「今、私は6000エーカーの牧場と300ヘクタールの農場を持っています。それと食品加工会社を経営していて、いずれは日本に支店を作りたいと思っています。その準備をアンナの兄にやらせているところです。これも澤田さんのご実家が私を養子にしてくださったおかげだと感謝しています。ですから、なんとしてもアンナと隆司君に結婚してもらい、私の財産の一部を受け継いでもらいたいんです」
 高津さんはお腹の底から出ているような太く大きな声をしている。
「あなた、急ぎすぎですわ。まだ澤田様のお気持ちも聞いてないんですから」
 奥さんが結論を急ぐ高津さんを諌める。
「隆司がアンナさんと結婚したいと思うなら構いません」
 母さんが答える。

 そんなことを言われても会ったばかりで何もわからない。アンナさんが僕のことを気にいるかどうかもわからない。
 僕は斜め前にいるアンナさんを見る。
 アンナさんは僕と目が合うと恥ずかしそうに俯いてしまう。
 樹里とはすごい違いだ。樹里なら目が合ったら睨みつけてくる。
 僕は頭を軽く振った。何を樹里とアンナさんを比べてるんだ。

 スタッフの人が前菜を運んできた。
 僕の前にも置く。一番外側のナイフとフォークを取った。視線を感じて横を見ると、母さんが心配そうに僕を見ていたが、安心したように自分の皿に視線を戻していた。
 どうやら間違っていないようだ。これも樹里のおかげだ。
 前菜はホワイトアスパラガスとモリーユ茸のソテー。次にビーフのコンソメスープと続き、魚料理にはオマール海老のココット、メインがシャリピアンステーキが出てきた。
 どれもすごく美味しい。
 デザートはクレープシュゼットが出てきて、最後のコーヒーを飲み終わると、母さんが僕を見た。
「天気もいいからアンナさんと日比谷公園でも歩いてきたら」
「そうだな。アンナ、行ってきなさい」
 高津さんもアンナさんに勧める。

「はい。お父様」
 初めてアンナさんの声を聞いた。女性らしいソプラノだ。
 どこかで聞いたことがあるような気がしたが、きっと勘違いだろう。
 樹里の低い声と比べたら遥かに女の子らしい声だ。
 アンナさんが立ち上がろうとすると、後ろに立ってスタッフが椅子を引く。
 僕も立ち上がり、戸口に向かうと、アンナさんが戸口のところで待っていて、僕を先に行かそうとする。
 僕は手を出して、「どうぞ」と、アンナさんに先に行くよう促す。

「ありがとうございます」
 アンナさんが囁くように言って先に出る。
 僕はアンナさんの斜め後ろを歩いた。
 スタッフの人が出口まで案内してくれる。
「エレベーターにしましょうか?」
 着物だと階段は大変だろうと思って聞く。
「はい」
アンナさんが小さな声で答える。
 アンナさんは紺地に松竹梅をあしらった振袖を着ている。
 その着物がよく似合っている。
耳には樹里に贈ったものとそっくりの月形のピアスを付けている。
月形のピアスが今は流行っているのかな?
 アップにした髪を後ろから見ると、うなじがいじらしいぐらい細くて可憐だ。

 エレベーターホールに向かう。エレベーターが来ると、アンナさんに先に乗ってもらい、降りるときも先に降りてもらう。
「優しいんですね」
 アンナさんが褒めてくれた。
 なんて優しいんだろう。樹里にこんな言葉を言ってもらったことがない。