僕と母さんを車に乗せると、岡田さんはどこかに電話をしだした。
「今、お会いできました。はい。30分ぐらいで、そちらに到着すると思います。はい。わかりました。では」
 どうやら電話が終わったようだ。
「では、出発します」
 岡田さんがドアを閉め、しばらくするとリムジンが静かに動き出した。

 リムジンの中はすごく広い。二列シートが向かい合わせになっていて、シートとシートの間には床に固定された小さなテーブルまで付いている。
 テーブルがあっても足元は十分ゆったりとしており、母さんと向かい合わせに座っても全然狭く感じない。
 シートもフカフカして、いかにも高級車という感じだ。
 走っているのにほとんど振動がない。

 テーブルの上には、数本のオレンジジュースの瓶とコーラの缶とグラスが二つ置いてあり、個包装されたクッキーが皿に盛られている。
 どうやら食べてもいいようだ。
「隆司、何飲む?」
 母さんはグラスにオレンジジュースを入れて飲みながら、クッキーを食べている。
「このクッキー美味しいわよ」
 すっかり寛いでいる。
 僕なんかこんな高級車に乗ったことがないから緊張しているのに。
 さすが元お嬢様。

「高津さんって、母さんのところの養子になる前の旧姓じゃないの? 今は高津じゃないんじゃないの?」
「アメリカ国籍を取得して、登録するときに旧姓の高津に戻したみたいね。手紙に書いてあったわ」
 そうなんだ。
 それにしても母さんの旧姓はなんだったけ。

「銀座だわ」
 外の風景を見ていた母さんが呟いた。
 外を見ると日比谷公園が見えてくる。
 車は日比谷公園が見えると、道路からホテルの敷地へと入っていき、玄関の車寄せに止まった。

 蝶ネクタイをして、燕尾服を着たホテルの従業員がドアを開けてくれる。
 僕が降りて、母さんが続いて降りる。
母さんが降りやすいように手を出す。 母さんはびっくりしたように僕を見て、差し出した手を取り、車から降りる。
「ありがとう」
 母さんが降りると、すぐに濃紺のスーツを着た背の高い黒人女性が近づいてきた。
「澤田様でしょうか?」
「はい」
 母さんが返事する。
「お待ちしておりました。高津の秘書をしておりますキャサリン・ベーカーと申します。どうぞ、こちらでございます」
 キャサリンさんがきれいな日本語で話す。

 キャサリンさんの案内でホテルの中に入ると、1階はかなり広いロビーになっており、ロビーを抜けた正面には階段がある。
 ロビー右手にはフロント、左手にラウンジがあった。
 キャサリンさんの後ろに母さん、その後ろに僕がついて歩く。
 キャサリンさんは正面の階段の前に立ち、
「申し訳ございません。2階ですので階段でよろしいでしょうか?」
 と聞いてくる。
「構いませんよ。私たちはそんなお上品な人間ではありませんから」
 母さんは笑いながら言う。
 2階に上がり、すぐ左のほうに行くと、フレンチレストランがあった。
 フレンチレストランといえば、樹里と行ったことを思い出してしまう。

「高津の連れのものです」
 キャサリンさんが店のスタッフに言うと、「お待ちしておりました。お荷物をお預かりします」と言った。
 僕は卒業証書の入ったカバンを預けた。キャサリンさんに代わりお店のスタッフが案内してくれる。
 テーブル席の間を通り抜けて奥へ行くと、引き戸があった。引き戸をスタッフの人がノックして、開ける。

 中にはダークグレーのスーツを着た男の人と着物を着た女の人が2人座っていた。
 僕と母さんが部屋に入ると、3人が一斉に立ち上がった。
僕たちは部屋の奥に案内される。
 奥に入ると、母さんが椅子の左側に立ち、僕も母さんの隣の椅子の左側に立つ。
 母さんは僕をちらりと見て、小さく頷く。
「ようやくお会いできて大変嬉しく思います。初めてお目にかかります。高津浩二です」
 高津さんは50過ぎぐらいで、身長190センチほど、肩幅も広くスーツの上からでもわかる筋肉質のガッチリした体格をしていて、口の周りと顎には綺麗に手入れされたヒゲが生えており、鼻が高く彫りの深い顔をしている。

「妻の詩織、その隣が娘のアンナです」
 母と娘は同時に頭を下げる。母娘は双子かと思えるぐらいよく似ていた。
 2人とも身長170センチぐらいで、色白の瓜実顔、切れ長のやや細い目、鼻筋は通っているが、凹凸の少ない顔で、薄い唇のおちょぼ口という着物の似合う黒髪の和風美人だった。
 違いをあげるとすれば、お母さんよりもアンナさんの方がやや目尻が上がっている。それを除けば、アンナさんが老ければそのままお母さんという感じだ。

「こちらこそ両親や家のことまでしていただいたのにご挨拶にも伺わず申し訳ございませんでした。澤田雪乃でございます。隣は息子の隆司です。今日、夫は仕事の都合がどうしてもつかず、参らせていただくことができませんでした。申し訳ありません」
 母さんが頭を下げるのに合わせて僕も頭を下げる。
「それは残念です。ご主人とも一度お会いしたかったんですが。お仕事であれば仕方がありません。どうぞおかけください」

 僕たちが座ると、飲み物が運ばれてきた。
 大人たちはシャンパンのようで、僕とアンナさんにはジンジャエールだった。
 樹里とフランス料理を食べに言った時に見せてくれたように、僕は皿の上に載ったナプキンを二つ折りにして膝の上に乗せる。
 母さんが僕の方を見て、黙って僕のしていることを見ていた。
「乾杯しましょう」
 高津さんの乾杯の声に合わせてグラスを目の高さまであげる。僕は母さんを横目で見て真似をした。