Beyond The Distance And Tragedy

♪長峰 響一

「死に向き合えない人。死に向き合うには若すぎる人。」



翼さんのご両親とは、少しだけ話した。すぐに納得してくれた。彼女の意思を尊重するということ、翼さんを俺に任せるということを事前に承諾してもらってたのがよかったと思う。
きっと翼さんのご家族と話すより、あの樋口君と話す方が俺にとっては大変になる予感がしていた。そんなことを考えながら病室へ向かった。樋口君の病室がある二階の端までの廊下がとても長く感じられた。横にある非常口の緑と白の明かりが点滅している。なにか、嫌だ。
病室の扉を開けた。樋口君は全てのカーテンを開けて空を見ていた。その顔には生気が無いように見えた。
 いつものように筆談用のペンを動かす。
「樋口君、体調はどうだい」
「悪くは無いですよ。長峰先生こそ、翼さんのご家族とのお話はよろしいんですか」
「もう話は終わったよ。ご家族はすぐに納得してくれた」
「そんなに簡単に納得できるようなことなんですかね」
「彼女の意思を尊重するということと、彼女を僕に任せてくれるということを承諾してもらってたから、ある程度の覚悟は出来てたんだと思う。実際そう言っていたから」
「そうですか」
「江崎さんから聞いたよ。後を追おうなんて馬鹿なことを考えたりしてないみたいでよかった」
「江崎さん?」
「君と翼さんの担当の看護師だよ」
「もしも僕があなたの言う馬鹿なことをしようと考えていたとしたら、どうするつもりだったんですか」
「どんな手を使ってでも止めていたと思う」
「患者に選択の自由は無いんですか」
「別に君は生きるか死ぬかの瀬戸際に立ってないだろう」
「立ちたいですよ」
「そういうわけにはいかない」
「僕に薬を入れて眠らせてくれるだけでいいんですよ。苦しいのは嫌だなぁ」
「自分が今何を言ったのか分かってる?安楽死させてくれって意味だぞ」
「分かってますよ、僕は今苦しんで、死を望んでいる。安楽死の条件ってこれだけじゃ足りないんでしたっけ」
「安楽死は医師の殺人だとすら言われたりするんだ。できるわけないだろう」
「そうですか。残念だなぁ」
「さっきから君はおかしい。どうしたんだ」
「大好きな人が目の前で死んだんですよ。おなしくなるなって方がどうかしてると思いますし、そんなこと無理ですよ」
「その気持ちはわからないでもないが」
「分かってほしいとは思いませんよ、さっきの看護師さんにも気持ちは分かるって言われたんですけど、この気持ちは多分、目の前で大切な人を失うっていう経験をしないと分からないんだと思います」
「俺も、その経験をしているんだ」
「そうですか」
「詳しくは話さないが、目の前で親父が死んだ。あの時の、底なし沼に無理矢理沈められるようなじんわりとした恐怖と強烈な違和感は忘れてないつもりだ。恋人と父親って違いはあるが、大切な人に変わりはないだろう」
「そうですね。確かに変わりはない」
「だから、頼むから俺や江崎さんの前では死にたいとか死なせてくれとか言わないでほしい。もしどうしても死ぬって言うなら、退院した後に俺の目が届かなくなった時にしてくれよ」
「絶対に死ぬなとは言わないんですね」
「俺も死のうとしたことがあるし、あまり人のことに口を出す権利はないと思ってるからな」
そこから樋口君はペンを動かすのをやめた。手元を見ると、手が震えていた。彼の右目から、一筋だけ涙が流れた。しかし思い切り泣くといったことは無かった。
 俺はしっかりと死に向き合えなかった。それなのに、死と真っ直ぐ向き合うには若すぎる彼が、大切な人の死をちゃんと受け止められているように見えた。