ベッドの上で、少女が寝ている。
少女はもう二週間目を覚ましていない。
医者はいつ目を覚ましてもおかしくないと言っていた。
今日、今にでも目を覚ます可能性がある。だけど明日、明後日、数か月後もこのまま眠り続ける可能性があった。
高校二年生の町村拓海は、二週間前から学校帰りに毎日病室を訪れていた。そして妹の町村鈴の容体に変化がないかを見守った。
今のところ鈴本人に特別な変化はない。だけど鈴の周りは毎日どこかが変わっていた。
拓海は鈴の顔を覗いた後、ベッドの脇にある小さな棚に目を向けた。
棚の上には花や色紙が飾られている。色紙には早く元気になってねと、丸かったり、曲がっていたり、文体にその人の個性が出ている応援メッセージがいくつも綴られていた。
色紙は鈴の学校の友達が持ってきてくれたものらしい。
ミルクチョコレート色の制服を着た女子中学生が毎日代わる代わるお見舞いに来てくれているのだと鈴の担当看護師が教えてくれた。
鈴ちゃんは学校で人気者なんですねと同じ看護師から言われて、拓海は苦笑いを浮かべるしかなかった。
拓海は、鈴が決して人気者ではなかったことを知っていた。
中学三年生の鈴は、事故の日までの数か月間ろくに学校に行かずに家に引きこもっていたのだ。
本当に人気者だったら、学校に行けなくなるはずがなかった。
母親によると、鈴は学校でいじめられていたそうだ。母親は家から出ない鈴を心配して、何度も学校に足を運んで担任に相談していた。けれどなにが改善されるわけもなく、鈴はそんな母親の行動を迷惑そうにしていた。
一方、拓海は母親とは違って鈴の問題に足を突っ込むつもりはなかった。
親である母親が娘を心配する気持ちがわかって、一度仲がこじれた友達と上手くやっていくのがどんなに難しいことかも知っていた。
鈴やその同級生は幼児ではないのだ。
親や担任にみんなと仲良くと言われて、実際に仲良くできたら苦労はしなかった。
そんなふうに鈴の複雑な心情を理解し、そっとしておくことに決めても、母親が悩んでいる姿を見ているのは辛かった。
拓海と鈴には父親がいない。母親はそのことに後ろめたさを感じているのか、必要以上に熱心になる節がある。女手一つで家計を支え、ただでさえ忙しい母親の疲れは限界に迫っていた。そして母親は、拓海に助けを求めた。
今にも泣き出しそうな顔で鈴のことをお願いと言われて、拓海はとても断れずに頷いてしまった。
母親から鈴のことを任されたのは約二週間前で、事故が起こったのはその翌日だった。
拓海は事故の日の前日、リビングで丸くなっている鈴にいつから学校に行くつもりなのか聞いてみた。その時、鈴は黙っているだけで、なんの反応も見せなかった。
拓海は簡単にいかないことをわかっていて、とりあえず一度声をかけたことに満足した。
これから少しずつ、鈴がなにを考えているのか聞き出していけばいいと軽く考えていた。そして次の日の朝、鈴は制服に身を包んで部屋を出てきた。
ミルクチョコレート色の制服は鈴によく似合っていた。久しぶりの制服姿を目にして、拓海は喜びで胸がいっぱいになった。
拓海以上に驚いていたのは母親で、笑顔を浮かべながらも泣きそうになっていた。
当の鈴は少し照れたような顔をして、学校に行くのは普通のことだからと小さな声で呟いていた。
それから家を出ようとする鈴に、拓海は途中まで一緒に行こうかと提案した。けれど鈴は恥ずかしいから嫌だと拒否し、今度ははっきりした声で行ってきますと言って玄関の扉を開けた。その瞬間、玄関の中に柔らかい朝日が差し込んだ。
鈴の後ろ姿は眩しくて、拓海と同じく玄関で鈴を見送った母親はついに泣いていた。
拓海は母親の背中を擦りながら、なにかが良くなっていくのを感じた。
久しぶりに登校するというだけで、鈴の問題が解決したわけではない。
それでも前進していると拓海は思った。
放課後、鈴がトラックにひかれたという連絡を受けるまで、昨日よりも状況が悪くなることはないと思っていた。
だけど、結果はこれだ。
鈴はベッドの上で、いつまでも目を覚まさない。
状況は悪くなるばかりで、拓海は運命を恨みたくなった。
事故後拓海と母親の関係もギスギスしていた。
母親はこの二週間、一度も笑っていない。鈴の前では硬い表情をして、拓海の前では複雑そうにしていた。
母親は直接口にしないものの、鈴がこうなった原因の一部は拓海にあると思っているようだった。
拓海は責められるのを感じつつ、本当は母親だって誰も責めたくはないはずだと思った。
母親はギリギリの状態なのだ。拓海だってできるならば誰かを責めたかった。
例えば、トラックの運転手を責められたのならば楽だった。だけど横断歩道のない道路に飛び出したのは鈴自身だった。
運転手に全くの過失がないとは言えないが、やはり問題は鈴にある。
事故当時のドライブレコーダーの映像を見て、拓海はほんの少しだけ運転手に同情してしまった。その上でトラックの運転手はしっかりと謝罪してくれたし、時々鈴の様子を見にきてくれる。
母親も辛そうにはしていたもののトラックの運転手に当たることはなかった。
じゃあ結局、誰が一番悪いのか。
母親からなにか言いたげな視線を向けられて、拓海は自身の行動を振り返った。
直接の原因ではないとしても、確かに罪があると感じていた。それはほとんどこじつけの罪で、言い訳はいくらでもできる罪だった。
拓海は鈴をこんな目にあわせたかったわけではなかったのだ。
鈴に立ち直ってほしいと心から思っていて、本当に心配していた。そして行動した結果が裏目に出た。
もしもあの時、いつから学校に行くのかなんて問わなければ、鈴は今頃元気でいられたのだろうか。
答えなんて出るはずがないのに、時間があるとつい考えてしまう。
鈴の目覚めを待つ時間は、普通の時間と違っていた。
二週間前の五分と、今の五分では流れが全く違う。
じっとしているのは苦痛で、ただひたすらどうするのが正しかったのかを考えた。そして考えると考えるだけ怖くなった。
もしも、もしもこのまま鈴が死んでしまったら。
拓海の精神状態も限界だった。