくわからない一日が終わっていく。そして昨日までの日々ともお別れだった。
今日は鈴が目覚めた記念の日で、西松という奇妙な男と出会えた日だった。
明日からは、どんな生活が始まるだろうか。
拓海はもう無知ではなくて、今後改めて考えなければいけないことがたくさんあった。
鈴がいくら前向きに頑張ろうとしても、誰かのフォローなしではきっとまた壊れる。だから鈴のためにも、もう一度西松に会いに行こうと決めた。そして今直ぐにできることとして、心の中で西松にありがとうとお礼を言ってみた。
「うわっ! なにしてんだよ! 人に灰を落とすって、能力とか関係無しに頭がおかしいだろ!」
拓海は慌てて頭の灰を振り払う。西松に同情していたのが一気に馬鹿らしくなった。
「暗い顔してんじゃねぇよ。とりあえずもらった金で肉を食いに行こうぜ」
「だから、これはタクシー代だって言ったじゃないですか」
「せっかくだからパーッと使おうぜ。帰りは心配しなくても親を呼ぶし」
「親?」
「ああ。お父さんに車で迎えに来てもらう」
「……お父さん? 西松さんって、何歳なんですか?」
「何歳だっていいだろ。例え何歳になってもお父さんにとって俺は可愛い息子なんだよ」
「なんか俺、西松さんのような大人にだけはなりたくないです」
「むしろ俺のようになれると思うなよ」
西松は満面の笑みを浮かべ、胸を張って言う。
西松の境遇は現在もかなり厳しいのかもしれないけれど、西松なりに人生を楽しんでいるのが拓海にはわかった。
そうじゃなければ、そんなふうには笑えない。
西松は煙草を吸う時、猫と触れ合う時、人をからかう時、たいてい笑顔で、たぶんトラックにひかれる前の鈴や母親よりもずっと多く笑っていた。馬鹿にするような笑顔を向けられるのはムカつくが、常に神妙な顔をされるよりはいい。
西松が笑っていられる間は、鈴にも希望があると思えた。
それで、これからどうするべきか。
西松は肉を食べたいと騒いで譲らない。母親にも夕飯を奢れと言われていたので拓海のほうが折れた。そして拓海が携帯電話で焼き肉屋を検索していると、突然母親から着信が入った。
母親は慌てた声で鈴が目を覚ましたと言った。拓海はそれを聞いて、すぐさま病院の中に駆け込んだ。
「鈴!」
病室には、医師や看護師が集まっていた。拓海が中に入ると、彼らは端に避けてベッドの前に空間を作ってくれた。母親は鈴の手を握って泣き崩れていた。鈴本人はよく状況を理解していないのか困惑した表情を浮かべている。それでも拓海の姿を目にした瞬間はちょっとだけ頬を緩ませていた。
「……鈴。良かった」
「おにい、ちゃん。私、どうしちゃったん、だろう」
「本当に、どうしちゃったんだろうな。俺、マジでビビったから。お前がいなくなるかもって考えたら、怖くてしかたなかった。だから、良かった。目を覚ましてくれて、本当に良かった」
「なんか、悲しませて、ごめんね」
「もう大丈夫なら、今までの悲しみなんてなんでもないよ。鈴は早く元気になることだけを考えればいいから。そして退院したら、一緒に新しい携帯を買いに行こうな」
「でもお兄ちゃん、私、もう携帯は……」
「わかってる。鈴が眠っている間、俺は鈴がなにに悩んでいたのかを知った」
「……なに、それ。知れるわけが、ないよ」
「いいや。知ったんだ。そして、もっと知りたいと思ってるから」
拓海に言われて、鈴は目を瞬かせる。母親や医者たちの手前具体的なことは話せなかったけれど、鈴は拓海の想いを理解したのか小さく頷いた。
「ずっと、声が聞こえていたよ。お母さんと、お兄ちゃんと、他にも、私のために祈ってくれていた人がいたのを知っている。元気になったら、ちゃんとみんなにお礼を言いたいな。それから、退院したら学校に行くからね。あの日は、戦おうと決めて家を出たのに、失敗しちゃった。でも、改めて、戦うよ。負けたく、ないもん」
鈴は負けず嫌いだったことを、拓海は思い出す。
一度や二度の失敗で、すべてを諦めてしまうような子ではないのだ。
拓海は思わず鈴を抱きしめたくなって、その前に母親が鈴に抱きついてしまった。
それから医師による診察が始まって、拓海はようやく西松のことが気になった。西松は病室まで拓海を追って来ていなかった。
西松は、どこにいるのだろうか。
外で待っているのかと思って病院を出てもその姿は見当たらなかった。どうやら一人で帰ってしまったようだった。
拓海は西松にお礼を言いそびれたことを悔やみ、なんとなくポケットの中に手を入れた。そして中に突っ込んでいたお金がなくなっていることに気づいた。
一度病院を出た時は、確かにあった。いったいどこで落としたのか。
記憶を辿ろうとすると、西松のしたり顔が頭に浮かんだ。疑うのは悪いと思いながら、一刻も早く確認したくなる。だけど鞄から携帯電話を取り出したところで、西松自身は携帯電話を持っていないので連絡の取りようがなかった。
とりあえず名刺に書いてある電話番号に電話をしてみたが繋がらない。三十秒ほどコールした後諦めて、今度は知恵にスタートでメッセージを送った。鈴が目覚めたと報告して、他の友人にも伝えてほしいとお願いする。それから再び病院に戻った。
鈴の病室に向かう途中、拓海はふと立ち止まった。窓の外から日が沈みかけているのが見えて胸の奥が熱くなった。
長いのか、長くないのか、よくわからない一日が終わっていく。そして昨日までの日々ともお別れだった。
今日は鈴が目覚めた記念の日で、西松という奇妙な男と出会えた日だった。
明日からは、どんな生活が始まるだろうか。
拓海はもう無知ではなくて、今後改めて考えなければいけないことがたくさんあった。
鈴がいくら前向きに頑張ろうとしても、誰かのフォローなしではきっとまた壊れる。だから鈴のためにも、もう一度西松に会いに行こうと決めた。そして今直ぐにできることとして、心の中で西松にありがとうとお礼を言ってみた。