「なになに? イヤだよ、いくら二人きりになったからって、人の家でキスするのは
無しだよ」と素子さんが揶揄うように笑う。
「いや、そんなことしてませんから」と大慌てて否定する三笠くん。
「本当?」
「ほ、本当です…」と照れながら否定する三笠くん。
「ならいいけど。私、店番があるから居なくなるけど、キスとかするなら表に聞こえ
ないようにお願いしますね」と可笑しなことを言いながら部屋を出て行った。
私と三笠くんが座敷の部屋に取り残される。
「あのぉ。さっきのは事故だから…、その…。気にしないで…」
三笠くんがあらぬ方向を見やりながら弁明する。
事故? やっぱり私、三笠くんとキスしちゃったの? 気が付かないうちに。
猛烈に顔が熱い。頭から湯気が立ちそうだ。
私と三笠くんが、お互いに背を向けたままで座っている。
言葉を発する雰囲気では無い…。困ったな、何を話せばいいだろう。
テコテコテコ、と、翠が小走りでやってきて、私の膝の上に乗っかった。
そうだ。悠長にしては居られない。
「あの、三笠くん。私、気絶してる間に、ネコモリサマに会ったの。それで…」
私は、超次元でのネコモリサマとの会話の内容を三笠くんに語って聞かせた。
翠を元に戻すために、24時間以内にネコモリサマの隠れ家を探し出さねばならぬ
事も伝えた。
「ネコモリサマの隠れ家…かぁ…。それだけじゃ、全くわからないな」
三笠君が腕組みして考える。
「そうだ…。ネコモリサマが以前に住んでた場所に入り口があるって言ってた」
「ネコモリサマが以前に住んで場所…ねぇ。結局、その場所も分からないからなぁ」
「でも、ネコモリサマは、それがちゃんとしたヒントなんだって…」
そうか…。と、唸って三笠君がまた思案し始める。
暫くたって、三笠君が「なるほど、そういうことか」と頷いてみせる。
「何か分かったの」
「すこしね、ヒントのヒントくらい」
「ネコモリサマが以前に住んでた場所?」
「うん」
すごいよ三笠君。
「じゃぁ、急いで、そこへ…」
「うん。その前に…素子さんと、話をしないといけない」
「素子さんと?」
「ああ」
三笠君は、そう言うと立ち上がって、座敷の襖を開ける。
襖の向こうは、和菓屋の店内に繋がっていた。
幸い店内には誰も居ない。
「あら、濱野さん、具合いはもういいの?」
私と三笠君に気づいて、素子さんが声をかけてくれた。
「もう、何ともないです。ありがとうございました」
と頭をさげる。
「素子さん。ちょっと、教えて欲しいんことがあるんですけど」
三笠君が質問を切り出した。
「うん? 何でも聞いて。でも、キスの仕方とかは知ってるんでしょ?」
「何で、そうなるんですか。真面目な話なんですけど…」
「ごめん、ごめん。で、なに?」
「猫守神社の由緒話では、こちらの先祖の仁連佐七さんが、ここに新しく猫守神社を
建てたって事になってますよね」
「うん。そうだよ」
「って事は…。別の場所に、前の猫守神社があるって意味だと思うんですけど…」
なるほど。ネコモリサマが以前に住んでた所って、そう意味なのか。
「そういえば、ここは新社で、前に本社が有ったって聞いた事がある」
「で、その場所はどこなんでしょう」
私と三笠君が、期待の眼差しで素子さんの次の言葉を待つ。
「それが、私は知らないんだよね。そういうの、あんまり関心なくてさ。ごめんね」
「御家族の方とか、ご存じありませんか?」
「おじいちゃんなら、知ってるかもだけど。今、アメリカ西海岸に旅行中」
そうですか…。と項垂れる三笠君。
いい線行ってたのになぁ。と、私も肩を落とす。
「そういう昔の話なら、奥寺さんに聞けば分かると思うけど」素子さんが呟く。
私は、その名前にピクリと反応する。
「奥寺さんて…。奥寺彩愛《あやめ》さんの家ですか?」
「そうだよ。あなた、彩愛ちゃんを知ってるの?」
「はい。アーちゃんは、同級生なんです」
「そうなの。あそこも、うちと同じで古くからこの町に住んでるから、お互い懇意に
してるんだ」
そういえば、アーちゃんのとこって、もの凄く古いお屋敷だった。
期待できるかもしれない。早速、アーちゃんに連絡してみよう。
プルルルル、プルルルル、プルルルル。
呼びだし音続く。
プルルルル、プルルルル。
どうしたんだろう、なかなか出てくれない。
モシモシ。
やっと返事が返って来た。
「もしもし。アーちゃん?」
「ああ、美寿穂ね。ちょっと待ってて…」
そこで、アーちゃんからの通話が無音になる。
暫く経ってアーちゃんから反応が届く。
「お待たせ。今、蔵の虫干しを手伝わされてたんだ。美寿穂のお陰で、抜けられた。
助かったよ。で、何の用?」
とアーちゃんから。
「アーちゃんに教えてもらいたい事があるの」
「私に? 一体なに?」
「ちょっと待っててね。今、電話代わるから」
えー!? 誰と? アーちゃんの大きな声がスマホから漏れ出てくる。
「もし、もし。電話代わりました。三笠です」
えー!? 三笠君!? なんで三笠君が美寿穂と一緒にいるの?
アーちゃんの大音量で、スマホが震える。
三笠くんも、その声に気おされ、スマホを耳から遠ざける。
アーちゃんのリアクションが収まるのを待って、三笠君が口を開く。
「あの…、ちょっと事情があって、濱野さんと一緒に探し物をしてるんだ」
「何々、どんな事情? 詳しく教えて!」
「いや、それは後で。…で、その探し物なんだけど…」
「ああ、そうだったね。で、何探してるの? 私に分かるようなこと?」
「奥寺さんの家って、代々この街に住んでるんですよね」
「うん。そうだよ」
「猫守神社って知ってる?」
「知ってる知ってる。和菓子の仁連屋本店の中に有るんだよね。仁連さんと私んちは
懇意にしてるから、知ってるんだ」
「僕たち、今そこに居るんだ。それで、仁連屋さんの猫守神社は、新しく建てられた
社らしいんだけど、以前の社、本社が何処にあるのか知りたいんだ」
「それなら、仁連屋のお祖父さんに聞いて見れば?」
「それが、生憎と旅行で不在なんだ。それで、奥寺さんのご家族の方なら、知ってる
かも知れないと、素子さんに言われて、連絡したんだよ」
「なるほど。うちのオババなら知ってると思う。でも……」
「でも……?」
「オババは知り合いの年寄りとアメリカ西海岸に旅行中」
どうなってるんだ。アメリカ西海岸がブームなのか、この辺りでは。
「奥寺さん自身は、猫守神社の本社について聞いたことないかな?」
「そういえば、小さい頃に聞いたことがあるような…」
「それ、思い出せない」
「ちょっと待って、今思いだす。…うーんとね。なんか、日本風じゃない名前だった
気がする。アリスとか、エミリーとか、マリアとか。……マリア、マリア。そうだ。
思い出した!! マリアナだ。マリアナ」
マリアナ? マリアナといったら、マリアナ海溝とかマリアナ諸島のこと?
まさか、猫守神社の本社って、海外に在って、しかも海の底なの?
それじゃ、24時間以内に探し出すなんて、無理ゲーじゃないの。
「マリアナ…。解った。ありがとう、とても参考になった」
「本とに役にたったの?」とアーちゃん。
「うん」しっかりした声で、三笠君が答える。
「じゃあ。美寿穂と代わってくれる」
アーちゃんに促されて、三笠君がスマホを私に返してよこす。
「美寿穂、美寿穂、美寿穂っ!!! あなた、どうしたの。どうやって、三笠くんを
落としたの?」
「いや、別に…そんな…(落としたとかじゃなく)。たまたま、色々あって…」
「その、色々っての、後でたっぷり聞かせて貰うからね。じゃぁ、ガンバ!!!」
アーちゃんの大きな声と共に通話が切れた。
私と三笠君は顔を見合わせて笑った。
アーちゃんとの話が終わり、私と三笠君は素子さんにお礼を言って店を出た。
最後に素子さんが「ショーマ、がんばれヨ」と声をかけてきた。
アーちゃんも、素子さんも、私達に何をがんばらせたいんだ、
仁連和菓子店を出る。
「あの。これから、どこへ 」
「マリアナさ」
「だから、それは何処?」
ふふふ。と三笠君が笑う。
三笠君、意外と意地悪だ。行き先を教えてくれない。
それとも、私を焦らせて面白がってる?
「ごめん、ごめん。今、教えるよ。とにかく自転車に乗って、走りながら話そう」
翠を自転車の前かごに乗せ、私は自転車の荷台に横ずわりで腰を下ろす。
スカートで外出したことを今更ながら後悔する。
じゃぁ、行く。三笠君がペダルを漕ぎ出し、自転車が動き出す。
「少し飛ばすから、僕に掴まってて」
三笠君に促されて、右手を彼の腰に回す。なんか、すごく恥ずかしい。
「奥寺さんの言っていたマリアナだけど、多分、猯穴《まみあな》の事だと思う」
「マミアナ?」
「そう。マミっていうのは、タヌキの事。つまり、猯穴は狸の穴ってことになる」
「狸? ここら辺に、狸なんて、居るの?」
「狸が居るかどうかは分からないけど、猯穴って名前の古墳はある」
「古墳?」
「そう。そして、古墳とかには、神社が建てられてる事が多い」
「そうか! 猯穴古墳にも、神社があって…」
「…それが、猫守神社の本社の可能性が高い」
すごい! 一挙に展望が開けてきた気がする。
三笠君、凄くカッコイイ、とっても頼もしく思えてきた。
私達を乗せた自転車は街中を離れ、住宅街をぬけて郊外の田園地帯に至る。
見渡すかぎりの水田に青々とした稲穂がなびく。
涼しいげな風が吹き抜けると、稲穂の海原に波の模様が走り抜けて行く。
何て清々しい瞬間だ。
しかも、私は三笠君と一緒に居る。
ガタン。
段差を乗り越えた拍子に自転車が弾んだ。
キャッ。と小さな悲鳴が漏れだす。
「もっと、しっかり掴まってて、これから道が悪くなるから」
うん。
と答えて、私は三笠君の腰に回した腕に力を込めた。
それから、私は思い切って自分の体を三笠君の背中に未着させる。
三笠君がピクリと反応する。
だって、しっかり掴まっててって、言われたんだもん。と自分に言い訳する。
三笠君の背中が熱い。三笠君も私の体温を感じてくれてるだろうか。
無言のままの二人と一匹を乗せた自転車が、稲穂の海原を駆ける。
ああ、空を飛ぶって、こんな気分なんじゃないかと思う。
この瞬間が永遠に続いてほしいと思った。
ブブブブブ、ブブブブブ、ブブブブブ。
仁連和菓子店を出てから二十分程経った頃、スナホが震えた。
夢心地から覚めて、スマホを見る。
アーちゃんからの着信だった。
「もしもし。どうしたの、アーちゃん」
「美寿穂。三笠君、近くにいるなら代わって」
三笠君が自転車を留めて私のスマホを受け取る。
私も自転車の荷台から下り、三笠君の隣でスマホからの声に耳を傾ける。
「電話代わりました。三笠です」
「彩愛です。早速だけど、さっき聞かれた猫守神社の場所、マリアナじゃあなくて、
猯穴だった。町の北の方に猯穴古墳てのがあるんだけど、その辺りにある筈」
「やっぱり、そうか。ありがとう。今、そこに向かってるんだ」
「そうなの!? 凄いな。良く分かったね」
「奥寺んの方は、どうやって分かったの?」
「うちのヒイお爺ちゃんが学校の先生だったらしくて、この近隣の名所旧跡を調べて
本にしたらしいんだ。今日、蔵の虫干ししてて、偶然その本を見つけたの」
「なるほど…。もしかして、その本に猫守神社の伝承とか書かれてないかな?」
「ちょっと待ってね。今、調べる」
一旦、会話が途切れる。
暫くして、アーちゃんからの応答。
「あったよ。読むね」
何かしら、隠れ家探しのヒントが聞けるかもしれない。
「寛文年間。今から三百五十年位前だね。猯穴の地に化け狸が住み着き、近在の者が
難儀していた。そこに通り掛かったのが、旅の浪人で奥寺…うーん? 何て読むんだ
これ…? ソウ…ベ…エ…かな? その人が化け狸退治を買って出たらしいの」
化け狸? 話が意外な方向に向かった。