♪高橋翼

「逃げた先にも君がいて」

その日の夜、夢を見た。正直現実なんて忘れたくて、逃げたかったからちょうどよかったと思ったのに、遂に夢にさえ樋口君が出てくるようになってしまった。この気持ちを断ち切らない限り、逃げた先にもきっと君はいるんだ。先回りして私のことを待っているんだ。
夢の中で、樋口君と向かい合って筆談をしている風景を第三者の視点で見ているというなんとも不思議な状況にいた。
こんな会話が伸びていった。
「どうしたの?悲しそうな顔して」
「君がこの世界から消えてしまう夢を見たんだ」
「私が?」
「うん。ある日突然、すっと透明になって、存在すらしてなかったように」
「んで、心配になったからそんな悲しい顔してたの?」
「そうだよ」
「うわぁくだらない。なんでそんなことでそんなに深刻な顔するの」
「だって、僕以外の全員が君のことを覚えてすらいなかったから。そりゃね」
「いい?これだけ言っといてあげるけど、私は絶対にいなくなんてならないからね」
「そっか、そうだよね」
「愚問だよ、愚問。君はいなくなる?なんて聞かれてはい、いなくなります。なんて答える人はいないでしょ」
「いるかも知れないでしょ」
「いたとしても私はそうじゃない」
ここで樋口君の手は止まってしまった。彼はとても単純というか、ピュアな人だから、彼を論破するのはとても簡単なことだ。
眠っている間だけは何にでもなれる。でもやっぱり夢はいつか覚める。夢を見て、起きたらそれまでの夢の中の自分は消えて、いつもの自分に戻る。少し寝癖がついた、寝起きで間抜けな顔の自分に。洗面所で顔を洗ったりして、いつものテーブルでいつもの朝食を食べる。雰囲気は昨日と変わらなくて、私がテーブルを離れた時のように静かだった。食器のぶつかり合う音と少しの会話だけが耳に届く。さっきの夢を思い出す。
正直言うと、夢なんだから樋口君の声を聞くくらい叶ってもいいんじゃないかと思う。中途半端にリアルな夢なんかよりも、SFじみた夢の方が昔は楽しかったように、今は樋口君と筆談するなんていう普通の夢よりも樋口君の声と私の声で語り合う夢を見たい。叶わない夢でもいいから、一度でいいから、樋口君と話したい。
もしそんな事が実現するなら、一番に話題にするのはきっと星座の話だろうと思う。どんな星座が好きかとか、どの星が一番好きかとか、そんなことを話したい。そして願わくばどこか遠くへ一緒に星を見に行く約束をしたい。長野の山の頂上とかに行ってみたい。
食べ終わった朝食のお皿を下げて、自分の部屋に戻る。卒業式の日までは、この後すぐに学校に行く準備をして家を出るけど、引越しを待つだけになった私に今すぐやるべきことは特になかったから、起きてそのまんまのぐちゃぐちゃの掛け布団の上に寝転んだ。そして目を閉じた。このまま寝てしまえば、夢の続きが見れるかもしれないと思った。