「たしかに」
 父さんは渋々という感じで頷く。
「ご両親は日本人だから、その娘さんも日本語は喋れるだろうけど、外国から初めて日本に来る女の子に環境も文化も違うところで一人暮らしをさせろって言うつもり?」
「それは……」
 父さんは母さんの正論に反論できないでいる。
 確かにお母さんの言うことは正しい。僕もそんな薄情なことを言う気はない。

「あなたはそれで平気なの? 私だったら、可愛い娘をそんな外国で一人暮らしさせることなんかできないわ。向こうの親御さんだってそう思うんじゃないの?」
「うーん……」
 父さんは腕組みをして唸る。

「それに、もし、隆司がその子のことを気に入らなかったら断るの? あなたは私の父と約束をしたのよ。念書まで書いて。私も電話がかかってきたときに了承するようなことを言っちゃったし。それに私のこともあるから、よほどのことがない限りこちらから断るっていうのも……。もしも、陽子さんがそういう立場になったら、あなたどうするの?」
 陽子さんというのは父さんの3歳年下の妹、つまり僕の叔母さんだ。
お父さんはこの妹が可愛くて仕方ない。
 陽子叔母さんは結婚しているが、父さんが大学生の時に両親を交通事故で亡くしたためか恋人同士かと思うぐらい今でも仲が良い。

「そんなことは許さん」
 父さんは妹のことになったら人が変わる。
「じゃあどうするの」
 母さんが少し冷めた表情をした。
 母さんは父さんと陽子叔母さんがあまりにも仲が良すぎるので、よく嫉妬している。
 だから、母さんは陽子叔母さんのことがあまり好きではない。

「隆司、結婚しなさい」
 父さんが命令口調で言った。
「えーっ」
 僕は悲壮な顔になる。
しかし、気持ち的には納得できないがよく考えると、母さんとの婚約話は反故にされ、さらに僕と娘のことまで一方的に断られたら、相手の人はそりゃあいい面の皮だろう。
 親の因果が子に報うという言葉を前に学校で習った。
 仕方ない。僕は納得するしかないと思った。

「そんなに悲観する必要はないわ。まだ、結婚すると決まったわけじゃないんだから。ひょっとしたら、向こうがお前のことを嫌って断ってくるかもしれないし」
 母さんが慰めるように言う。相手の子には断る権利があるんだ。僕にはないけど。
「そ、そうだね」
 顔を引きつらせた。僕が向こうに嫌われるようなつまらない人間でもいいわけね。
「それにひょっとしたら相手の女の子がすごい美人で隆司も気に入るかもしれないじゃない。どれくらいくれるか分からないけど、財産もくれると言うし、そうしたらこの家のローンも払えるし、隆司も裕福に暮らせれるし。いいことづくめじゃない」
 母さんがあまりにも即物的なことを言う。

 東京23区ではない郊外の築20年の小さい家とはいえ、東京の家は高い。父さんの公務員の給料だけでは、35年ローンを払うのは母さんもなかなか大変なんだろう。
 その上、来年うまくいけば僕は大学生になる。その学費のことも考えれば、頭が痛くなってくるに違いない。
 お金は喉から手が出るほど欲しいだろう。

 そんな母さんの気持ちも分かるが、自分は会ったこともない人と結婚するのは嫌だと言って、両親も家も財産も捨てて、愛を取ったくせに金に目が眩んで息子を売るようなことをよく平気で言えるもんだ。
 時は、人を変えるものだ。


 夜、ベッドに入ったが、許嫁のことが気になってなかなか寝付けなかった。
 どんな子だろうか。美人だろうか。気は強いんだろうか。色々な想像が頭の中に渦巻いていく。

 明日も学校だから、早く寝ないと遅刻してしまうと焦れば焦るほど余計眠れなくなってくる。
 生まれてから非モテ期がずっと続いて、顔も身長も標準以下でカノジョなんかできるはずがないとずっと思い続けてきた僕が、初めて許嫁というカノジョができるかもしれないと思うと、妄想が止まらない。

 いろんな顔や容姿を想像しては妄想を膨らませる。そんなことをしているうちにいつの間にかウトウトし始めて夢を見た。

 まだ小学生だった頃に読んだ『安達ヶ原の鬼婆』の本の挿絵に書かれていた鬼婆が夢の中に出てきて、『私がお前の許嫁よ。早く食わせろ』と言って追いかけてくる。
 僕は必死に逃げたが追いつかれ、後ろから掴まれ転かされて、鬼婆が大きな口を開けて、頭から食べられそうになった瞬間、目が覚めた。

 寝汗をグッショリ掻いている。許嫁のことを気にし過ぎだから、こんなとんでもない夢を見てしまうんだ。
 こんなことをしてたら明日起きれなくて遅刻してしまう。

 時計を見ると、まだ3時だ。
もう一度寝ようとするが、何度も寝返りを打っていっこうに寝付けない。
 寝れないのら、無理せず、いっそうのことこのまま起きておこうと思ったが、いつの間にか瞼が重たくなり、意識が遠のいていった