「そういうことなら、寂しい石野と薄情な隆司に1つ提案がある」
 なんか紀夫の言い方が妙に恩着せがましいんだけど。
「なに?」
 樹里が興味深げな顔をする。
「3月の学年末試験が終わった次の日に有馬に行かないか?」
 うちの学校は3月の初めに学年末試験があり、それが終わると、卒業式の前日まで3年生は欠席しても出席扱いになる自由登校日になる。

「有馬?」
 有馬ってどこだっけ?
「有馬を知らないのか? 神戸の温泉地だ。豊臣秀吉も好んで入ったという有名な温泉のあるところなんだ」
「知らなかったわ。山崎君、よく知っているじゃない」
 樹里が感心して紀夫を見る。
「これぐらい常識だよ」
 紀夫がそんな物知りだとは知らなかった。

「でも、どうして有馬なんだ?」
 温泉なら関東にも箱根や草津などの温泉地がある。なにもわざわざ関西まで行く必要はないんじゃないの。
「それは、私と紀夫が大阪の大学に行くからその下見に行くのを兼ねてっていうことなの」
 紀夫はともかく、渡辺さんは関西の大学を受けるって言っていたけど、入試はまだだと思うんだけど……。
 合格は当たり前ってことか? たいした自信だな。
 関西の地理はよくわからないが、大阪と有馬は近いってことなんだな。

「わたしたちと山崎君と真紀と4人で行くっていうこと? 日帰り?」
「まさか? 有馬で1泊するんだ。親父の会社が温泉の付いているホテルと保養所代わりに契約しているから、そこに泊まるんだ」
 たしか、紀夫のお父さんは一流商社の部長をしているとか言ってたな。
「樹里たちと同じ部屋に泊まるのか?」
 まだ高校生の僕たちがそんなことをしていいのか?

「何言ってんの、澤田君」
 渡辺さんが軽蔑したように僕を見る。
「隆司の気持ちはよくわかるが、残念ながら男と女は別部屋だ」
「何が残念ながらよ。当然よね。樹里」
 渡辺さんが樹里に同意を求める。

「真紀と一緒の部屋なの? 嬉しいわ」
 樹里が渡辺さんに妖しい流し目をした。
「ちょっと、樹里、クリスマス祭みたいな冗談はもうやめてよ」
 渡辺さんが少し赤くなる。
「あら、冗談じゃないわよ。本当に真紀ならOKよ。お互い覚悟を決める?」
 樹里に見つめられて、渡辺さんの目が泳ぐ。

「おい、真紀。なに顔を赤くしてるんだよ」
 紀夫が怒ったように言った。
「なによ。赤くなんかなってないわよ」
 渡辺さんが顔を赤くしたまま言い返す。
「なんか真紀と石野を同じ部屋にするのは不安だなあ」
 他にどんな組み合わせがあるんだ。

「冗談よ。すぐに本気にするんだから。山崎君も見かけによらず、気が小さいわね。ねえ、真紀」
「そ、そうね」
 渡辺さんは動揺している。
「ちょっと」
 と、言って樹里が立ち上がり、お手洗いの方へ歩いていく。

「ところで、澤田君。樹里にプレゼントを渡したの?」
 渡辺さんは気を取り直したように僕を見る。
「まだ」
 すっかりプレゼントのことを忘れていた。
「何してんの? まさか買ってないっていうことはないわよね」
「もちろん。買ってるさ」
 胸を張った。
「なに自慢のしてるのよ。だったら、サッサッと渡しなさいよ」
「うん」
 まったくおっしゃっるとおりでなんの反論の余地もない。

 樹里が戻ってくるのと同じタイミングで店主がケーキとコーヒーを待ってきた。
「美味しい。このちょっと酸っぱめのイチゴと甘い生クリームがすごく合う」
 一口食べて、渡辺さんが賛嘆の声を上げる。
「でしょう? コーヒーの苦味もこのケーキにちょうどいいのよ」
 樹里が美味しそうにコーヒーを飲んだ。
 僕もケーキを口に入れる。栗の味が口いっぱいに広がり、栗のペーストの下から現れたメレンゲもサクサクの食感で美味しい。

「モンブランも言うまいぜ。食べてみろよ」
 紀夫が渡辺さんに勧める。
「うん」
 渡辺さんは紀夫が食べた反対側にフォークを入れて、一口食べる。
「ホント。栗だけの味がする。お酒は入れてないのね」
 モンブランは洋酒が少し入っていて風味付けをしているものもあるが、この店は栗の味だけで勝負している。

「樹里も澤田君から少しもらいなさいよ」
「いいよ」
 僕は樹里の方に皿を押した。
「うん。ありがとう」
 樹里はそう言うと、僕が食べかけている方にフォークを入れた。
「えっ、そっちは…」
 止める間も無く、樹里は口に入れた。
間接キスにならないか?
「美味しい。栗がすごく甘い」
 樹里が満足そうな笑みを浮かべる。

「隆司も食べていいよ」
 樹里は自分が食べていた方を僕に向けて置いた。
「ありがとう」
 樹里が気にしないなら僕は別に構わない。
 一口大に切って、口に入れた。

「美味しい」
「そうでしょう」
 樹里は自分の手柄のように言う。

「さっきの旅行の話だけど、8時半の新幹線に乗ろうと思うんだけど」
 紀夫が僕たちの顔を見た。
「8時半」
 樹里の顔が険しくなり、いつもよりさらに低いドスのきいたような声で聞き返した。
 朝が苦手な樹里にとって8時半の新幹線は早すぎる。

「いや、別に隆司と石野は夕飯までに来てくれたらいいよ」
 紀夫が慌てて言う。
「そうよ。私と紀夫は早めに行くけど、樹里たちはゆっくり来たらいいよ」
 渡辺さんは怯えたような顔になる。

「そう。それならいいわ」
 樹里が表情を緩ませた。
「じゃあ、僕と樹里は夕方ごろに行くよ」
「家まで迎えに来てくれるわよね」
 樹里が当然のように言うので僕は頷いた。
「新幹線で新神戸駅まで行って、そこからタクシーに乗ればいいよ。ホテルは山崎で予約しているから」
「そうするよ」
 行き方を知らないので、紀夫の言うとおりに行くしかない。
 大体の旅行の予定を決め、僕たちは喫茶店を出た。